episode4 sect37 ”小さな建物”
いつ雨が降るやも知れない曇天だったのが、気が付けば少し雲が晴れている。街には半日と少し振りに空からの光が届いていた。
「神代君にも協力して欲しいんですが、良いですか?」
「そんな、頼んだのは俺なのに。でも、はい―――ぜひ!もちろん手伝います、手伝わせてください!」
果てしなく広がったビルの森の入り口で竜一とチャンに出会えたのは、迅雷にとってこの上ない零れ幸いだっただろう。
竜一の提案を二つ返事受けた迅雷はさっそく自分がなにをすれば良いのかを尋ねる。
「それで、俺はどうしたら良いんですか!?」
縋るように迅雷は竜一の目を、キッと見つめた。
「―――いや、元はと言えばネビアさんを見ていてあげられなかった私たちの責任です。君に話を聞くまで気付いてすらいなかった。その結果このような大変な事態に・・・・・・!」
「こ、小牛田さん?そんなに気負わなくても・・・」
迅雷は思っていた以上に悔しそうな顔をする竜一を気遣うように呼んだ。彼がそんなことを言うのなら、迅雷はどれほど罪深いのだろう。悔しがる権利すらないほどにネビアのことを見ていなかったというのに。
迅雷の心遣いに気付いた竜一は気を取り直したように咳払いをする。
「ありがとう。それでもやはり、責任の一端は私たちにもあります。・・・それでは神代君。君に頼みたいのは、要するに手分けです。彼女がどこにいるのか見当がつかない以上、全体を網羅するほかありませんので」
竜一がチャンに目配せをすると、チャンはそれに応じて素早く地図を取り出した。チャンに近付いて見るように言われ、迅雷は言われた通りにその地図を覗き込む。
もしかせずとも、それはいたって普通の地図だった。特に書き込みはなく、C地区の施設の配置などが示されている。言ってみれば、これは地区ごとに用意されたガイドマップそのものだった。
「まずはこの区画を探そうと思っています」
そう言って竜一は現在地を指で示し、そこから繋がる複数のブロックをなぞって囲い示した。
しかしそれでは覚えにくいので、迅雷は文句も言えない立場であるから仕方なく眉を寄せていた。すると、気が利くらしく、チャンが懐から3色ボールペンを取り出した。
「あぁ、ごめんね。指で囲ったって分かりにくいだろうねぇ、そりゃ。えーと・・・今がここで、ぼくらがまず探したいのがここのエリアだよー・・・っと」
絵描き歌でも口ずさむように呟きながら、チャンは几帳面な数学教師でも驚きそうなほど綺麗にフリーハンドで赤い線を地図に書き加えていく。彼が引いた線で竜一が言っていた区画は浮き彫りにされ、長方形の中にはさらに半分に区切るようにして1本の赤い線が加えられた。
「まずはこのエリアをぼくら3人でも見て回ろう。外縁ルートは長いからぼくと小牛田氏が行くとして、神代氏はこの真ん中のルートをお願いするよ。それで、落ち合うのはココでいいんですよね、小牛田氏?」
「そうですね、そこです」
地図にはさらに新しく赤い点が付け足された。この区画でネビアを探し、最終的にはそこに集合、その間に彼女を見つけることが出来なかった場合はそこから次の区画へ―――という方針のようだった。迅雷もその提案に異論はなかった。
迅雷は最初、長いルートは自分が探したいとも思ったのだが、それは出しゃばりだと気付いてやめた。竜一とチャンは恐らく、Aブロックでも2人で同じような手筈で見回り終えてきたのだろう。そんな2人が長いルートを担当する方が良いに決まっている。
「分かりました。それじゃあさっそく―――」
「おっと待った。地図は君が持っていってください。まだ私たちはこれをいくつか持っていますから気にせず。途中で道が分からなくなったら困るでしょうからね」
「は、はい。すみません、ありがとうございます。―――それじゃあ、俺行ってきます!」
迅雷は、そうと決まった瞬間に地図を握り締めて走り出した。
話し合っている間さえ時間が惜しくて堪らなかったのだ。地図を見ているそのうちにネビアがまたどこか違うところへと移動してしまったなら、いつまで経っても迅雷は彼女に追いつけない。
必要とはいえ浪費した時間を取り戻すかのように、迅雷はルートの第一目標である施設を目指す。
●
肝心の入室キーが指紋認証式に改められていたので、鍵を持ってくるのに二度手間を取ってしまった。無駄に殺すような気分でもなかったし、元よりなにも知らない「一般人」に属するここの職員を必要以上に攻撃するのは契約違反になってしまう。
「思ったより大事な教訓だったってことなのかなぁ、カシラ。いやはや・・・こんなことしながら言えたもんじゃないわよね、カシラ」
持ってきた指を機械のパネルに押し当てて解錠し―――ない。それより先にやることがある。
ちらつく「友人」たちの顔。
「ホンット―――なにしてくれてんの、カシラ」
大丈夫。支障はきたさない。全ては生きるため。それに、無駄に騒ぎを広めればかえって彼らの未来は暗いはずなのだから。
手の中のメモリー。アリーナの『モニタールーム』からデータを拝借してきたものだ。これには、なにか得体の知れない力が秘められている。
世界を変えるその第一歩を踏んでいる。今、ネビアは途方もなく大きな流れの源流となろうとしている。言い方を変えれば、都合良く使われている、だけ。
そう思えばいつもとなにも変わらないのだろうか。
考え事をしている間に室内の制圧は終了した。内部の人間は少なくとも気を失っていることだろう。
今度こそネビアは指を認証用パネルに当ててドアを開けた。あとは簡単だ。
部屋に立ち入り、キチンと意識のある人間がいないことを確認。いないと分かれば教えられたとおりの機械を探し、言われたとおりに操作し、様々な装置のいろいろな機能を起動したりオフにしたりする。
一見して複雑も度が過ぎると分かるような作業だが、何度も予習した甲斐あって、鼻歌交じりでもサクサクと進む。
少ししてコンピュータの画面に英語のメッセージがズラリと表示されたが、残念なことにネビアは外国語がサッパリだから読めるはずもない。
「この仕事が終わったらまたなんもなくなるし、ちょっとは英語でも勉強してみようかなぁ、カシラ」
らしくもないことを考え出したのは学校に通って授業を受けたりしたからだろうか。
とはいえ、このテキストの表示自体は想定通り。すぐに画面は切り替わって、なにかのコードのようなものが羅列された。
ここまできてやっと例のメモリをコンピュータに接続した。そのあとはちょっとYESとNOを選んで、作業の終了を待てば良い。
画面上に表示される謎の数値群を見ていると頭が痛くなる。事前にデータの変換作業だか翻訳作業だかとか云々かんぬんとは聞いていたが、よもやこれで変換完了とでも言うつもりではあるまいな、とネビアは疑った。
しかし、ネビアは急に表示されたグラフに顔をしかめた。音かなにかに似た、とりあえずはなにかの波のデータを取得したものであるのは間違いない。
ただ、描画される線が多すぎて、しかもその全てが高速で上下に値を変動させる。流れていく情報量はとてもではないが一般に普及しているコンピュータでは処理できないだろう。事実として、今ネビアの肉眼で捉えるその映像は、グラフ用紙を何百色もの色鉛筆で乱雑に塗りつぶしたのとそうは変わらない。
極めつけは、そのデータがいったい「なに」の「なに」を観測して得られたものだったのか、だった。
こんなものを彼らはいつから取り続けていたのだろう。末期だ。とてもではないが発想が破綻して、終わっている。
それにしてもこれほどの観測技術が完成していたのは素直に驚くべきことだ。なんの目的で使うつもりだったのだろう。
ただ、これは例えるなら服の上から下着や肌を盗撮するような行為だ。個人の陵辱以外のなにでもない。
そんな情報の奔流を、そんな風に思いながらネビアは興味なさげな目で眺めていた。
「こりゃまた、私にはなにに利用したいのかサッパリ分からないわね、カシラ・・・・・・ぁ?」
プツリと作業が終了する、その直前。ネビアは画面の左端で目まぐるしく移り変わるローマ字表記の文字列の中にいくつかの知己を見つけ、もう逃れられない最善の末路を憂い、ホッと息を吐いた。そうかと思えば、疲れて乾いた笑みがこぼれる。
失望されるどころでは済むまい。こんなものに荷担していたと知られれば。蔑視されるのは慣れているけれど。
「ちゃんとバイバイって言っておいて、良かった―――、カシラ」
もう、後悔はない。
●
「意外に人も歩いてんだな、ここって・・・」
少ないものの、学生らしいジャージ姿の人も見るくらいだ。迅雷は先ほど竜一たちに渡された地図の赤線通りに路地を走り、周囲に目を凝らしていた。
日陰の道には外より少し早めの夕方がやってくるが、依然そこいらに人影はあるようだ。
あと2、30分もすれば本当に日が傾き始める時間である。自然と迅雷の焦りも増していく。
「頼む、いてくれよ、ネビア―――!」
期待をそう錯覚するほど冷静ではないだけかもしれないが、今の迅雷には不思議な感覚があった。焦燥の裏側にどことなく落ち着くなにかが―――この近くにネビアがいるような気がしていた。根拠はない。
換気扇の室外機の、鬱陶しいモーター音。建物の向こう側、通り過ぎる車はハイブリッド車とか電気自動車ばかりなのだろうか、静かに通り過ぎる音。人の声は浅く、みな1人で歩いているだけか。たくさんの音が聴こえる。
散漫になって余計な音を聞くわけではないだろう。むしろ彼の真剣さは先ほど以上である。
それでも、結局迅雷は道程の半分を終えてもネビアの痕跡すら見つけられなかった。
「やっぱり、予感は所詮予感ってか・・・」
そんな迅雷の目の前に現れたのは、小さな空き地の真ん中に思いついたようにポッと建ててみただけのような、小さな施設だった。
やけにその建物が気になっていた。
「なんだ・・・ここ?周りからなんか浮いてるっていうか―――むしろ影が薄いっていうか?」
一風変わったそのこぢんまりした建物から、迅雷は目が離せなかった。足を止め、理由も分からないまま―――いや、この際「怪しいから」というのが近似的には理由と言えるのか?―――ともかく複雑な感覚に従って凝視していた。
「・・・行こう」