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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第一章 episode1『寝覚めの夢』
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episode1 sect13 ”慟哭”

 爆発に少し遅れた瓦礫の雨が迅雷(としなり)たちを逃がすまいとするかのように見上げた視界の一面を覆った。


 「わわっ、みんな伏せて!『プロテクション・バリア』!」


 慈音(しの)が咄嗟に4人の頭上に大きな防御結界を展開した。瓦礫は結界を激しく叩きつけ、凄まじい衝撃音が乱響した。


 「く、うぅ・・・」


 そのあまりにも大きな重量は即席で張っただけの、たった1枚の結界では支え切れなさそうだ。慈音が結界の維持にどれほど集中しても降り積もったコンクリート塊によってガラスの軋むような音は止まず、依然として去ることのない危機を如実に伝えてきていた。


 「た、助かったしーちゃん!でも結界広すぎで今更出られなくなってるよなこれ!?」


 「それは言わないでぇ!」


 そう、咄嗟の判断で結界を広範囲に張ってしまった結果、結界の下から逃げることが出来ない状況になっていた。特に結界を維持している慈音が。難を逃れたようで逆にピンチである。そうこう言っている間にも結界の軋む音が大きくなる。


 「と、とっしー、とりあえず今は結界を下から支えようよ!ナオも!」


 千影(ちかげ)が慌ててその場凌ぎにはなるが一応最良の案を出す。


 「そ、そうだね!慈音さん、もうちょっと頑張ってください!」


 直華(なおか)も千影に言われて結界を下から割れないように押さえ始めた。しかし慈音は、


 「もうちょっとって、それ誰か助けに来てくれるまでだよね!?ふぇぇ、どうしよう!?」


 涙目で喚いている。どうするもこうするも自分で張ってしまった結果なのでなおさら泣けてきたらしい。


 「ちょ、今揺らいだ!しーちゃん、今は結界に集中してくださいぃ!」


 迅雷も結界を支えながら叫ぶ。自分たちがどれだけ頑張ろうとも慈音がこのたった1枚の防壁を維持してくれていなければどうにもならないのだ。


          ●


 慈音が結界を展開してからかれこれ3,4分が過ぎた。迅雷たちは結界を支えながら虫が這うような速さでジリジリと結界の端ににじり寄ろうと頑張っていた。が、当然ながらなかなか進まない。特に慈音は高負荷状態下での結界の維持をしながらの移動という慣れない作業なので本当に徐々に徐々にといった風にしか動けない。それに、もう1つ彼女の負担が減らない理由が1つあった。


 「頑張れみんな!あと10mくらいだよ!」


 千影が声援を送る。


 「・・・千影さん、支えようって言い出したのあなたですよね?」


 迅雷がこめかみをひくつかせながらいやに丁寧な口調で千影に話しかけた。


 ちなみに千影は結界を支えることをしていない。なぜかというと、


 「だって身長的に届かないんだもん!こればっかりはいくらボクでもどうしようもなくない!?」


 結界の高さは慈音が手を上に挙げた状態のそれに従っていたので明らかに彼女より背の低い千影は全く結界の高さに手が届かなかった。確かにこれは千影に非はない。そこを指摘された迅雷はなにも言い返せなくなって作業に戻った。


 「とにかくこの秒速1cmくらいの移動速度でいけば10mだからあと・・・・・・?あと16,7分もかかる!」


 迅雷が気を紛らわすように計算した結果4人全員の士気が下がった。悲惨なまでの遅さである。そもそも中心から離れるにつれて結界の支えもバランスが悪くなっている。



 と、ドンヨリしながらにじっていたところにさらに良くないことが起こった。


 また、爆発が起きた。三度の破壊に三度のコンクリート塊の雨が注ごうとしている。



 三度にわたる爆発で細かく砕けたコンクリートの粉塵はさながらコンクリートの雨を降らせる雨雲のようだった。


 「これは・・・マズイ・・・!!」


 慈音ではこれ以上の重量を支えきれない。迅雷は嫌な汗が噴き出すのを感じた。大体どうしてこうも自分たちの頭上ばかり爆発するのだろうか、と神様がいるなら恨みたくなるほどだった。


 「・・・そうだ!慈音さん、結界を傾けて!」


 直華が唐突に叫んだ。なにかいい案でも思いついたのかもしれない。慈音が言われた通りに結界を少し傾けた。恐らくこれだけでもなかなかの重労働になっていたのだろうが、藁にも縋るような思いだったのだから直華の指示にも素直に従った。


 すると、上に乗っていた瓦礫の山がゆっくりとだが滑り落ち始めた。


 「あ、なんで思いつかなかったんだろう!?ってうわぁ!?」


 感嘆する暇もなく新しい瓦礫が降り注ぎ、結界を圧迫し始めた。しかし、先ほどよりは幾分衝撃がましになっていた。これも受け止めるのではなく受け流す方に切り替えた恩恵だったのだろう。とはいえ、十分に重い衝撃が慈音に襲いかかる。


 「しーちゃん、ごめん!もう少し耐えてくれ」


 迅雷が慈音を励ますが、しかし。そんなに現実は甘くない。


 「と、としくんちょっともうキツいかも・・・!」


 いくらなんでも無茶すぎたのだ。今更積もった物を落としたところで慈音の疲労は溜まる一方で、ついに彼女の魔力も底が見え始めてきた。


 迅雷はそれを聞き、一瞬躊躇ったような顔をしたが、最後の手段を取ることを決心した。


 「しーちゃん、ちょっとごめん!」


 「え、ちょっ、きゃぁ!?」


 結界がこれ以上保たないことが分かった瞬間、迅雷は一言断ってから慈音と直華を強引に脇に抱え上げて、足に少ない魔力を惜しまず集中させて全力で安全地帯(10m先)を目指して跳躍した。千影も彼の考えたことを察したので同じように跳躍する。


 突然抱え上げられて集中の切れてしまった慈音の結界に遂に亀裂が入り、割れた。その上に山積していた瓦礫の山が崩落した。迅雷と千影は10mの直線を崩れる背景も顧みずに一気に駆け抜けた。


 賭けには、勝った。間一髪のところではあったが、崩れる瓦礫の山から逃れることには成功した。


 「はぁっ、はぁっ・・・な、なんとか・・・なったな」


 急激な運動と魔力の使用、そして緊張で迅雷は息が上がっていた。抱えていた2人を下ろし、両手を膝に付く。肩を大きく上下させる迅雷に慈音が申し訳なさそうに話しかけた。


 「ごめんね、としくん!結局最後は助けてもらっちゃった・・・」


 結界を維持しきれなかったことを悔やんでいるのだろうが、慈音がいなければまず最初の時点で終わっていた可能性が高い。ちょっと結界は大きすぎたけれど。それを分かっている迅雷は慈音を(ねぎら)うように笑う。


 「そんなことないだろ。むしろしーちゃんが結界を張ってくれなかったら今頃オダブツだったって。な?こっちこそ助かったよ」


 直華と千影も頷いている。


 「でもでも!」


 しかし、どうしても自分が不甲斐ないと思い込んでいるのか慈音はなかなか引き下がろうとしない。仕方がないので迅雷は本日2回目の最終手段を使うことにした。


 「うーん、じゃあこうだ。俺今しーちゃんを抱えるときにちょっと胸触ったからそれでチャラってことで・・・・・・」


 「あぁぁぁぁ!?なんでそういうこと言うのかなぁー!?」


 計画通り(?)、慈音が赤面しながらポカスカし始めたのを迅雷は適当にガードしながら早くこの場を離れようと説得し直す。気のせいか直華まで少し赤くなっているような気がする。そういえば直華を抱えるときになんか手に当たったような・・・というところまで考えて迅雷も相手が妹とかそんなことは関係なく普通に耳が熱くなった。ちなみに確かに迅雷は慈音の胸を触ったのだろうけれど、触ったかどうかはよく分からなかった。だって慈音の胸は触って分かるほどの大きさすらないし。


 「と、とにかく!ほら、さっさと離れるぞ!」


 頭を振って迅雷は雑念を追い払い、仕切り直した。少しでも安全と感じると人間というのは一気に気が緩むのだから危険なことこの上ない。急いで離れるよう再度促す。


 ・・・はずだったのだが、千影が苦い顔になって迅雷の服の裾を引っ張った。


 「とっしー、これはマズいかも・・・」


 確か、こんなやりとりがちょっと前にもあったような気がした。迅雷が、まさか、と言う前にそれ(・・)は落下してきた。誰が10m先の瓦礫の落下圏外が安全地帯だと明言したというのか。この状況がなにによって引き起こされているのか想像すれば、すぐに分かったことだというのに。最悪は留まることを知らず悪化を続け、災厄を呼び込んだ。


 轟音と共に砂埃が立ち上り、その中から全高が6,7mほどはある、奇怪な生物が姿を現した。それは灰色の毛に覆われていた。恐竜の頭蓋を思わせる頭部、一本爪、ヒレのような4本の足。そして極めつけは背中から生えた蟹の(はさみ)のような器官。この世界には絶対に存在しないその異形。

 

 「ま、まさか!?」


 迅雷はその威容に気圧されるようにその怪物を見上げる。


 グリリ、とモンスターの黒く大きな眼球が彼を見据えた。


 「とっしー、ナオもしーちゃんも!逃げて!早く!」


 千影が叫ぶ。


 「でも千影はどうするんだよ!?俺も手伝う!」


 迅雷は千影の声で我に返ったが、逃げるつもりにはなれなかった。言うまでもなく逃げるべきなのだろう。さらに言うと千影も一緒に逃げるのが一番だが、もしそれをすればこの怪物を野放しにすることになる。それもこれも出来ない、というよりしたくない。迅雷は彼女のサポートをすることに決めた。やはりこの小さな少女一人に負担はかけさせたくない。

 剣を呼び出そうとして、召喚魔法の展開のために魔力を練る。きっと2人で戦えば、なんとかなるはずだ。


 だが。そんな感情は少女の一言に一蹴された。



 「・・・・・・っ!分からないの(・・・・・・)!?ボクは大丈夫だから!とっしーが今いても足手纏い(・・・・)なんだよっ!!」 



          ●



 『ゲゲイ・ゼラ』の討伐は辛くも成功した。雪姫(ゆき)煌熾(こうし)も怪我はあるが、どちらも生きている。なんとか、生き残ることが出来た。あれだけの怪物の猛威から、2人は生き残ることが出来たのだ。

 だが、感慨に浸るだけの余裕など存在しない。現に今もまだもう1体の『ゲゲイ・ゼラ』と魔法士たちの戦闘は煌熾たちから少し離れたところで続いているのだから。


 雪姫はおもむろに立ち上がり、そのもう1体の方を見据えた。ダメージが蓄積していたのか体のあちこちが痛むが、今の彼女にとってそんなことはどうだって良かった。人間の世界で暴れるあの化物を殺さなければ。ただ、それだけだ。そう、それだけ。

 しかし、煌熾はそんな雪姫を呼び止めた。


 「・・・天田(あまだ)


 「・・・なんですか。もう放っておいてください」


 雪姫が何に苛立っているのか煌熾には測りかねたが、疲弊している様子なので下がらせることに、いや彼女と共に自分も下がることにした。雪姫の言っていた通り今の煌熾はとてもまともに戦える状態とは言えなかったからだ。


 「もう下がろう。十分お前は頑張ってくれた。後はあの人たちに任せるべきだ。それに、お前に何かあったらお前の家族になんて報告すればいいんだ」


 今ももう一体の『ゲゲイ・ゼラ』と奮戦する魔法士たちを見ながら煌熾はそう言った。ライセンスを持たない彼女を戦闘に巻き込んで重傷を負わせたとしたら、その責任は取るに取りきれない。煌熾は、雪姫を下がらせるためとはいえ、今の発言はあまり綺麗なやり方ではなかったとは感じたが、なにかがあってからでは遅いのだ。少し苦い思いをして彼女を無事に帰せるのなら、卑怯な言葉を使うのもやむを得ない。


 煌熾のあまりに正論な要求に対し雪姫はなにか言いたげな顔をしたが、すぐに顔を俯かせた。 


 「・・・・・・家族」


 悔しそうな顔をしてはいたが、雪姫は煌熾に従って「渡し場」を後にした。


 「渡し場」から離れるとき、壁に阻まれた視界の切れ端に、黒い巨大なものが壁に開いた大穴から下に落下するのが見えた。




          ●




 (足手纏い(・・・・)になるのが分からないの!?)


 千影の言葉が鼓膜を打って、そのまま迅雷の中を掻き毟りながら反響した。臓腑を引き裂いて、血管をむしられるような焦燥感。

 

 結局・・・。結局そうだった。迅雷(としなり)は所詮、千影(ちかげ)が戦う上で足手纏い以外の何者でもなかったのだ。・・・・・・最初から分かっていたことだった。入学式の日に校庭で、一瞬でしかなかった彼女の凄絶な強さを見たあの日から。彼女と出会ったあの日から、既に。


 そんな、最初の最初から分かりきったことを、改めて真正面から明白に、その最たる対象に、言葉にされてしまった。


 「・・・ぁ・・・・・・。・・・っ、分かった・・・」


 なにかを言おうとしたのに、なにも言葉が出てこなかった。出せる言葉など、無かった。


 迅雷は今にも噛み千切ってしまいそうなほどに唇を噛み締め、急激に熱を帯びる眼球を必死に押さえ付けて、消え入るような声で一言、分かった、と絞り出した。


 下を向いて千影に背を向ける迅雷の表情は見えない。


 「お兄・・・ちゃん?」


 「としくん・・・」


 直華(なおか)慈音(しの)も、迅雷に声をかけようとして、詰まった。なにを言ったとしても、それは決して彼の心の慰めにはならないだろうから。なにも言えないことがもどかしく、なにかを言うのがおこがましい。たった一言で憔悴しきった彼の心には、もう傷を抉る分だけの余地すら無いような、そんな風にさえ見えた。


 「・・・るぞ」


 小さく、迅雷の唇が動いた。とても聞き取れないほど小さかったので直華が聞き返した。


 「お兄ちゃん・・・?」


 「・・・逃げるぞって言ってんだよ!!・・・っ、ちくしょうがぁ!!」


 何年も聞いていない、迅雷の本気の怒声だった。痛々しいまでの、悲痛な怒声だった。

 一瞬ビクリと体を強張らせたが、しかしすぐに直華も慈音も彼に従った。

 2人だって千影1人にあの怪物を任せるしかないという現実に悔しさを覚えていた。しかし、今の迅雷の様子を見て、それでもまだそんなことが言えてしまうほど愚劣でもなかった。


          ●


 迅雷と直華、慈音の3人が無事に自分から離れて行ってくれたのを見送ってから千影は溜息を、大きな溜息を一つ、ついた。『ゲゲイ・ゼラ』と対峙してなお、千影の心には戦闘への緊張などよりもずっと強い後悔が渦巻いていた。


 「あーあ。すごくひどいこと言っちゃったなぁ・・・。嫌われちゃったかな・・・。でもその方が後で都合もいいじゃん。そうでしょ、ボク?」


 自分に言い訳などいくらでも出来る。・・・でも、取り返しの付かないものは、いつも気付く前には誰かが抱えて(どうしようもなく)去って行っ(手遅れになっ)てしまう。


 ただ、自分の中でも取り返しの付かなくなってしまうものもまた、確かにあった。捨てきれないものが。


 「だから・・・・・・あれ?お、おかしいな?なんで・・・」


 千影は意図せず頬を伝ったものを腕を使ってぐしぐしと拭った。今はこんなことを考えている場合ではないというのに、目尻に熱が溜まる。


 両手で自らの頬を張った。沈んでいる場合じゃない。


 「・・・さぁ、しっかりしよう、ボク・・・!とっしーたちはボクが守らないとだよ!!」


 キッと眼光を鋭く尖らせる。


 「『召喚(サモン)』!・・・来てよ、『牛鬼角(あぼうらせつ)』」


 千影は聖柄(ひじりづか)の両刃刀を召喚して腰に据え付けた。今この場であのモンスターと戦えるのは自分だけなのだ。思い返さなくても蘇るあの暖かさを守るために、ここで。


 「悪いけど、ここで倒すよ」


 距離はあった。しかしそれは千影にとって距離ではなかった。


 瞬間的に金属光沢が閃き、『ゲゲイ・ゼラ』の角が宙を舞った。

 ・・・だけではなかった。『ゲゲイ・ゼラ』の前歯もスッパリと斬り落とされ、そして顎の甲殻が破砕された。


 見えない連撃に6mの巨体が蹌踉(よろ)めく。


 一切の休止も入れずに千影はガラ空きになった『ゲゲイ・ゼラ』の腹を斬り刻む。そして、傷口に爆発魔法を叩き込む。さらに爆風の圧を受けた『ゲゲイ・ゼラ』に全力の回し蹴りを食らわせる。

 その間わずか1.5秒(・・・・・・・)

 血が飛び散る前に傷は焼き塞がれ、わずかに散った血液も一瞬で蒸発した。爆風の勢いに乗せて蹴りを受けた巨躯は後方に吹っ飛んだ。しかし、千影は攻撃の手を緩めない。

 両刃刀を逆手持ちから正持ちに持ち直して、上に跳躍。『サイクロン』による追い風と重力により莫大な加速度を得て、怪物の喉元をめがけて突撃した。

 これで止めだ。彼にはあとでいくらでも謝って、もう一度笑って話してもらいたい。迅雷が一番心のしこりとしていたものを、千影は分かった上で素手で抉りだしてしまった。許してもらえるかは分からないけれど、きっといくらでも謝ろう。


 そのために、この化物を確実に殺すのだ。


          ●


 迅雷は走り続けた。千影と『ゲゲイ・ゼラ』が争う轟音が角の向こう側へと離れていくのを感じながら、どれだけ距離を取っても止まることのない苦痛を無理に押し殺す。


 ――――――今すぐに、戻りたい。


 本当は千影1人だけに負担を負わせたくなんてない。きっと千影に何かあれば、いや、無事に帰ってきてくれたとしても、迅雷は悔しさと自責の念に苛まれるのだろう。しかし、だからといって戻って彼女を手伝おうとしたところで一体自分に何が出来る?彼女も言った。「足手纏いだ」と。これは迅雷の傲りだ。単なる我儘な傲慢。現実を知っているのに、素直に認められない無駄な意地。

 混沌を胸の中で暴れさせ、とめどない思考のループが高速で巡っている。


 「・・・ッ!?」


 思考が深みにはまり、泥沼となって足下をすくった。迅雷は足をもつれさせて思い切り転んだ。ふと足が地面から浮く一瞬の空白に、自由を取り返すこともなく彼は倒れ伏した。体の至る所がアスファルトに擦れたのか、ヒリヒリと痛む。


 『情けないやつ』『足手纏いの愚図』『棒を振り回して調子に乗っていた小生意気なガキ』『どうしようもないな、お前は』『笑うしかないや』『嗤ってやるよ』


 「・・・・・・クソったれ・・・。うるさいんだよ・・・」


 擦り傷一つ一つの痛みが自分を嘲るように感じる。声を潜めた嗤い声が体のあちこちから染み出す。大した傷でもないのにも関わらず、迅雷はその場に転んだままで動かなかった。動きたくなかった。もう、動く理由も希望も失くしたのだから。


 「お兄ちゃん?立ってよ、ほら」


 直華が迅雷に手を差し伸べたが、彼はその手を取らなかった。取る勇気が、なかった。


 「お兄ちゃん?」


 直華が心配そうに小さな声を出す。心配されているのは迅雷にだって分かっている。でも、無理だ。


 「・・・・・・先に行っててくれよ」


 転んで動きが止まったせいか、心の制御が狂い始めてきたのを迅雷は確かに感じていた。腹の奥まで押し込んでいた悲痛な叫び声が食いしばる歯の隙間から少し、また少しと漏れ出て、今にも溢れようとしている。


 「なに言ってんの!?ほら、立って!」


 直華が声を大きくする。迅雷は直華の顔を見ていなかった。表情を窺わせない。迅雷も自分が今どんな顔をしているのか分からなかった。きっと泣きそうな、それでいて情けないことを言う自分への怒りを露わにしていただろうな、と思った。それでも、もう止まれない。


 「いいから行けよ」


 「いい加減にしてよ、お兄・・・」

 

 「放っといてくれって言ってんだろうが!!聞けよ!俺の言うこと聞いてさっさと逃げちまえば良いんだろうが!!」


          ●


 あぁ。またやってしまった。最初に怒鳴ったときもそうではあったが、言っている自分まで辛い。今のは、さっきよりもずっと苦しい。苦しいのに、苦しいから、引きずられるようにして言葉が流れ出た。


 「もう放っといてくれよ!!くそ!何が『俺に出来ること』だよ!笑わせんな、何にもないんだよそんなもんは!肝心なとき、大事なときに限って!何一つ!」


 最初から掌の上にはなんにも乗っかっちゃいなかった。すっからかんだ。なんにも出来ない。手の届く範囲にすら何もないのだから、なにか出来ようとしても、なにも出来やしない。転んで、立ち上がることを望むことすら「出来ない」んだ。そんな自分に、肝心なときに役に立てと言う方が無理がある。


「今考えれば笑えるよな。あいつの笑顔だけでも『守り』たいとかさァ!?なんだよ、その妥協したような自己満足は!!結局なんにも出来ないのを認めたくなかっただけなんだよ、そうだよ!」


 そう、認めたくないだけ。いや、分かっていた。分かっていたはずだ。入学式の騒動。スーパーの帰り道。風呂に入りながらの考え事。街での大型モンスターとの戦闘。いつだって分かっていた。そうやって分かったから、分かっていたつもり(・・・・・・・・・)になって、それで嫌になって考えを逸らして捨て去った。向きを変えベクトルを変え意味を変え、散々迂回させた考えで妥協して解釈して、いつの間にか自分の心をその場限りで満たすためだけに物事を捉えていた。まともに事実を受け入れることすら「出来ない」人間だ。現実を正面から初見することすら「出来ない」人間だ。目の前の出来事を初めて見たときから逃げ道を作って、分が悪くなればその逃げ道をかけずり回って、いつの間にか自己満足している、愚かな人間だ。


「もしかしたら少しは強くなったかも、だ?馬鹿だよ、ホントよォ!今こうして寝てんのは誰だってんだよ。今何にも出来てねェじゃねェか!!」


 どうしてそんなことを思ってしまったのだろう。誰が自分の力を認めた?自己満足だけだ。自分だけが自分を褒めた。甘やかした。つけあがらせた。馬鹿だ馬鹿だ。馬鹿すぎて、笑える。すっころんで、さんざ喚いて喚き散らして、起き上がりもせず、「今こうして寝ているのは誰だ?」と。あぁ、なんて愚かなんだろう。今度は自分を卑下するために起き上がることすら「出来なく」なったのだろうか。もう、分からない。誰か?自分だ。起き上がれば良いものを、喚くために全部使い散らかして、時間も精神もすり減らして、無駄も良いところだ。体からじくじくと滲み出す血液。無駄も良いところだ。迅雷という何も出来ない愚鈍な少年。―――――無駄も良いところだ。


「自分可愛さで!認めたくないからって都合いいことばっか考えてんじゃねェよ!」


 頭の中に、一体何人の「神代迅雷」がいるのだろう。みんな揃って自分を卑下したり罵ったり。楽しそうに嗤っているじゃないか。思い上がりの甚だしいお花畑のような脳味噌の持ち主は、そうやって愉快なものを嗤うのだ。何が愉快って、決まっている。自身の価値すら見誤った、自分自身という滑稽をだ。なんて格好悪いのだろう。人に顔を見せるくらいなら消えてしまった方がずっと幸せな気がする。こうやって叫んでいるのだって、みんなに「俺はこんなに苦しんでるんだ、可哀相なんだ、憐れなんだ、だから許して認めて同情してくれ」って、きっとそういう意味なんだ。自分で自分が可愛すぎて、気色が悪い。でもこれだって・・・・・。あぁ堂々巡りなのか。もう何も考えず、このアスファルトに溶け込んで消えてしまいたい。・・・それもまた、認めたくないものから逃げる欲求だということも、もちろん分かっている。分かっている。分かったつもりでいる。それに正面から目を合わせて、目を背ける逃げ場もなくして、四面楚歌であえなく現実に不時着して、格好のつかない自分に還ってくる。


「ダッサイよなァ?おい!・・・ふざけんな・・・っぁぁあああああぁぁァァァッッ!!」


 喉が嗄れるような叫び。こんな喉なんて、嗄れてしまえば良いのだ。要らない。嗄れるだけでなく、避けて千切れて穴でも開いて空気も漏れ出だしてしまえば良い。そうすれば、もう、情けない嗚咽を上げなくても済むのに。


          ●


 もう限界だった。千影と出会って間もないこの数日間、迅雷は「無力」という現実から目を逸らすためだけに思考を偏向させてきた。


 彼女のために出来ること、と言い訳のようなものを思いつこうとして満足してきた。結果何もしてやれてなんていない。


 人助けのために危険に立ち向かうことで自身の真剣さを、役に立てることを証明しようとして、実際千影は自分を褒めてくれた。でもあの時できたことなんて、跳ね飛ばされて叩きつけられて1人の気絶した人間を後生大事に抱え続けることだけだった。


 多くの魔法士に守られながら雑魚狩りをして少しは戦えるようになったかもなどといい気になっていた。今はこうしてアスファルトに這いつくばっている。


 しかし、それももうすべて吐き出した。叫びきって、涙が堰を切って流れ出てきた。自分で自分が滑稽で、可笑しかった。その言動はあまりに情けなく、黒いアスファルトの上で泣きじゃくるその姿はどこまでも無様だったから。そんな無様を、もはや自身で嘲ることすら、敵わないから。


 役には、立たない。役には、立てない。取り溢したものは大きくて、でもそれは取り溢したつもりなだけで。最初から手に掴むことすら叶わなくて。いっそ笑い飛ばしてしまいたくて、口を曲げようとしたらその口角は上ではなく下を向いて。顔を伝い地面に滴るのは、薄汚れた涙。


 吐き出したはずなのに、まるで吐き出した代償としてまた、新しい自己嫌悪が生まれてきて。


 いっそ死んでしまえたら、と考え、結局彼は自分が一番可愛くて。死にたいなんて、一番なにもかも馬鹿にした自己否定と現実逃避だ。

 

 結局、ひとしきりの絶叫と停滞する嗚咽のみが、迅雷の培ってきた全ての終着点だった。



 結局。結局結局結局結局結局結局結局結局結局結局結局・・・!


 結局、なにもかも、最初から、全部、間違っていた。

 


元話 episode1 sect36 ”九死一生”  (2016/6/29)

   episode1 sect37 ”the End of Conceit” (2016/7/1)

   episode1 sect38 ”慟哭”  (2016/7/2)

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