episode4 sect43 ”死死死死死死死死死死死死死死死死死死”
勇んだ出鼻を挫こうとするその声に、それでも迅雷は足を止めて振り返った。なぜなら、その声は先ほど別れた小牛田竜一の声だったからだ。
現れたのは竜一だけではない。チャンも彼に続いて駆けつけてくれたのだ。
「小牛田さん、チャンさん―――!!」
「無事でしたか!あぁ、良かった―――。この辺りでなにやら騒ぎが起きているようだったから駆けつけてみれば・・・」
迅雷の隣に並んだ竜一はそう言って周囲の光景―――まさに地獄絵図と言って良い光景を見て、迅雷の肩に手を置いた。壮絶で凄絶で凄惨を極めた死の吹き溜まりにはさしもの彼でさえ言葉を失いかけていた。
「これは・・・・・・さぞ辛かったでしょう・・・」
「さぁ、神代氏は僕らの後ろに隠れて!」
「え、あ、はい・・・」
チャンに促され、迅雷は一歩だけ下がる。
「へっ。オイオイ・・・」
話の流れについていけない青年が不機嫌そうに、嬉しそうに口の端を歪めた。そんな彼に向けて竜一とチャンは視線だけで激しい敵意をぶつける。
これは迅雷にもツキが回ってきたかもしれない。なにせ2人もの加勢が得られたのだから。しかも、竜一とチャンはそれぞれランク6とランク5のプロ魔法士である。これだけの戦力を前にすればいかにあの青年でも不利なはずだ。逃げる方が賢い判断である。現に青年は竜一たちの登場後になにかアクションを起こす素振りがない。
と、少し冷静さを取り戻したところで迅雷は思った。メモリを預けるのなら、竜一たちこそが相応しいのではないか、と。さっそく迅雷は隣にいてくれるチャンに話しかける。
「・・・・・・あのっ!」
「―――っ!?な、なにかなぁ?」
なぜか慌てて手を引くチャンにメモリのことを打ち明けようとした迅雷が、ポケットに手を突っ込んだ瞬間だった。
「あー、ダメだダメだダメだよなァァ!!もうダメだよ坊主!誰が敵なのか考えて行動しねぇとダメだよなぁ!!ブッヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「まずッ―――神代氏!」
「ぉっせぇよ!」
チャンの叫びが耳に届いて迅雷が彼を振り返るそのときには、もうそこにチャンなどいない。
その代わり、そこにあったのは、胸から上が存在しない、脂肪を垂らし血を噴く肉の塊だった。
ワンテンポ遅れてブチャブチャリ、と二の腕から上がキレイサッパリなくなった腕が2本、汚い音と共に血溜りの中に落ちたときにその事実を認識する。
「―――ぇ?え、え、え、えぇぇぇぇぇぇぇぇ、あ、ひ、ああああァァァッ!?!?」
簡単な話だった。青年が瞬く間に竜一の横を通り抜けて迅雷の前に立ち、そして彼の放った回し蹴りが張近民の上半身を血飛沫に彩られながら消し飛ばしていた。それだけ。
迅雷はここでひとつ、重大な思い違いをしていたことに遅れて気が付いた。
この紺碧の死神の前では、「これだけの戦力」など塵でしかなかったのだ―――と。
チャンが死んだ。
しかし、上官である竜一の激情はあくまで冷静だった。彼にとって仲間の死は今まで何度もあった苦痛に過ぎないのだから。言いようもなく辛いが、悲しむだけなら、悼むだけなら、後でいくらでも出来る。
小牛田竜一は今だけは冷静に武器を取るのだった。
「貴様―――ッ!!」
マグナム型実弾魔銃。掠めれば体が吹き飛ぶような高威力のマジックウェポンだ。
振り向き、背後の青年に銃口を向け、至近距離から竜一はこれから犯す殺人に一切の躊躇も払わず発砲した。
―――その射線の向こうには、迅雷もいるのに、躊躇わず。
また、新しく血が飛び散った。
けれど。
「やってくれるなぁテメエ。今お前、坊主ごと吹き飛ばすつもりだったんじゃねぇのかよ」
「バッ!?そんな馬鹿な―――!?なぜ無事なんだ!?」
青年がかざした掌の中で、マグナム弾は止まっていた。
異常も異常のその事態に、竜一の顔が驚愕で染まっていく。
青年は低く小さく、唸るようになにか呟いてから、またニッコリと笑った。
それから。
「邪魔だ坊主」
「ぅぼっ!?」
青年に襟首を掴まれた迅雷は、気付けばそのまま路地を100メートルほど投げ飛ばされた。
戦場が遠のく安心感。血の臭いがしなくなる安定感。そして、そして、そして。
「ダメだ、このままじゃ、小牛田さんが・・・!!」
迅雷はありったけの力を込めて『雷神』を地面に突き立て、アスファルトを裂きながら姿勢を立て直す。それでも残った勢いで地面を転がって体中を擦り傷だらけにしたが、裂傷と打撲にまみれている迅雷にとってそんな傷は今更だ。転ぶようにして再び迅雷は戦場へとか走り出した。
「死なせねぇ・・・!」
死なせない。『守る』。出来るとか出来ないでものを測るんじゃない。やるのだ。
迅雷の目と鼻の先で青年が竜一の頭を右手で掴んでビルの壁に叩きつけた。たったそれだけで、強健なはずのビルの壁に亀裂が入る。壁に血が染みつく。
でも、まだ竜一は生きている。
「悪いが、石頭には定評がありまして―――」
それでも竜一は引き金を引く。
絶望の引き金を、自らの指で引く。
「ねぇ・・・・・・!」
これだけの至近で撃てば青年も反応出来るはずがないと信じ、目の前で今度こそ弾け飛ぶ敵の姿に悪い笑みを浮かべながら。
銃は撃った。弾は発射された。青年の頭は吹き飛ぶはずだった。ちょうど、青年がチャンにそうしたように、ゴッソリと吹き飛んでいなければおかしかった。
それなのに、今も目の前では死んだはずの青年がニコニコニマニマと笑っていた。口に、銃弾を咥えたままで。死神は前歯で挟んだ金属塊を噛み潰して横合いに吐き捨てる。
「へー、そっかー。石頭なのかー。じゃあこれも耐えられるよねー。・・・吹っ飛べムシケラ」
死んだ。間違いなく、竜一は死んだ。迅雷は今度も間に合わなかった。目の前で、今日、一体何人の人間が死んだ?何リットルの血が流れた?
竜一の顔に押しつけられた青年の右手が光った瞬間、爆発した。
「・・・・・・・・・・・・」
なにかが飛んできた。迅雷は足下に転がったそれを見る。なんなのだろうか、これは。
いや、分かった。これは―――顎だ。
「あああ!?ああああああああああッ!?あ、ぁぁ、ああ・・・・・・」
「マジで石頭だったんだな、このオッサン。完ペキに消し飛ばすつもりでやったのに顎が残っちまった」
実にくだらなそうな口調で、青年は再び迅雷の前に帰ってきた。
パキョ、という腑抜けた音と共に、小牛田竜一の顎は踏み砕かれた。
もうなにもかも終わりだ。迅雷は一面真っ赤に染まった路地裏の地面に崩れ落ちた。
焦点も定まらない双眸で、ただ青年を見上げる。なにもかもが想定外のその外側まで飛び去っていった。
「ひっでえ顔だな、坊主。せっかく助けてやったのになんつーツラだよ。ほら、笑ってみろよ」
言われて初めて気付く、止まらない涙と鼻水。
「たす・・・けた・・・・・・?わかんないよ、なんで、どうして、なにから?あんたはただ、あのひと、あのひとたちを、こ、ころした、だけだ・・・ろ・・・?」
「あぁ?んだよ、まだ分かんねえのか・・・」
「ひっ」
青年は屈み込んで怯えて動けない迅雷の頬をつついておちょくり、それから今度はその辺に転がっていたチャンの死体をまさぐり始めた。迅雷が想像した通りに死体を平気で弄る青年はチャンのズボンの中から何枚かのシールを取り出し、迅雷の顔の前でヒラヒラと遊ばせた。
「これ、なーんだ?」
「し、しーる・・・?」
「そう、シール。見覚えは?」
「いや、ない・・・けど」
過重に耐えかねて精神が麻痺しているのかいやに素直な迅雷は、青年の簡単な質問に首を振った。そんな彼の反応に青年は満足そうに頷いた。まるで、そうであることを望んでいたかのように。
「これはな、首の後ろに貼るとアラ不思議、生体サンプルの出来上がりー」
説明が適当過ぎて説明の意味を為していない。ただ、それを仮にそのままの意味で理解したとしても、話が飛び過ぎている。迅雷にはどちらにせよ青年の言っていることが何一つとして分からなかった。
「そんな顔すんなよ。悪いけど俺も原理なんざ知らねえから講釈なんて垂れらんねえっつの。ただまぁ・・・コイツには人の魔力のなんかを勝手にモニタリングするチップが入ってるらしくってな?んで、これを貼って剥がして、チップを人に埋め込むんだってよ」
困ったような顔をして青年はシールを自分の顔の前に持っていく。なにかの裏付けがあるのか、彼が自分の説明した内容には疑うところはないらしく、ただ単にその厄介さを嫌っている風だ。
彼曰く、そして、これを埋め込まれた人はその際のショックで一時的に気を失うという。けれど、こんなにも小さなデバイスを埋め込まれただけ、目覚めれば体調に問題などあるはずもない。そうして被害者たちは知らない間に知らない実験の被験者になる。
「いやー、良かったねぇ、今日は俺がいて。もし埋め込み済みだったらいくら坊主でも俺は殺してたぜ?神様に感謝しときな」
そう言って、青年は迅雷に背を向けた。
斬りかかるなら今だった。
彼は無差別に人を殺める鬼。救いと称して地獄を生んだ悪魔。『守ら』なくてはならなかった人たちを、まるで蟻でも踏み潰すのとなにも変わらない笑顔で葬り去った死神に、一矢報いるのなら。
だけれど、でも、それでなにがどうなるのだ。そもそも、そんなことに、そんなことを、そんなことが―――。
迅雷の死んでいた呼吸が荒く波立ち始めるけれど、背を向けたまま青年は語る。
「別に斬りかかってきてもイイんだぜ?でも、お前はそうして今ここにいるなにを『守る』んだ?ここには死体しかねぇぞ?―――あ、それとも俺かぁ?ヒャッハハハハハハ!」
「あ、あ、、あァァァ!!アンタはァァァ!!」
―――やはり、この男は敵だ。敵だ、敵だ、敵だ。死を振りまくだけの気紛れな鬼畜だ。味方のはずがない。
でも、青年は迅雷の怒りを鼻で笑った。
「『通り魔』の仇討ちとは泣けるねぇ」
迅雷が突き出した『雷神』の鋭利な刃は、青年の腕に刺さったきり微動だにしなくなった。あたかも腕にとまった蚊を逃がさないように弄ぶかのように。
そして突き付けられる新たなる事実。
「『通り・・・魔』?小牛田さんが?チャンさんが?は?はぁ・・・?」
「マジだ」
本当なら事実かどうかなんて判断できないはずなのに、青年の口から発せられただけで迅雷にはそれが紛れもない事実であるかのように聞こえた。拒絶反応が起きる。最悪の絶望的事実からさらに深淵へと心が突き落とされていく。とうに心の折れている迅雷を現実は構わず虐げていく。
「もう、分かんねぇよ、なんなんだ、アンタなに言ってんだ!俺、分かんねえよ。だって、『守ん』ないと、なのに、だとしたら俺、どうすりゃ良かったんだ・・・どうしていけば良いんだよ・・・」
「どうすりゃイイ?『守ん』ないと?お前になにが守れんだよ?いっそここで死ぬか?」
「へ?」
青年の一言のあと、ほんの少しばかりの空隙をおいて、迅雷は諦めたように笑った。
「・・・あぁ、それも・・・・・・そうなのかもな」
もう、これより底は嫌だった。今の今まで怖くて仕方がなかった終わりの誘いが、いつしか甘美に聞こえていた。