episode4 sect27 ”(また)不審者現る”
なにがなんでもマンティオ学園の連中と会話してはいけないなどという話が罷り通る理由があるだろうか。
思い切ったことを言い始めた薫に、先ほどまで固唾を飲んで見守っていた同級生たちが呆気にとられた顔をした。
まさか薫は弁明でも釈明でもなく正論で勝負を仕掛けるつもりなのか?そんなのは無謀にもほどがある。理不尽というのは理屈をいくら尽くしたところで通用しないから理不尽なのだ。誰一人として薫の勝利には期待を寄せられずにいた。
それはもちろん、薫が先生を言い負かすならとても素晴らしいことだ。けれど―――。
先生はやはり、反抗的な姿勢を見せた薫を睨み付けて、声のトーンをさらに1オクターブ下げた。もう重低音の域まで下がった先生の言葉は上手く聞き取れない。
「理由?理由ならあるぞ。あんな学校の連中としゃべっていたら脳が腐ってアホになるぞ。魔法の腕も落ちるかもしれないな」
「なにその風評被害ッ!?―――じゃなくて!」
思わずツッコんだら先生の目が殺人鬼ばりにヤバイ色を見せたので、薫は慌てて口をつぐむ。
同級生たちはみな薫がこれから正論で勝負するものと思っているようだが、残念なことに薫もそこまで性根の保存状態は良くない。もちろん正論で論破できるならそうしたいが、あくまでそれは自己保身の次に来る。
言いたいことは言ったので、薫はこれ以上危険は冒す必要などない。思う存分詭弁を振るって破産の危機を脱させてもらうとする。
「―――それでは彼らをけなしたり罵倒したりも出来なくなってしまいます。低能どもにその低能さを思い知らせる手段を先生は俺たちから取り上げるつもりですか?そんなのは・・・そんなのはあんまりです。俺には耐えられない。そうでなければ、俺はこの場でどうして彼らへの優越心と憎悪を吐き出せば良いのでしょうか!!」
大きく腕を広げ、まるで数千数万の大衆を前に演説をする革命家のように薫は言い切った。あたかも風を感じるかのように素晴らしい彼の語りには険しい顔をしていた先生も友人たちもとっくに放心状態。
その静寂を破ったのは、後ろの席の名前も顔も知らないどこかの高校の教諭の拍手だった。
「す、素晴らしい演説だった!よく分からなかったけれど・・・だけれど、この人生の中で君のような少年に出会えて今、私は感動している!さぁ、みなも彼を讃えよう!」
「――――――!ありがとうございます、みなさんも、ありがとうございます・・・・・・!!」
拍手の波は広がり尽くし、よもや店内全ての人間がとにかく1人の少年の勇気ある演説を賞讃すべく手を打ち鳴らしてくれていた。
その光景に心を打たれ、薫は涙すら浮かべてひたすらに感謝を述べて頭を下げた。
そして再び先生の方を振り返ると、ガッシリと先生に手を握られた。
「すまない、すまなかった、七種・・・!私が間違っていたんだ。お前のような崇高な精神の持ち主を疑うだなんて!あぁ、許してくれ!私の未熟さをどうか謝罪させて欲しい!」
「先生・・・。謝るなんて、よしてください。許すもなにも、俺のこの信条は先生たちが育んでくださったものなんですから。もし仮に俺が本当に崇高だと言うのなら、それは先生方が崇高な方々だったからこそじゃないですか。だから、謝らないで」
「七種・・・!」
「先生・・・!」
涙を流して互いを抱き締め合い、薫と先生は今ここで遂に和解することが出来たのだ。
ようやっと自分の席に腰を下ろし、薫は呟いた。
「・・・なんだこれ」
●
「くぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」
ギネスに載りそうな長さのあくびをして、安達昴は夜道を歩く。隣には引率でついてきた女の先生もいるが、別にそれほど美人というわけでもなければ仲が良いわけでもないので2人の間におしゃべりはない。
そんな無音を紛らわすように昴はヘッドホンを着けて最近気に入っている音楽を聴くのだが、いかんせんその穏やかな音の波は彼の睡眠欲を加速度的に増大させてしまう。
「・・・ぁぅっ、いかんいかん」
首がガクッと落ちた昴は慌てて目を覚まし、特になにも起きていないことを確認するためにあちこちを見る。今昴たちが歩いているのは『のぞみ』E地区の遊歩道だ。
昼間は富士山がよく見えて景色の良さは言わずもがな、それでいてこの時間帯は素朴な静けさの中に混じる水音が実に落ち着く開放的な空間となる。道の脇にはベンチがあり、街路樹の木陰になって穏やかなことだろう。ツツジの植木も長く連なって、池と地面を区切る柵と平行線を描いて道を作っていた。
急に不審な動きをする昴の顔を先生が覗き込んだ。
「どうしたの、安達君?」
「いえ、ちょっと今歩きながら寝てました」
「さすがですね」
「なにがッスか・・・」
昴は知らないだろうけれど、彼は授業中に当てられると寝たまま返事をして黒板まで歩いて問題の答えを書くという離れ業を披露する。もう一度言う。寝ているので、昴はそれを知らない。
ちなみにそのときの正答率は著しく低いので、別にそこはさすがでもなんでもない。
「まぁいいや・・・。っつかこの曲確か睡眠促進用でダウンロードしたんだったっけ・・・」
ともかく、さすがに眠ったままホテルまで歩いて帰るほどの自信はないので、昴は渋々ヘッドホンを外した。
すると、先生はひょっとすると生徒との会話を楽しみにしていたのかもしれない。急に話し出す。
「安達君の明日の試合、確か1試合目だったよね?起きれる?」
「そこら辺は先生のこと頼りにしてますよ」
「ちょっとは自分でも起きる努力をして欲しいんだけどなぁ・・・」
「努力?なにそれ美味しいの?」
「なんでよりにもよって君が真っ先に全国まで来れたのか未だに分からない・・・」
なんでもなにもない。それは昴が強かったからだ。何度でも言おう。
それに昴もこうは言っているが、実際はそれなりに努力してきた方だ。もちろん趣味に熱を入れていた結果と言ってしまえばそうなので、彼からすれば努力ではなくて遊びだったのだろうけれど。好きで鬼ごっこばかりやっていたら自然と足が速くなっていくようなものだ。
失礼なことを言われた気にはならなかったので昴も苦笑して先生の言葉を流した。
「そういえば、明日のその試合ってマンティオ学園の男の子でしょ?知り合いなんじゃない?」
「そうッスね、合宿でも一緒に行動してました」
昴はあの少年の顔を思い浮かべて少しだけ気が引き締まった気がした。
正直、彼は強い。なにもなしにあれだけやれるようなヤツはそういないだろう。全国大会に入って初めての強敵との試合となるはずだ。遠距離の有利も小細工なしにキープし続けるのは至難だろう。
「もしかしたら負けっかもですねぇ」
「戦う前からそんな風に言わないでくださいよ・・・。君だってライセンサーなんだから同じ土俵に立っているわけだし」
それはそうだが、素質が違う。
だが、昴だって簡単に負けてやるつもりはない。というよりむしろ勝ちに行くつもりだ。なにせこう見えて昴はこの全国大会、それなりに狙っているのだ。
1年生の部というのは往々にして一般の部と比べれば選手ごとの力の差が小さいものである。もちろん今年に限ってはとびきりの例外がいるが、それを除けば昴も頑張り次第ということだ。
「期待された分は頑張りますって。それよか先生、今更なんだけどこんなヘラヘラ歩いてて大丈夫なんですかね?」
「というと?」
「通り魔ですよ。今出てこられたら詰んでないです?」
「あぁ・・・確かに。それじゃあ、ちょっと急いで歩きましょうか―――」
昴が話を出したのがなにかの因果をねじ曲げてしまったのかもしれない。先生が足を速めたのとほぼ同時、前方の茂みが不自然に揺れた。
「ひっ!?」
先生は短い悲鳴を上げて身を縮こまらせる。昴もさすがに足を止め、その茂みを注視する
まさか自分の言葉がフラグを立てでもしたのだろうかと昴は冷や汗を垂らした。言葉には力があるのですなどと言われても、効力が強すぎる。こんな即効性のある言霊なんて良い迷惑だ。
「マジだったら冗談キツいぞ・・・」
茂みから急に出てこられても対応出来るように昴は上着の内側から魔銃を取り出して、両手で構えた。
例の通り魔事件の犯人だったなら茂みに背を向けるわけにもいかず、後ずさりしながら道を引き返すにもこの遊歩道はやたらと一本道が長い。
「先生、とりあえず大人の意地を見せてくださいよ。ゴー」
「い、いやですよ!」
「じゃあせめて俺の背中に隠れるのやめてもらえます?」
「あ・・・ごめんなさい」
少なくとも学校で教師をやっている人物ならランク2は取得しているはずなのだが。
すごすごと昴の陰から出て、先生は遠くで揺れた茂みを恐る恐る見た。
「野良猫とかじゃないですかね・・・」
「じゃなかったときが恐いんですって」
「安達くん、ちょっとパンって感じに撃っちゃってみたら?」
「そっすね」
「あれ!?冗談で言っ―――」
「ぱーん・・・」
ズドンズドンとちっとも軽くない発砲音が、しかも数発立て続けに放たれた。
本気で撃ってしまえなどと言ったわけではなかったので、先生は青い顔をして口元に手を当てた。これでとんでもないことになっていたらどうすれば良いのだろうか?彼女の頭の中は既にこの場から逃げ出す算段を立てていた。
「あれ・・・出てこない。これヤバいことになってても先生の責任ってことで良いですよね」
「え、ちょっ」
「ぱーんぱーん」
「ねぇなに考えてんの安達君!?バカなの?バカなんだよね?バカ以外のなんでもないよね?」
先生は寝ぼけ眼で茂みに魔力弾を打ち込み続ける狂った男子生徒の肩を掴んだ。もし仮にあの茂みに潜んでいるのが通り魔だったとしてもこれはさすがにいけない。殺人を犯してしまえば昴の方がよほど重罪、生徒の悪事はなんとしてでも止めなければなるまい。・・・主に彼女自身の名誉のために。
しかし。
「あ、ズレた」
「ひぇっ!?」
肩を揺すられた昴の撃った弾が変な方向にズレたかと思えば、茂みからなにかピンクっぽいものが飛び出した。
そのピンクっぽいのはよく見れば人間だ。ピンクだったのは彼女の髪で、白いもこもこのパーカーとかだらしなく垂らした安っぽいイヤホンとかフリフリのスカートとか。
「なんだこの人?」
「な、なななななななんだってのはこここここっちの台詞ですよよよよよよ!!一体何発撃ってんですか逮捕しますよよよよ!!」
目を白黒させて甲高い声で絶叫する女を見た昴はゴミを見るような目をした。
もっと寝たらまともだっただろうに、クマが酷くてなんとも不健康そうな顔。さすがに度を超しているあざとい衣服は年甲斐もないだろうに、イタいとしか言いようがない。
尻餅をついたまま後ずさろうとした女は自分のイヤホンに手を絡ませてすっ転び、あまつさえ引っかけたイヤホンのコードを勢いで千切ってしまった。
「って、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!ひ、人が2人もいるッ!ぁあ、これはアカンやつです!なんでわざわざこんな時間にこんなとこまで来たのに・・・!」
「あ、あのぅ、あなたは一体・・・?」
「ひぃぃぃっ、ゴメンナサイ!なにも悪い事なんて・・・いやしちゃった!しちゃったけれどもでも私は今その埋め合わせで頑張っていたところだからそれは問題ない・・・?じゃあやっぱりプラマイゼロで私はなにも悪いことなんてしてないですってばぁぁ!」
とりあえず大人な対応をしようとした先生だったが、あまりのキチガイっぷりを見せた女とではまずコミュニケーションを取ることさえ叶わない。
ゾッとした顔で先生は後ずさり、またもや昴の後ろに隠れてしまった。
「だからなんで俺の後ろに隠れんですか」
「あ、安達くんは男の子でしょ!さぁ、先生をあの人から守って!」
「・・・クソ教師」
別にコメディー的な展開というわけでもなくただ単に生徒の体を盾にし始めた教師はもう良いとして、昴は目の前の電波障害女に話しかけることにした。
会話が出来るか分からないが、とりあえず日本語は達者なようだから一応だ。
「アンタここでなにしてたんです?」
「ひぃっ!話しかけないで見ないでっ!私はなんもしてないってばって言ってるのになんで分かってくれないの!?そ、そうよ何様あなたなんの権利があって完全無欠に平和に過ごす市民に向けて銃なんか向けてんですか!」
「・・・通報するか」
「待って!それはダメ!ていうか私こそポリスメン!否、ポリスウーマン!」
「はぁ?冗談は見た目だけにしててくださいよ」
「しらっと銃口向けないで!?」
スマホ片手に無感情な瞳で銃を突き付けてくる物騒な高校生に女は両手を挙げて投降の意を示す。
「じゃあアンタなんだっての」
「だから私なんもしてないって・・・」
会話が成り立たない。苛立ってきた昴は引き金に触れる指先に力を込めた。
きちきちというスプリングの音で女はいよいよ念仏を唱え始める。
「殺さば殺せ!あぁ、私の人生はなんて無為だったのでしょうか神様!市民を守る警察官が守るべき市民の手によって殉職するとは、なんとむごい!」
「待て、アンタ本当に警察?」
「ハッ!信じてくれる?信じてくれるんです?」
昴が頷くより早く女は懐から手帳を出して、それを自信満々に見せつけた。
なぜこのときだけ彼女が生き生きするのかと言えば、それはきっとこれくらいしか彼女が堂々と自身の存在を証明できる証拠がないからだろう。
「私は警視庁の魔法事件対策課所属の小西李と申します!」
「―――しかもライセンスまで。つか・・・」
「へへん。これでも私はねぇ?あなたがここで銃をぶっ放しても―――」
乾いた銃声。
「ふゃっ!どんな神経してんですかあなた!なんで撃つんですか!?」
「いや、ホントかなって思ってですね?」
冗談みたいなやりとりだが、少なくとも李の立場は証明されてしまった。
「でもそれならどうして茂みに隠れたりなんかしたんですか」
李の正体が分かったところで安心した先生がのこのこと口を挟んできたので昴は嫌な顔をした。だが、それは昴も気になるので止めはせず、李の返事を待つ。
一方の李はおそらくは自分より年上の女性に話しかけられてますます顔色を悪くした。むしろ銃弾でも火矢でも良いから、なにかしらちょっかいをかけてきた相手の方がまだ話しやすかったりする。
今日はなにかといろいろな人に話しかけられる日だ。なんて日だ。入学式や入署式と比べれば断然マシだが、かなり最悪な日だ。せめて自分の対人スキルが成長したはずだと李は自分を慰める。
「そ、それは人が来たから・・・」
「やっぱり怪しいですね、この人。その手帳も偽造なんじゃ?通報・・・」
「それだけは聞き捨てならないですね!この手帳は間違いなく本物ですよ、ですからね!やっと落ち着いたから自販機で買ったカロリー飯でボッチ飯出来るかと思った矢先にあなたたちが現れたから隠れるしかなかったんでしょう!」
「いや、よく分かんないです」
―――昼間には千影にも散々なことを言われたっけか。
李はどうしても理解を得られないボッチ思想を悲嘆する。
先生が昴に早く帰ろうと催促し、2人は揃って苦い表情で会釈をしながら立ち去ってしまう。いや、「しまう」という表現は李からすればおかしいか。やっと立ち去ってくれた、だ。
とはいえこのまま2人を放って帰らせるのもなんとなく安心できないので、李はボッチ飯は後回しにして勇気を振り絞ることにした。今こそ市民の警護に当たるべき時である。
それに、先生は少年のことを「安達君」と呼んでいたことから恐らく明日の試合で迅雷と当たるであろう生徒、それも両者共に一央市からの出場。調べはついているので、是非とも迅雷についての情報を収集したいところだ。
実際はこっちが本命なので、李は意気込んで2人を追いかけるのだった。