episode4 sect17 ”独りじゃないと”
「ねぇねぇ天田さん、一緒に夕食でもいかがかな?カシラ」
「は?なんであたしがあんたと。いつもの連中で行きゃ良いでしょ」
ネビアの誘いを雪姫はベッドに寝そべったまま峻拒した。
ホテルの部屋に戻ってからはこの調子である。ネビアが話しかけ、雪姫が苛ついた口調で断る。
「そんなに全力で断らなくても良いのに、カシラ。あれなら奢っても良いのよ?カシラ」
「・・・・・・・・・・・・」
遂に返事もなし。やり場のない気持ちにやきもきしてネビアはベッドの上でじたばたと暴れてみたが、騒いだところで雪姫も振り向いてはくれない。
自分にそんな権利があるのか分からない。でも、このままでは結局なんの答えも得られないまま終わってしまいそうで、ネビアはその方がもっと恐いのだ。
「天田さーん。ゆーきちゃーん。2人っきりなのに無視は寂しいんだゾ、カシラ」
「・・・・・・・・・・・・チッ」
―――いや、うん。無視ではなくなった。なくなったのだけれども・・・。
どうせネビアが拗ねているのだって気付いているくせに、雪姫は頑ななまでにドライであり続けるのだ。彼女の心を解かせたいのに、なんの手がかりもない。
見つけられないのではなく、ネビアには一切ないのだ。
でも、それでも。ネビアは小さく吐息を響かせた。親しくなりたいなんて思ったりはしない。ただ、もう二度と言葉を交わせず、互いの視線すら擦れ違わせることがなくなるとしても、せめて今の気持ちの片鱗だけでも伝えたかった。そのことに価値がなくても、なにも得られなくても。
せっかくまた―――雪姫は分からないだろうけれど―――また、会えたのに。
「ねぇ、雪姫ちゃん、カシラ」
これなら反応するかな、と思って、ネビアは敢えて殺気立った声を出した。案の定知覚過敏な雪姫はそれに気付いておもむろに振り返ってくれた。
殺伐としたコミュニケーションにはネビアでも苦笑いせずにはいられない。
「やっとこっち向いてくれた、カシラ。ねぇ、ご飯行こうよ、カシラ。雪姫ちゃんもどうせ食べに行くんでしょ?カシラ」
「あんたは・・・。食べるけど一緒には行かないっつってんでしょうが」
「生徒会長さんも言ってたよね、カシラ。3人以上で移動してねーって、カシラ。まぁ結局2人になっちゃうけど、1人よりは安全でしょ?カシラ」
「1人でいい。―――1人がいい」
「なんかあったら私が全力で助けてあげるからさぁ、ね?カシラ――――――」
そう言った瞬間、ネビアの首筋に冷たい刃が当てられた。
それがただの荒削りの氷の塊と気付くのは少し遅れてから。本物の刀のように斬れそうなほど鋭利な氷の刃が、雪姫の手元から発せられてネビアへと伸びていた。
それも良いかと思うネビアの感情は雪姫の言葉に否定される。
「冗談じゃない・・・。次言ったらブッ飛ばす」
氷の刃が甲高い音と共に崩れ、消えた。
ネビアは雪姫の目を見て、動けなかった。なんなのだろうか、あの目は。ただの憐れな少女と思っていたはずなのに―――。
いつもはあんなに冷え切った色の瞳が、今だけは炎のように蒼かった。歪んだ彼女の深淵が一瞬だけ表出したように見えた。
すぐにまたネビアに背を向け、雪姫はもうなにも言わなかった。
ネビアも、もう自分の手が目の前で寝ているだけの少女にすら届かないことを痛感した。諦めてベッドから降りる。どうしようも、なかった。
「じゃあ、行ってくるね、カシラ」
ガチャリ、と開いたドアが閉まる音が聞こえる。いつになくしつこかったネビアもやっと折れてくれたようで、今は隣の部屋にいる迅雷と真牙に声をかけているようだ。声が聞こえるから分かる。
雪姫はベッドの上で独り、膝を抱えて丸くなった。
「ふざけんな・・・ふざけんなふざけんなふざけんな・・・」
やはり、雪姫はネビア・アネガメントという人間だけは嫌いだった。よく分からないが、ふとした瞬間に手が出てしまうほどには嫌いだ。
あれのおせっかいは、一部のクラスメートたちが厚意のつもりで吹っ掛けてくるそれと、少しだけ違う。勝手な想像のまま雪姫を扱いたがる鬱陶しさと親身さ。
一人で良いとあれほど言っているのに。
もう隣の部屋は静かになった。どこに行くとかの話はしていなかったようだが。
なんにせよ、腹が立っているときは美味しいものでも食べに行くのが一番良い。
「あたしもなんか食べに行こっか・・・」
置いていたスマホを取って、雪姫は「近くのレストラン」で検索をかけた。大会中くらいは少し奮発しようかな、などと考える。それに、そういう店に行けば知り合いがいる可能性も低いだろうからだ。
「―――ここが良いかな。ちょい遠めだし」
奮発すると言っても、やっぱりあと3日はある大会なので少しは節制。ちょうど良いのは一食1800円くらいの店だろうか。
決めたところで雪姫はベッドから立ち上がり、小さな斜め掛けのバッグに財布と携帯電話を突っ込む。最後に学校のユニフォームの上に薄い水色のパーカーを羽織ってから部屋を出た。
しかし、廊下に出ると結局というか、また面倒な人物と鉢合わせになってしまう。
「あら、天田さん。今から晩ご飯?」
「・・・そうですけど」
あまりしゃべるとしつこそうなので、雪姫は返事だけしつつ足は止めないで真波の横を通り過ぎることにした。
けれど、そう上手くスルー出来ないらしい―――。
「もしかして1人?ダメよー?危ないって言ってたでしょ?うーん、そうねぇ・・・仕方ないっ!今日は私の奢りよ!たらふく食べ―――」
―――ということもなかったらしい。悩むフリをする真波が目を閉じた隙に雪姫はそそくさとその場を離れた。追いかけてくる足音が聞こえたが、すぐに転んだらしく派手な音とみっともない叫び声が聞こえた。
もっとも、転んだのは雪姫の思惑通りだ。どうせ真波が追いかけてくるのは分かっていたので、雪姫は適当なところで爪先が当たるように氷を置いておいたのだ。今頃は転げ落ちて目でも回しているだろう。
雪姫は大きな溜息を1つ吐いた。ネビアも真波も奢る奢ると、なぜそうまでして雪姫に近付こうとするのだろうか。金が余っているなら贅沢でもしていればいいものを、いちいち追い払わなくてはならないこちらの身にもなって欲しいというものだ。
嘆息をする。もう今まで何千何万繰り返したかも分からない。ひたすら、嘆息だけをする。
ホテルから出て、夜道をしばらく歩く。無警戒な人の多さを気にしているうちに目的の店についた。店内にはそれなりな人がいるが、学生は少ないように見える。予想通りだった。
店内に入るとウェイトレスが人数を確認してくるので、1人だと答えるとウェイトレスまで同情するような目を向けてきた。
「―――なにか?」
普通に考えてここに1人で来る高校生なんていないだろう。それは分かるが、だからといって客にそういう目をするのもいただけない。・・・雪姫が人に言えたことか、とかそういうことは気にしてはいけない。
癪に障った雪姫が視線のナイフをウェイトレスに突き立てると、短い悲鳴と共に事態は丸く収まるのだった。
そうして雪姫が涙目のウェイトレスに席を案内させていると、彼女は通り過ぎる座席に最悪なものを見つけてしまった。
見るより先に聞こえてきたのは会話だった。声は男女両方、計6人か。
「なんかお兄ちゃん気のせいか家出発したときより元気じゃない?」
「それはアレだよナオ、ボクが帰ってきて嬉しいからだよ。ねー、とっしー」
「思い上がるなよちんちくりん。試合に勝ったから機嫌が良いんだよ」
「迅雷も素直じゃないのねー、うふふー」
「迅雷もロリコンねー、うふふー、カシラ」
「オレは千影たんに会えて嬉しいよー!」
少なくとも間違いなくクラスメートであると思われる人物が3人。そして横を通り過ぎる瞬間、極力視線を向けないように雪姫は気を付けるのだけれど、彼女が頑張ったところで都合良くはいかない。
「真牙は別に女の子なら―――って、あれれ?なんだ、雪姫ちゃんも来ちゃった?カシラ」
テーブルの端の席に座っていたネビアが気付いて声をかけてきた。
心の底から嫌そうな目で雪姫はそちらを睨んでやった。声で分かったクラスメートの連中に加え、小さい金髪の音なのとくしゃっとした前髪の少女は何度か見かけたので知っている。知らないのは、落ち着いた―――というよりなにも考えていなさそうな女性だけ。
しかし、綺麗な黒髪の印象やら迅雷とその女性のやり取りを鑑みる分には彼の母親であると思われる。
なるほど、家庭にもよるが、確かに親が来ていれば金をケチらずにこういう店にも来ようとなるだろう。全国大会ともなれば親が応援しに来る生徒なんていくらでもいるだろうに、思い至らなかったことが雪姫には酷く悔しかった。
ネビアに続いて迅雷や真牙が雪姫を見て、それから雪姫との面識はないも同然の直華が頭を軽く会釈した。千影はいつも通りの無礼講。
しかし、雪姫を見た真名の反応はどこか懐かしげに目を細めてからだった。
「あらー・・・。どうも、こんばんはー」
雪姫は当然すぐに彼らから目を背けた。きっとさっきウェイトレスが彼女に同情するような目をしたのは、迅雷らが雪姫のパーカーの下に見えたものと同じジャージを着て来店してきたから、というのもあったのだろう。
「せっかくだし雪姫ちゃんも一緒にどうよ」
どうせ奢られる側のはずの真牙がそんなことを言い出したが、真名もそれを快く聞き入れて、また雪姫の顔を見た。無理に視線を合わせることを求めない柔和な微笑みだった。
「えっとー、雪姫ちゃん。うちと一緒にどうかな?人は多い方が楽しいと思うよ?」
「――――――いえ、お構いなく」
ウェイトレスがこんなときはどうしたら良いのだろうか、とあたふたしている。どうせどのテーブルも大きくて6人席なのだから雪姫を加えるスペースなんてないだろうに。いや、その場合は3、4人で分けるなりさせてテーブルを2つ、なんて風に考えているのかもしれない。
いずれにせよ、雪姫としてはそんな心遣いはどうでも良かった。妙に居心地の良さそうな目をしている迅雷の母親とは雪姫もこれ以上会話したくなかった。目が合うだけで心が波立つ。
あれは人に分けられるほど幸福な人間の目だ。端的に言って疎ましい。
ウェイトレスに、ちゃんと、別の席を案内するよう頼んで雪姫は遂にその場を立ち去った。
最後まで5人分の寂しげな視線と1人分の日差しのような柔らかくて暖かい視線が彼女の背中を追いかけていた。