episode4 sect30 ”堕ちし天園”
後先考えず、というのはこういうことを言うのだろうか。覚悟を決めた瞬間、魔力がゴッソリと消えた。
達彦の前に示し出される勝利の方程式。幾何学的でいて自然的でいて、奇怪でいて整然としていて、そしてなにより巨大な魔法陣。1日に2回も使えば魔力切れでなにも出来なくなるほど大量の魔力を注ぎ込んだ最大最強の魔法が発動する。
「―――此れ、真に我ら冠する『天上』の力なり―――」
瞳を閉ざして闇に向かい呟くように唱え、達彦は再び世界を視る。天雷の下、全てが等しい、まさに神の御業。絶対の自信を湛えた達彦の双眸が、砂塵と共に迫る明日葉を射貫いた。
「俺の最高位魔法を以て、お前を止めるぞ・・・柊!!」
「ハッ!!気絶しても止まってやんねーよ!!」
今、目の前で描き浮かべられていく壮麗な神の理を認めてもなお、明日葉は狂ったように笑うだけだ。
そう、そうでなくてはならない。
天上だかなんだかは、別に理解してもらわなくて一向に構わない。
大事なことはそこではない。
ただただ、泥水を啜って汚い埃を食んで磨き上げてきた人間の意地に、達彦は穢れ無き神聖で清浄なる人の技の極致で挑む。
今だ達彦は甚だ未熟だ。彼の技量と魔力ではこの魔法も恐らく本来あるべき威力は完璧には再現できない。そして明日葉のような野心的なまでの意地も持たない。
だが勝つ。なにも関係なく、持ち得る全ての自信でこの魔法に勝利を託した。
「いいや、終わりだよ――――――『ヘブンズ・フォール』」
光で編み上げられた叡智の巨陣の威光が全てを眩く照らし出し、焼き尽くす。
天が堕ちる。稲妻も雷光も超えた究極の白光がその場に存在するなにもかもを呑み込み、『天上』の名の下に浄化する。
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現在、日本に住む300万を超える高校生の中で、特大型魔法を安定して使用できることが出来るのを確認されているのはオラーニア学園の千尋達彦、ただ一人、だ。彼と肩を並べる最優秀級の実力者の中でも特に魔法に重点を置いているマンティオ学園の豊園萌生、焔煌熾らでさえ、この最高位魔法の習得には今だ至っていないと言われている。
すなわち、千尋達彦はこと「魔法」という分野に関しては、この『高総戦』において紛う事なき最強であった。
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光が溢れていたのは果たしていかほどの間だったのだろうか。ほんの数秒だったようにも感じられるが、しかしその一方で何分もその極光に目を焼かれたようでもある。
瞼を閉じていても腕で顔を隠しても物の陰に隠れても逃れ得ぬ閃光が迸った跡には、もはや人間の矮小で愚かな抗いなど痕跡のひとつすら残せていなかった。
魔力を弾く材質を使っていたという床や壁のタイルは見事なまでに歪み、剥がれ、砕けて、フィールド中に散乱している。赤熱する金属骨子が剥き出しになり、観客席の窓にも無視できない亀裂が広がっていた。
無機質さえもが焼き尽くされた異様な破壊のただ中に、彼女はいた。立ったまま、動かない。
全身には軽い火傷があり、床を見つめる瞳は虚ろ。意識があるとは思えない。
けれど、達彦は明日葉に歩み寄る。思えない、では駄目なのだ。その万物を焼き焦した静謐なる手には完全なる勝利を掴まなければならない。それが彼の義務であり、そしてこの力を誇示する術なのだ。
「『サンダーブレイド』展開、短縮・・・」
右手に黄色魔力を成型した刃を纏う。そしてその切っ先を明日葉の顎に当て、顔を上げさせた。
既に力のない明日葉は為されるがままに天上を仰がされたが、瞬きを発することもしない。
狂戦士は神威の前に倒れた。磨き上げた魔法は人間の野生を凌ぎ、今こうして達彦の前に神敵の首を捧げている。
「柊・・・残念だが、俺の勝利だったな」
「―――そこにいんのか、達彦・・・」
「―――ッ!?」
もはや反射的に、突き付けた刃をそのまま柔らかい明日葉の喉元に突き刺していた――――――が、折れた。
「んなチンケなもん効くかよォォォォォォッ!!」
「そんな、馬鹿な・・・!?」
明日葉の喉の薄皮が達彦の『サンダーブレード』をあたかも薄氷を割るかの如く砕く。
彼女が動かなかったのは気絶していたからなどではなかった。ただ、光で目をやられたから、達彦の方から近付いてくるのを待っていただけだったのだ。明日葉は達彦が必ず止めのために近付いてくると信じていた。敵を信じることも強さであり、戦術。最後まで、これは明日葉の戦いだった。
達彦はその鬼気にたじろぐ。もはや化物だ。『ヘブンズ・フォール』の直撃を受けて未だに沸き上がるこの躍動。
雷の刃が全て砕け、指先が明日葉の喉に刺さり、直後に関節がおかしな方向へ曲がった。しかし、激痛に叫ぶことすら半ばで舌を噛まされた。直後には明日葉の殺人的な頭突きが眉間にめり込んだからだ。
「がぁ、うぁぁッ!?あ、あああ!?」
床の上を水切りで投げられた石のように転がって、達彦はひたすら痛む肉体から逃げようとする意識を繋ぎ止めるために絶叫した。額から血が垂れて右目に入り、もうなにも見えない。
それを見下ろし、サラシも危ういくらいにボロボロの明日葉は疲れたように笑った。
「・・・ザマァ・・・見やがれってんだカスが・・・」
それだけ吐いて、明日葉はおもむろに後ろを振り返って、普段の彼女なら絶対にしない柔和な笑顔を作っていた。頬を伝う一筋の透明。
「―――ごめんな、萌生。アタシはここまでみたいだわ・・・。あとはまぁ、よろしくな」
膝の力が抜けて、上半身も支えられず、砂を詰めただけの袋のように倒れ伏した。
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明日葉と達彦の決着が着いた頃、1年生の部では迅雷と昴の試合が行われていた。
同じ県で、それも知った顔同士の選手の戦いには下手な探り合いが存在せず、開幕からひたすらに実力と駆け引きの衝突が続いていた。
剣閃が舞えば宙を穿つ紫色の光弾が水平に分かれて霧散する。銃声が響けば掠めた肌が赤く滲む。
「くそ・・・いい加減諦めたらどうよ?」
「そりゃこっちの台詞だぜ、普段は寝てばっかのくせに!でもそろそろ魔力も怪しいんじゃないのかよ?―――っと!」
ここにきてアサルトライフル型の魔力銃という新兵器を繰り出してきた昴に迅雷は苦しい戦いを強いられ、確実に追い込まれていたのだが、いかんせんアサルトライフルも魔力の燃費が悪く、昴も著しく消耗していた。
こうなると分かっていれば昴も普段通り拳銃で戦っていた方が良かったのかもしれないが、かといってその出力レベルや連射性では迅雷の接近を止めることは出来なかったのは予想可能だ。つまり、最善手を取り続けた末の膠着状態というわけである。
さすがに武装を拳銃型魔銃に切り替えて昴は迅雷に発砲する。
対する迅雷は昴の狙いを予想して射線上に入らないよう細心の注意を払う。
「昴の射撃は『待ち』だ!どこを狙ってるか分かれば大したことねぇよ!」
「そうか?じゃあなんでそんなボロボロなんだろうなぁ、お前は。おっかしーねー・・・」
相変わらず死んだ魚の目をした昴だが、声には棘があった。迅雷の発言は図星である。現に迅雷の弾道予測は長期戦になったばかりに正確性を増してきていたのだ。
これでは面白くないので、昴は次の作戦に移行する。とはいえ、魔力の持つ範囲内で、ではあるが。
「―――チッ。ならコイツはどうだよ」
腰の後ろからもう一丁の魔銃を取り出した昴を見て迅雷は息を詰まらせた。
「二丁拳銃・・・!?」
「バーカ、俺はそんな器用じゃねえ。だから・・・こうすんだよ」
そう、昴には両手の銃で敵を狙うような癖はない。だから、昴は左手に構えた魔銃をフィールドのあちこちに向けてひたすらに乱射した。
飛んでくる弾は実弾、つまりペイント弾だ。当然中身は例の痛覚魔法を封じた特殊インクだろう。右手の魔力弾による狙撃と左手のペイント弾による弾幕。
「へっ、どこ狙ってやがんだよ!」
だが、そうであるなら迅雷の反応は通用する。目と頭を酷使するが、片手から1発ずつ放たれるだけの弾幕など十分に回避可能な範疇である。迅雷はさらに挑発をかけていく。
だが。
「ハナから迅雷なんか狙ってねぇよ」
昴はくだらなそうに笑う。
ペイント弾が床に着弾すると、そこから一瞬にして岩の柱が生えだした。1つ生えれば、2本目が生まれ、次々と人間大の岩が並び立っていく。
そう、昴がわざわざ実弾を使用したのはそういう理由があってこそだった。純魔力式の銃では着弾点に魔法を展開させるテクニックが使用出来ないのである。
フィールドのあちこちにこれでもかと現れた障害物。林立した岩柱は確実に両者の視界を削り取っていた。
けれど、この状況で有利なのは明らかに昴だ。ガンナーなら、むしろ隠れる場所が多い方が立ち回りやすくなる点で便利だし、なにより迅雷が慣れ始めた弾道予測もリセットできるからだ。
ひとまずは自分で作った柱の陰をカサカサと移動して昴は行方を眩ませることにした。今の魔法のバーゲンセールで消耗もいっそう激しくなったところだ。一度息を整えてから改めて迅雷を狙撃した方が賢明である。ただし、休憩中に息を抜きすぎて迅雷の接近を許しては元も子もない。
したがって昴は最低限の警戒だけはキープしておく。
そのつもりだったのだが、事態は昴が想像していたビジョンを覆してきた。
「ッらぁぁ!!」
「・・・はぁ!?なっ、あんにゃろ・・・!」
迅雷が迷うことなく剣を振り回し、手当たり次第に岩の柱を破壊し始めたのだ。刃がかけるとか、そういった心配は微塵も窺えない。もしかして馬鹿だったのかと昴は迅雷の筋肉化した脳みそを疑った。
「どういう神経してやがる―――!だけど音で位置は分かるか・・・仕方ねぇ!!」
休憩はキャンセル。岩の陰から飛び出して迅雷に銃口を向けた昴は、この戦術が完全に失敗していたことを思い知った。
「砂埃・・・!岩が砕けたからか。やってくれんな・・・!」
とりあえず昴は煙の中に数発の弾を撃ち込む。
だが、迅雷は適当に岩を崩しながら走っていれば昴の放つケチ臭い魔力弾程度、簡単に防げた。なぜなら飛び散った岩の破片が身代わりになって弾を受けてくれるのだから。
それに、昴はもう撃ってしまった。今から弾の威力を上げようにも見切られる可能性が高い。自らの手で最後の一手を詰んでしまった昴は唇を噛み切る強さで噛んだ。歯が擦れた音が耳を震わせ、悪寒が勝負の破綻を知らせてきた。
でも、それでも、可能性があるなら昴は高威力弾を放つだろう。簡単に負けてやれるほど、昴は素直に育っていない。
「ラストでしくったな!この勝負もらったぜ!」
「あぁ・・・そだね。これはキツいな」
迅雷も実際には昴の姿は見えていないが、この際ひたすら暴れてしまえば良い。魔力はそろそろ温存しないと危ないので、『雷神』のコンデンサ内の魔力を抽出し、それのみで剣技魔法を起動させる。刀身が黄金色に光り輝き、塵の舞う空間に紫電を靡かせた。
昴は砂埃の最先端を狙って銃口に中型の魔法陣を展開し、確実に当てるために集中する。
砂埃と破壊音が昴を正面に捉えた瞬間だった。
「『スナイプ』・・・『ストーンブラスト』」
「『一閃』ッ!!」
たかだか石ころ、いくら斬ろうと傷ひとつつかない『雷神』の長刃が戦いの幕を引いた。