リーチ・フォー・ザ・スカイ❷
ヴァンガーデンは戦車部隊の隊長も務め、二百台の先頭で歩兵部隊の後ろ姿を見つめていた。
「いよいよだな」
敵陣の第二防御バリアを突破したという報告を受けた彼は、眼の前の空間に指先を使って二等辺三角形を描いた。空間モニターだ。その頂点を人差し指でフリックして一八〇度回転させた。敵陣から見た己の陣形を再確認するためだ。画面をダブルタップして戦況をしばし見つめた。
「クログモは、いい仕事をしてくれた。戻ったらおいしい地球人の脳みそを与えよう」
地球人か。ヴァンガーデンは、地球人が大嫌いなのだ。
この星の歴史は数億年前にさかのぼる。地球人がやって来る前は平和だった。その昔、ヴァンガーデンとポッツォヴィーボ両一族にとってかけがえのない美しい棲家だった。ところがどうだろう。地球人どもがやって来ると戦争が始まった。彼らは我々を支配しようとした。自分たちが住める星にしたかったのだ。
地球人がどこからやって来たのか、特殊高速探査機で歴史の流れを逆流させて調査してみた。数億光年の過去までさかのぼるのは、かなり困難な作業ではあった。
判明したのは、カロンかガニメデあたりの星からやって来たということくらいだった。彼らも地球人によって絶滅させられたのか。ヴァンガーデンは、カロン人やガニメデ人らのことは詳しくは知らなかったが、地球人という残虐な生物ならやりそうなことだと思えた。
「ひどい奴らだ」眉間にシワを寄せ、彼は独り言のように呟いて、両手をきつく閉じた。
そして土煙を立てながら隣を走る戦車に向かって、彼は高々と手を上げた。「第三防御バリアの崩壊も間近だ。その前に、あそこにいる守護神らの残党を一掃しろ」
守護神の長はなかなか手強い。クログモが全滅せぬよう、別の兵にまかせるのが得策だ。
ヴァンガーデンは、もしものことを考えた。もしも、クログモや歩兵らが全滅したら。もしも、戦車部隊が壊滅状態になったら。もしも、この攻撃が失敗に終わったら。もしも……。
もしも、はあり得る。
ヴァンガーデンの合図で、隣の戦車からひとりの女兵士が現れた。
迷彩服姿の彼女は長い髪を風になびかせながら、両手を前方へかざしてみせた。あたかも拳銃でも撃つかのように親指を立て人差し指をポッツォヴィーボの砦へ向け、「私があそこへ攻撃を仕掛けてみせるわ」と指し示している。彼女の任務は、敵陣の守護神を一掃すること。
すると二百台の戦車が速度を緩め始めた。大平原を覆った灰色の土煙が徐々に消えていく。やがて戦車の大軍は息を呑むように止まった。
辺りに静寂が戻り、緊張感だけが残った。そして、どこからともなく風が吹いてきた。
「キャッホー!」
戦車部隊が見守る中、女兵士の乗った一台だけが轟音とともに敵陣へ突っ込んでいく。猛スピードで後方から走ってくる戦車に、三万人の歩兵部隊は左右半分づつに分かれた。歩兵のなかには、自分たちの手柄を女に横取りされることに少しばかり腹を立てていたし、それに本当に女が守護神を皆殺しにできるのか疑心暗鬼でもあった。しかし、ヴァンガーデン様の指令には逆らえない。女を乗せた戦車が、敵陣の第三バリアへ突っ込んでいくのをしばし見送った。
一方、守護神バルデが籠の蓋を開けようとしたとき、背後に殺気を感じた。彼は振り向かずに腰にぶら下げた短剣を抜いた。背後からクログモが近づいていた。あと少し遅かったならば、その餌食になっていただろう。しかし、バルデは背後に近づくクログモの体長、位置、角度を頭のなかでイメージしながら、コンマ数秒で後ろ向きのままで相手の急所へ短剣を突き刺した。
見事な一撃。
怒っているような、泣いているような奇妙な叫び声をあげながら、クログモは大地に沈んだ。
「ふー。危なかった。早く籠を」
バルデが蓋を開けると、蚊のような小さな虫が数匹飛び出した。いや、蚊ではない。空中でその姿はみるみる大きくなった。鳥だ。カラスだ。いや、怪物だ。
アカガラス。体長はおよそ七メートル。グレー色のくちばしと、黒くて大きな目をしていて、体や羽は真っ赤である。
「おお」バルデは言葉にならないうめき声を発して、空中で大きな羽を広げている三羽のアカガラスに見とれた。いつだったか、ポッツォヴィーボ様が話してくれたことを思い出していた。
「空中を制する者がこの世を支配できる」と。
もし、死んだらカラスになりたい。バルデは思った。大空を飛び、自由であり、家族や仲間を大切にする。天敵はほとんどいない。アカガラスの姿は、彼にとって夢であり、憧れであり、象徴でもあった。
束縛されず、属されない、自由な存在。
しかし、実際にはそれほどいい生物ではない。「アカガラスは死神の使徒なのだ」とポッツォヴィーボ様は語った。「その昔、人間とともにこの星にやってきた。クモとカラスと……」。
今や、それらは死をこの世に散蒔く恐ろしい生き物になった。
アカガラスにとっては、自分たちを攻撃してくる者はいかなる場合でも敵であり、いや、自分たち以外のすべての生物が敵なのである。すべてが攻撃の対象であり、生きるか死ぬか、決死の覚悟で戦うのだった。だからこそ、ポッツォヴィーボは城のなかではなく、防御バリアで籠の蓋を開けるように指示したのである。バルデは宙に舞う彼らの視界からできるだけ自分を遠ざけるように岩陰に身を潜め戦況を見守ることにした。
空中から前方へ視線を移すと、もうすぐそこに敵の歩兵部隊が近づいていた。
ザ、ザ、ザ。
すると、どうだろう。一斉に敵が立ち止まったではないか。そして、みなが空中を見上げて震えている。彼らもまたアカガラスの恐ろしさを知っていたのだ。
あと少しで城を攻略できるはずだった。ヴァンガーデン一族の勝利は目前だった。胸を張って行軍できたはずだ。威風堂々。この戦は彼らの名声を宇宙史に燦然と輝かせ、永遠に語り継がれるに違いなかった。が、たった三羽のアカガラスが三万人の部隊を唸らせ、沈ませた。「こんなはずではなかった」みながそう感じただろう。勝利が敗北へと一転したのだ。
しかし、クログモは違った。守護神によって半数は倒されてしまったが、まだ十五匹残っている。戦うには十分な戦力である。彼らはアカガラスに向かって雄叫びをあげた。
ついにクログモ対アカガラスの戦闘が始まった。