episode4 sect21 ”お花摘み”
2日目の出番は全て終わっていた迅雷は、真牙やネビアら他の1年生たちと一緒に団体戦Aチームの活躍を見に来ていた。
試合時間はおよそ7分程度というとんでもない速さだったので会場は騒然である。
「さっすが、えげつないな、雪姫ちゃん」
例の拠点を内側から氷で吹っ飛ばす戦術は間違いなく被害者の心に強いトラウマとして残ることだろう。自分のいる建物の中に爆弾を投げられたのとなにが違うのだろうか。迅雷は引きつった笑みを浮かべていた。
「つっても焔先輩と萌生先輩も雪姫ちゃんのやり口を見習って拠点を爆砕してるし、やっぱ一番効果的なんだろうな、アレ」
真牙の言う通りだ。なんのために大規模攻撃が得意な選手をAチームに集めたのかと聞けば、まさしくこう言ったド派手に敵を叩き潰すために他ならない。実際にその結果を見てみればどれほどの脅威だったか分かるだろう。
言ってみれば、この「えげつない戦法」こそが期待通りの働き方なのだ。嗚呼、えげつない。
さて、Aチームの戦いが終わってしまったのだが、次はBチームの応援である。Bチームの試合が始まるまでの間には2試合ほど他の学校の試合が挟まっているので迅雷はこのまま見ているつもりだったのだが、ネビアに肩をつつかれた。
「ねぇ迅雷、カシラ。ちょっと・・・その、ついて来てもらってもいい?カシラ」
「ん?別に良いけど、なんでそんな改まった口調なのさ?」
どこかしおらしいネビアに迅雷が怪訝な顔をすると、ネビアは気まずそうな顔をして、なにも言わずに迅雷の手を掴んで立ち上がった。もちろん、そんなことをされれば迅雷も焦る。
「え、なになに、なんスか!?ハッ、まさか・・・!?い、いやでも、え、あれ・・・?」
「それが良いならそうしてあげてもいいケドね!カシラ!とりあえず来て、カシラ」
ネビアはこんなときに限ってそんなことを言い出す迅雷を少し頬を染めながら怒鳴りつける。ただ、残念だが今回はそんな青春の甘酸っぱい思い出になるようなことはないだろう。
迅雷の手を引いて観戦場の建物の外に出て人目につかなさそうな物陰に彼を連れ込んだネビアは、やっと深呼吸をした。
「こんなとこに連れてきてどうしたいんだよ・・・」
「うーん・・・それはそのぉ、カシラ」
歯切れの悪い返事をするネビアはいよいよ怪しいのだが、別にイタズラをするような顔をしているわけでもない。
迅雷から顔を逸らしてポケットに手を突っ込み、ネビアは唇を尖らせた。
別に騙していたことに罪悪感があるわけではない―――はずである。これで良いとか、これはダメだとか、そんな善悪的価値観はネビアの中には存在していない。そうでなければこんな立場に収まっていられるはずもない。だから、これは別にこれまで自分がしてきたことへの抵抗を覚えているわけではないし、これからしようとしていることへの躊躇もない。それに、これからだって騙し続ける予定だ。
ただ、迅雷を前にしていると少しだけ違和感があるだけだ。これで良いのかと。ひょっとしたら迷っているのかもしれない。
ポケットの中にある1枚のシールを触って、自分のすべきことを思い出す。仕事は仕事、サラリとこなすだけだ。どうせ、どうということもない安い追加業務なのだし、これだけで報酬があるならやってやらなくもない。
「ねぇ、その・・・迅雷、カシラ」
「お、おう?」
不意に会話を再開されて迅雷は間の抜けた顔をした。
緊張のほぐれたネビアは手首を捻るジェスチャーをしながら小さく笑う。
「ちょっち後ろ向いてもらっていい?カシラ」
「後ろを・・・?いいけど、こうか?」
なにも知らないまま背を向けてくれる迅雷を、ネビアはやんわりとした目で見つめていた。荷が重いほどの信用。これが期せずして自ら作ってしまった現実だとは未だに信じ難い。
あまりにも悔しくて体中がむず痒くなるので、ネビアはさっさと仕事を済ませることにした。
「―――ごめんね、カシラ」
●
場所は移って、団体戦出場選手用の練習場にて。
「なあ蓮太朗。なんか遅くないかね?」
「失礼ですけど柊先輩。いくら脳まで筋肉になったってジョグのペースはこんなくらいだと思いますね、ぼくは」
「よぅし、テメエちょっとついて来い」
ウォーミングアップを始める前に「お花を摘みに行ってきますわ。お待たせするのも心苦しいので、どうぞお先に始めていてくださいまし」とかなんとか言っていた矢生だったのだが、さすがに戻って来るのが遅すぎる。
ムカついたついでに蓮太朗の首根っこを掴んで引きずりながら、明日葉はどこまで行ったのかも分からない矢生を探すためにその場を智継に任せてジョグの列を離れた。
「ぢょっ、ぐ、ぐるじい!!どご行ぐ気でずが先輩!?謝るがら許じでぐだざい!!死ぬ!!」
息も血流も止まって顔が破裂しそうな、とにかく酷いことになっていたので、明日葉はさすがに蓮太朗が可哀想になって手を放してやった。まったく、世話の焼ける後輩ばかりで先輩のしがいもあるというものである。
「がふっ、げほっ!こ、殺される・・・・・・」
「なっさけねーなぁ蓮太朗は。水魔法使いなら肺活量くらい鍛えときなよ。まぁ、それはともかくだ」
生きるか死ぬかの瀬戸際だったのに適当に流されて改めて明日葉の理不尽さに蓮太朗は涙を浮かべた。いつか本当に「やっちった」くらいのノリで明日葉の卒業記念アートにされるかもしれない。
蓮太朗の遠い目を気にもせず明日葉はしゃべり続けた。
「なんか矢生のやつ遅いと思わねーか?」
「聖護院が?そういえば確かに・・・。トイレにしてもさすがに長すぎるかもしれないですね」
「あん?トイレ?なんで?」
「えっ?」
予想していなかったところで明日葉が首を傾げたので、蓮太朗も思わず聞き返してしまった。矢生は離れるときに確かに「お花を摘みに―――」と言っていたはずなのだが、聞き違えでもしたかと蓮太朗は心配になった。
生徒会副会長、すなわち崇高なる生徒会長・豊園萌生の右腕たる者、自校の生徒の言葉を聞き漏らすようなことがあってはなるまいに、ことの如何によっては辞職沙汰である。青い顔をして蓮太朗は明日葉に確認を取った。
「えっと、柊先輩。聖護院はどこへ?」
「はぁ?聞いてなかったのかよ。副会長の名も落ちたもんだなぁ、うん?」
「ぐぬぬ・・・」
「しゃーない、泣く子も黙る素晴らしい風紀委員長サマであるこの柊明日葉サンが特別にもう一回言ってやんよ。ほら、あいつお花を摘みに行くっつってたじゃんか。なんに使うのかは知んないけどさ」
「ですよね、うん。安心しました。ぼくは正しい」
―――そうそう、やっぱり聖護院矢生はお花を摘みに行った。どこへ?お花畑にでも行ったと思っているのか?
ダメだった。これはさすがに耐えられない。ジワジワと込み上がってきた可笑しさをなんとか堪えようとしても、ダメだ。我慢する蓮太朗の顔がどんどん面白いことになっていく。
「くっ、ぷっ、ぷふふ・・・・・・!こ、これは・・・これは傑作だ・・・!ぷふふふ・・・・・・」
「はぁ?なに笑ってんだよ蓮太朗、気持ちわりーな」
「い、いえ・・・ぷっ。お花畑なのはむしろ柊先輩の脳内だな、って思い・・・ぷっ、ぷぷ・・・」
言いながらさらに明日葉とお花畑というギャップがさらに可笑しくてもうタマラナイ。
ほら、明日葉も楽しそうに笑っている。
「――――――あっ」
ただし口元だけ。目が笑っていない。
蓮太朗は謝ろうとしたが、もう遅い。彼の死はここで決定した。
明日葉の周囲の空気が彼女の心の波立ちと同調してユラユラと歪んでいくのが見える。完全に瞳孔の開ききった明日葉が拳を高く振りかぶって、蓮太朗は女々しく腕で頭を守る。
が、しかし。なにを思ったのか明日葉は振り上げた腕をなにもせずに下ろした。殴られずに済んだはずなのに、蓮太朗はかえって安心できないで恐る恐るガードを解く。
「あ、あれ・・・?殴らないんですか?」
「殴って欲しかったのか?案外マゾなんだな、蓮太朗って」
「いや暴力反対ですからぼくは」
台風一過。蓮太朗はやっと安堵しつつも、らしくない落ち着きを見せた明日葉がなにを考えているのかが気になってきた。
「あの、なにか気になることでもあるんですか?聖護院がどうかしたとか」
「あぁ、なんかこう・・・イヤな予感がする」
このときの明日葉が真剣なのは蓮太朗も分かった。彼女が今のように胸焼けでもしたような顔をしているときは、大抵なにかした「よくないこと」を直感している。
「・・・柊先輩、聖護院が行ったのはトイレのはずです」
「分かったから黙ってついてこい。戦力は多い方がいい気がするんだよ」
ズカズカと練習場内の公衆トイレに向かう明日葉に蓮太朗は素直に従った。
トイレの小さな建物に着いて、すぐにその周囲を見て回り、2人はなにもないことを確認した。次は建物の中だ。女子トイレなので明日葉は蓮太朗を外で待機させる。
ただし、呼ばれたときにはすぐ突撃出来るように蓮太朗も身構える。
けれど呼ばれるような事態にはならず、間もなくして明日葉が女子トイレから出てきた。
「どうでしたか?」
「いや・・・なんにも。アタシの勘違いだったのかもしんないな。それか、アタシらと擦れ違っちゃってもう矢生はあっちと合流してるか」
無理に連行してきた蓮太朗に申し訳なく思って明日葉は頭を掻いたが、その直後だった。
「おい、おいッ!しっかりしろ!!大丈夫か!?」
「「――――――ッ!?」」
公衆トイレから少し離れたところから男性のひっくり返った声が聞こえてきた。それに明日葉と蓮太朗は揃ってその方向を振り向く。
今の声はマンティオ学園のサポーターである川内兼平の声だった。
「柊先輩、行きましょう!」
「分かってるよ、ちくしょう!」
2人は走り出し、声のした方へ。今の叫び声を聞いた人々が野次馬となって同じ場所を目指しており、邪魔くさくてどうしようもない。
「しゃらくさい!見てるだけならすっこんでろ、アンタらは!」
のろのろフラフラと歩いて道を塞ぐ緊張感の欠片もない野次馬をどかすために明日葉は吠えて、それでもどかない連中の首根っこを掴んでは横合いに投げ飛ばして走る。蓮太朗も今だけは彼女の暴挙を咎めはしなかった。
木陰の中を潜り、やがて声の主の姿が見えてくる。