ロンドン滞在記❷
異国の地で生活したいならば、その国の言語を覚えなければいけない。
少なくとも日常会話くらいはできたほうがいいだろう。僕の場合は英語だ。口の中で舌を巻きながらモゴモゴ言うアメリカ英語とは違う。クイーンズ・イングリッシュというやつ。例えば、ロンドン近郊の英語学校へ通うのもいいけれど、勉強するならば、まずはいちばんの関心事がいい。というわけで、テレビは唯一の友だち。というか、自分にとって頼れる英語教師みたいな存在となった。
七時のニュースと天気予報。「今日は雨のち曇り、ときどき晴れ」。
それにしても、テレビにはうんざりだわな。
雨と曇りと晴れ、ね。これならば天気キャスターでなくても、予想はできてしまう。さらに、日本の天気予報ならば、たいていカワイイ女の子がニコニコしながら「晴れるでしょう」などと優しく教えてくれるのに、こちらは、まるでジャーナリストのような険しい顔して「シャワーのような雨になるかもしれないぞ」と注意するものだから、うんざりさせられてしまうのだった。それが唯一の不満だ。天気予報は自分にとって英語の先生みたいな存在だけれど、苦みばしった怖い表情のジャーナリストよりも、アイドルのような笑顔のステキな女の子のほうがいいに決まっている。
以前はこんなに真剣に天気予報を見ることはなかった。日本にいたときは「今日の天気はどうかな?」という程度の軽い気持ちというか、別段、晴れようが雨になろうが、自分の人生に影響を及ぼすほどのことではなかった。それが、ロンドンに来てからどうだろう。ガラリと変わってしまった。
雨、雨。今日も雨。正直言って、初めのころは雨ばかりで気が滅入ってしまった。「いつ晴れるのかな」それが、ちょっとした心配事になり、常時気にしていると、やがてそれは心のなかを支配し、身体中に染み込み、不安と憂鬱と希望となる。まるで遠足の前日に子どもらが抱くような気分を、大人の僕もここで毎日味わっている。
でも生活してみると、雨が降ってもそのうち晴れると分かってくる。一日の中で天気がめまぐるしく変化するのだ。ジャーナリストのようなキャスターの英語は「苦しいときや悲しいときもあれば、楽しいこともあるさ。辛抱することも慣れてほしい」と厳しい口調で訴えかけてくるようだった。いちばん手軽な話題で英語を勉強しようと見始めたわけだけれど、ロンドンの天気予報は人生のプラクティスをも僕に用意してくれているのだった。
「ガンバレ!」
天気予報が自分を励ます。その期待に応えるわけではないけれど、英語のリスニングと単語の勉強のため、テレビにしがみつくようにしてキャスターの一言一句に耳を傾けるのであった。
そして、天気予報とともに僕を驚かせたのは、紅茶である。
東京にいるとき、目覚めはコーヒーだったけれど、こちらでは紅茶と決めている。それもアールグレイだ。
たかが紅茶、と思うなかれ。
驚いたことに、英国で飲む紅茶は格別うまい。なぜおいしいかというと日本と英国の違いは、紅茶ではなく水にあった。それに気がついたのは滞在1週間目くらいだったろうか。青天の霹靂。ポットの底に沈んでいる白い粉のようなものを発見したのだ。「一体、これは!」断っておくが、自分は化学者でも考古学者でもなければ、シャーロック・ホームズでもないが、魔法の水を発見したのだ。驚いた。石灰まじりのような水道水はそのままではまずくて飲めやしない。ところが、そのまずい水道水を沸かすと紅茶にはなぜかよく合うということが分かった。まったく不思議である。
ひととおりの儀式を終え、アールグレイを飲み干した後、ゆっくりB&B(ベッド&ブレックファースト)のベッドから出て二階の窓辺から外の様子をうかがう。窓ガラスに映る雨のしずくを見てため息ひとつ。果たしてこの雨は止むだろうか。その雨のしずくのひとつに、なぜか、きれいなものが見えた。
小さな虹だ。
その向こう側に街並み。
人も車もまばら。いたって静かなロンドンの朝。
それが八時過ぎた辺りから様相がガラリと一変する。観光客で道も商店もごったがえすのだ。人も車も往来が激しくなり、「忙しい」と呪文でも唱えるかのように訴えかけてくるから、自分のほうも、つい気持ちが急かされてしまう。周囲の雰囲気に惑わされてしまうというか、飲まれていくというか、何か忙しくしていないといけないのではないか、と思って気があせってしまう。そういえば、日本にいたときも事あるごとに「忙しい」と嘆いていたっけ。その癖がこちらへ来てもまだ残っている。
日本にいた時は、早朝五時に家を出て、始発のその次の列車に乗っていた。始発はイヤだ。前夜、居酒屋で飲み明かした若者たちやホテル帰りのアベック、夜の商売の女性らが座席にもたれながら居眠りをしていて、車内は酒臭い。だから、乗るんだったら二番電車と決めていた。
いつも、同じ列車で同じ場所から乗ると、車内でよく見かける乗客の面々。
例えば、二十代の若い女性。肩まで伸びたウェーブのかかった長い髪。黒ぶちメガネが今イチだけど清楚な印象がある。毎朝違う服で着飾っているあたり、裕福な家のお嬢様という雰囲気だ。ダイエットなど気にならないと思えるスリムな体型をしていて、脚も細くてきれい。いつも文庫本を手にして僕が見つめていることなど何食わぬ顔だ。こういう女の子は大会社の重役秘書か、いつも笑顔を振りまく男性社員あこがれの受付嬢か、いずれにせよ、エリート社員との社内婚も夢ではない。安月給の自分には縁のない遠い世界の王女様に違いない。たぶん、そうだろう。
一方、右側の端の席に座る、薄くなった髪をポマードでぴったりと固めた中年男性。型崩れした古着のような背広を毎日着ている。叩くと埃が出そう。茶色の手さげカバンも使い古されていて角がほころびている。その中身は分からないけれど、大した物はなさそうだ。年齢、身なり、カバンなどから、仕事にほどほど疲れ果てた感じで、上司から怒られ、同僚の不平・不満を聞き、後輩の悩み相談を受けながら、その歳になっても課長クラスのうだつの上がらないサラリーマンといった印象を受ける。その男性を毎日見ながら、近い将来、自分も同じような中年になってしまうのかな、と思っていた。
でも、三十過ぎてもまだ独身の僕とは違い、彼には奥さんがいて、子どもがいて、家庭というものがあるだろう。それだけで、地道に幸せな人生を送れるような気がするし、ちょっぴり羨ましいとも感じていた。そろそろ自分も結婚して『安定』とか『平凡』とかいう名の人生を歩もうか。
そんなことを考えながら、早朝、電車に揺られて通勤する毎日。始発にしろ二番電車にせよ、大きな差はなくて、通勤ラッシュ時よりはマシという程度で、僕の気持ちは下降線をたどるばかり。
このままでいいのか。
そんな疑問を抱くようになった。自分のことだけでなく、周囲にも、世の中にもなぜかウンザリさせられていた。何もしないで後悔するよりも、どうせ後悔するならば、何かやったほうがいいかなと思い、それでもういちど夢を追いかけることに決めた。子どものころからの夢。心の中で悩んでばかりいてはダメだと思い、すぐに行動へ移したのだった。
死ぬ前に、何か特別なことをしようと。
「なぜ、辞めるのかね」
渋い表情の上司が尋ねてきたときは、用意しておいた通り、迷わずに答えることができた。
「体調があまり良くないので」
実際、社内の定期診断では、レントゲンの結果、右胸部に黒いカゲができているから大きな病院で精密検査を受けるように、と言われた。その後カゼをひいていないにもかかわらず咳きがよく出るようになった。まぁ、咳きくらいなら大丈夫だと、別段、気にはしてはいなかったけれど、医者の診断だから仕方がない。僕はそれを理由にした。
「バカだな」
上司は一言だけ呟いて机の前の書類に目を落とした。僕はきびすを返すように自分の席へ戻り、身支度を終えて仲間に最後の挨拶を済まし、会社を出たときは「ついにやった」とガッツポーズを決めた。それでも、すれ違うサラリーマンやOLを横目で見て、メロディになっていない口笛を吹きながら、もう後戻りはできないと感じ、せつなさとちょっぴり後悔が複雑に交じり合って悲しい気分になってしまったりもした。すると、どこからか爆音が聞こえてくるではないか。見上げると、夕暮れの空を赤色のランプを点滅させながらジェット機が飛んでいくのが見えた。その光景を見つめながら心の中で、新たな旅立ち、スタートだなと自分に言い聞かせるのだった。
そこまでは良かったのだけれど、しかし、会社を辞めて半月も経たないうちに、思わぬ展開が待ち受けていた。
彼女にフラれた。
ロンドンへ来たのは仕事に疲れ果てたというより、そちらの理由のほうが大きい。高校時代のクラスメイトだった。十年以上付き合っていた彼女と別れた。別々の大学へ進学してから一度別れたのだけれど社会人になってから同窓会で彼女と久しぶりに会い、復縁。それ以来、同棲するようになった。
元々自分の気持ちをあまり表面に出さないほうだったし、二人だけの個人的な問題を口外することもなかったので、親しい友人や周囲の人たちは「僕が彼女をフった」と思ったかもしれない。まぁ、自分が悪者になってもちっともかまわない。どちらがどうしたっていうことはあまり重要ではなくて、別れたという事実がすべてだ。それにしても自分の中では「なぜ。どうして?」という思いも強く、彼女が僕から去った理由をいろいろ考えたけれど、想像の域を脱しなかったし、彼女自身から別れる理由を聞いたところで、それが本当の理由なのかと疑っただろう。
つまり、結論はフラれたのだ。二度目の別れ。悲しみや辛さと引き換えに、自分の夢を実現させることで忘れたかった。たいていの人が一度くらいは「死にたい」と思ったことがあるように、僕も日本にいたら、たぶんダメだったろう。
閉話休題。
いつものように二、三時間も経たないうちに晴れるだろうと、たかをくくって傘を持たずに外へ出た。東京の生活と引き換えに手に入れたひとりの時間。早朝のロンドンを散歩できるなんて、人生まんざら捨てたものではない。
時刻は朝8時過ぎ。
灰色の雲に覆われた空から落ちてくる無数の霧雨を見上げながら、傘などささずにピカデリーサーカス通り付近をブラブラ歩くことにした。
行き交う人々を見ていると、様々な国からやって来ていることに驚かされる。ヨーロッパ各国をはじめ、アフリカ系、中東アジア系。実際にどこの国の人なのかは分からないことが多いけれど、顔立ちや服装で何となく想像はできる。例えば、アラブ人と頭の上にキッパをつけたイスラエル人がいる。それだけでも、僕にとっては十分に国際的な街だと思える。さらにはフランスやドイツ、ロシアや北欧などヨーロッパ各国の近隣さんとともに、インド人、中国人など様々な人たちが闊歩している。まるで、野菜や肉や魚のごった煮のスープみたいだ。いろいろな味がする。それをもって、おいしいと思うかまずいと判断するか、それはその人の趣向、価値観だろう。
実際、日本では英国の飯はまずいと言われているにもかかわらず、カレーライスや中華料理やスパゲッティなどはとてもうまい。東京で味わうそれよりもうまい! と思う。それでも、まだ三か月。偉そうなことは言えまい。
僕は方向音痴ということも手伝って、いまだにロンドン市内で道に迷うことがある。毎日歩いているのに、だ。そういうときは、日本から持参したガイドブックを見るか、思い切って近くにいる人(その人が英国人かどうかは話しかけてみないと分からない)にカタコトの英語で声をかける。ときどき、外国人観光客に声をかけてしまい、向こうも驚くことがしばしばある。
英国人と他のヨーロッパ諸国の人たちとの見分け方なんて、僕には分からない。
声をかけられた外国人は、中国人かアジアのどこかの国のやつから、ヘンテコなカタコト英語で突然、道を聞かれるわけだから非常に驚くわけ。もし東京で、仮に自分が中国人だとして、アラブ人から変な日本語で道を聞かれたらやっぱり驚くだろうな。
さて、人によってロンドンのイメージは異なるに違いないが、例えば『紳士の国』『日本と同じ島国』『女王陛下の国』などと、英国を単一のイメージで見ること、語ることは実際は不可能に近い。『紳士』の一方でモンティパイソン・シリーズなどのブラックジョークを含む『コメディの国』でもあったりする。そうそう。東京の隅田川・神田川を連想させるテムズ河を望むたびに、古典的名著『ボートの三人男』(J・K・ジェローム)を思い出してしまう。いつだったか、数人の地元の人たちと話しをしたとき、日本の自動車や電化製品を意識してか「英国は、蒸気機関車を発明したんだぞ」と異口同音に胸を張るのには閉口してしまった。マジなのか、ジョークなのか?
それでも、あえて、ここに立ったときの感覚を言葉にしてみると、たぶん、孤独感、一人ぼっちという感じかな。いや、そうした空虚感に浸りたい、楽しみたい、あるいは、辛抱するのも苦にならない、そんな人々に愛される所なのかもしれない。
カッコつけているわけではなく、本当にそう思うのだ。
なぜなら、ロンドンは東京に似ているから。東京と大きく異なる点は、遊び場が少ないことだろう。パチンコもなければ、かわいい子が集まるナンパのスポットもない。実にマジメな街だ。映画館とミュージカルを見せる劇場、それからサッカーは盛んだが、まぁ、僕にとってはパブと公園だけで十分だ。もっとも滞在三ヵ月くらいでロンドンの隅々まで分かるはずもないけれど、少なくとも、東京(あるいは日本)のような、観光スポットやイベントなどを目玉にした、商業主義的観光都市でないことは確かだ。
東京と似ているようで似ていないのである。
歴史的繁栄と荒廃の葛藤が渦巻く大都市という匂いがプンプンする。多文化を共有しつつ、曖昧な関わり合いと反発。あるいは個人と社会、現実と理想、過去と未来のアンバランスな感覚。ダークなイメージ。ひとつのジャンルにとらわれない多様な文化性が、世界中から多くの外国人旅行者が訪れる国際都市を象徴している。
まったく奇跡的に、日本からやって来た男がスペインからやって来た女の子に出会う。ボーイ・ミーツ・ガール。これもまたロンドンならではのことなのかもしれない。