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リーチ・フォー・ザ・スカイ❶

 それは、遥か東の彼方にある森の中から聞こえてきた。


 悲鳴だった。絶叫だった。絶望のどん底から助けを求める叫び声だった。それがしだいにウーウーという唸り声に変わり、やがて森はいつもの静寂に包まれた。が、しばらくするとまた同じような悲鳴が響き渡った。ひとりではない。幾人もの声が重なり合い、増幅され、拡大され、十キロ以上離れた場所からでも、それはハッキリと聞くことができた。


 「人間だな、あれは」城の中腹にある見張り台に立ったポッツォヴィーボは言った。


 森の彼方から聞こえるそれらの声は、人に間違いなかった。男は顎に手をやり、それらの声に耳を傾けていた。「怖いわ」彼の横にいたジュリアが言った。彼女は震えながらポッツォヴィーボの体に寄り添った。


 北北西から吹く風に肩まで伸びた長髪をなびかせ、厚手のマントを纏った男は凛とした態度で立っている。身長一八〇センチ以上の長身で、筋肉質の体格だ。横にいる女は小柄で髪はショート。いかにも華奢きゃしゃで、シースルーのドレスから見えるのは小ぶりの胸だった。感情の起伏が大きく、すぐ表に出るタイプらしい。森の叫び声に怯えきっている。


「伝説か」ポッツォヴィーボは独り言のように言った。


 数千万年の昔、彼らの先祖はこの星にやって来たという言い伝えである。「確か、地球とかいう星からだったよな」ジュリアに問いかける。が、彼女は体を硬直させて怯えているだけ。「フン」と鼻をならして、彼はまた遥か彼方の森を見つめた。「大きなクログモが人間を襲っているに違いない。彼らの頭が大好物だからな」「やめて、そんな話は」ジュリアはただ怖がるばかりで城の主であり、自分の夫でもあるポッツォヴィーボにすがり付いている。巨大なクログモが人間の頭を食うシーンを想像しただけでも、鳥肌が立った。


 それにしても、敵はいつ攻めて来るのだろうか。ポッツォヴィーボは考えていた。


 彼は、正面にそびえ立つ、もうひとつの城を見ている。敵の要塞だ。中央に広がる平原をはさんで、城と城はちょうど向かい合って建っている。まるで鏡を見ているようで姿かたちはほぼ同じ、その大きさと言ったらとてつもなく大きかった。相手側の城の天辺は空高く伸び、快晴の日でさえ、頂上を見ることができなかった。きっと相手側の城からも、こちらの城は同じように見えるに違いない。


「自分の城だって、すべてを知り尽くしているわけではないのに」


 ポッツォヴィーボはこの城の主人である。王であり、皇帝であり、天皇であり、神でもある。それなのに、城のいちばん天辺へ未だかつて行ったことはなかった。「残念だ」彼は呟いた。そう。一度だけ、チャレンジしてみたことがあった。挑戦という言葉が正しかった。身なりを整え、(どのくらいの日数かかるか見当がつかなかったが)、城の頂上をめざしたのだ。数名の家来と食料を積んだ五台の馬車を引き連れ、一向は旅に出た。険しい山岳地帯を登るように、道らしき道はなかったが、ゆっくりと果てしない登りの旅は何日も何週間も続いた。


「バベルの塔だ」彼は思った。「この城は巨大な建築物なのだ」


 大昔、人間が築こうとしたことは知っていた。遥か彼方、何億光年も離れた地球の昔話だ。村人たちが一致団結して天へ向かい、超高層の城を築こうとした。最高峰の建築物。人間は神に近づきたかったに違いない。しかし、途中で断念した。実際の理由は分からない。天の神が人間の業を遮ったのだ。結局、未完に終わったが、この城はバベルの塔そのものだった。天空へ果てしなく伸びた城。


「人間たちの夢を、この星の人たち、我々の先祖はやり遂げた。天空の城を築いたのだ。ああ、偉大なる星人たちよ」


 それにしても、なんと高い城なのだろう。


 一度、誰かが間違って城壁から物を落としてしまったことがある。そのときは、カランカランと壁にぶつかりながら落ちていくその物音がずっと長く続いた。「ずいぶん下まで落ちてしまったようだな」そうして三日後の朝にして、ようやく物音はしなくなったのである。


 ポッツォヴィーボの旅は続いた。


 上を見つめた。「まだ頂上は見えぬか」


 彼の髪は背中まで伸び、衣服は擦り切れ、靴もボロボロになった。それでも、城の頂上へはたどり着くことはできなかった。ある日、麓から彼の元へ伝令がやって来た。ひとりの守護神が必死の形相で言った。「ポッツォヴィーボ様、直ちにお帰りください。敵の襲来です」彼は慌てた。「ヴァンガーデンが攻めてきたというのか」頂上はまだ見えぬというのに、この場に及んで戻らなければいけないのか。彼の旅は終わった。挑戦は失敗に終わったのだ。


「早く、急げ。帰ろう」


 これまでに、千を越えるほど戦い、そのなかには歴史に残されるほどのいくさも数多くあった。最初の戦いは、今からおよそ数億年前と言われ、ヴァンガーデン側が勝利したとされる。そうして両一族の代々に渡る戦いが幕を切ったのだった。


 なぜ、戦うのか。


 その問いに、ポッツォヴィーボは明確に答えることができなかった。戦うための戦い。勝つための戦い。先祖から受け継がれる歴史に刻まれた戦いがあるのみ。


 あの時の戦いは、今でも鮮明に覚えている。彼が旅を断念し、見張り台へ戻ってみると、ヴァンガーデン率いる軍団はすぐそこまで近づいていた。


 敵の先陣、クログモ軍団は最初の防護バリアを突破しようとしていた。クログモの一匹が、ハサミのような二本の指を持った手でバリアをこじ開けようとしたとき、レベル二〇の守護神三人がバリアの内側で構えて一匹目を始末した。クログモのパワーはレベル五〇あり、守護神ひとりでは到底太刀打ちできない。しかし、守護神はパワーにおいて劣勢であるが、こと経験値にあっては百以上。クログモの経験値よりも数十倍高く、その点においては心配は無用だ。


 そして、防御バリア。コンピューターにより三重にセットされた強力なバリアだ。半透明の粒子ビームのプラズマ化したエネルギー放射を磁場で分散させ、敵からの攻撃を吸収、あるいは侵入を遮断させるものだ。大昔に至っては、人間によって発明された地雷原が主たる防衛手段だったが、日常的に一般市民を巻き込むため人道的立場から禁止されたことは言うまでもない。


 彼の城は難攻不落の建築物にして、宇宙で一、二位を争う最高の城である。


 戦闘機とかミサイルとか爆弾とか、あるいは化学兵器や細菌兵器や核兵器にしても、城を破壊することは不可能。城の外部は防護バリアが張られ、いかなる攻撃にも耐えられるように創られていた。城自体は永久不滅だ。


 彼らの目的は我々を皆殺しにして、城を支配し、この星の主となることである。そのためには、まず三重に張られた防護バリアを破壊し、通過しなければならない。しかし、ひとつだけ弱点があるとすれば、自然界の要素に予想外、想定外の一因が考えられること。その可能性が残されていた。つまり、人工的なものは自然に対して弱さを露呈することがある。


「ヴァンガーデンは、チョロイやつよ」彼はそう言ってほくそ笑んだ。「やつの父は偉大なる戦士だった(クログモの吐き出す毒素がバリアの弱点だいうことを最初に発見した)が、その息子はダメなやつだ。戦略というものを考えておらん」


 ポッツォヴィーボが指で空中に四角い枠を描くと、眼の前に空間モニターが現れた。そこに映し出された映像によって戦いをつぶさに見ることができる。


 彼は、安堵の表情を浮かべた。


 彼は、視線を大平原に移した。


 ヴァンガーデンはいつも人海戦術で挑んできた。そのときも、クログモ三〇匹、歩兵五万人、戦車二百台もの大軍で攻めようとした。城の見張り台から見たその光景は、アリの大軍のようだった。平原が真っ黒に埋め尽くされていた。


 今、三〇匹のクログモによって最初のバリアが破壊されつつあった。平原からは彼らの本隊、歩兵と戦車部隊が近づいている。それでも、彼は決して慌てなかった。


「旅をしていて、戻るのが少し遅れてしまったが、あとは頼んだぞ」守護神の長、バルデを司令塔に呼び寄せて言った。


 ポッツォヴィーボは、再び空中モニターを映し出し、コントロールパネルの左から二つ目のスイッチをタップして、戦況を見つめた。ピンチアウトするとエリアが拡大され、第三防護バリアにはおよそ三十人の守護神が集結しているところが映し出された。


「この籠を持っていけ」ポッツォヴィーボはバルデに告げた。「ここで使うわけにはいかない。バリア内に入ったら使うのだ」「分かりました」バルデは籠を背負い、第三防護バリアへ急いだ。


 クログモの一軍が第二防護バリアをも破壊して突入してきた。守護神らのうち、ひとりは瞬く間にクログモに食われてしまった。その横にいたクログモは三人によって始末されたが、その三人は別のクログモによって体を切り刻まれた。血しぶきが飛んだ。一進一退の攻防だ。その血が、逃げ惑う守護神らに降りかかる。クログモの攻撃は容赦ない。さらに五人の守護神がクログモの餌食になり、二匹のクログモが大地に倒れた。後方では、第一防護バリアをヴァンガーデンの歩兵部隊の先陣がくぐり抜ける。城まであと三百メートル。歩兵たちの規則正しい足音が城壁にぶつかり、そして、大平原にこだましている。


ザ、ザ、ザ。


 空は果てしなく青かった。その下で血みどろの死闘が展開されているとは、想像もつかないだろう。戦争とはそういうものだ。自分に火の粉が降りかからない限り、対岸の火事のごとく、遠くの世界の出来事のように思える。「関係ないね」誰しもがそういう感情でいたりする。


 バルデには七歳になるひとり息子がいる。「パパ、死なないで」「大丈夫さ。パパはこの星の守護神なのだから」そう言って、心配する息子に笑みを返した。彼は、ポッツォヴィーボ一族を代々守ってきた神の子孫のひとりである。城を司る役人であり、軍人であり、守り神だった。軍隊というものは攻撃が主たる役ではない。守ること。城を守り、人々を守り、仲間を守る(ときに、修理や医療などにも関わり、工兵や衛生兵の役割も果たした)彼のようなタイプがいちばん心強いのだ。味方の多くは彼のタイプをいちばんに尊敬し、憧れた。


 バリアへ向かう途中、攻撃神の長、デヘントに会った。彼はバルデと同じ年でまだ独身だった。長身で恰幅のいい、いかにも軍人らしい体格の持ち主だ。城で最高の格闘家でもあった。稽古試合において、未だかつて負けたことはなく、それどころか、一度も地面へ倒されたことさえない。「おまえ、また魔法を使う気ではないだろうな」デヘントが見下すようにバルデに声をかけた。「おまえら、守護神は、安易な手法しか使わぬ」バルデは応えた。「貴様らとはタイプが違う。戦うのではない。守るのだ」攻撃神はいつもそうだ。威勢はいいが、思慮が足りない。そのバルデが背負っている籠を見て、デヘントは腰に手をやり大笑いした。「ははあ、その籠でクログモや歩兵部隊からどうやって城を守るのだ」


 それは、円筒の形をした背負い籠で、竹でできている。デヘントが彼の背中へ回り、籠の蓋を開けようとしたので、慌ててバルデは体を振った。「ダメだ。ここで開けたらダメだ」「ほほう。中に大切なものが入っているようだな。五万人の歩兵を倒す魔法の籠か。カッカッカッ」デヘントの高笑いを背に受けながら、バルデは防護バリアへ急ぐのだった。


 バルデが第三防御バリアへ到着したとき、眼の前は地獄だった。喉もとをクログモに噛まれ、それでもなお必死で手で振り払おうとしている者、左手のほうでは二人の守護神が一匹のクログモと戦っていたが、背後から近づいてきた別のクモにひとりの守護神は頭を丸ごと食べられてしまった。その光景を見た彼は舌の奥で苦味を感じた。


「この籠の中に何が入っているのだろう」彼自身でさえ、知らない。今はポッツォヴィーボ様の言う通りにするしかない。「まさか、デヘンドが言うように本当に魔法の籠ではないだろうな」


 彼は、一度息を飲んでから慎重に籠の蓋を開けた。

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