episode4 sect28 ”Dishonesty ; Annoying Annoing Annoing...”
夕食も終わってファミレスからの帰り道。前日には明日葉が馬鹿にした集団帰宅(正確には宅ではなくホテルに帰るのだが)をマンティオ学園も決行していた。
大所帯だと不安を感じることもないので、学生たちがおしゃべりをしながら歩く様子は和気藹々、事情を知らない人から見れば『通り魔』の存在も感じないだろう。
迅雷は先ほどレストランの中で巻き起こった謎の拍手喝采を思い出して、今更ながら不思議に思い始めた。まさかようやくアレがおかしな出来事だったと気付くとは、その場の流れというのは恐ろしいものである。最近は食傷気味の集団心理というのもあながち馬鹿に出来ない。
「にしても結局さっきの拍手ってなんだったんだろな」
「さぁ、誰か誕生日だったんじゃないの?カシラ」
「随分大がかりな誕生日プレゼントだな、そりゃあ。まぁいいや。つかやっぱり雪姫ちゃん来なかったよな。今日も1人でどっか行っちゃってるんだろ?大丈夫かなぁ」
「そうだね、カシラ。いくらあの子でも仮称『通り魔』に狙われたら大丈夫とはいかないだろうし、カシラ。―――っと、おやおや・・・ちょっとゴメン、カシラ」
迅雷と話していたネビアはそう言って唐突に足を止めてしまった。何事かと思って迅雷が少し手を出すと、ネビアはそれに片手でストップをかけた。もう片方の手では電話のジェスチャーをしている。
「あぁ、なるほど。それじゃあ待っとくよ」
わざわざ集団行動をしなければならない今、ネビアを置いてもいけないので迅雷も立ち止まると、それに気付いた真牙も留まった。彼はついでに他のみなは先に行ってて良いと言ってくれたようだ。この場に残ったのはこの3人だけ。
わらわらと歩み去って行く集団を見送って、その姿が指で作る輪っかに収まるくらいになる。急に静かになった空気が奇妙で迅雷は真牙に小馬鹿にしたような目を向けた。
「なんだ、先行ってても良かったのに」
「・・・バカ言え、そんなこと出来ないだろ?」
なぜだか本当に心配してくれるような表情をした真牙に迅雷は首を傾げた。普段なら不審者が出ようがなんだろうが真牙はこんな表情はしないからだ。もしかして今回ばかりはそんなに心配してくれるのか、とも思った迅雷は感心したようにニヤけるのだが。
「ん、今迅雷『コイツ本当は今回の件、結構俺のことを心配してくれてんのかな』とか思っただろ。キモいな、あんだけ女の子連れ歩きながら裏の顔はガチホモですか」
「は、はぁ!?なんでそうなんだよ!」
「あーあー、イヤだイヤだ。オレはゴメンだっての。そうじゃなくて、お前とネビアちゃんを2人にしてたら次はなにをやらかすか分からんからな」
「それもどういう意味だよ!?」
真牙は向こうで電話片手にヘラヘラしているネビアを流し見てから、鼻息で小さく音を立てた。この頃の迅雷とネビアの仲良しっぷりを見ていると、本当になにをやらかすのか、今となってはよく分からないのだ。まだもしかすれば、初めての頃の方が予想出来たかもしれない。
―――例えばラッキースケベとか、甘酸っぱい青春とか?真牙は冗談っぽく苦笑いを浮かべた。正直、真牙には迅雷がなにを考えているのか分からない。どうしてあんなにすんなりと、なぜこんなにも気軽に―――
それはともかくとして、迅雷はやけに慌て出すのが白眼視ものだ。
「なに慌ててんの、お前?」
「い、いやぁ?なんでもねぇよ。いきなりそういうこと言うから変に焦らされてんじゃねえか」
迅雷は夕方のことを思い出して耳まで熱くなっていたのだが、夜の涼しさのおかげで幸い表には出ないで済んだ。真牙も「あっそ」と軽めに流してくれる。
そんな2人の様子を少し離れたところで真牙がしたようにチラリと見やりながら、ネビアはスピーカーの向こうと会話する。マイクが拾った周囲の会話を気にしたようなことを言われたネビアは、目の前にいるわけでもない相手に手を振って否定する。
「あー、気にしないで、カシラ。今さ、いろいろ物騒だから1人で行動すんなって言われてて、カシラ。まぁそれを私が言うのかーって話かもしんないけど・・・それはまぁ置いといて、別にあっちには私の声も聞こえてないはずだから安心して?カシラ」
『そうか!ならいいんだ!というかそれはそうとしないで、その物騒についてだがな!』
「・・・ねぇ、むしろアンタの声が漏れてないか心配なんですけど、カシラ」
『なら音量を下げればいいだろ!実はネビアは機械オンチだったのか!あっはっはっは!』
「いや、今音量最小にしてるから、カシラ」
一太が呻くのが聞こえた。彼は自分で自分の声がうるさいと感じたりはしないのだろうか。
今更言えない疑問は良いとして、ネビアは彼の言葉を掘り返した。なんの用かと思えば、明日の話より先にこちらの話とは。その優先度にネビアは興味を引かれる。
「それで、その物騒についてって?カシラ」
『そうだ、そうそう!それなんだがな、今「のぞみ」に「荘楽組」が来ているらしいぞ!なんの用だかな!』
その短い、ともすれば友人が近くに遊びに来ているらしいことを伝えるだけのような一言を聞いて、ネビアはいろいろとまとめて納得した。目から鱗とはまさにこのことだった。途端に輪郭が見え始めた事件の全容には、ネビアともなれば舌舐めずりをせずにいられない。
果たして彼らはちゃんと味方なのか、はたまた実は敵なのか―――。そもそも、あれだけ念押しして結局自分らも来たということは、なにをしに来たというのだろうか―――。どこまで考えていたのか―――。
概形と引き替えに生まれた全ての新しい疑問を引っくるめ、ネビアは不敵に笑った。
「へぇぇ?カシラ。そりゃまた、なにをなさるおつもりなのでしょうねぇ、カシラ」
『この前といい、気になることばかりだからな!とにかく俺が言いたいのは以上だ!しっかりやれよ!』
「・・・・・・言われなくても、カシラ」
ネビアが作った一瞬の溜めに一太は耳敏く気付く。こういうときばかり気が回るので、ネビアはおせっかいな一太が面倒で仕方なかった。
『ん、声が寂しげだぞ!どうした!』
「それは寂しくもなるわよ、カシラ。ホーント・・・なにさせてくれてんだか、カシラ」
それだけ言い捨てて、ネビアは通話を切った。
●
そろそろ日付も変わる。でも、眠くもないから、雪姫は部屋の窓を開け放って外の世界を眺めていた。
別になにか面白いものが見えるわけではない。むしろ未だにせわしなく走り回っている自動車の前照灯が煩わしいくらいだ。夜空にはわずかながら雲がかかり始め、言い知れぬ重さが黒の上に塗られた灰色を形容している。
とうとう大会も3日目に入るというのに、他のみなとは違って虚脱感ばかりが自分の中に満たされていくという矛盾的感覚。まるで自分だけがこの場所に適応出来ないような、そういった気分。なにも起こらず、そしてなにも起こらなかった。だから、なにも感じることさえなかった。滑らかに張られたスケートリンクのように、彼女にはひたすら平坦が続く。
「―――いや、なにもなくはなかったかな?」
大会とは関係ないが、今日話しかけてきた迅雷の母親だ。彼女との会話を思い出せば、なにも感じないというのは嘘だったろう。雪姫は皮肉げに口の端を緩める。
開けた窓から入ってくる夜風が髪を撫でていく。長い前髪が目に入るけれど、これ以上短くするつもりはない。そんなときが来るはずもない。
誰になんと言われようと、雪姫は人に期待されるように変わってやるつもりはない。だって、誰も自分の期待に応えてくれないのだから不公平だ。でも、雪姫はそれでいいと思っている。
山間部に位置するはずの『のぞみ』の街では、夜空を見上げても星なんてない。もしかしたら地上にある電球の数が空いっぱいに広がった星の数を追い越したかもしれないな―――と思って視線を落とす。
どうせそんなものだ。この世の中は。
「眠れないのかな?カシラ」
後ろからネビアの声が聞こえて、雪姫は小さく振り返った。どうやら起こしてしまったらしい。悪いとは思わなかったが。
雪姫は返事もせずに、もう一度窓の外を見た。ネビアは構わず話しかけ続ける。
「なにを見てるの?カシラ。それともなにも見てないの?カシラ。なら、なにを考えてそんなに黄昏れてるのかな?カシラ」
「別に、なにも」
「ウソよそれは、カシラ」
「・・・嘘吐きには分かるもんね」
雪姫はそう言って窓を閉めて、カーテンも閉める。余計な音が消える。余計な光も遮られる。
試すような目でネビアの瞳を捉える。雪姫には分かる。ネビアは初めからずっと嘘ばかりでこの日この場所まで来ている。まさに偽りの権化のような少女だ。
それがあまりにも。
だから気に食わなかった。他にも気に食わない理由はあるけれど、多分、とにかくそこなのだ。
「ウソつきなんて、酷いなぁ、カシラ。まぁ・・・否定もしないけどね、カシラ」
酷くて結構。元よりそのつもりだった。雪姫は自分のベッドの上に寝転がった。
「そんで結局、なに考えてたの?カシラ」
「アンタには関係ないでしょ。黙って寝ろ」
「後生だよぉ、カシラ。もうこれで最後だからさぁ、ね?ね?カシラ」
雪姫はそれでもなにも言わずに寝返りを打ってネビアに背を向けた。そんなくだらない質問に後生を賭けられても困るだけだ。
「ちぇ、カシラ。まぁ仕方ないか・・・。明日も試合あるんだからちゃんと寝てちゃんと頑張ってね?カシラ」
まるで他人事だね、と口の中で呟いた声は果たしてネビアに聞こえていたのだろうか。ネビアがクスリと小さく笑って雪姫の寝返りを鏡映しに真似する音が聞こえた。
背中合わせになった2人がこれ以降会話をすることはなかった。
ベッドとベッドの距離は無性に遠くて、今更振り返り直したって互いの姿は見えない。
―――なにが後生だって言うんだろうか。嘘吐きの分際でよくもまあぬけぬけと言う。
雪姫の耳には、これで最後と言った、たったそれだけの声が消えずに残っていた。