episode4 sect36 ”スーパーマンと一緒なら”
気が付いたら、なぜかビルとビルの隙間まで調べ始める。薄暗がりは埃臭かったか。
もう誰の目も気にならない。言い訳もしない。ひたすら迅雷はネビアを探すだけだ。
だって、迅雷の人生にとってネビア・アネガメントは欠かせない友人なのだから。あざとくてイタズラ好きで、そのくせ急に照れ出したりもして、語尾が個性的なあの少女がいないのがそれだけで空虚なのだから。
「嫌だ・・・そんなのはナシだ、絶対!また顔見せろよ、俺をからかってひょっこり出てきてくれよ・・・」
―――通り魔もどきに狙われたのか?モンスターに襲われたか?
いつしか頭を支配する、二度と会えない感覚をもたらす暗い予想。
いや、でも違う。ネビアという人間はそんな脆い敵に阻まれるような存在ではないのだ。戦力的に見ても、人間的に見ても。
けれど、それ以外のなにかが結局としてネビアをこの世界からフェードアウトさせる。
デジャビュだ。過去の幻聴は別の声に置き換わり繰り返され、あのときも叫べなかった後悔が滲む。
―――この試合も次の試合も頑張ってね、カシラ―――
「やめろ・・・」
―――その一言でやれる気がしてきたわ、カシラ―――
「なにをだよ、やめてくれよ・・・」
―――うん、それじゃあ―――
「おい・・・待って、待てよ!やめ―――ッ」
―――バイバイ、カシラ―――
「やめろよォォォォ!!あああああ!!」
叫ぶ。ざわめく。知らない。叫ぶ。もう嫌だ。失うのはもう、嫌だ。もう、もう、あの一度こっきりで十分だ。百分だ。千分だ。
分かるとも、なにかがおかしい。
「俺になにが分かった?あいつの・・・?」
何度でも、いくらでも思い当たる。迅雷はそれを無意識に当たり前とすり替えて受け入れてきた。いや、今でもそれが普通のことに感じられるだろう。
元気でイタズラっぽくておバカで、誰といても気兼ねしなくて、はしゃぐ割に周りを見ていて、強くて、あざとく言い寄るくせに照れ屋で、爪ばかり噛むけど優しくて、良く笑う。
ふとしたときに物憂げに迅雷を見つめ、ハッとするような横顔を見せて、ゾッとするような背中を見せる。ここにはいまいとするように儚くて、拒絶的なまでに友好的で、足りないものを見つけた顔をしているくせにねだりもしない。
どれもただ、この場所に残す未練をひたすらに目を瞑ることで忘れようとしていただけ。
ずっと周りが変なのだと、迅雷は思っていた。でも―――もしかしたらそうではなかったのかもしれない。
「俺に・・・ネビアのなにが分かってた?」
これは少し前、学校での話だ。
肌に刺さるような危機感―――と真牙が言った。
背中を撫でられるみたいなんだ―――と慈音が言っていた。
多分良い人なんだとは分かるけど、怪しい感じも―――友香が言う。
たまにこわい―――向日葵が言おうとしていた。
みんなが彼女を暖かく迎えていたようで、その裏では一定の恐れを、畏れを抱いていた。
それが迅雷には分からなかった。みなが分かるネビアが迅雷だけは分からなかった。
なにも分からないまま彼女と一番親しげに話していた。一切を分かってやれないまま彼女と一番楽しげに並んで歩いた。
分かったとすれば、それは居心地の良さ。
足りないなにかが埋まるなにか。
あの日々、あの場所々々。かけがえのないなにかがあった。それはなんなのか、分からない。科学的なようで、精神的なようで、あぁ、馬鹿馬鹿しいなにか。
「でも失くせない。・・・失くしちゃダメなんだ」
電話が掛かってきた。迅雷は夢から覚めたようにポケットに手を突っ込んだ。
けれどそれは、タイムアップの一報。もうネビアの試合は始まってしまった。もう、間に合わないのだ、と。
通話の切れた携帯電話をポケットにしまう。
―――違う。そういうんじゃないんだって、やっと分かったんだから、まだ間に合う。だから手遅れなんかじゃない。
「試合とか、そんなんじゃなかったんだ。頑張るとか、そんなのだってどうだって良くなったんだ―――。俺はただ・・・あいつの『バイバイ』を撤回させたかったんだ」
笑えないけれど、灯火は消えない。意味はある。
勝手に消え失せる一人の馬鹿を、なんとしても手元に引きずり戻したいだけだと。
分かっていたのだ。あの少女は、いつかこの「普通」から消えようとするのだろうな、と。
何度も何度も本人にそう訴えられてきた。
でもそれを迅雷は許さない。『守る』のだ。きっとそれが正しい。『守る』べきだ。
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「行くのか、やっぱり。別にイイけどよ」
「ボクはとっしーがほっとけないからね」
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「・・・え、な!?なんですって・・・?」
「言った通りですって」
「そんな・・・しかし、彼女は確かに―――いや、まさか・・・?う・・・いや、そんなはずはないです!彼女に限って。でも、気付くか?あれに?そもそも気付いたとして躊躇う理由なんてないはず!」
「言い訳は後だ。結果は結果、仕方ないですからね。早急にと言われているし、こうなればもう手段を改めるしかないでしょう。私と彼で再度接触しますから、君はこっちを頼みますよ」
「すみません・・・。俺が浅はかだったばっかりに作業が滞ってしまって・・・」
「だから、いいさ。私も分からなくはないしね。若気の至りというやつです、今のうちに失敗の経験もしといたって良いでしょうよ」
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『のぞみ』と名付けられた希望の街に渦巻く人々の悪意は善意の成れの果て。正義の名の下に執り行われる悪意は決して正しからず、きっと人もそれを知る。その源も数も、誰にも分からない。
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ネビアが出るはずだった試合が始まって何分が経ったのだろう。ひょっとしたら終了の時刻になったかもしれない。そうだったなら、もう団体戦の時間になる。いや、その前に1時間の空きがあったか。
もはやそんなこと、今の迅雷にはこれっぽっちも関係ないのだが。
協力を頼んだ他のみなは、まだネビアを探してくれているだろうか。そう疑問に思う時点で自答は済んでいた。結論から言えば、彼らが言うであろうその問いへの答えは「当然だ」だろう。けれど、いったい誰が迅雷ほど真剣に探しているのだろうか。
この街は広いし、人は溢れるように多い。建物は林立して陰は至るところにあるし、ざわめく人々の声や鳴り響く放送で名前を呼ぶ声も届くのは見える場所だけだろう。
膝に手をついて立ち止まる理由はいくらでもあった。じきに試合が始まる。そうなれば人手はさらに減る。いずれ日も落ちる。
みながみな、あの少女に無意識の脅威を感じていた。だから彼らはどこかで必ず立ち止まる。頑張っているフリをしながら、必ず。
迅雷はそれを否定する気はない。というのも、定かではないが、ネビアを他の誰かに見つけさせてはいけないとも感じていたからだ。
なにかのトラウマの押しつけだろうか。違うかもしれないが、そうかもしれない。
それにしても、不思議なことに過ぎた疲労は感じなかった。いくら走っても、まるでランナーズハイだ。苦しくはなく、周りがよく見える。足も存外軽やかで、これからだって走り続けられる。
「―――C地区・・・か」
そうやって走っていると、大きな看板が見えてきた。それを見て迅雷はついに自分が地区すら飛び出してしまったことに気付く。ただ、だからといって引き返そうとは思わなかった。確かにA地区にも見落としていた場所はたくさんあったのだけれど、でも、それでもC地区を探すほかに手はない。
A地区と地続きの街とは思えないような、科学の本性を見せる風景。人の集まるA地区やD、E地区のあれらは嘘だ。本来魔法学だろうとなんだろうと、その研究に余分な小綺麗さを持たせる理由があるだろうか?薄いはずだ。
古びた建物も比較的新しそうな建物もあるが、どちらも飾り気がなくて頭が良さそうだ。
味気ない景色には足を止めて、迅雷は目立つネビアの姿を探す。ここにいる保証なんてないのだけれど、ここにいない証明も済んでいない。
そんな中、膨大な真偽の証明に一筋の光明が差した。
「神代君!こんなところに・・・」
ひたすらネビアに集中していた意識を刺激された迅雷はハッとしてそちらを振り返った。ただ、期待は外れた。そこにいたのはネビアではなく、2人の男性だった。
「チャンさん、小牛田さん・・・?なんでここに?」
初めて走るのを中断したのだが、ここまでの過労がやっと捌け口を見つける。迅雷は荒い息を吐き、口や目に汗がが入ったのが不快そうに表情を変えた。
迅雷を呼び止めたのは、マンティオ学園のサポーター役でついてきた4人のうちの2人、小牛田竜一と張近民だった。確かに迅雷は竜一に連絡を入れてはいたが。
迅雷はまさか彼らがA地区以外の場所にまで出るとは信じていなかった。いや、これは少し語弊があるかもしれない。
こんなにも早く、次の地区の捜索に来てくれるとは思っていなかったのだ。
このことに迅雷は今、わずかに安堵している。ネビアは自分自身で発見することを望む彼だが、それはあくまで第一目標に過ぎない。
出会って間もない竜一らではあるが、ここで協力してくれる大人と出会えたのは単純な救いだったのだ。少なくとも精神的に穏やかさを幾分は取り戻すきっかけになる。なんと言っても、彼らはIAMOのプロ魔法士だ。
それが人捜しになんのメリットを持つのか、と問われると困るのだが、強いて言うのなら迅雷ならではなのだ。彼の父である神代疾風は、もう改めて紹介するのも変だが、超一流のプロ魔法士だ。それこそ、世界最高峰の。
そんな父親は、また、誠実な人間でもある。
疾風という例を身近に持つ迅雷なればこそ、父に近しい肩書きを持つ竜一やチャンに彼が寄せる信頼や期待は言うまでもなく、その登場もまた言わずもがな大きな意味があった。
迅雷に名を呼ばれ、竜一とチャンは彼を少しでも安心させてやるために力強く微笑んだ。いや、チャンに関しては笑ってもオタクっぽさが勝っていやらしい表情になるが、本人はいたって温かい表情をしているつもりなのだ。
「私たちも今からこのC地区を捜索することにしたんですよ。ただ、やはりこの地区は道が複雑でA地区と比べるとかなり探しにくくなります。なので、神代君にも協力して欲しいんですが、良いですか?」
スーパーマンにさえ思えた彼らが自分と同じ場所にいることが正しさを確かめさせてくれた。舞い込んだ希望に迅雷は心が高鳴るのを感じる。是非もない。
差し出された竜一の手を、迅雷は迷わず取った。