五話 符合する意味
ルヴェと再会した場所から少し離れた小川の近く。
ある程度、遠くまで見晴らしが効くところまで移動して、俺たちはそこに腰を下ろした。
昔の姿になってしまったルヴェに、それまでの経緯を説明する。
「なるほどねー」
自分が送った手紙の文面をしげしげと眺めながらこちらの説明を受けていたルヴェは、一通りの話を聞いたあとにそう感想を漏らした。
「まさか、自分が十年も若返っちゃってるなんてビックリだなあ。そりゃ、マギがあたしよりおっきくなってるはずだよねっ」
あっけらかんとした表情にはまるで動揺の気配はない。そのことに、周りのほうが唖然としてしまっていた。
そういう態度がまさに自分が知っているものだったから、俺は苦笑して、
「若いっていうか、幼いって感じだけどな」
「あたしの記憶じゃ十二歳だもんね。こっちからしたら、マギが急に成長したようにしか思えないもん」
こちらを見上げたルヴェが眩しそうに目を細める。
「――ほんと。背、伸びたね」
変な気恥ずかしさを覚えて、俺は目を逸らした。
足元の影で、むう、とスラ子が唸るような気配に、こほんと咳をつく。
「……それはともかく。とりあえず、二人と会えてよかった。けっこう切羽詰まった手紙だったから、心配してたんだ」
「それでわざわざ迎えに来てくれたんだ。あはっ、大人になっても人がいいのは相変わらずだね」
「いや、まあ、それだけじゃないんだけどな。こっちもワケありで、ちょっと調べたいこととかがあったもんだからさ」
「そっか。でも、来てくれただけで嬉しいよ。ありがとっ」
まっすぐな視線とお礼に、俺は黙って頭をかいた。
目の前にいるのは十年以上前のルヴェだとわかっている。わかってはいるが、その相手と話していると自分までその頃に戻ってしまったような感覚に陥りかけていた。
これじゃスラ子どころか、カーラやタイリンからも冷たい視線を受けかねない。気を引き締めて、
「――ルヴェ。移動する前に、いくつか聞きたいことがある。いいか?」
「うん、いいよ」
「さっき、自分は十二歳だって言ったよな。つまり、アカデミーに来て二年目ってことでいいか?」
「うん。そうだよ」
「……それじゃ、マナとの出会いとかの記憶はどうなってるんだ? ルヴェのなかでは、アカデミーで拾ったことになってるのか?」
「そのことなんだけどね、」
俺から訊ねられたルヴェは軽く腕を組んで、
「さっきから、自分でも色々と思い出してみてるんだけど。どうもそのあたりがよくわかんなくて。――あたしがマナを拾ったのは遺跡だった。場所も、覚えてる……はず。でも、どういう経緯でそこに行くことになったかとか、そこらへんが曖昧でさ。もしかしたらアカデミーのお使いかなにかで、アラーネ先生やマギとも一緒だったのかなとか思ったけど、よく考えたらそんなわけないよね」
「そうだな。とりあえず、俺は同行した覚えはない。アカデミーを出たあとのルヴェは、アカデミーとあんまり関わらなかったはずだしな」
もしかすると、それは俺が知らないってだけかもしれないが。
半年前に俺がアカデミーを訪れた時、アラーネ先生もそんなことは言ってなかったはずだ。ルヴェが赤ん坊を連れていることも知らなかったくらいだから、そっちの線は薄いだろう。
「うん。多分、前後の記憶をくっつけちゃってるんだろうね。都合よく、自分にとって辻褄が合うようにそれで上手く解釈しちゃってるんだと思う。だから、あたしの記憶はあんまり当てにならないかも。ごめん」
ルヴェのなかにはマナの記憶がある。
だが、それも俺たちと会ったイラドの開拓村のことはすっかり抜け落ちてしまっているとなると、たしかにあまり参考にはならないかもしれない。そこにあるはずの不自然さは、ルヴェのなかではなんらかの解釈で整合性がとられてしまっているだろう。
俺は、ずっと黙っている相手に目を向けた。
「マナ」
びくりと小さな肩が震える。
威圧的にならないよう、俺は自分の声色に気をつけながら、
「マナ、こっちを向いてくれ。……俺たちは、前にお前と会ったことがあるんだ。その時にカーラやタイリンも会ってる。スラ子もな。その時のことは覚えてるか?」
マナは黙って頭を振る。
俺は息を吐いて、
「そうだろうな。その時は、ほんの赤ん坊だったんだ。……それが、だいたい半年ともう少し前だ」
マナがはっと息を呑んだ。
「今のお前は、十歳くらいに見えるよな。タイリンや、ルヴェと同じくらいだ。……なにがあったか、自分でわかるか?」
マナは顔をしかめ、項垂れた。頭を振る。
「わかんない……」
「そうか。なら、仕方ない」
不安そうにマナがこちらを見上げて、
「……いいの?」
「いいわけじゃないが、わかんないならどうしようもない。なにか思い出したらその時に言ってくれればいい。それじゃあ、マナ。お前の記憶に、自分がルヴェと一緒に歩いてる場面ってあるか?」
「ある、けど……」
「それがだいたいどのくらい前からか、とかってわからないか? 日数でもいいし、何月とかでもいい」
俺たちが半年前に赤ん坊のマナと会っている以上、最長でもそれ以上ってことはないはずだ。
マナはしばらく考えてから、
「多分、一番古いのは四か月くらい前。だと思う。……その頃から、たくさんの魔物に追いかけられるようになって。それで、」
「じゃあ、それまではあんまり魔物に追いかけられてなかったのか?」
「……わかんない。けど。でも、お母さんに腕を引っ張られてて。それからは、ずっと逃げてたと思う」
ルヴェから俺宛ての手紙が、ギルド経由でダンジョンに届いたのが半月前。
そこに書かれていた文章は、最近ひどく魔物に追われていて、少しの間だけマナを匿ってくれないかというものだった。
その少し前から魔物による激しい襲撃を受けていたと考えれば、マナのあげた数字はある程度納得できる。
ルヴェも、出来る限りは自分でどうにかできないか努力してみて、それでも難しいという判断があったからこそ俺に助けを求めたのだろうから。
――恐らく、四か月前になにかがあったのだ。
それでルヴェとマナは魔物たちにそれまで以上に追われることになった。
その“なにか”の結果として今のマナの姿、それにルヴェがあるのか。
それとも今の二人の姿がこういう事態を呼び込むことになったのかは、わからないが。
「四か月、か」
俺は苦い顔になる。
その時期に思い当たることがあるからだった。
俺の近くでは、カーラやタイリンも複雑そうに眉をひそめている。
レスルート国の王女、『精霊憑き』ユスティスと、その一行がダンジョンにやってきたことから起こった、騎士団との戦闘。
金精霊の企みと、……不定形スラ子。そして、黄金竜ストロフライによる――もっとも新しい“魔王災”。
それがあったのが、ちょうどその頃のはずだ。
奇妙に符合するその一致は、あるいはたんなる偶然の一致かもしれなかったが。――いや、恐らくはなにかしらの関わりがあるのだろう。
それ以降、この世界の在り方は激変した。そして、その変化は今なお続いている。
人間や、魔物を問わず。
そのことは、揺るぎようのない事実なのだから。
そうした影響から魔物たちの動きが活発になり、ルヴェたちが襲撃される頻度が高くなったというのは十分に考えられる。
「……ルヴェ。その頃になにがあったかとかは、覚えてないか?」
難しい顔をして考え込んでいる相手に訊ねると、
「――ごめん。ちょっと待って」
しばらく黙り込んだあと、ルヴェは険しい表情でそう言った。
「思い当たる節がないわけじゃないんだ。けど、さっきみたいな都合のいい解釈とかあるからさ、ちょっと自分でよく思い出してみたいの。話すのは、それからでもいい?」
「ああ、わかった。んじゃ、とりあえず――」
「おい」
ダンジョンに向けて移動を開始しよう、と言いかけた俺の言葉を遮って、上からツェツィーリャの声が降ってきた。
「なにか見えたか?」
「ああ。遠くに煙が見える。……町っぽいな。魔物に襲われてるな、ありゃ」
「町が?」
魔物が集落を襲うこと自体は、まあ日常茶飯事とまではいわないが、よくあることだ。
さっき言った“魔王災”では魔物という存在のあり方にもとんでもない影響があったから、それに伴って最近では魔物同士、そして人間と魔物のあいだでもいろんな争いごとが増えている。
「ギルドの戦力が間に合ってればいいけどな……。地図で見た限りじゃあんまり大きそうな町でもなかったし、厳しいか」
「どうしますか、マスター」
カーラがまっすぐにこちらを見つめて聞いてくる。
俺は頭をかいて、
「……戻る前に、ルクレティアに連絡を取っとかないといけないしな。どうせ、どこかのギルドには寄らなきゃいけないところだ」
「――つまり?」
きらりと目を輝かせたルヴェが先を促してくる。
タイリンはさっそく短剣を取り出していて、木の上では弦を張りなおしている気配。
すでに答えをわかりきっているようなそうした周囲の態度に、俺は苦笑いを浮かべながら、
「今から行っても遅いかもだが、手助けできることくらいあるだろ。……よし。急いでそこの町に――」
「――れっつごー!ですっ」
後半の台詞は、影から勢いよく飛び出したスラ子にかき消された。
突然のその登場に、ルヴェがぎょっと目を見開いて、
「あたし!?」
「ふふー! スラ子と言います、いつもわたしのマスターがお世話になっていました改めましてどうぞよろしくお願いしますっ!」
「どうしてこう説明がめんどいタイミングで出てくるんだ……」
頭を抱える俺に、わざとらしく抱きついてくるスラ子の背は縮んだまま、そのせいでますますルヴェと姿が似通ってしまっている。
「ちょっと、マギ! 誰なのその子。すごい、あたしそっくり!」
さっき以上に目を輝かせながら聞いてくるルヴェを、とりあえずこの場は無視することに決めて俺は決然と顔を上げて。
ふと気づいた。
マナが浮かない顔をしている。
その理由には思い当たることがあったから、俺はその頭にぽんと手を置いて、不安そうに見上げてくる視線に頷きかけてみせてから、
「――行くぞ!」
思い切り走り出した。