三話 再会
翌朝、俺たちはたっぷりと日が昇ってから出発した。
魔物というのは、基本的に夜に活動することが多い。
どこぞの黄金竜が世界中にばら撒いた金貨は、それをきっかけに魔物の在り方にも大きな変化を与えつつあったが、根本的な生活慣習までそうそう変わるものではなかった。もっとも、それもいつまでのことかわからないが。
もちろん、昼間だからって安心できるわけじゃない。
実際、俺たちと合流する前にマナが襲われていたのも昼だ。
「タイリン。お前がマナと会った方角は?」
訊ねると、元暗殺者はあっさり南東の方角を示してみせる。
俺は地図を開いて、
「マナ。お前がルヴェと一緒に襲われた時、近くに町があったかわかるか? 集落とかでもいい」
マナは黙って頭を横に振った。
「わかった。歩いてたのは街道か?」
「……ううん。街道沿いの林。あんまり人に近づかないようにしてた」
「街道沿いではあるんだな。……じゃあ、この辺りか」
現在地と、タイリンが指した方角を結ぶ延長線上。
古い街道がいくつか伸びた一帯に指先をあわせて、カーラを見る。
「多分、あってると思います。ボクがマナとあったのがこっちのあたりで、そのあとに南のほうに移動しましたから」
「いくつか町はあるっぽいけど、どれもけっこう距離があるな。森を突っ切れば今日中に着くかもだが、危ないよなあ」
日中の森なんて夜とたいして変わらない。
もちろん、危険度という意味だ。
「ですね。それに、魔物がマナの気配を察して襲って来てるなら、少しでも危険じゃない方を選んだ方がいいと思います」
昨日の連中は、明らかにマナに狙いを定めていた。
マナとルヴェはこれまでずっと追われながら旅をしていたということだから、魔物たちにはなにかマナの後を追跡できる手段があるということだろう。
それがなにかはわからない。
魔物が得意としていて、人間が劣っていることなんていくらでもあるからだった。たとえばそれは、闇属のことだとか。
ちらりとタイリンを見ると、険しい顔つきで黙っている。
どうも昨日からマナを毛嫌いしている様子だったが、その反応も気になっていた。
「……ごめんなさい」
物思いから戻ると、マナが苦しそうに顔を歪めていた。
「どうした?」
「僕のせいで。僕が、魔物に狙われてるから、」
「あ、ごめんっ。違うよ、ボクが言ったのはそんな意味じゃなくて!」
カーラが慌てて手を振って、タイリンの眉が大きく跳ね上がりかけるのを見ながら、
「アホか」
丸めた地図で、俺はぺしんっとマナの頭を叩いた。
泣きそうな顔でこっちを見る相手に、
「マナ。お前が魔物に追われてるのはお前がなにかしたからなのか? なんか連中の気に障るようなことをやったのか。それとも、風呂に入ってなくて匂うのか? 昨日、水浴びしたろ」
「した、けど……」
「わざとやってるんじゃないんだろ。だったら、謝るな。申し訳ないって思うのは大切だけどな、それでお前のためにしてくれようっとしてる人をもっと困らせるな。それじゃただの『自分かわいそう』だ。感謝するなら、なにかその人の役に立つことを手伝え。今、それがなにかわかるか?」
びしりと指を突きつけると、マナは頭を振る。
俺は腰から軽くなった水袋を取り出して、
「――水汲みだ。全員分に入れてきてくれ。なるべく上澄みでな。さ、行ってこい。タイリン、ついてってやってくれ」
マナは空の水袋を手にして、こちらを見て、こくり。大きく頷いた。
「あ、それじゃあ、ボクのもお願いしていい?」
カーラの分も受け取って、泉に向かって駆けだしていく。その後を、黙ったままタイリンがついていった。
影のなかから、ふふー、とスラ子の笑い声が聞こえた。
「マスター。お父さんしてますねっ」
「やめてくれ」
俺は苦い顔で頭を振る。
「自分で言ってて、背中がこそばゆくなった。父親って凄いな。こんなこと、それこそ毎日だって口にしなきゃならないのか。俺には無理だな」
「そんなこと言ってると、怒られちゃいますよ?」
くすくすと笑ったカーラが、
「……でも、マスター。ほんとにいいんですか? ルヴェさんのことはもちろん心配ですけど、まずはマナを連れ帰ったほうがいいんじゃないかなって」
「カーラの言いたいことはわかる」
俺は頷いて、
「魔物がどうにかしてマナの気配を察知してるってんなら、襲撃があるのは確実だしな。タイリンの魔法で気配をくらますこともできないなら、さっさとダンジョンに行くのが一番だ。あそこなら、まあ大抵の連中なら叩き返せる」
だけど、と息を吐いた。
「連れ帰る前に、最低限のことは確認しておかないとな」
「……ルヴェさんと離れ離れになった時のことですね」
「ああ。マナは、“消えた”って言ってたんだよな」
「はい」
カーラが真剣な表情で頷く。
「よく覚えてないけど、なにか光ったかと思うと、もう誰も、なにもなかったって。それだけ大きな爆発があったってことなんでしょうか。だいぶ混乱してたみたいですし」
「爆発か。それならまだいいんだけどな――」
カーラが眉をひそめた。
スラ子は黙っている。
「どういうことですか?」
「……わからない。少なくとも、断定はできないな。実際に見てみないと。問題は、それがどういう事情で起きたかわからないと、連れ帰った先でも起こりかねないってことだ。さすがに、ダンジョンのなかで起きたりしたら不味い。マナ、あいつのことはなんとかしてやりたいと思ってるが、ダンジョンにいる連中まで巻き込むなら、最低限の確認くらいはとっておかないとな」
「ですね。じゃあ、なるべく急いで例の場所に向かった方がいいですね」
「ああ。ルヴェのこともある。生きててくれたらいいが、それでも怪我くらいしてるだろうし。まあ、生きてたらその場に留まってたりはしないと思うが……」
「ルヴェさんの痕跡が見つからなかった時は、どうしますか?」
なにかを確かめるような眼差しに、俺は一瞬も考えなかった。
「その時は、諦める。近くの町に伝言だけ残しておこう。ルヴェだって生きてたら町に寄るはずだし、俺たちと連絡だってとろうとするだろうからな」
「ダンジョンに戻るんですか?」
「それはわからない。けど、ダンジョンの近くにまでは戻っておいた方がいい。ルクレティアたちとの連絡もつきやすいしな。もしかすると、妖精連中にも力を借りるかもしれない」
「わかりました」
納得した様子で頷くカーラ。
「って感じで行くつもりだけど、なにかあるか?」
俺は頭上に目をやって、姿を見せないもう一人に確認をとった。すぐに声が返ってくる。
「ねーよ。勝手にしろ」
「なら、いつもどおりなにか見えたら教えてくれ。――シルフィリア」
呼びかける。
すぐ近くに微風が巻いたかと思うと、小柄な精霊が風とともに姿を現した。
「……なにサ」
「一応、確認しておく。あの子で間違いないか?」
風精霊は嫌そうに顔をしかめて、しぶしぶという表情で答える。
「間違いナイよ。あれが、“十番目”だネ」
声には、どこか畏れるような気配がまざっていた。
野宿した洞窟を出発して、ひとまず南下して街道へ。
そのまま街道沿いに、マナとルヴェが襲撃を受けた場所へ向かう。
このあたりの街道は古く、大半の旅人はもっと整備された大きな道を使う。
人通りが少ないことはありがたかった。もちろん、それはルヴェがあえてそうした街道を選んでいたということでもある。
……魔物に追われ、逃げるような毎日。
ルヴェたちは、そういう生活をどれくらいのあいだ過ごしてきたのだろう。
前に会った時、彼女はアカデミーを出た当時の姿のままだった。
仮に、その直後に赤ん坊を拾い、その子にマナという名前をつけたとして、最長で五年。
五年間も一所に留まらずに生活するっていうのは、もちろん簡単なことじゃないはずだ。
そんな苦労をまるで感じさせなかった、別れ際の表情を思い出す。
明らかに普通じゃない赤子を胸に抱いて、誇るようだった彼女。
……俺が、あの時にもう少しまともな『大人』だったなら。
彼女の苦労をどうにかしてやることが出来ただろうか。
なんて考えることはまったくの無意味だった。
マナに言ったのと同じで、ただの『自分かわいそう』だ。偉そうに説教しといて、自分でそれをやってりゃ世話はない。
昔に戻ることはできない。
たとえできたって、そんなものは選ばない。
――だから、今やることをするんだ。
少し前をカーラやタイリンと並んで歩く、小さな背中を眺めながら、静かに決意を固めていると、背中にぎゅっという感触。
「なんだよ」
いつの間にか姿を現していたスラ子が、ふふー、と俺の耳元で囁いた。
「なんだか、気合が入り過ぎちゃってる感じなので。リラックス&わたし成分を補充ですっ」
「そりゃありがたい」
そのまま、重さをほとんど感じさせないスラ子の身体をひきずって歩いていると、
どぉんっ!
という爆発音が轟いた。
カーラとタイリンが即座に警戒態勢をとる。
マナを地面に伏せさせて、その左右を挟むように周囲を見渡す二人から、俺は頭上に目線をやって、
「ツェツィーリャ!」
「……遠い。森んなかだ。姿は見えねえ」
樹上から声が返った。
「――なにかいやがる。魔物だな。誰かが戦ってやがる」
そこでまた、爆音。
今度は一回ではなく、どんどん、と連続する。
「また随分と景気よくぶっ放してやがるな。一人じゃねえのか?」
ツェツィーリャの声を聞きながら、俺は顔をしかめていた。
なにか、奇妙な感覚が身体のなかにあった。
懐かしい――懐かしい? 自分自身に問いかけて、思い至る。
これは既視感だ。
俺は今、既視感をおぼえている。だが、なにに?
五感のどれかに訴え返るその詳細をさらに探ろうと、俺は目を閉じて、その闇のなかでふと閃くものがあった。
目を開ける。
「マスター?」
カーラたちが心配そうにこちらを見つめていた。
俺はそれに黙って頷いて、空を仰いだ。
また、爆音。
その爆音は、ひどく懐かしい響きだった。
爆音の違いなんて説明できるはずもないが、それでもそう感じてしまうのだから仕方ない。
間違いなく、俺はその爆音を知っていた。
より正確には、それを起こしている、相手のことを。
視線を戻して、マナを見る。訊ねた。
「……ルヴェがアカデミーでなんて呼ばれたか聞いたことはあるか?」
マナは不思議そうに眉をひそめ、ふるふると頭を振った。
俺は息を吐いて、
「そうか。じゃあ、教えてやろう。“騒々しい夜明け”だ。――彼女は、爆音とともに現れる」
遠くでまた爆音が鳴り響いた。
立て続けに爆発音が轟いて、びりびりと鼓膜と地面を震わせる。
徐々に近づくその爆心地に向かって、俺たちは走った。
「にしたって、さっきからまるで手加減する気がねえな。山火事になったらどうしやがる」
忌々しそうに言うツェツィーリャは、今は樹の上ではなく俺の隣を走っている。
いきなりなにかの爆発に巻き込まれるのを恐れたのだろう。十分にありえるから、妥当な判断だと思う。
「そういえば、昔、大火事を爆発で“消火”したことがあったな」
「……手前の知り合いはそんな奴らばっかりかよ」
失敬な。
「俺はまともだぞ。それに、この爆発ならだいぶ加減してるほうだと思うぞ。音が大人しい気がする」
呆れたようにツェツィーリャは黙ってしまう。
俺は反対側を走るマナに目をやった。
マナは目を大きく見開いて、きらきらと輝かせている。ルヴェが生きているかもしれないとわかったからだろう。
だが、喜び勇んで先走った挙句、爆発に巻き込まれでもしたら笑い話にもならない。
俺はその隣を走るカーラに目線を送って、注意してくれるよう頷きかけた。了解、という風にカーラも頷き返してくる。
爆音の発生源は、もうすぐそこのところまで近づいていた。
木々の切れ間から見える空にはもうもうとした煙が盛大に舞い上がっている。
地表近くでは土煙が俺たちのところまで迫ってきていて、少し先の視界さえ悪かった。
俺は大きく息を吸い込んで、
「ルヴェ! 俺だ! マギだ!」
呼びかけた。
反応はない。
もう一度、さっきよりも大声を出そうと胸に空気を吸い込んだ、その時、
「――マギ!? そこにいるのっ?」
驚いたような声で、返事があった。
「ああ、俺だ! マナもいる!」
「――待って。すぐにそっちに行くから!」
声が途絶えた。
さっきから爆音は収まっている。
うっすらと視界の土煙が落ち着きだして、その奥に、ゆらりと人影が揺れた。
「よかった。無事だったんだ、な……?」
ほっと安堵しながら言った俺の言葉の後半は、ほとんど消えるくらい小さくなってしまっていた。
唖然として、目の前を見る。
そこには土煙の向こうから一人が現れていた。
間違いない。
ルヴェだ。ルーヴェ・ラナセ。
アカデミー時代の学友。
燃えるような赤色の髪も、スラ子に比べるとちょっと勝気なその顔立ちも、間違いなく俺の知るものだった。
――ただし、記憶にある最後のものよりも、さらにずっと昔の。
「……マギ? 本当に?」
明らかに十歳頃と思われる背格好のルヴェが、大きな瞳を丸くしてこちらを見上げていた。