episode4 sect47 ”Broken Passibility”
―――剣なんてただの剣。それ以上でもそれ以下でも無く、道具に過ぎない―――。
これは真牙が思うことだ。彼は『八重水仙』を愛刀と称したが、その言葉の価値は精々がその使いやすさを褒めて用いたに過ぎず、あの刀にはなにも特別なものは詰まっていない。
形見だとか、思い出の品だとか、そんな概念には価値なんてない。道具の価値は結局使えるか否かに依存する。使えると思ったのなら、使えば良い。
だから真牙は迅雷の独白に賛同しかねる。
けれど、そうは言っても分からないわけではない。真牙だって迅雷との付き合いは長く、幾度も剣戟を交わした仲なので、迅雷の剣への思いは知っている。
今日も使っていた安物の魔剣―――『インプレッサ』にだって、彼はいちユーザーとしてひとしきりの信頼と愛情を持って長く使ってきた。例えそれが何本あって、いくら折れて砕けようと、そのことを顧みる人物であった。
まして『雷神』は彼が16歳になる誕生日、ライセンスも得て父と同じ道を歩み始めた、その証である。尊敬してやまない父親からの贈り物である。その一本の金属塊に彼がどれだけの意味と価値と理由を感じていたのか―――もはや今日になって改めて考えるまでもない。
それなのに、迅雷はその意味も価値も理由も無いんだ、と言い切った。
意固地になってそれはあると信じ続けているはずの迅雷が、突然全て諦めてしまう。やはり、真牙はこれを尋ねるしなかった。
「ごめんな、迅雷。やっぱお前、今すげえ気持ち悪いぞ?教えてくれよ、今日、なにがあったんだ?お前はなにを見て、なに聞いたんだ?なにがあったらそんな風になるんだ?」
「・・・・・・。千影が説明してた通りだよ。結局のところ、俺はなんにもしてないんだから」
「・・・嘘だね」
「嘘なもんか」
「いいや嘘だ」
迅雷と真牙は睨み合った。迅雷は焦燥に駆られ、真牙は怒りに苛まれ、目を尖らせる。
でも、真牙には嘘なんて通じない。それは迅雷のことを真牙が分かっているように、迅雷がよく知っている。それが真っ赤な嘘なら、さぞ臭ったことだろう。
それでも、迅雷は、なにもしなかった。
これだけは本当だ。そして、それ以上の真実は、例え相手が真牙でも明かしたくはなかった。
千影には全員を絶対に誤魔化し通せと言われた。迅雷もそれが良いと思った。とっくに正義も悪もなかったけれど、その上でせめてもの安寧を願うならそれが一番だったからだ。
まだなにも知らないみんなを、なにも知らないまま終わらせる。それは『守る』ことだ。
迅雷に残された唯一の個人的理念である。
「嘘じゃ、ない。もし嘘だったとしても、俺が嘘だと言う間は真実なんて真牙の人生には存在しない。それで良いじゃんか。真実なんてなくて、この嘘こそ本当で良いだろ」
言ったきり迅雷はベッドから立ち上がり、部屋の窓を開けた。外は沛然として、湿気た匂いが部屋の中に流れ込んでくる。
迅雷は真っ暗な雲しかない夜を見上げた。
雨はさめざめと降り、身を小さく乗り出した迅雷の顔を濡らしていく。
果てしなく広がった曇天。当分は雨も止まず、寒々しい日が続くことだろう。
迅雷だって意地悪をするのではない。真牙もそれを分かってくれている。だから声を荒げたりもせず、こんな態度を取り続ける迅雷に何度も問いを投げかけてくるのだ。
それなら、迅雷は話をはぐらかせば良い。何度だって。それほどに真実は受け入れ難く、凄惨なのだから。
けれど、もう一度言う。真牙に嘘は通じない。
だから、迅雷が甘く見積もる限りではない。
「ネビアちゃんがどうかしたんだろ?誰にも教えたくないならそれで良いけどさ、オレのことも信用出来ないのか?」
「いや・・・・・・信用はしてる。真牙なら俺がなんて言ったって、きっと他の誰にも教えない」
「だったら―――」
「だからだよ」
迅雷の声が強まった。まだ外を眺める迅雷は、真牙の顔を見ないでそう言った。
迅雷はきっと幸福な人間だ。これだけ多くのものを失っても、まだ真牙がいる。千影もいる。心配してくれる友人がいるのだから。どんなに辛い目を見ても釣り合うほど幸福なのだ。
今日見てきたものがそう思わせてくれる。
しかしそれは鮮烈な不幸だから、『守り』たい友人にそれを広げたくなんてない。
「それは・・・それはお前のエゴだろ」
真牙はそう言う。迅雷は途端にゾッとして部屋の中の彼に視線を戻した。それ以上言われたら、迅雷は真牙の前でどう振る舞えば良い?逃げ出すように力ない笑顔を浮かべた。逃げ場なんてない。
「なんも教えてやらないで、それでオレらを守ってるつもりなのかよ、迅雷は?」
―――あぁ、言われた。言われてしまった。
迅雷の笑みからまた色が抜け落ちていった。
それでも溢れる無色が溢れ出す微熱。
「は、ははは・・・。そっか、お前もそう言うのかよ。あぁ、そうだな、そうだよな・・・」
酷く乾いた、一滴だけの泣き笑いだった。
あの人殺しの青年が異常者だったからあんなことを言ったのではなかった。誰の目にも、迅雷の『守る』行為は無駄で浅はかにしか映っていなかった。
実際その通りなのかもしれない。
それでも、それが分かっても迅雷はどうしようもない。ただ、そこから離れるときが、無意味と認めるべきときが来たのかもしれない。
「オレ、も?」
真牙はここに来て初めて間抜けな顔をした。
「そう、真牙で2人目だよ。今日のとこ」
「・・・千影ちゃんか?」
「いいや」
思い返すほど滑稽だ。名も知らない殺人鬼に言われたとなっては、いや、言いにくい。
でももう、ここまで言われて事実を隠し続ける方がもっと惨めで滑稽だ。もっとも、今更どちらを取っても五十歩百歩かもしれないけれど、本当は言ってしまった方が楽だから。
「言っちまって、大丈夫なのかな」
「知らないまま巻き込まれる方がオレはよっぽど嫌だね」
それももっともだ、と迅雷は思った。確かに迅雷の選択は独善的で非合理的だった。
「初めに断っとくけど、俺も今日起きたことがなんだったのか、自分の中でも未だに整理ついてなくて、よく分かんねえよ」
それから、つらり、つらりと、迅雷は今日の出来事を―――たった4時間の間に見て聞いたものを、真牙に語り始めた。
●
最初、真牙も知っている通りに会場に姿を見せないネビアを探しに出た。街中を駆けずり回り、焦りで気は逸り、探す当てはなく、連絡もつかなかったこと。
それでも走り続け、やがてA地区さえ飛び出し、C地区に入るとそこで竜一やチャンに出くわしたこと。
そこで真牙は尋ね返す。なぜなら、真波が言っていたことが迅雷の説明したことと食い違うからだ。
真波が言っていた竜一からの連絡は、彼らはネビアとも迅雷とも出会えていないから捜索を続ける、だったいう話なのだから。
だから迅雷は緩く笑った。それは、迅雷はもちろん、真波も嘘なんて吐いていない。こうなると分かっていたから話したくなかったのだ。
それについてはまた後で、と区切って、迅雷は話の時計を順序通りに先へと進める。
頼れるIAMOのプロ魔法士である竜一らの提案に二つ返事で飛びついたこと。地図に引かれた線のままに道を進み、その折り返し地点にあったなにかの施設に立ち入ったこと。
そしてそこで、殺戮を繰り広げた後のネビアと出会ったこと。
無論、真牙の顔は強張った。勘では測りきれないことが起きていたのだから。・・・もうなにもかもが嘘だったことさえ、明らかになったのだ。
「それで、迅雷はどうしたんだ?ネビアちゃんはなにやってたんだ、そこで?」
「さあ・・・なんだったんだろ。俺が見たときにはネビアは血だらけだった。他人のでな」
迅雷は一瞬苦しげな顔をして、狂気的に笑ったネビアの顔を思い出す。『バイバイって言ったのに』。あの一言が、今になって空しく残っている。
慈音たちにもらった誕生日プレゼントも全て捨てたと言って、彼女はくだらなそうな目をした。
「全然、訳分かんなくなって、俺はネビアに剣を向けてた。ホント、馬鹿なことしたよな。・・・まぁけど、どっちにしろ歯が立たなかった。叩きつけられたり投げられたり」
それで、最後に彼女はあの姿を見せた。鮮やかで濁った黄色い瞳と、それを月のように湛えた暗黒の目。同じく漆黒の十本脚。人間ではないなにかの姿。
このことを伝えるべきなのか―――迅雷は一瞬迷った。でも、それだけは駄目だと叫ぶ自分がいることに気付き、迅雷はこのことには口をつぐむことにした。きっとこれだけは本当に話すべきではなかった。
「最後、ネビアの魔法で溺れさせられてるところに千影が来て、俺を助けてくれたんだ」
あの瞬間にも迅雷は一度死んでいた。
「それから、千影にUSBメモリみたいな・・・なんかを渡されて、これを持って逃げろって言われた。俺は逃げたよ、全力で。このメモリにはみんなの安全を脅かすなにかがあるって言われて、だから『守れ』って。『制限』まで解除してさ。そんで逃げ出した。そしたら今度は警備員に紛れたヤクザみたいな連中に狙われて、それを奪われるわけにはいかないから剣を握って、でもなんとか誰も死なないように頑張って切り抜けようとして、でも最後には、やっぱり俺一人じゃどうしようもなくってさ。今度こそ殺されるって思ったら、あいつが来た」
あいつ、という言葉に真牙が怪訝な顔をした。
「覚えてるか、合宿で会った、なんかヤバイやつのこと」
「オレは顔見てねえけど、話だけなら・・・」
「俺、そいつに死にそうなとこ助けられたんだよ。ヤクザからも、小牛田さんやチャンさんからも」
「・・・は?いや、なに言ってるんだお前?なんでそこで小牛田さんとチャンさんが出てくるんだ!?守られた!?」
真牙の反応は至極真っ当だ。だから迅雷もこうなった。正直、今の迅雷の言葉も青年に言われたものをそのまま言い直しただけに近い。正義の常識を否定されたのとなにも変わらないだろう。
「ほらな。やっぱり、そうなるだろ。分かんねえだろ。なにが正しかったのか。俺はなんもかんも分かんないまま助かったんだよ。その間に何人が死んだかな。死体のひとつさえまともな形で残らなかったんだぜ?」
結論を語る迅雷の表情を見る真牙の顔色がみるみるうちに白くなっていった。恐怖と焦りと驚愕の三原色が混じり合いでもしたのだろう。
「なあ、迅雷。なんでだ?どうしちまったんだよ」
「・・・?俺がどうかしたのか?」
「じゃあお前、今の話・・・なんでそんな平気な顔してんだ?」
違った。真牙が怯えたのは血と肉の匂いしかしない事実でも筋書きと違う登場をする人物たちでもなく、迅雷のその語り手として異常なほどの無感情さだった。
さらりとおびただしい数の人の死を語り、助かった自らを自嘲しても、その嘲りすら無味乾燥としていて朧気なのだ。
確かにその目で見たはずの阿鼻叫喚をまるで風聞のようになんの感想も思わせない口振りで語る。ヘラヘラとニヤついた顔で語りきってしまう。
「平気?平気なのか、俺は?うーん・・・」
これ自身はそうでもないと思うのだが、それがどうにも伝わらない。
「・・・迅雷、それはヤバイよ。人が死んだんだろ?それもお前の目の前で、しかも、たくさん一気に・・・?なのにお前・・・みんなを守るんじゃなかったのかよ・・・?」
「ああそうだな。『守り』たいな。・・・そう出来たなら、さ。誰も殺されずに終わって欲しかった」
「は・・・?なあ、じゃあ悔しくないのか?苦しくないのか?笑ってる自分が恐くないのかよ!?」
ここで初めて真牙が迅雷に手を触れた。突き飛ばすように肩を掴まれ、激しく揺すられた迅雷は骨を抜かれた残骸のように無抵抗に頭を揺らした。そして、その顔は笑っていた。
「だから、さっきも言ったじゃんかよ。なにが悔しいんだ・・・ってさ」
「―――ッ!!」
真牙は迅雷を窓横の壁に叩きつけ、胸ぐらを掴み、首を締め上げた。こんなのはあり得てしまっていけないはずなのだ。こんなのは駄目なのだ。灯す光が小さく歪んだ真牙の瞳孔は怒りで広がっていく。なにを言おうにも言葉が出ず、口は中途半端に牙を剥くだけ。
「おま、お前なぁ・・・!!」
「だって、そうだろ?俺の話聞いてて分かんなかったのかよ。らしくない」
「らしくないのはどっちだかなぁ!」
苛ついて眉をひそめる真牙を見て、迅雷はただただ呆れて嘆息した。さてね、と言いたかった。なにせ迅雷は今こうしていて、らしくないはずがないのだから。
「違くてさ―――じゃあさ・・・俺は、なにを、どこから・・・悔しがったら良いのさ?分かんないんだよ。そこだって、分からないんだよ・・・」
「そっ・・・そ、それは!・・・そんなのねぇよ・・・。でも守れなかったんだろ?なら・・・」
「そんなの悔しがってどうすんだ?」
こう言ったときの迅雷の目は、だいぶ恐かったのではないだろうか。すごく虚ろだったはずだ。そうであろうとなかろうと、構築された真偽不明の真実に誰彼構わず吸い込んでしまうほどに彼の見出した結末は、彼の中で完全だった。
証明が完結した迅雷の半生最大の命題は痛みに感覚を失った本人の口から語られる。
「もう分かったんだよ。これだけは分かったんだよ。なんも分かんないのに、これだけははっきりしたんだ。俺にはなんも『守れ』っこないって。見せつけられた。俺にはそんな力なんてない。今までいろいろ紆余曲折あったけどさ、やっぱりどうしようもないんだよ」