episode4 sect34 ”バイバイ”
時刻は午後1時40分。迅雷は1人で召集所に来ていた。先ほどまで一緒に行動していた愛貴はもう少し体を動かしておきたいと言っていたので後から来る。それと、小泉知子も同じ時間に試合があるはずなのだが、確か『エグゾー』の最終チェックがあるとのことでまだ来ていない。そういう理由で、迅雷は1人なのだ。
とはいえ遅れているのは彼女たちくらいのもので、他の学校の選手たちは既に召集所に集まりつつある。その様子を遠目に発見しつつ、迅雷は緊張を高めていた。
肩に力が入り過ぎているのかもしれないが、これは武者震いだ。
ただ、1人のまま召集所に着いてみれば、迅雷はそこで自分のことを待っていたらしい人物と視線が合って目を丸くした。意外と言ったら少し手前の記憶を交換したようなものなのだろうか。彼女は迅雷を見つけるなりどこかニヒルに微笑んで歩み寄ってきた。
「やっほぅ、カシラ」
「ネビア。またどうしてここに?」
「もちろん、迅雷の応援によ?カシラ。私だけしてもらってお返ししないのは良くないでしょ?カシラ」
ネビアも迅雷の試合が終われば自分の試合があるはずだ。「アップはしないのか?」と聞こうとして、迅雷はそれが野暮だったと思い出してやめた。
ネビアが珍しく律儀なことを言うので迅雷は軽く笑う。
「へっへへ。なるほどな」
「なんで笑うのよ、カシラ。ネビアちゃんは返せる恩はちゃんと返す子なんですけど、カシラ」
「いやぁ、悪い。ってか恩ってほどでもないだろ、俺が好きでやってたことだし。―――まぁでも、ありがとうな、ネビア」
「はいはい、どうしたしまして、カシラ」
それからネビアは仰ぐように周囲の風景を一望し、もう一度迅雷と目を合わせ、しかしなにを思ったのかすぐに俯いてしまった。
口をキュッと真一文字に結んだのはほんの1秒か2秒のことだったか。
もう一度顔を上げたネビアの顔はまるで咲いた花のように朗らかな笑顔だった。わずかに頬や鼻の頭を朱に染めつつも、白い歯が眩しい、紅白の笑顔。
体を小さく揺らしたネビアの胸元では、慈音がプレゼントしたデフォルメのイカさんペンダントが恥ずかしがって姿を隠すかのようによじれて揺れていた。
隠しきれない感情を誤魔化すようにネビアは迅雷の背中を激しく叩いて馬鹿笑いする。
「この試合も次の試合も、頑張ってね、カシラ。いっそ目指せ、優勝!なんつって、カシラ!にゃっはは!」
「優勝とは大きく出たな・・・。でもまぁ、頑張るよ。だからネビアだってこっから先も頑張ってくれよ?」
「え―――」
迅雷が握手を求めると、ネビアは呆けた顔をしたまま彼の顔と手を交互に見比べた。
「えっと・・・?カシラ」
「握手だよ。一緒に頑張ろうって。な?」
―――こんなときばっかりいい顔で笑う。
ネビアは迅雷の手を強く、柔らかく握り返して、声を上擦らせかけた喉をむりくり堪えて、そうしてやっと混じりっけのない微笑みを返した。
「その一言だけで・・・やれる気がしてきたわ、カシラ。ありがとね、カシラ」
「どういたしまして。それじゃあな」
「うん。それじゃあ―――バイバイ、カシラ」
スルリと握った手が解けて、ネビアは手を振り、上機嫌に去って行った。それを見送り、迅雷は困ったように笑ってから小さく息を吐いた。
「バイバイって、まさかお別れじゃああるあまいし」
愛貴や知子が召集所にやって来たのは、係員が点呼を始めたのとちょうど同じくらいだった。揃って、連れ立って、それぞれの試合会場に向かう途中でまた別れる。
ゲートが開いて入場し、迅雷は背負った鞘から『雷神』を抜き放った。傷一つない薄金色の鋒を踊らせて腕を重みに馴染ませる。
昴の試合がまさに苦戦だったが、もうさすがに手を抜けるような試合ではなくなってきた。戦う前から正面に立った少女には侮れないオーラが感じられる。恐らくはライセンスも持っているはずである。
けれど、大袈裟なことを言ってきた直後だ。
「悪いけど、圧勝させてもらうぜ」
「させませんけど、頑張ってください」
少女は不敵に笑うだけ。マンティオ学園の選手を前にしてこの自然体。間違いなく2つの魔法科専門高校が上位を独占する中でそこに食い込もうとしている者の態度だ。
バズーカ砲のような火器を取り出したので、少女は純粋な遠距離砲撃タイプだろう。迅雷にとって一番厄介な敵だ。純魔力式だったとしても実体弾、つまり本物のロケット弾だったとしても、その火力は脅威。
だから、一撃たりとも撃たせない。
そう決めて、迅雷は試合開始と共に走り出した。
●
この試合が迅雷が迅雷として迅雷らしく戦えた、今大会最後の試合になるだなどとは、誰も予想していなかっただろう。
せめてこの時間を惜しんで10分も戦っていれば、きっと―――。
迅雷の4回戦は3分で幕を下ろした。
●
好きだ。いや、これからは好きだった。
咲いた花のように笑ってみせた。
少女である間に少年に向けられる好意は、これが彼女なりの限界だった。
とっくにそのときは来ていて、過ぎていた。
さっき交わしたあの他愛ない会話で終わりにしておくべきだったのだ。せっかく最初から決めていた意志が揺らぐから、もう顔を合わせてはいけないはずだったのに―――来てしまって。だからもう、今度こそ、これっきりで「マンティオ学園1年3組のネビア・アネガメント」を終わりにしないといけない。
『こっから先も頑張ってくれよ』
彼が最後に言ってくれたあの一言の意味はきっとそんな意味なんかじゃないのに、どうしてだろう、なにもかも受け入れてもらったような気持ちになった。知らないんだから、そんなはずないのに。
ただ、それだけで頑張れる気がした。ひたすら、予期せぬ虚しい喜びだった。
●
「『ヘビーパイル』!」
岩石の杭が矢として放たれ、しかし直撃の寸前に斬り崩された。杭に隠して放たれた水の矢もスレスレで躱されてしまう。
「さすがに狙いも鋭いね!躱しきれない!」
「良いながら躱されると悔しさ倍増ですけどね!」
接近を許すまいとする愛貴が拡散矢を乱射して弾幕を張るが、七種薫の人並み外れた反応速度と彼が振るう2本のサーベルは鮮やかに道を斬り開いてしまう。
「やっぱりまだ私の矢は速度が遅い・・・!」
思えばこの全国の舞台においても苦戦を強いられるのは初めてのはずだ。
当たらない。当たらないのだ。何発撃とうと、どこを射ようと、愛貴の矢は薫に当たらない。愛貴はここに来て初めて自身の弱点を痛感させられていた。
愛貴はここまでで自分でも驚くほどの成長を遂げてきた。それでもまだ、矢生を師と仰ぎ続けるように、愛貴の力はまだ矢生には及ばない。
その最たるところが矢の弾速だ。愛貴の矢も一般に見れば十分に速い部類だが、この舞台でまともにやり合うには少々不足している。
現に今、愛貴の攻撃は悉く薫には見切られて反応を合わされている。彼のような接近戦特化型の人間の動体視力と反応速度に愛貴の矢は追いつけていなかった。
「なら―――『ペネトレイト・ファング』!」
弓を水平に構えて長い矢をつがえ、それを一本の牙として放つ。超高速回転で貫通力を大幅に引き上げたものなので、その回転により薫の防御ミスを狙おうという魂胆である。
リボルバー式の拳銃にでもなったように愛貴は器用に右手の五指を繰って矢を作り、放ち続けた。連射すればミスはさせやすい。
しかし、相手が悪い。
「一刀なら押さえ込めないかもしんないけど、こっちは二刀流だ。甘く見てくれるなよ!」
交差させた2本のサーベルで薫は迫る矢を垂直に弾き上げるように射線をずらしてそのまま横に回避、相次いで飛んでくる『ペネトレイト・ファング』も初撃を防いだ薫が動いたことで意味を薄れさせてしまった。
薫の眼光は既に愛貴への最短ルートをなぞっている。踏み込まれれば負け―――愛貴の思考は加速する。
「ま、まだですよ・・・!」
こういうとき、矢生ならどうするのだろうか。単純な迎撃であれば反応されてしまう。フェイクもあまり大きな隙は作れなかった。飽和攻撃をしたくても、まだ愛貴の制御能力では・・・。
「いや―――っ!そうだ、そこまで出来なくても!」
矢生の魔法矢を思い出し、記憶と直感を振り絞って矢を再現する。
まずは超高密度に黄色魔力を圧縮。ただし、収束の結合度は低めに。矛盾した感覚を保ってたった一本の矢を練り上げ、魔法として成立された状態を作り出す。
「師匠、お借りします!『プロリファレイト・レイン』!!」
1射だけでこんなに魔力を吸い上げる矢もそうはない。愛貴はなんとか組み上げた紫電の一撃を迷わず薫に向けて放った。
およそ矢を放っただけとは思えない多重の高音と共に閃光が駆け抜ける。
この一撃に全てを賭ける。矢の速度も力一杯に引き絞ったから今までより少しは速い。
「今までのと違うッ!?」
薫はその矢を急停止とバク宙で回避してしまった。おまけにその動作速度も焦りからか格段に速く、愛貴に空中にいる瞬間を射させることすら許さなかった。
「今の攻撃はヤバかった・・・。数と正確さで押し切る派かと思ってたけど、こういう爆発的な威力のも使えたんだな」
「いえ、今のは私が尊敬して止まない方の受け売りというか、ただのパクりです。あー、でも躱されちゃいましたけど・・・」
台詞とは逆に愛貴はニヤリと笑った。うまいことに薫の足を止めることまで出来た。さすがは矢生が奥の手にしていただけのことはある。期待以上の効果を発揮してくれた。
なにか愛貴の様子に安心出来ないものを感じ取った薫は後ろへ跳ぼうとしたが、もう遅いし、その行動も間違いだ。
「―――爆ぜろ、『プロリファレイト・レイン』ッ!!」
「こいつは・・・くっそォォォ!?」
床に刺さった雷の矢が溶けて、魔法陣へと変わる。光が溢れる。否。それは光ではなく、雷電の矢。獲物を狩る、無数の矢だ。
光の中に消える。薫の影は圧倒的な光によって愛貴の前から掻き消えた。
「決まった・・・!これならさすがに効いたでしょう」
嵐が過ぎ去って、全身傷だらけの薫が人々の前に戻ってきた。サーベルを前で交差して頭や胴体は守ったようだが、たったそれだけの防御など無数に押し寄せる攻撃の前では無意味だった。ユニフォームの至るところに赤く染みが生まれていて痛々しく、顎から床に滴る汗は決して嘘を吐かない。
薫ももう動けまいと判断し、愛貴は最後通牒を言い渡しながらトドメを刺すために弓を構えた。
ここは薫の間合いだが、逆に言えば愛貴にとって矢を外したくても外せない距離だ。
「油断しましたね、七種さん。あれだけ浴びれば感電して動けないでしょう。七種さんはさすがにとても強かったですけど、勝ちは私がもらっておきますよ」
キリキリと弦が引き絞られる厳しい音が耳を震わせ、緊張感を高めていく。薫はそれを意識しながらゆっくりと交差していた双剣を下ろした。
「ごめんな、黙ってて。俺の魔力、黄色なんだわ」
愛貴が指を放した瞬間に白刃が閃く。