episode4 sect62 ”次のステップへ”
激震。
中間考査。
俗に言う、中間テスト、または定期テスト、あるいは単にテスト。
書類に職業「学生」と記入すべき立場にある限り避けて通ることの出来ない、あの難敵だ。
中間、期末、実力などと千変万化に姿を変えて青春を謳歌する若者たちに幾度も襲いかかる、例のアレだ。
『高総戦』という一大イベントの影に潜んでじっくりと好機を窺っていたそれは、遂にこの上なく最高のタイミングでその姿を現した。
ほとんどの生徒がたった4つの漢字を並べられただけで戦慄するのだ。
果たしてそれは余命宣告だったのか、楽園への関門を設けたつもりだったのだろうか、真波は邪悪な笑みを浮かべていた。
「赤点取ったら―――夏休み、泣くわよ?」
真波は勤勉な生徒が好きだ。しかし、怠惰な生徒は許さない。絶対にだ。もちろん自分の生徒を「嫌い」と評することはしないし、それは思ってもないことだ。ただし、怠け者に向ける態度は尖らせる所存である。
真波は最後に漠然とした脅しを残して、かえって緊張が強くなった教室を後にした。
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1体、2体、3、4、5・・・10体。目で追えない速度で動く少女は一般人からすればしゃべって動く黒い影みたいなものだ。慣れた動きで宅地の道路を跳ね回る影は一瞬でその場に現れたモンスターを半分以上倒してしまった。
「向こうのモンスターはボクがやるよ!」
平日に昼前。外を歩く人が少ない時間帯でも、モンスターは出現する。
そして例にもよって大量発生。これがほぼ毎日のペースで一央市内のどこかで起きている。しかも、半年ほど前から急激に件数を伸ばしつつ、なので、笑えない話だ。
加えて言えば、他の地域もそうなのだ。『高濃度魔力地帯』に分類される一央市が特に酷いため触れることは少ないが、他の『高濃度魔力地帯』でもやはり一央市同様の現象が起こっている。そして、そうでない基準値の地域を含めても、世界中で起きている位相歪曲現象の発生件数は増加傾向にあった。
発生件数は『高濃度魔力地帯』の方が多くても、実は被害自体はその他の地域の方が若干大きい傾向がある。もはや『高濃度魔力地帯』でなくてもライセンスを持っている魔法士の存在は重要度を増していた。
さて、ひとまず場面を戻せば、一央市にある住宅地の1つに至る。そもそもそういった地区にランク2以上のライセンサーがこの時間帯からいる確率はかなり低い。加えてここは比較的新しく開発された地区のため住人が比較的若い層に偏っており、なおさら人が少ない。
そのため、昼間人の少ない場所にモンスターが現れれば一央市のギルドから討伐隊が派遣されることがある。もしくは、発生地点付近に居合わせたギルドに特殊に登録されている個人や一般に「パーティー」と呼ばれる団体のいずれかが依頼を受け、その駆除に当たる。
千影は今日もそんな依頼を受けて、遠路はるばるこの住宅地までやって来ていた。
意識の高いランク1の魔法士がいたのだろう、千影が到着した時点で既に数人の女性たちが家の外に出てモンスターと戦っていた。
けれど、いくら心意気があっても彼女たちは一介の主婦に過ぎず、ライセンスだっていつ取得したものを今日まで更新し続けてきたのか分からない程度のものだ。
以前から積極的にモンスター駆除に協力してくれているということだが、所詮、戦闘を専門に学ぶ学生と比べても力不足な彼女らではこの数の敵は捌けない。
千影は彼女らの頭上を通り過ぎながら簡単な指示を出しつつ、敵の中心へと突っ込んだ。
「なんでまたボクなんだろ。足の速さってだけでこき使ってくれちゃってさー」
文字通り目にも止まらぬスピードでモンスターを狩っていく千影は、有り余る余裕に任せてぼやいた。
千影という単独戦力さえあれば一央市内で突発的に発生するモンスター案件は大抵なんとかなる―――などと、一央市ギルドはそう踏んでいるのかもしれない。
「それはそうなんだけど―――っと」
現実に千影は今もこうして生活の拠点となる神代家の家から3、4キロは離れた完全に管轄外の区域にまで最短最速で到着し、止まって見える敵の首をはねて回っている。
他にも1人くらいはもっと近くにランク4の魔法士もいただろうけれど、千影の方が速く、確実に敵を殲滅できてしまっている。
「まあお金ももらってるから文句も言えないんだけど、昨日やっと帰ってきたところだから、もっとゆっくりさせて欲しいよねー」
およそ2分でモンスター60体を討伐完了。他の分は件の主婦組がなんとかしてくれた。いろいろと悪く言ったかもしれないが、彼女たちだってそこそこ慣れてきて戦えるようになっているのだろう。チームワークも悪くない。これなら旦那さんたちの家庭内の立場も気になる程度には強いはずだ。
千影はやっと地面に足を着けて、ハイタッチをしている主婦たちをチラリと見た。物騒な世の中ではあるが、それでこそ見られる命の輝きとでも言えば良いのだろうか。千影は素直に良い光景だなと思って見ていた。
全てが霧散して刀身に血の一滴も残っていない『牛鬼角』を意味もなく軽く振るい、腰の後ろにつけた鞘に納めた。使い終えれば『召喚』でしまう。
戦いが終わってからやっとこんな小さな女の子が最前線で戦っていたことに気付く主婦たち。千影はそれなりに彼女らの相手をしてやってから、いつも通り適当に話を逸らしてその場を去った。
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やはり、なにかがおかしい。一央市でモンスターが出るのは普通のことだ。他の地域だって別に珍しいことではない。でも、それにしてもおかしいのである。
資料などを詳しく見たわけではないので、千影も分かったようなことは言えないかもしれない。だが、ここがいくら『高濃度魔力地帯』だとはいえ、酷い。
「どっかでなにか起きてるよね、これは」
誰かが仕組んだとまでは言わないが、この変化はなにか大きな動きの反動と見るのが妥当。思い当たる節があるとするならば―――というより実は、似た現象が少し前にもあったという。
それは例の5年前、正確には5年とおよそ半年前。『血涙の十月』以降、この世界では位相の歪みの発生数は大きく増加したという。
千影にその実感はないが。
原因は―――不明。情報の真偽も不明。
「ほーんと、なんなんだろうねー・・・」
千影はてくてくと歩いて帰る道すがら、コンビニでお菓子を買って食べ歩き。彼女の最近のちょっとした楽しみだ。今日は暑いので、アイスキャンデーにしてみた。眩しい日差しに冷たいソーダ味はよく合う。
千影の呟きが本当はかなり深刻であると理解出来る人間はいないだろう。よもやこの異常事態に薄暗い原因の存在を勘繰る大人さえいないのに、子供がそれを最初に怪しむとは思わない。
なんなんだろうね、の重みは千影の中だけで留まり、とめどなく不安を煽っている。
対策も打てないまま、気が付いたら人間の世界だったこの世界は異世界とくっついちゃって余所の生物たちの楽園になっていました――――――。とんだアポカリプスだ。まるで大自然の猛威と同列視して、風に吹かれるように、はたまた津波に呑まれるように、人間が滅びるのを見過ごすのか?そうしてモンスターがはびこるのを甘んじて受け入れるのか?
ゾッとする話というか、ゾッとしない話というか・・・千影にとってはとかく嫌な感じがする流れだった。
「ボクがこれ以上気にしてもムダかなぁ。というか、これ以上やること増やしてもパンクしちゃうよね」
いくら千影が欲張りでも、これはさすがに持ち合わせが足りない。元より千影が払えるものなんて限られていて、自発的に出来ることなんて戦うことしかない。張る欲を満たすには、いささか手札が少なかった。
「うんうん、そうだよ。こういう大事件こそはやチンたちのお仕事なんだから!」
魔界が動き出し、人間もそれに備えて動く準備をしなければならない。今も先日『のぞみ』にはびこっていたような後ろ暗い計画が無数に存在する。既に大きな流れは出来ている。きっと千影はそれと無関係ではいられない。すぐにその日は来る。
でも、千影の目下最大の目標は迅雷をなんとかすることだ。それを為さずして千影は、安心して次のステップを踏み出すことは出来ないのだから。
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「ぷぁっ、パーティーを組んで欲しいとおっしゃりましたか!?」
全国大会も終わってやっと平和になった(中間テストは控えているが)と思っていた矢先だった。突然後輩に屋上まで呼び出されてその用件を聞いた煌熾は、あまりに突拍子もない頼み事をされて口調が壊れた。
素っ頓狂な声を出した煌熾には、頼んだ側である後輩―――阿本真牙もびっくりする。いつもはかなり低い声なので、急に高い声を出されると心臓に悪い。
「驚くかなとは予想してたッスけど、まさかここまで驚かれるとまでは思ってなかったですよ」
「そりゃ驚くだろ、普通。それにしても、パーティーを組みたい、か・・・」
「そう、パーティーですよ。パンティーじゃなくてパーティーですからね」
「意味もなくそういうこと言うんじゃない・・・」
「まあそれは良いとして、とりあえずこう、あと数人よりあって・・・ね?」
せっかくツッコんだのにスルーされたから煌熾はムッとしたのだが、問題はそこではない。
「むぅ・・・ん。嫌とは言わないが、しかしまだ俺たちは学生だぞ?そもそもなんでこの時期に?」
煌熾の疑問ももっともだろう。真牙の話はパーティーを組もうで終わりではない。頼み事をするなら、まずそれなりな理由も必要だ。もちろん真牙はそれも用意しないで話を切り出すような馬鹿者ではない。
「よくぞ聞いてくれました!いやー、というのもやっぱり『高総戦』じゃオレも自分の力不足は感じましてねー。この時期だからこそ・・・というか。その悔しさを忘れないうちに」
ヘラヘラと話すので真牙の本気の度合いは測りかねるが、煌熾も彼の発想には共感するものがあった。言われると考えが至っていなかったな、と思った煌熾は腕を組んで唸った。
「それで、パーティーを組んだとして、その後は?」
「そりゃみんなでダンジョンとかに潜ってクエストしたり、モンスターとの戦闘で訓練したり、いろいろッスよ」
「うん、まあそうだよな。パーティーと言えば大体そういうものだろうし」
他にもギルドやIAMOからの直接の要請で魔法事件やモンスターの出現に出動することもあるが、それは実力が高く評価されたパーティーの話だ。
まだ渋りを見せる煌熾に真牙は続けた。
「これからは多分今まで以上に大変な時代になりますからね。オレとしても少しでも強くなれたら良いんじゃないかなとは思ってるんですよ」
「・・・・・・」
真牙の言い分は悉く的を射ているので、煌熾は唸らされてばかりだった。軽薄そうに見える彼が実は一番時事に通じているような気さえする。合宿でダンジョンに潜ったときも遊んでいるようで意外に細やかな気配りをしていたり、うまく不慣れな仲間をフォローしたり。
本人の剣の腕もあり、煌熾は阿本真牙という後輩はただの後輩として見てもいられないな、と感じ始めた。伊達に学内戦では1年生の2番手に収まったわけではないということだ。
ただ、それとこれとは別の問題である。
ひとまずの話は聞き入れつつ、煌熾はまだ首を縦に振らない。真牙の話を解釈すると「楽しくワイワイ」な印象があるからだ。ダンジョン探索だって遊びではない。
「―――分かってますよ。オレだってバカじゃないですから」
でも、そんなことくらい真牙もよく知っている。そんな彼の口調は一言前とは打って変わって重い覚悟があった。