episode4 sect59 ”在るべき姿”
外は真っ暗で、チラホラと車のライトが並走する。萌生はバスに揺られて少しウトウトしながら、傍らでぼんやりと達彦の言葉を思い出していた。閉会式が終わって、マイクもカメラもない場所で交わした会話の一部だ。
『俺たちは確かに・・・総合優勝はもぎ取った。でも、その真実は、君らの学校のあの1年生―――天田雪姫たったひとりに・・・俺たちは選手全員で束になってかかっても敵わない・・・そんなものさ。こんなで勝った気でいる方が辛かったんだよ。だから、その旗はちゃんと豊園たちが持って帰ってくれると助かる』
今は大事に仕舞われてバス車内の壁に立てかけられた優勝旗を見て、萌生も未だどう思えば良いのか分からないでいた。本来自分たちの手に渡るはずのなかった勝利の証がなぜだかここにあって、その勝利者はそれを正しい決断であると信じている。悔しかった分がそこに流れて嬉しさもあるようで、しかし勝ったわけでもないのにそれを誇れる自信があるわけでもない。
ただひとつ、萌生が分かってやれるとしたら。
「千尋君の思うことは痛いほど分かるかな・・・」
千尋達彦は萌生が3年間抜きつ抜かれつ、とことん競い合った相手だ。そんな彼が、最後に得た事実。長い間、恐らく今日というたかだか1日の勝利のためだけに積み重ねた血の滲むような努力も、身を削るような研鑽も―――ぽっと出の1年生にまとめて否定されたのだ。
恨めしくて悲しくて虚しくて悔しくて情けなくて、それなのにあの純粋な力不足だけはどうしようもなく現実で真実だったから、結局こうするしかなかった。
でも、それは雪姫と同じチームで戦っていた味方であるところの萌生たちだって同じなのだ。いいや、チームは一緒でも初めから雪姫と一緒に戦うことすら出来ていなかった。団体戦でさえきっと、雪姫の視点に立てば萌生らは数あわせのための駒に過ぎなかったはずだ。彼女がじれったさに溜息を吐けば、それで試合が終わる合図になるのだから。
ふと萌生はガラスに映っていた雪姫の姿を見つけた。
虚ろに車窓を覗き、けれど見えているだろうなににも興味を示さないまま。なら、ひたすらボンヤリと、彼女はなにを思っているのだろうか。
一緒に映る自分と遠くの後輩を見比べていると、隣に立ってやれない自分が底なしに情けなくなる。
「1人で十分、か」
「あんましょげんなよ、萌生」
「あれ、あーちゃん、起きてたのね」
「まーね」
落ち着く度にむしろ考え込んで暗い顔をする萌生が気になって、明日葉もおちおち寝てなどいられなかった。
「気にしたってどうにもなんないでしょ。アタシらは強い。けど雪姫はもっと強え。そんだけでしょ?気を揉んでて急に逆転出来るわけでもないんだからさぁ」
「それは分かってるわよ、私だって。でも・・・」
「いんや、分かってないね。分かってたら『でも』なんて言わないもんな。いいか萌生、よーく聞けよ?アタシはこれからもあいつには先輩面して偉そーに当たる」
急にドヤ顔で変な宣言をし始めた明日葉に、萌生はキョトンとして首を傾げた。
なにをそんな普通のことを―――と言おうとして、萌生はちょっとだけ気が楽になった。
「そっか。そうよね」
「そーだよ。大体さ、特に萌生なんかはケンカしか能のねぇアタシみたいなのよりもずっと立派なわけだしさ。強くてもいろいろ足りてねえナマイキな後輩にはガンガン偉ぶってりゃいんだよ」
―――それこそ、昔萌生が明日葉にそうだったみたいに。それだけできっと意味がある。
魔法科専門高校だからといって先輩が後輩に実力で負けていて、それで落ち込んでいては話にならない。学校は人々が集まる小さな社会だ。力が全てなんて話は根っこから間違っている。
それはまあ、年下にああも派手に差をつけられればコンプレックスにもなる。明日葉だって分からないわけではないし、誰もが自分のようにスッパリと割り切るべきだと言いたいわけでもない。
でも、先輩は先輩だ。時間が遡行でもしない限りそれは揺るがない事実なのだ。なら雪姫が1人で無双を気取ろうが一匹狼でいたがろうが、結果勝ったなら「でかしたぞ」の一言で良い。要はそれだけの話だ。
「まぁ・・・それによ?力負けが悔しいんならもっと強くなりゃいいんだって。確かに『高総戦』は終わっちまったけど、アタシらもまだ卒業じゃねぇんだし。つか卒業したら魔法使えなくなるわけでもねぇし。な?簡単でしょ?」
「―――うん。うん、そうだよね。とっても簡単。さっすがあーちゃんだわ」
「それアタシのことバカにしてね?」
「してないしてない。ありがとうね。やっぱりあーちゃんは優しい子だなぁ」
「は、はぁっ!?な、なんでそーなるし!?べっ、べべ別にそんな風にしたつもりないんだけど!な、ないからねっ!ないっつってんだろ!!」
明日葉の声が大きくて寝ていた人も目を覚ましたのだろう。いつの間にかバスの中のみんなからニッコリされていることに気が付いて、明日葉は真っ赤になって怒鳴り散らした。
結局なんの反応も示さなかったのは雪姫だけで、バス車内はどっと笑いで包まれる。
「くそっ!こんなやつら窓から放り出してやる!!覚悟しやがれッ!!」
「あーちゃん、それはさすがにダメよ」
フーフーと鼻息を荒げる明日葉を萌生はなんとか座り直させる。明日葉は殺ると言ったら絶対に殺る執念深い人・・・・・・ではなく、やると言ったら必ずやる意志の固い人なので、放っておくと大惨事になりかねない。
「ぐぬぬ・・・!くそ、覚えとけよお前ら!学校着いてからの帰り道にゃ精々気ぃつけろ!」
「はいはい、どうどう」
明日葉が危うく地団駄でバスの床を踏み抜くところだったので全員が冷や汗をかいたが、萌生のおかげで事なきを得た。
すっかり機嫌を損ねてしまった明日葉は座席にどっかりともたれかかり、ムスッという分かりやすい表情をしている。
せっかく珍しく良いことを言っていたのにこんなに照れてしまうのはもったいないと思って、萌生は明日葉にトドメを刺した。
「あーちゃんったら可愛いー」
「―――いくら萌生でもそろそろ怒んぞ?」
見慣れた明日葉のギョロ目がさすがに血走り始めたので萌生もサアッと顔を青ざめさせた。
「・・・でも、本当にありがとうね?」
「はぁ・・・。ま、分かったらいいよ。ったく。生徒会長ともあろうお方がウジウジとさー」
「あっはは・・・耳が痛いわね・・・。それで、ねぇ?」
「ん?」
痛み分けとなったところで、萌生はほんの思いつきで明日葉に提案してみた。
「今の話、千尋君にもしてあげたら?彼、きっと私より落ち込んでると思うんだけど」
「はぁ?なんでアタシが達彦の面倒まで見てやんなきゃなんねーんだよ。どうしても話聞かせたいなら萌生がしなよ。つってあいつだってバカじゃないんだから、ちょっとすりゃ立ち直んだろうけどさ」
「それは・・・そうかもしれないわよね―――」
萌生はそう呟いて、また車の窓枠で頬杖をついた。
次に達彦の顔を見るのがいつになるかは萌生も分からないけれど、そのときにはまた自信のある顔をしてくれていれれば嬉しい。きっとそのときには萌生もそう出来るから。
これからは受験勉強も大変にはなってくるけれど、萌生もしっかりと気持ちを切り替えて「良き先輩」の姿を見せていかないとだ。いやはや、まだまだ学園生活はやりがいもやり応えもありそうである。
バスは深夜の静寂の中をいつまでも走り続け、いずれ学生たちの帰るべき街へと辿り着いた。
●
迅雷と千影が家に着いたのは午前4時頃だった。その時刻についていろいろとツッコみたいところはあるが、それはともかく当然こんな時間では誰も起きてなんていない。静かに鍵を開けていると泥棒の気分になる。
迅雷も千影も忍ぶように玄関を開けて中に入り、そっと脱いだ靴を揃える。
「「ただいまー・・・」」
寝ているであろう直華と真名を起こさないように声を潜めて帰宅の挨拶をして、2人は2階へと上がっていく。
迅雷が自室のドアを開けると、出かける前と特に変わるところのない日常が待っていた。
「ひっさびさの我が家だから落ち着くなぁ」
「そうだねー・・・しみじみ。ボクなんてもう半月振りだもんね。よっと」
千影は荷物も適当に放り投げて迅雷のベッドに飛び込んだ。しばらくぶりの寝床は、やはり全身にしっくりと馴染む。なんだかもうそろそろ迅雷のシングルベッドも、迅雷と千影のベッド、みたいな感じだ。特にそれ以上の意味はないが。
千影はそのままスンスンと鼻を動かす。
「とっしーの匂いがするね」
「なんか恥ずかしいからやめてくんない?」
「そのリアクション期待してた」
「だと思った」
「あれ、バレてた?」
「バレてないと思ったのかよ」
迅雷は澄まし顔で千影をおちょくった。千影のやりそうなことなんて迅雷には大抵予想出来る。まぁ、予想はしていても恥ずかしいものは恥ずかしいのだが、それはそれだ。妙な照れ臭さを隠して迅雷はそんな態度を取っていた。
「あーあ、俺も疲れたや」
迅雷もベッドに倒れ込み、千影はそのスペースを空けるために転がった。
迅雷は一言で「疲れた」なんて言うが、彼のことをちゃんと見ていれば、彼がどれほど疲弊しきっているかなど分かる。とてもではないが、「疲れた」程度の簡単な言葉で片付けられるほどではない。
千影は迅雷の背中をさすりながら、これから迅雷にどう向き合っていくかを改めて考える。
結局大量の固有魔力特性情報が記録されたメモリは当初の予定通りに持って行かれてしまった上に、聞けばネビアも「渋谷警備」に強奪―――というよりかは奪還されたという。
どこまでも思い通りにはいかない。なんにも思い通りにいかせられない。
「ボクも結局、なんにも出来なかったんだなぁ」
「千影はちゃんと頑張ったと思うけどな」
ネビアについての話は迅雷も千影から伝えられていた。今更彼女の行方について隠す方がナンセンスだからだ。
そして迅雷は、無理だったものは仕方ないだろう、なってしまった結果を悔やんでも意味なんてない、と千影を慰めるのだ。迅雷にあまりにも当たり前に優しい言葉をかけられれば、千影だって「そうなのかな」と納得しかける。
でも、すんでのところで千影はその甘美な響きを否定し続けた。もし今の迅雷の慰めを受け入れてしまえば、もう迅雷の頬を張れる人は誰もいなくなってしまうかもしれないから。
「でも、どっちにしろボクもこれからはちょっと慌ただしくなってくるかもだもんね。確かにくよくよはしてられないよね」
「そっか。ま、無理はすんなよな」
「・・・。うん」
迅雷は今の台詞になぜか物足りなさそうな顔をする千影に首を傾げて、ベッドから起きた。なにせバスの中でそれなりに寝て起きたところなので、まだ眠れる気分でもない。それにまず、あと3時間と少しもすれば学校に行くために起きなくてはならない時間なのだ。
「・・・やっぱなにかがオカシイ」
国内にいるまま時差ボケでもした気分になりながら迅雷は部屋のドアに手をかけた。
「あれ?とっしー、どこ行くの?」
「ちょっとシャワー浴びてきます」
「じゃあボクもー」
「アホか」
「むぅー」
迅雷はてくてく着いてくる千影の襟を掴んで部屋の中に放り戻した。