episode1 sect11 ”聞こえざる警鐘”
日曜日の朝。今日の外出を何気に一番心待ちにしていた直華が目覚まし機能を携えて、昨日同様にろくにノックもせずに迅雷の部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、千影ちゃん、起きてる?」
直華の声に迅雷は閉じていた目を開けて眠そうに返事をした。
「くぁ・・・。おはようナオ、さっき目が覚めたとこだよ」
昨日の戦闘で疲れたからかいつもと違って寝相の悪かった千影の足が迅雷の鳩尾にめり込んでいた。おまけに千影の手は迅雷の顔に乗っけてある。ベチベチドスドスと軽い格闘攻撃を叩き込まれて、迅雷は10分ほど前に目を覚ましていた。そのまま彼女の手足をどけてもう少しベッドでごろごろしとこうかと思っていたのだが、いくら払いのけても襲いかかってくる千影の手足にうんざりしていたところだ。
「10時くらいには出発するんだからもう起きないとだよ!ほら、千影ちゃん起こして早くしてねー」
そう言って直華が迅雷の掛け布団を引っ剥がして去って行った。
「へいへい・・・くぁぁ」
もう一度大きなあくびをしてから迅雷は千影のほっぺたをつねって強引に起こす。
「うにゃ?」
「朝だぞー起きろー」
千影を連れて迅雷は1階に降りるために部屋を出る。時間を確認したところ朝の9時だったので直華が起こしに来たのももっともだった。洗面所で千影と一緒に顔を洗うなりなんなりしてリビングに向かうと、よく知っているが家では聞かない声が聞こえてきた。
「あれ、なんでしーちゃんがいんの?」
寝ぼけたのかと思って迅雷は目を擦ったが、そういうわけでもないらしい。千影はまだ半分寝ている感じに寝癖のついた髪をいじりながら首を傾げている。2人が降りてきたのに気が付いた慈音が少し照れくさそうに話し出した。
「あ、2人ともおはよー。いやー待ちきれなくてついつい。えへへ」
どうやら気がはやっていたのは直華だけでもなかったらしい。なぜだろう、千影に町を紹介するだけなのに千影本人より待ちきれなくなっているのを見るのは微笑ましかった。
「ほらほら、早く準備しちゃいなよお兄ちゃん。ずっとパジャマってのもアレでしょ」
「そうかね?」
慈音との付き合いもかなり長いので今更寝間着姿とか寝起きで乱れた髪を見られようが気にもならなかったし、慈音も気にしていない。結局着替えは後回しにして迅雷も千影も軽い朝食を済ませて、荷物を調える。それからやっと着替えを済ませ、ちゃちゃっと適当に髪を直す。そうこうしていて準備が終わるとちょうど10時くらいになった。みんなで玄関に集まって狭苦しいことになる。
「それじゃあ、としくんのお母さん、いってきまーす」
「はーい、いってらっしゃい。迅雷たちのことお願いねー」
「お願いされましたー」
慈音と真名のやりとりを聞いていて迅雷と直華は同じことを考えていた。それはちょっと頼りないかもしれない、と。
昔3人で休日のお出かけをしたときに、慈音がのほほんとしすぎて赤信号に気が付かずそのまま行ってしまいそうになることもあったくらいだったから。
●
今日はまず家から普通に歩いて行ける商店街に行くことにした。この辺りの住民は、昨日行った繁華街にも行くには行くが、どちらかというと今日行く商店街の方がお世話になっている。値段も比較的手頃で十分に良い物が買える店が揃っているし、なにより近いからだ。この前のスーパーを通り過ぎてちょっと行ったくらいからが商店街である。
「よーし見えてきたぞー」
「ほぅほぅ、昨日ほどじゃないけどいろんな店があるねー」
商店街に着いた。昨日とはまた違う店の並びに、千影が昨日のように物珍しそうにキョロキョロしている。そういえば彼女は今までにも何回かはこの街には来たことがあるとは言っていたが一体どこを回っていたのだろうか?初めて見るものばかりな千影は今日もちょこちょこといろいろな店を覗いて回っていた。迅雷らもそれについて店を一軒一軒回る。
と、千影がふと足を止めた。
「およ、なんかイカツイ店だね、ここ」
一カ所だけ周りから浮いた路地裏感の出ている店の前だった。
「あ、ここはいろんなマジックアイテムを売ってるんだよー。ここでしか買えないレアものもあるんだよ」
慈音が簡単に店の説明をした。店の見てくれこそ威圧感があって小学生とかの間では度胸試しのタネにもされているらしいが、この街の魔法士にとっては行きつけの店である。また、マジックアイテム仕様の日用品も扱っているので主婦層を中心に魔法士以外の客も多い。
千影が店内を見て回っていると、なにか気になるものを見つけたらしく迅雷を呼んだ。
「ねぇねぇとっしー。ここってマジックウェポンも売ってるの?」
「ん?たまに置いてるけどかなりの良品で手が出せないんだよな。どれどれ、今日は売ってんのか?」
一応買えなくても見てみるだけ見てみたいと思った迅雷は千影が見ている棚の方に歩み寄る。だがしかし、マジックウェポンなんてどこにも置いていなかった。
「なんだ、なにもないじゃんか。なんか他に気になるモンあったのか?」
予想と違ったので迅雷は不思議そうに尋ねる。
「それも気になってきたけど。ほら、あれ。あの研磨機」
千影が指さした先には室内のガラス窓が一枚。迅雷はその方を向く。そのガラスの先向こうの小さい部屋には1台の、魔剣を研ぐための機械がある。
「あれがどうかしたのか?頼んだら剣研いでもらえるんだぜ、あれで」
「へぇ、あれすごく上物の砥石使ってあるんじゃない?ほら、あの研磨部の材質さ、結構貴重そうな鉱石使ってるっぽいし」
それは知らなかった。千影はこの歳で既に目利きなんだろうか。しかし、本当に希少な鉱石を用いてあるとしたらそんな機械は相当本気でマジックウェポンを作っている工房でもないと持っていないと思うのだが。ともあれ、興味の出てきた迅雷はさっそく剣を研いでもらおうかな、と考える。
「そんならこないだ刃こぼれした方の剣を研いでもらおうかな、なんかすごそうだし」
そう言って迅雷はカウンターに行って店の雰囲気に似合った強面の店主に声をかけて、入学式の日に『羽ゴリラ』と戦ったときに欠けた魔剣を『召喚』で取り出して預ける。
「あれ、お兄ちゃんなんか買ったの?」
先ほどまで魔具カップやら水魔法を応用した汚れの落ちやすい皿とかを見ていた直華と慈音が迅雷がレジにいたのを見つけて様子を見に来た。
「いや、なんか千影があの研磨機がなんか上物らしいって言うからせっかくだしと思って」
迅雷の剣の状態を確認していた店主が今の話を聞いて少し驚いたような感じになった。
「ほう、よく分かったな。あれは知り合いの工房からもらったモンなんだが、話では『ヴィオロナイト』っつー異界産の金属を使ってるらしいよ。よくあんな良い物くれたもんだよなぁ」
どうやら貰い物だったらしい。話を終えた店主はガラスの向こうの部屋に入り、手慣れた様子で研磨を始めた。少し青みがかった金属が小さく火花を上げてスムーズに迅雷の剣の刃を尖らせていく。あっさりと研ぎ終わった店主が戻ってきた。代金を払って迅雷は剣を受け取り、その出来を確かめる。
「言われたから、とかじゃなくて実際にすごく綺麗に研がれてますね」
「ほぼ機械のおかげだって」
普通に研ぐよりずっとよく研がれていたことに迅雷が感嘆の声を漏らしたが、店主は遠慮がちに機械のおかげと言っている。実際にはあれだけ簡単に硬質な金属を削ってしまう研磨機なので扱いにもそれなりな練習が必要なのだとは思われる。
その出来上がりを見た千影が自分の剣を取り出した。
「ボクのもお願い!」
「おう、お嬢ちゃんも魔剣持ってんのか。貸してみな」
そう言って店主は千影から見た目の簡素な剣を受け取った。しかし店主は千影の聖柄の両刃刀を鞘から抜いて刀身を見るなり、驚いたように目を見開いて、それから剣を鞘に収めて千影に返してしまった。
「こりゃ無理だ、こっちのが研がれちまう」
「え!?なんで!?」
今理由を言われたのに、千影は店主に食ってかかる。対して店主は未だに驚きを隠し切れていない様子でこう言った。
「こいつの刀身は『オリハルコン』で出来てる。とてもじゃないが『ヴィオロナイト』で研げたもんじゃない」
とんでもないレアもの鉱石の名前が出てきた。『オリハルコン』といえば知らない人はいないほどの超硬金属だ。よくゲームとかでも名前が出てくる。その性質としては、あらゆる世界で見ても一番硬く、そこそこ軽く、熱や瞬間的な負荷にも強く、さらに導魔力性にも優れている。まさに究極の一品として名高く、一方でその性質故に加工が困難なことでも有名だ。
それを聞いた千影も驚いて自分の剣を見る。
「え!?これ『オリハルコン』だったの!?し、知らなかった・・・・・・」
「お嬢ちゃん、これどこで手に入れたんだ?数千万円はくだらない、というか下手すれば億超えるかもしれないぞ」
千影も迅雷はもちろん、直華と慈音までもが、とんだ宝剣だな、という感想が一番に浮かんだ。しかしそういえば、と迅雷は千影の戦闘を思い出す。あれだけの無理な動きの多い戦闘スタイルで使われてきながらまったく欠けることもなかったのだ、普通の材質でないのは当たり前だった。店主の言ったこの両刃刀の価値を聞いて迅雷たちも出所が気になり始めた。
しかし。
「え、えぇっとそれはー、ちょっと、ね?」
千影は言葉を濁した。例の「人には言えない環境」で手に入れたものなのだろうか。結局これ以上問われることはなかった。
しかし、またしても迅雷の中での千影のヤバさランクが上昇した。本当にどこまでも強い設定が出てくるので参ってしまう。下手にケンカでもしたらボコボコにされるんじゃないかとさえ思えてくる。
返事に困った様子の千影が話題をすり替えて店の出口を指差した。
「そ、そうだ!とっしー、おなかすいた」
「あ、しのもちょっとおなかすいちゃったかも」
そういえばもうお昼時だった。迅雷たちはマジックアイテムの店を出て昼食を食べに行くことにした。
●
魔具店を出た迅雷がふと携帯に入れているアナログ時計アプリを確認すると12時を回っていた。数字盤を確認しただけで空腹を感じる生き物なんて人間くらいのものだろう。正午を過ぎているというだけで無性になにかを食べたくなってきた。千影や慈音が昼食にしたいと言ったのに従って迅雷と直華も店を出たのだが・・・。
「なぁ、この辺って飲食店あったっけ?スーパーとかで弁当とかはあるけど食えるところなかったよな」
よくよく考えてみると昼のことを考えていなかったことに気が付く迅雷。この辺りに詳しくない千影を除いた女の子2人も手遅れ感満載の無計画さに「あ」とでも言うような顔になる。
昨日の急な外出よりも何日も前から予定していた外出のほうが無計画だったなんて情けない話である。
と、千影が思い出したことを提案し始めた。
「この近くって確かギルドあったよね?あそこレストランあるじゃん」
「「「それだ!」」」
●
失念していた。ライセンスのない人なんてそうしょっちゅうはギルドに赴くことはない。したがって迅雷たちはその設備を知っているようで、実はよくは知らなかったりする。綺麗にハモった年上3人は千影の提案に乗って商店街からは1kmほど離れたところにある一央市ギルドに向かうことにした。
ギルドはマンティオ学園とそこそこ近いので、道中では学園の制服も散見された。今日は日曜なので、きっとどこか文化系の部活が終わった帰りなのだろう。そんなことを考えながら適当にしゃべって歩いていたら、思っていたよりずっと早くギルドに到着した。
「お兄ちゃん、私ここに入るの小4の冬の野外活動以来かも・・・」
「だ、だが入らないと昼飯はないぞ・・・」
直華がここまで来て無駄に緊張して尻込みし始めた。
しかし迅雷と慈音からしても中学2年生以来の訪問なので、直華とも大差ないと考えれば、直華がそんな風に言っていても特にどうしてやることも出来ないものだ。それに大きくて立派な建物を目の前にすると確かに、無根拠に怯んでしまう。
「ギルド」と聞くと荒くれ者の集会所のようなイメージを持つ人も多いかもしれないが、実際は違う。オフィスビルにも似たちゃんと現代的なデザインで広大な床面積を誇る建物の中には、受付カウンターがずらりと並び、紙だけでなく柱や壁に埋め込み式の液晶ディスプレイの掲示板も多数設置されている。おまけにショップやレストランにシャワールーム、ATM、果ては特殊金庫と、なんやかんや揃いまくっている。
それも目の前の本館だけの話で、そのすぐ後ろにはダンジョンや異世界への「門」を管理する建物があり、本館からは少し離れて実験・研究棟が3棟建っている。さらに本館の横には模擬試合やマジックウェポンの試験運用の闘技場が大小揃って10室ほどある。大闘技場の1つはかなり大きくてコロシアム型になっているものがあり、それが一番の目玉施設のようになっている。
他にも細かくいろいろな施設があるが挙げるときりがないのでこの程度で締めくくっておこう。とどのつまり、ギルドはライセンスも持たないただの中高生には入るだけでも勇気のいる施設だった。
しかし、千影はなにも臆するところなくつかつかと開いた自動ドアをくぐって中に入ってしまった。思えば彼女はこの前も来ているのだし、当然と言えばそうだ。迅雷らは焦って彼女の後を萎縮しながらついて行く。
中に入ると日曜日だというのに、いや日曜日だからこそなのかもしれないが、たくさんの人がいた。
「は、入っちまったぞ・・・?」
「ち、千影ちゃんレストランってどこだっけ」
「そういえばどこだっけ?わかんない」
可愛らしい受付のお姉さんが挙動不審な少年少女に気が付いて、そちらを見て手招きをした。
「どうかしたのかな?キョロキョロしてたみたいだけど?」
優しい口調で話しかけてもらいまずは一安心する。ちょっと恥ずかしい気もしたが、変に誤魔化して強がってもどうしようもないので迅雷が経緯を説明することにした。が、実はあまり慣れていない年上の女性に面と向かった迅雷は、
「ひゃい、すいません!い、いや俺・・・じゃなくて僕・・・?らちょっとギルドのレストランをご利用させていただこうかなと思いまして・・・!?」
―――――キャー!恥ずかちい!なんかもう、死にたい。
そう。よくよく迅雷の生活を考えてみよう。普段接点のある年上の女性は母親くらいしかいないではないか。迅雷は同い年はもちろん、直華のつるみで年下の女子の扱いも苦手ではなかったのだが・・・。あれ、物心ついてから年上の女の子と仲良くしたことってあんまりないような気がする・・・、みたいな感じだ。先輩系女子の知り合いも中学のときの部活の先輩以外皆無に等しいし、それもあくまで「知り合い」程度の仲だったし。
「お、お兄ちゃん・・・・・・?」
「可哀想なとしくん・・・」
「とっしー、頑張れ」
3人のドン引きした感じがえげつなくキツい。今すぐ穴を掘って埋まりたい。救いが無さ過ぎる。しかし、受付のお姉さんは気にした様子もなく笑って話を続けてくれた。
「あはは、面白いね君。うんと、レストランだよね?レストランは2階のエレベーターを出てすぐ右側ですよ?」
あぁ、なんていい人だったのだろうか。感動した迅雷は大袈裟なまでにお礼を言う。次に来る機会があったときはまたこの人がいいな、なんて考えた迅雷は彼女の胸元のネームプレートをちらりと見た。そこには「日野甘菜」とあった。迅雷がしっかりとこの4文字を脳に焼き付けてエレベーターに向かおうとしたそのときだった。
「ん?君はこの間の?」
低くて力強い声が後ろからかけられた。この声の主は・・・。迅雷はすぐに気が付いて振り返る。
「あれ、焔先輩?」
やはり、予想通りだった。声の主はマンティオ学園の制服に身を包んだ体格のいい炎魔法使いの先輩、焔煌熾だった。
「おう。神代、だったよな」
「『みしろ』です」
「・・・すまん」
出だしでいきなり空白の時間が生まれた。三拍ほどおいて煌熾が気を取り直して話し出した。
「いや、本当にすまないな。今日はギルドになんか用事でもあったのか?」
慈音も直華、千影も彼に挨拶をし、煌熾もそれにちゃんと応える。間違えはしたが1回食堂で話をしただけの後輩の名前をちゃんと覚えてくれていたなんてなかなか嬉しいことだった。煌熾の質問に迅雷がここまでの経緯を話していると、ちょうど迅雷が話を切ろうとしたそのとき千影が迅雷の先ほどの醜態を暴露し始めたので若干1名を除いて笑いの渦が生まれた。
「はははは!・・・いや、すまん、ついな。しかし意外だったなぁそれは。ふぅ、それで2人は神代の妹さんかな?」
初対面の直華と千影にも煌熾は気さくに話しかけた。いきなりだったら直華辺りは彼の図体を見て迅雷の背中に隠れたりしていたかもしれないが、今は会話の自然な流れでスムーズに自己紹介が進んだ。
「あ、私はそうです!直華って言います。お兄ちゃんがお世話になってます」
「ほぅ、いい子じゃないか、良く出来てるもんだ。立派だよ」
兄の先輩に褒められた直華は照れくさそうにしている。続いて千影が自己紹介をする。
「んと、ボクは千影!とっしーとは、そうだなぁ・・・・・・。兄妹じゃないけど、毎晩一緒に寝てる関係・・・?」
「そうかそうか・・・・・・ぇ」
千影を中心に半径5m圏内(通りすがりの部外者も含む)の時間が止まった。相変わらず疚しいことなど無いのに、迅雷の顔が冗談にならないほど青ざめていく。さっきまで明朗に笑っていた煌熾の顔も笑顔のままで不自然に停止している。
やがて煌熾が、軋んだ音が聞こえそうなほど不自然なモーションで口を開いた。
「本当に?」
「うん」
千影がどうってこともなげに首を縦に振り、停止圏内の半径が広がる。
―――――ヤバい。これこそマジヤバい。死ぬ?死ぬかもういっそ?いや、でも俺は悪いことなんてなにもしてないし?事実だけどそれは誤解っていうか冤罪だと思うんだ!
冷や汗をダラダラ流しながら迅雷は同じく冷や汗ダラダラの直華の方を見て助けを求める。すると直華が頷いてくれた。やはり直華マジ天使、と思う迅雷だった。
「えっと、千影ちゃんが勝手にお兄ちゃんのベッドに潜り込んでいるだけで、そういうことじゃないんですよ!?」
直華のフォローに合わせて迅雷も首がもげそうな勢いで頷く。必死さが伝わったのか周りで足を止めていた人も納得してくれたようにこちらの話から耳を離してくれた。煌熾も安堵したように肩の力を抜いた。
「・・・なんだ、びっくりさせるなぁ。千影ももう少し誤解されないように言葉を選ぶんだぞ?」
そう言って煌熾は千影の頭に手を置いて優しく諭すように話したのだが、
「え、なんで?それじゃつまんないよー」
なぜかほっぺたを膨らませ、口先を尖らせて抗議する千影。・・・まさか。
「なぁ千影、お前まさかとは思うけど。さっきの発言は・・・」
迅雷がこめかみをひくつかせながら恐る恐る確認をとると、千影は。
「もちろんわざとだけ・・・いででででででで!?」
最後まで聞く必要は無かった。被告人は有罪、よってアイアンクローの刑に処す。慈音が慌てて止めようとしたが迅雷はそのままアイアンクローを30秒ほどかけ続けた。
気が済むまでざっと千影にアイアンクローをかけ続けて、気が済んだ迅雷は彼女を解放した。頭をぐわんぐわん振りながらふらふらになっている千影を放って迅雷は会話のレールを戻した。
「そういえば焔先輩、制服ですけど学校でなにかしてきたんですか?」
「ん?あぁ、さっきまで生徒会の人に呼ばれて学校に行っていたんだ。それで行ってみればギルドに行って『異界実習』のアポを取ってきてくれとか頼まれてなぁ。電話じゃだめなのかって聞いたら会長に、とにかくお願いねとか言われてな」
直接行った方が礼儀正しいの、とか言われたらしい。うちの生徒会長は真面目なのはいいが、律儀すぎるし、そもそもどうして生徒会の役員でもない自分にこんなことを頼むのだろうか、と煌熾が愚痴をこぼす。
付き合いも浅く、彼の人となりをよく分かっていたわけではないので本当のところはどうなのかは知らないが、迅雷は煌熾が愚痴をこぼすのは少々意外に感じていた。逆に言うと、きっと会長とは愚痴が出る程度には憎めない間柄なのだろう。
「はは、そりゃ大変ですね。しかし上級生とはいえあの焔先輩を使い走る会長もなかなかですよね」
迅雷が率直な感想を述べた。迅雷が3年生だったとしても学園トップクラスの実力者をパシることはしないと思う。
「そりゃ会長も実力的に学園のトップ3争いに入るからなぁ。神代が思うほど気兼ねするようなものでもないんだよ」
トホホとでも言いたげな様子の煌熾にとりあえず頑張ってくださいと言って迅雷たちは彼と別れて2階に向かった。話している間は忘れていたがさすがに空腹がピークに来ていた。
●
天田雪姫はギルドの中に入ると、ここのところ毎日(土日も問わず)顔を見ているような気がするクラスメイトを発見した。
「・・・・・・(なんでまたいんのよアイツ)」
口の中でそう呟く。できれば関わることなくやり過ごしたい。よく見ると当の迅雷の方は小学生ぐらいの少女と痴話喧嘩をしているようなので見つかる心配はなさそうだった。それと、彼の隣にこの前打ち負かした炎使いの先輩の姿も見つけた。もちろん話しかけるつもりなど毛頭ないので彼らから一番離れた受付に向かった。受付の女性が雪姫に気が付いた。
「あら、天田さん今日も?」
「昨日は来てないです」
余計な会話は避けようとするかのように適当に返して雪姫は話を続ける。
「とりあえずダンジョンに入りたいんで手続きお願いします」
雪姫のいつも通りの言動にしかし受付の女性は困ったような顔になる。
「いくらなんでも根を詰めすぎですよ?今日くらい休んだ方が・・・」
雪姫はここしばらく2日に1回ほどのペースでギルドを訪れてはダンジョンに潜っていた。本来なら原則としてライセンスを持たない人が単独でダンジョンに入ることは不許可なのだが、彼女は数年前からたまに来ていて、ギルドの職員の多くも彼女の実力を知っているので、強引に手続きを進めようとする雪姫に渋々許可を出したことがあった。
それ以来こうして彼女がダンジョンに入ることを許可してきたのだが、最近は来る頻度がかなり高くなっている。いくら雪姫でも無茶が過ぎるのではないかと心配していた受付の女性は、しかし押し切られて手続きを済ませる。彼女は、せめて、と思ってこれだけ言っておくことにした。
「気を付けてくださいよ?」
それに対して雪姫は目だけで「誰に向かって言っているのか?」と伝えるようにして受付を離れた。これは彼女の慢心ではなく、加減くらいは自分で測れる、と言う意味である。
「・・・・・・確かにあなたの実力ならそう滅多なこともないとは思うけど・・・」
受付の女性は心配そうに彼女の後ろ姿を見送った。
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ギルド事務室にて。内線で電話が鳴った。昼飯のカップラーメンを啜っていた20代半ばほどの青年が受話器を取る。
「はい、どうしました?」
通知は「渡し場」フロア管理室からだった。
「・・・はい、・・・はい。え!?あ、はい!分かりました!」
青年が急に大きな声を出したので事務室にいた他の職員が一斉に彼の方を向いた。休憩しに事務室に来ていた甘菜が彼になにがあったのか尋ねる。
「どうしたんですか、安浦さん?」
安浦平治は顔を驚いた表情のままにして首をぎこちなく回し彼女の方を見て、こう言った。
「5番ダンジョンで『スリーセブンズ』さんがアレの捕獲に成功したって、今連絡が入りました・・・」
アレ、と聞いただけで事務室がざわついた。
「え、でも討伐で大丈夫って言ってありましたよね?ほ、捕獲とか予想外なんですけど!?と、とにかく、早く搬入の用意をしましょうよ!」
昼飯を食べたりテレビを見ていたりしていた他の職員も一斉に席を立って連絡を回したり直接準備に向かったりし始めた。先ほどまではのどかだったギルド職員のお昼休みが急に慌ただしくなった。
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レストランに入ってみると、思っていたより広かったのだが、それでも席はそこそこ埋まっていた。クエストの話やパーティーの資金のやりくりに関しての会話などが聞こえてくるが、中には迅雷たちと同様に普通に食事だけしに来ている一般客もいるようだった。
適当な席に座ってメニューを開く。内容としては普通のファミレスに近い印象を受けた。
「あ、このクラブハウスサンドおいしそうだなー。決めた、しのこれにするね」
「あ、じゃあ私もー」
慈音と直華が即決した。先ほど迅雷が昼食代は出すと言ったから遠慮して安めのメニューを選んだのだろうかと彼は考えたのだが、様子からしてそうでもないらしい。サンドイッチの値段はメニューの中でも特に安い方だったので迅雷は心の中でほっと息を吐いた。
「じゃあ俺はこの豚カツ定食でいいかな」
迅雷はボリュームの割には安めな定食メニューから選ぶ。千影が「じゃあボクもそれにする」とか言って合わせてきたので店員を呼んで注文を済ませた。
「それにしても、どうしていきなりお昼ごはんごちそうしてくれるなんて言い出したの?」
慈音が不思議そうに迅雷に尋ねる。3人分も奢ってくれるなんてかなりの太っ腹である。
「いや、気にすんなって。ここは奢るところなんだよ」
「へー?としくんかっこいー」
・・・うまく誤魔化せている。本当はさっきの恥ずかしい出来事と帳尻を合わせたいだけで財布の方は悲鳴を上げる準備が整っている。
と、千影が思い出したように話題を転換した。
「そういえばナオ、今日ボクと試合するの?」
確かにそんな約束をしていた。昨日の時点で少し曖昧になったまま放置されていたので直華も忘れていたようだった。直華は少し考えてから返事をした。
「うーん、悩むなぁ・・・。絶対手も足も出ないしなぁ、でも・・・。よし!じゃあお願いします!ただ、お手柔らかに、ね?」
勝てなくてもいい経験になると踏んで直華は試合を申し込むことにした。
「なおちゃんと千影ちゃんの試合かー、なんか面白そうだねー」
慈音も迅雷から千影の強さに関する話は軽く聞いていたので、この試合は素直に面白そうだと感じた。純粋に興味でそんな風に言う。迅雷が今の話を聞いて今後の予定を適当に頭の中で組む。
「そんじゃ、食い終わったら小闘技場借りに行ってみるか」
「「さんせーい」」
予定も決まった頃、注文していた料理がテーブルに運ばれてきた。
●
雪姫は現在、受付のあるギルド本館の後ろにある「渡し場」にいた。「渡し場」というのは通称で正式には異界転移門棟という。雪姫がいるのはその2,3階をつなげて作られたフロアで、ここにはダンジョンに繋がる門がたくさんある。門、といってもその外観は巨大な魔法陣に近いと言った方がいいだろうか。ちなみに、本物の異世界と繋がった門はこの棟の1階、および地下にある。
「・・・・・・」
雪姫は周囲の様子を窺うように大部屋の入り口で立ち止まっていた。別に普段からこうしているわけではない。今日は、というより先ほどからギルド内がやけに慌ただしくなったように思われる。
まだアナウンスが入ったりはしていないので気にする必要は無いのかもしれないが、万が一にも後で面倒な目を見ることがないように、雪姫は今ギルドでなにが起きているのか知っておくことにした。手近にいた職員を捕まえて簡潔に質問をする。
「さっきから慌ただしいですけど、なにかあるんですか?」
職員の青年は急いでいるようだったが彼女の顔を見て足を止めて丁寧に説明をし始めた。
「天田さんじゃないですか。実は先ほど、ダンジョンに探索に出ていたパーティーが『ゲゲイ・ゼラ』の捕獲に成功したとの報告が入りまして。今、それをこの世界に搬入する準備を調えているところなんですよ」
『ゲゲイ・ゼラ』?
●
『ゲゲイ・ゼラ』。 あまり聞き慣れない単語が出てきた。しかし、雪姫は頭の記憶を走査してその『ゲゲイ・ゼラ』がなんなのかを思い出した。それは、割と最近聞いた名前だった。
「それ、確か5番ダンジョンに出没して探索規制がかかる原因になったモンスターでしたよね?」
雪姫の言ったことが当たっていたので、ギルド職員の青年は少し驚いた様子を見せた。
「知ってるんですか、よく告知見てますね。たしか1ヶ月前くらいから目撃情報が入り始めまして、怪我人多数だったのですぐに5番ダンジョンはランク3以下は入れないようにしたんですよ。しかし、『ゲゲイ・ゼラ』の件は討伐でクエストを出していたんですけど、捕獲ともなると本当凄いものですよね。なんて言ったって『特定指定危険種』の1種ですし」
向こうから彼の上司らしい男の声が聞こえてきて、職員の青年は自分の仕事に戻っていった。
話を聞いてから改めて周囲の様子を見て雪姫は心の中でなるほど、と呟いた。恐らくあと10分もすれば、捕まえたモンスターの搬入のために一度この「渡し場」から研究棟までの区画の整理が始まるのだろう。そうならない今のうちにダンジョンに入ってしまおうかとも考えた雪姫だったが、運ばれてくるモンスターが大物中の大物らしいので、一目拝んでおくのも悪くないかと思ってダンジョンには入らずに一旦待ってみることにした。『特定指定危険種』とやらがどれほどのものなのか、彼女としては非常に気になることだった。
●
迅雷一行は昼食も食べ終わり、食後のコーヒー(直華だけオレンジジュース)を飲みながら談笑していた。話も盛りになろうとしていた頃だった。館内放送が天井のスピーカーから流れてきた。
『魔法士の皆様、および一般で来られている皆様にお知らせです。本日12時30分に本ギルドの5番ダンジョンに生息が確認されていた「特定指定危険種」・「ゲゲイ・ゼラ」が捕獲されました。現在、捕獲された「ゲゲイ・ゼラ」を本ギルドに搬入するための準備を行っています。これに伴い、異界転移門棟2階の「渡し場」、およびそこから研究棟までの一部通路を一時的に利用不可とさせていただきます。皆様に多大なご迷惑をお掛けすることを、深くお詫び申し上げます。なお、搬入時のモンスターの見学は許可が出ていますが、安全には十分にお気を付けください』
『特定指定危険種』の捕獲と見学可能という話を受けて途端に周りがざわめき始めた。こういった大物はいくらモンスターのよく出現する一央市でもなかなかお目にかかれないので、比較的安全に見ることが出来るのなら見ておきたいのである。
それにここで見ておけば万が一こちらに落っこちてきたその危険種に出くわしても知らないよりは対応がしやすくなるので、防災的な意味も含めて勉強として見ておく、というのも理由の1つなのだろう。
「とっしー、これは見に行くしかないよ!早く行こう!」
大人ぶってコーヒーを注文して結局渋い顔をしながらカップに口を付けていた千影が、アナウンスを聞いた瞬間になみなみと残っていたコーヒーをがぶ飲みして迅雷を急かし始めた。
「待てって。まだもうちょいかかるんだろ?コーヒーくらいゆっくり飲ませてくれよ」
迅雷を落ち着いた様子で返したが、別に例の危険種に興味が無いわけではない。むしろ早く行きたいのは山々だったのだがそれでもコーヒーの一杯くらいは落ち着いて飲みたかっただけだ。
「でもとしくん、そのーゲゲ・・・なんとかっていうのってどんなモンスターなの?」
慈音が迅雷に質問をしたが、迅雷だってそんなにモンスターについて詳しくはない。というかよく見るモンスターの呼称すら知らない一般人である。なので、迅雷はなんとなくの感想のようなことを言う。
「さぁ?分かんないけど、なんか凄いんだろうさ。あと『ゲゲイ・ゼラ』な」
「あー、それそれ。えへへ。そっかー、としくんも知らないかー」
直華も分からないといった様子で首を傾げている。このまま誰も知らないという結論で終わりそうになったところで千影が割り込んだ。
「『ゲゲイ・ゼラ』っていうのは、『ニーヴェルン・ラ・シム』っていう異世界にかなりの頭数生息している大型生物のことだよ。話でしか聞いたことはないけど、すっごく凶暴で危ないってことだよ。でもこの世界にはあんまり落っこちてこないみたいだよね」
なぜ千影はそこまで知っているのだろうか。さすがはライセンサーといったところで迅雷は感心する。4人の中で最年少の少女の口から他の年上3人の知らない単語がスラスラ出てくる様は、どことなくシュールなものだった。慈音に至っては頭から湯気を出している。直華が今の話だけではよく分からなかったことを千影に聞き返した。
「その『ニーヴェルン・ラ・シム』ってどんな世界なの?そこにたくさんいるなら珍しくもないんじゃないの?」
つまりはこういうことだ。その異世界に多数生息するならわざわざダンジョンに現れた一個体を捕獲してこちら側に連れてきたりしなくても十分研究しやすいはずではないか、という当たり前の考え方。しかし、その質問に千影は答える前からドヤ感のあるニヤニヤを浮かべている。
「イイ質問ですねぇ?あそこの世界では『ゲゲイ・ゼラ』の生息する惑星の大気組成に問題があって人間が活動するのには適さないんだ。大気中には酸素はあるけど濃度が60%前後でまず人は2日以上は留まれないんだ」
「でもそれなら・・・」
直華が口を挟む前に千影が遮って話し続けた。
「さらに!大気の残り40%のうち35%がボクらの世界には存在しない有毒ガスで占められているらしいのです!なんか聞くには5分吸ったら死んじゃうらしいよ?」
―――――なんだその死の世界。
さすが、世の外は世の中よりも広いものだ。しかしその説明なら『ゲゲイ・ゼラ』の稀少性にも頷ける。直華が合点がいったところで迅雷たちは見物に向かうことにした。
・・・・・・のだが。
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「とっしー」
「なんだね、千影さんや?」
「コーヒーゆっくり啜ってる暇なんてなかったんじゃない?」
2階の「渡し場」フロアから始まった人の列は迅雷の想像の3倍近い長さでずらっと続いていた。ギルド職員が溢れる見物人たちを入場整理みたいな感じで一列に並ばせている。
「いや、これはホントごめん。ナメてたわ」
現在、迅雷たちの位置はもはや屋内ですらなかった。モンスターのサイズが大きいからなのか、屋内の通路で研究棟に搬送するのを不可能とみたギルドは運搬ルートを屋外に出るようにしたらしい。正面には異界転移門棟の建物の背面が見えている。
「ねぇお兄ちゃん。これトラックとかで運ぶやつじゃない?というか絶対そうでしょ。見れずに終わるに一票」
ギルドの敷地面積は広く、建物から建物へはトラック用に車道も整備されていた。迅雷らはその脇の歩道でガードレールギリギリのところに立ってトラックから見えるか見えないかもギリギリな見物をするしかないような場所にいる。
千影と直華にジト目で責められて迅雷は顔中冷や汗まみれになっている。本当に反省しているので許して欲しい。ほら、慈音は気にしていない様子だし。
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煌熾もまた、例のアナウンスを耳にして、今は観衆の中にいた。聞いてからすぐに駆けつけたので、どこかの4人組とは違って「渡し場」フロア内のギャラリーに入ることが出来た。
「それにしても『特定指定危険種』を捕獲だなんて、さすがに大したものだ。絶対真似できないな」
煌熾はスマホを取り出して例の『ゲゲイ・ゼラ』というモンスターについて検索をかけてみた。彼もまた、こういった珍しいモンスターにはさすがに詳しくはなかった。今日のような機会にそれらのモンスターについて勉強しておけばなにかの役に立つかもしれない。
某百科事典サイトによれば、『ゲゲイ・ゼラ』は人間が生存困難な環境に生息する異世界の生物で、非常に獰猛な大型種らしい。説明も少なく、画像もなかったので煌熾は脳内にトラやライオンが巨大化したような生物を想像する。・・・確かに強そうだ。
煌熾がケータイをポケットにしまうとほぼ同時に5番ダンジョンの門が輝きを増し始めた。
「おっと、遂にお出ましか?」
門が輝いているということは今まさに通行が行われている証拠である。いよいよ観衆が沸き、カメラを手に構える人も出始める。
さて、『特定指定危険種』とされるほどのモンスター、『ゲゲイ・ゼラ』が一体どんなものなのか。煌熾はいつになく期待に胸が高鳴るのを感じていた。
元話 episode1 sect30 ”異世界の金属はとっても硬い” (2016/6/21)
episode1 sect31 ”羞恥心羞恥心” (2016/6/22)
episode1 sect32 ”レアモンスター捕獲” (2016/6/23)
episode1 sect33 ”聞こえざる警鐘” (2016/6/25)