episode4 sect50 ”必要な不幸”
どこからともなくかけられた声に兼平は肩を跳ねさせた。
「うおッ!?な、なんだ!?どこからだ!?」
「下!下!」
また子供の声がして、兼平は俯いた。すると、そこには金髪の、小学生くらいの女の子がいた。いつの間にこんな目の前まで来ていたというのだろうか。兼平が考え事に集中しすぎていたのか、それとも。
とはいえ、それは資料で見知った顔でもあった。現在登録されている氏名は彼女の責任者である神代疾風の苗字を借りて神代千影だったか。
「君は・・・」
「えっとー・・・小牛田班の川内兼平さんだよね?」
兼平は千影の問いに頷いた。しかし、彼の顔は怪訝そうにしかめられた。なにも知らなければただの可愛らしい少女に見えるかもしれないが、知っている兼平は千影のことをあまり好意的に接せられる相手には感じないからだ。
「班長ともう1人、死んじゃったんだよね。・・・残念だよ」
「・・・本当に残念そうな顔をするんだな」
兼平のやつれた言葉に千影は少し笑って返した。
「これでもボクは人の命が大事なものなんだって、よーく分かってるんだよ?―――よく知ってる誰かが死んじゃうのは、辛いもんね」
「・・・・・・」
気遣わしげに見上げてくる千影の曇りない瞳に兼平は息を詰まらせた。まさか、彼ら彼女らがこんな顔をするものなのか。果たして自分の偏見はどこまでが通用して良いのだろうか。兼平はここ最近に芽生えた矛盾に悩んだ。
でも、やはりまだ気を許せずにいることだけは間違いなかった。でなければこんなに分からないことなんてないのだから。
兼平はひとまずは落ち着いた体を保って千影と接することにしたが、その冷静さもすぐに疑念で上書きされ、掌を返してしまうのだった。
「それで、そんな俺になんの用件なんだ?」
「あーうん。もう裏でコソコソやってる方の仕事も限界でしょ?」
「・・・・・・っ!?お前、まさか!!」
千影の口から何気なく飛び出したその一言だけで、彼女が今回の件を妨害して竜一たちを死にまで追いやった原因だったのだと思うには十分すぎた。
兼平は一瞬前の感情やハリボテの大人な振る舞いを忘れていつでも応戦できるように身構えていた。こんなところで自分まで殺されるわけにはいかないのだ。
しかし、実際はそんなことなどなかった。
「そんな身構えないでよ。なんのことはないんだって。ボクが実験の最初の被験者なんだからさ」
顔を青くして飛び退いた兼平にジト目を向けて、千影は不機嫌そうに自分のうなじを叩いた。
なるほど確かに、それはこの上なく分かりやすい証明だった。そしてそれはつまり、千影も竜一らに死という結果をもたらした張本人であると言っているようなものだ。
なぜならこの実験内容は極秘、実行する人間と実験関係者の中でも限られた部分しか知り得ない情報なのだ。なにか非常事態があれば、それは被験者か、または兼平のような関係者たちの誰かの裏切りに他ならない。
また、IAMOの情報セキュリティは相当に強固なため、この情報も漏洩しているはずがないのだ。
やはり初めから、千影の無垢に見える瞳も至極人間らしい豊かな表情も、なにも信用出来るはずがなかった。
とっくに知っている真犯人の情報さえ忘れて、兼平は声を荒げた。
「やっぱり、やっぱりお前が・・・!お前らが!!」
けれど、怒りに燃えて歯を食い縛る兼平を見上げる千影はのんびりと溜息を吐いた。
「あのね、ボクがそんなことするわけないじゃん。もしやったらボク、どんな風に扱われるか分かったもんじゃないし」
「ハッ。結局自己保身かよ・・・!」
「いろいろ背負った身の上だしね」
千影は兼平の怒りを咎める気はなかったし、それも当然の流れだと思った。竜一たちが殺される結果を招いた件に関して千影が一枚も噛んでいないという保証もしかねる。迅雷とネビアの戦闘に介入した結果が巡り巡ってそんなところにまで行き着いたのだとすれば、だが。
兼平の攻撃的な姿勢に対して千影がそんな態度を崩さなかったのは、きちんと話を続けたいという意思表示だ。千影がこの依頼を兼平に回すこと自体にも意味はあり、とても重要なことだから。それに、いずれにせよ兼平では千影には勝てない。怒りに任せて手を上げて損をするのは兼平だけである。
ついでに言えば、事実竜一とチャンを殺したのが千影ではないことくらい、情報として兼平も分かってはいるのだ。
「・・・・・・・・・良い。分かった。話を、聞かせてくれよ」
「うん、ありがとう。じゃあ手短に。ネビアの護送任務。やってくれるよね?」
千影の依頼に兼平は泣きたくなった。
今度こそ正しく、竜一とチャンの2人の分までやり直すと決めたそばから、また厄介な仕事だ。
どうせあぶれにあぶれた兼平のような人材を寄せ集め、人員を現地調達するという魂胆なのだろう。不運というのはつくづく網に掛かった獲物を逃すことをしない。
途端に自棄っぱちな気分になった兼平は皮肉げに肩をすくめた。
「ああ。ああ、ああそうかい。やるさ、やってやるよ・・・。でも、もうこんなんじゃ、どうにもならないよなぁ・・・」
「そんなことないよ。君はまだまだやり直せる。これだってネビアを保護するって話なんだから、気負わなくたって良いんだよ?」
なぜだかやっぱり千影の励ましにはリアルな説得力があって、兼平はなにが正しいのか分からなくなって、小さく笑った。
ネビアの名前を聞いて、彼女にホテルの高い自販機でスープを奢らされた記憶が蘇る。柊明日葉に自分が『通り魔』の正体であるとバレかけたときに彼女の介入で助かった記憶も蘇る。だから兼平は、信じられない相手の本心かも分からない優しさを、受け入れることにした。
それは自棄の延長線だったのか、それとも見出した正しさなのかと言うと、きっとどちらもだった。敬愛する人間の死と現実の荒波に揉まれる中で、川内兼平の内面はわずかに、しかし確実に変化していた。
「はは・・・随分小さい先輩がいたもんだな。ああ。今度こそ俺はやり直してみせるよ。この仕事もこなして、それからちゃんと格好良い魔法士として真っ当に働いてみせるよ」
「うん。それが良いよ。じゃあ、あとはこれを見てね」
千影は仕事内容の詳細を記したメモを兼平に渡し、手を振って去って行った。それがどこまでも子供そのものの姿だったものだから、兼平も思わず小さく手を振ることになってしまった。
千影を見送り、兼平は一息つく。ネビアもそうだったのだろうか―――と考えて、兼平は今までの自分の愚かさを笑えずにはいられない。なんとも浅慮だった。
そして、それは今からやり直す。尊敬した上司たちの尊敬できたものを持って、やり直す。
光を知るには闇が要った。そう、『高総戦』の裏で兼平が経験した多くのことは、たったそれだけのことだったのだろう。
悲しくても、それは必要なものだったのだ。
今度こそ川内兼平は正しく歩み出せる。
●
さて、時刻は午後の2時となった。全国大会も大詰めとなり、今は団体戦の3位決定戦が行われているところだ。
当然ながら集まる注目もひとしお大きい。無論、次の決勝はそれ以上になるはずだが。
試合を行っているのはマンティオ学園のBチームとオラーニア学園の同じくBチームであり、その攻防は初夏の風物詩そのものであった。両者共に一進一退の攻防を繰り広げることにも飽き始め、ようやっと流れを変える。
先んじたのはマンティオ学園だった。
拠点のガードと平行して全体の指揮官役にも当たっていた蓮太朗のモジュールに通信が入った。
『清水、防衛はもう終わりにしよう。一気に攻める。前線に出るぞ』
「石瀬先輩、本当に大丈夫なんですね?」
「信じてくんなって。俺も柊もラストなんだ。やれることやって3位には滑り込むぞ!」
声が直接聞こえて蓮太朗が屋上から見下ろせば、地上では石瀬智継が手で合図を出していた。地雷原は作り終えたということだ。顔を見る限り、その出来映えは過去最高といったところか。
ならば、蓮太朗も迷ってはいられない。
「了解。あちらの1年2人は四川が死に物狂いで押さえているが、正直難しい。ぼくは柊先輩の水先案内人をしてくるから、石瀬先輩は四川の援護へ」
それだけ言って蓮太朗は『マジックブースト』全開状態でビルの屋上から飛び降り、約8メートルはある高さを最短で移動した。智継が指し示した場所になんとか着地して衝撃に脚が痺れたが、なにせ蓮太朗が不用意に自陣内を歩いたなら、まぁまず智継の仕掛けたトラップを踏む確率が高いのだから、こうするほかにないのである。
現在四川武仁は敵方の1年生2人―――件の七種薫と朱部剛貴らと交戦中。迅雷や知子の『エグゾー』相手に善戦した連中2人を相手取りながら信じられないほどの奮戦を見せているが、努力とその場しのぎの気合いでは埋まらない圧倒的な力量差がある。
ただ、2対1でも武仁の抵抗から抜けられない薫と剛貴は間違いなく焦っているので、集中の薄いタイミングで智継の設置型魔法を仕掛けて確実に足止め、もしくは倒してしまうのが最善手だ。
代わって蓮太朗が向かっている明日葉の相手は、3年生の谷垣英宝だ。頭に巻いたバンダナや物々しい火器類をつけたジャケットが特徴で、白兵戦と狙撃技術を混ぜた独自のやり口を持っている傭兵のような男だ。迎撃が強烈なので、明日葉にとっても接近戦がしにくい状況は不利極まりない。
とはいえ明日葉のことなので弾を全身に浴びながらでも笑って猪突猛進しそうだが、それはそれだ。いずれにせよそれでは彼女の身が保たない。
同じく中距離からの攻撃に長じる蓮太朗がそこに加勢するのは当然だった。
そうと決まれば拠点は振り返らず、蓮太朗は飛ぶように走った。
遠くを見ればブロックビルが音を立てて崩れていくのが分かった。つまりまだ明日葉は健在ということだ。それだけで十分に安心する。
すぐに蓮太朗は破壊の中心点に辿り着く。
先に視認した人物は谷垣英宝だったので蓮太朗は足を止めず接近しながら特に弾速の速い魔法を展開させ、即座に射撃する。
「『アレグロ』!」
「―――なに!?」
蓮太朗の初撃に英宝の反応が間に合うことはない。なぜなら、彼の頭の中の蓮太朗はまだ、拠点を守っているのだから。まさか、その蓮太朗が指揮を執る役目さえ放り出してよもや最前線に突っ込んでくるなど予想していたはずがない。
放たれてからも加速する水の矢が英宝の背中を突いた。
「来たか、蓮太朗!」
「はい!ここはぼくが押さえるので、柊先輩は予定通りにお願いします!!」
蓮太朗は本当のところを言えば明日葉の背中でも押してやりたかったが、あいにく明日葉は壁一枚向こうだ。冗長でお涙頂戴な台詞なぞ、そう、もはや必要ない。どうせ後で大会の打ち上げでもするのなら、そのときに勝利を美化するために話を飾れば良いのだから。
蓮太朗の攻撃を受けて姿勢を崩していた英宝は、しかしすぐに体勢を立て直してきた。やはりスピード重視の魔法では火力が足りないらしい。
「血迷ったか・・・!くそ、行かせねえ!」
「蓮太朗、任せる!」
「はい!」
明日葉に銃を向ける英宝の前に蓮太朗は回り込み、巨大な水の弾丸でカウンター。その間にはもう、明日葉はその場にいなくなっていた。振り返らず、そして蓮太朗を頼って行ってくれたことを、彼は喜ばしく思った。
「ぐぅ・・・!!負け犬の分際で、しつこいやつだな!」
「言ったはずだ。ここはぼくが押さえる、と。あなたの相手はぼくが務めよう。今度は負けるつもりはない。個人戦ではそっちにもだいぶ世話になったからな。―――覚悟してもらおうか、谷垣英宝」
新作の出だしの調整がうまく思いつかない・・・。もう少し待ってください(誰も待ってるとは言ってない)