六話 不気味な襲撃
町は炎と、真っ黒い煙に包まれていた。
見たところ、集落の規模としては決して大きくはないが、村というほど小ぢんまりともしていない。
人口はメジハにやや届かないくらいだろう。
周囲には申し訳程度の空堀と防壁が張り巡らせられていて、それでも押し寄せるゴブリンくらいを抑えるのには十分だったのだろうが、空からの襲撃には対しようがない。
町を襲っている魔物の大半は翼持ちだった。
鳥にしては大きすぎる巨体が数多く、町の上空を旋回している。人型――精霊形をとった姿もいくつか見えた。
地上にはゴブリンたちも集まっていて、彼らを阻むべき町門はすでに明け開かれている。
特に抵抗なく突破されてしまったようだが、それも仕方なかった。空からあっさり内部に侵入されてしまっては、門を守るどころではないだろう。
上空からの強襲と地上からの侵攻。
一介の田舎町に、そのどちらにも対抗できるだけの堅牢な城壁や、十分な対空手段を備えろだなんて無茶な話だ。
だから、そうした場所の防衛手段は多くの場合、人的資源に頼ることになる。
つまりは町に住む人間と、こうした場合に備えた自衛戦力でもあるギルドの冒険者たちだ。
今も町の内部からは上空に向かって弓矢や、攻撃魔法の類が撃たれている。
しかし、その数は多くなかった。練度も低い。
それもやはり、仕方なかった。
最近では、人間の国同士でも戦争の噂が絶えなくなってきているからだ。
戦場は名を挙げる大きな機会になる。
傭兵だけではなく、腕のよい冒険者たちも一攫千金とそれに見合う名声とを求めて、そちらに向かってしまっているのだろう。
「――――ッ!」
町までもうすぐそこという距離まで迫った俺たちの目前に、巨大な緑色の怪物が立ちはだかった。
トロル! こんな奴まで!
「……カーラ! タイリン!」
声に応えて、先行する二人が走る速度を上げた。
ほとんど這うように姿勢を低めたタイリンが疾走する。手には短剣。
アカデミーで特殊な教育を受けていた元暗殺者の少女は、昼間にあってなおその姿を相手に留めさせないような速さで駆けてトロルとの距離を一気に詰めると、逆手に握った短剣を深くその太腿に突き刺した。
「ッ!」
化け物じみた再生能力を持つトロルにも、痛覚はある。
足の痛みにぎろりと自分の足元に目を向けたトロルの視界には、しかし、もうタイリンの姿は残っていない。
そして。トロルがそちらに注意を向けたほんの一瞬のあいだに、今度はカーラがその距離を詰めていた。
「やあああああああああああああ!」
白銀の手甲が燦々と輝く。
人狼の血をひくカーラ。
その潜在能力をおおいに発揮させ、渾身の魔力を込めた拳は、頑強な生命力で有名なトロルを一撃で昏倒させるのに十分だった。
「っ、――――」
悲鳴すら上げられず、前のめりに膝から崩れ落ちていく緑の巨人。
「……すごい!」
「カーラは、ドラゴンゾンビに尻餅をつかせたことだってあるくらいだからな」
自分のことのように胸を張ってから、俺は前を行く二人に大声で指示を伝えた。
「そのまま先行してくれ! 上の連中は無視していい!」
「わかった!」
「わかりましたっ」
カーラとタイリンの二人は町門の前をうろつくゴブリンを瞬く間に蹴散らすと、すぐにその姿は門のなかに消えてしまう。
よし、あの二人なら問題ないだろう。
普段から仲がいいこともあって、その連携ぶりは群を抜いている。戦闘スタイルの相性が合っているということもあった。
「マスター、空の人たちはわたしがなんとかしますか?」
スラ子の言葉に、俺はその場に立ち止まり、じっと考えてから頭を振った。
「……いや、お前は近くにいてくれ」
息を整えながら、周囲を見渡す。
カーラとタイリンが片付けたトロル以外、町に至るまでには魔物の姿はない。
だが、
「どうも、妙な感じがする。……罠かもしれない」
――魔物の統率がとれすぎている。
空からの強襲でまず守備の統制を崩してから地上戦力を侵攻させるだなんて、田舎町を相手にするには攻め方が丁寧すぎる。
別に魔物が丁寧にしちゃいけないなんて決まりはないだろうが、丁寧ということは指示が行き届いているということだ。
つまりは統制。
そして、統制がきくことは作戦目的の徹底に繋がる。
そもそも、いったいどうして魔物がこんな田舎町を襲う?
魔物だから、というのはその十分な理由になるだろうが、力押しではない攻め方にはどこか違和感があった。
まるで、なにか別の目的があって町を攻めてみせているような、そんな違和感。
ルヴェが眉をしかめた。
「それって、あたしとマナをおびき寄せるために町を襲ったってこと?」
俺は頭を振って、
「考え過ぎなだけかもしれないけどな。ルヴェ、お前はマナを離れないようにしておいてくれ。スラ子は周囲の警戒をたのむ」
「わかった」
「了解ですっ」
周囲を警戒しながら、上空に目をやる。
そこで、こちらを注視しているような気配があるのに気づいた。
上空に円を描くような翼ある魔物たちの中央、その場に羽ばたきながら滞空する何体かの魔物の姿がある。
そのなかの一人と、視線が合ったような気がした。
相手との距離は遠く離れていて、しかも逆光気味だからほとんどその姿は目視できない。相手に翼があるかどうかも。
それなのにどうしてそう感じたのかは自分でもわからなかったが、なんとなく嫌な心地だった。……どこか粘着質な居心地の悪さ。
というかまず、あんな高いところから見下ろされてるってのが嫌だ。
くそう、翼があるほうが偉いとでも思ってるんじゃないだろうな。
「ツェツィーリャ、ちょっと来てくれ」
すぐ近くの樹の上から地面に降り立ったエルフが、大変に目つきの悪い眼差しを向けてくる。
「なんだよ」
「あそこにいる連中、お前の弓で狙えるか?」
空を見上げたツェツィーリャは、いつも以上に目つきを悪くして。ニヤリと人が、いや、エルフが悪い顔で笑った。
「いいぜ。やってやる。――シル」
「……わかったヨ」
すぐそばに現れた風妖精があまり気乗りしない様子でちらとマナを見てから、目を閉じる。
片目を閉じたツェツィーリャが、はるか上空に上構えて弓矢を引き絞る。
その矢先に膨大な量の魔素が凝縮されていき、そして。
「――――ッ!」
暴風を伴った矢が、唸りをあげて空に向かって放たれた。
指向された竜巻のような矢撃は、そのまま一直線に空に陣取る魔物たちへと襲い掛かり、それを受けた魔物たちは薙ぎ払われるように散り散りに――ならなかった。
「な、――んだと?」
中央の魔物が手をかざすような動きを見せたかと思うと、その手元に矢が届いたと気がした瞬間。渦を巻いて荒れ狂う暴風はあっさりと吹き散らされてしまっていた。
自慢の射をあっさり無効化されたことに、ツェツィーリャが声をうしなう。
動揺しているのは俺のほうも同じだった。
風精霊シルフィリアと契約を結んで放つツェツィーリャの全力射は、森の一角を吹き飛ばすくらい強力だ。
あまりに威力が強すぎるから、使用できる機会がひどく限られてしまう程に。
その大規模殲滅魔法レベルの攻撃を、あっさり受け止めてみせた。
明らかに、普通の相手じゃない。
「スラ子。あれがなんの魔物かわかるか?」
隣を見ると、スラ子は珍しくその眉をしかめさせていて、
「はい。あれは――」
「マスター!」
言葉の後半を聞く前に、遠くからカーラの声が耳に響いた。
町のほうに視線を向けると、ちょうど一体の魔物が町から飛び立とうとしているところだった。
その腕に、なにかが抱えられている。あれは、
「女の子?」
人攫い? 殺さないで、連れ去ろうとしてる?
「最近の魔物は誘拐まですんのかよ! ――スラ子!」
「はいっ――」
スラ子が飛び出しかけた、その瞬間。
「――――」
俺たちの周囲に無数の、そして異形の影が音もなく伸びあがった。
「ちッ、伏撃かよ!」
即座に弓矢を射かけるツェツィーリャ。
放たれた矢は、物言わぬ影に吸い込まれるように突き刺さり、直後。
影が爆発した。
俺は近くのルヴェとマナを抱きかかえて地面に伏せる。
「っ……!」
爆発の規模が決して大きくなかったのが幸いした。
顔を上げると、大人容姿に戻ったスラ子が俺たちを庇うように手を広げてくれている。
その向こうにもうもうとした土煙が立ちはだかり、そしてそれが消えたあと――空には魔物の姿は一匹も見えなくなっていた。
女の子を捕まえた魔物も、その姿はどこにもない。
「……やられたな」
目の前がひどく煙たくて、それを少しでも追い払うように手を振ってから、俺は頭をかいた。
あんな罠が仕掛けられてるだなんて気づきもしなかった。
スラ子に残っておいてもらっておいてよかった。調子に乗ってほとんどの戦力を先行させてたら、ちょっと不味いことになってたかもしれない。
「マギ、重いぃ……」
「あ。悪い」
上から押し潰す恰好になってしまっていた二人から身を離して、立ち上がる。
「ううん、ありがと。――ねえ、今のって」
真剣な口調でなにかを言いかけるルヴェを制止するよう、俺は手をあげて、
「話はあとだ。空の連中はいなくなったみたいだが、町のなかにはまだ残党がうろついてるかもしれない。カーラたちを援護しないと」
「あ、そうだね。わかったっ。ほら、行くよ。マナっ」
「う、うん」
手を取り合って走っていく二人の背中を見送って、俺はツェツィーリャに目線を向けた。
「……ツィツェーリャ、あの二人を見てやっておいてくれ。もしかしたら、さっきみたいな不意打ちがまたあるかもしれない」
「はァ? なんでオレが――」
言いかけてから、ツェツィーリャはちらりと俺の傍らに目をやって、はあっと息を吐く。
「わぁったよ。……今度だけだぞ、ボケが」
「さんきゅ」
ルヴェとマナの後を追って、銀髪のエルフも駆けだしていく。
その隣に寄りそうような風精霊が去り際、気遣うような視線をこちらにくれた。
残されたのは俺とスラ子の二人。
スラ子はじっと遠くを見つめている。
魔物たちが消えた空を凝視する、その薄青い顔つきがひどく険しかった。
こちらの視線に気づいて、スラ子は小さく笑ってみせる。
眉間には皺が寄ったままだ。
俺は相手に一歩、近づいて、
「……スラ子。さっきのは、」
「はい、マスター。多分、マスターが考えている通りだと思います」
スラ子は頷いた。
ため息をつく。
そして、
「――あれは、わたしの“力”です」
苦々しい口調でそう言った。