九話 伝説の種族
「マスター?」
しばらく、ぽかんと立ち尽くしてしまっていた。
スラ子からかけられた声に我にかえって、あわてて口をひらきかけるが、
「ああ、いや。おかえ――ぐおっ」
腹部に強烈な一撃をうける。
こちらの姿をみるなり、一目散に駆けてきたルヴェが抱き着きざま、頭突きをかましてくれたのだった。
涙目で悶絶しかける俺を、きらっきらとした眼差しが見上げてくる。
ひどく興奮した様子で、
「ねえ、マギ! すごいのよ! ここの地下、とんでもないことになってるんだから!」
俺は黙って、燃え上がるような赤髪に手を伸ばして、その頭をなでた。
胸のなかには微妙な感慨が渦を巻いている。
アカデミーの頃から少しも変わってない眼差し。
当たり前だ。今のルヴェは、俺が十一かそこらだった、あの頃のままなんだから。
魑魅魍魎としたアカデミーで、周囲の魔物たちに怯えるところか、自分から進んでどんどん大騒動を巻き起こしていった彼女。
……昔は、眩しくてほとんど直視できなかった。
その眼差しが今、まったく変わらずにこちらを見上げてきていることへの違和感には、まだ慣れない。
懐かしさと微笑ましさ。
それから、ほんの少しの苦み。
そういう俺の個人的な感傷はともかく、この場ではまず言っておかなくちゃならないことがある。
俺はかがみこんで視線を相手にあわせた。
相手の両肩をつかんで、
「――どうして、黙って地下に行ったりしたんだ?」
自分でも少し厳しいかなと思える声がでた。
え、と言葉に詰まるルヴェに、
「ルヴェの冒険好きは知ってる。初めて来た場所で、探検してみたいって気持ちもわかるさ。でも、ここにだって危険がないわけじゃないんだ。落盤するかもしれないから、封鎖してるところだってある。そういうところに勝手に入ったら危ないだろ?」
「それはそうだけど。でも、」
「でも?」
「……大丈夫だったもの! 平気よ、あたしなら!」
俺はため息をついた。
絶大なバイタリティと、自分自身に対する自負。
まさにルーヴェ・ラナセだ。
彼女がそういう人間だってことは知っていた。
そういう性格でいてくれたからこそ、俺もそのおこぼれにあずかるように、あのアカデミーで生き抜くことができたのだから。
昔はそのことに頼もしさをおぼえるばかりだったけれど、今でもそういうわけにはいかない。
「……ルヴェ。俺が、君から連絡をもらって二人を迎えにいったってことは話したよな」
「知ってるわ」
「もらった手紙には、助けてほしいって書いてあった。俺は君に恩義がある。そりゃもう、口にだせないくらいたっくさんね。だから、俺はルヴェたちのことを絶対に助けたいと思ってるんだ」
「それもわかってる」
「うん。でも、そのためにはルヴェたちにも協力してもらわないといけない。別に、この洞窟に閉じ込めておこうとか、冒険なんてしてくれるな、なんて言いたいわけじゃない。せめて、誰かに一声かけてくれてもよかったんじゃないか? 二人の姿が急に見えなくなったら心配するし、周りにも迷惑がかかる」
ルヴェたちをこの洞窟にかくまう以上、このことははっきり伝えておかなくちゃならない。
洞窟には、外から冒険者だってやってくる。
侵入者と相対しているとき、もしも今日みたいなことが起きてしまえば、指揮にも支障がでてしまいかねない。
「だから、今度からどこか行くときには声をかけてほしい。俺でも、他の誰かにでもいい。それだけ、約束してくれないか?」
ルヴェはしばらく黙って頬を膨らませていたが、
「……わかった」
渋々ながらもうなずいてくれた。
「ん。ありがとう、助かる」
視界の隅に、やりとりを不安そうに見守っていたマナがほっと安堵した様子をみせるのが見えて、
「お前もだ。マナ」
今度はマナが、えっ、と声をあげた。
「どうしてルヴェを止めなかったんだ? 危ないってことはわかってたろ?」
「それは、お母さんが」
「ルヴェが言ったことでも、危ないって思ったら止めなきゃ駄目じゃないか?」
「僕が。お母さんを止める……?」
マナの目が大きく見開かれる。
そんなことを思いつきもしなかった、という表情だった。
絶句している相手に、俺がさらになにかを言いかけたところで、ぐいっと下から服を引っ張られた。
「マナをいじめないでよ!」
怒った顔のルヴェに言われてしまい、苦笑する。
「別にいじめてなんかないって」
もちろん、わかってる。
マナにとってルヴェは母親であり、唯一の保護者だ。
その相手の言うことに逆らうなんて、考えもしないはずだ。
だけど――
困惑しているマナ。
その幼い姿に、違う誰かが重なって見えた。
年のころはマナやルヴェと同じくらい。
頼りなさは多分、今と大して変わらないかもしれない。
それは、昔の俺だった。
ずっとルヴェの影に隠れて、彼女に頼り切っていた俺。
「俺みたいになりたいか!?」なんて言われたところで、マナにはまるで意味がわからないだろうけれど。
「まあ、とにかく無事でよかった。……二人とも、服が汚れちゃってるな。シィ、二人を温泉に連れていってやってくれ」
こくりと頷いたシィにうながされて、部屋をでていく。
ルヴェは不満そうに、マナはショックを受けた様子で、どちらもこちらを見ようとしなかった。
ぱたん、と扉が閉まる。
ふふー、とスラ子にからかうような目線をむけられた。
「マスター、嫌われちゃったんじゃないですか?」
「しょうがないだろ」
俺は憮然と答える。
今の俺は、あの二人とは年齢だけではなく、立場が違う。
俺がやるべきことは、あの二人といっしょに冒険を楽しむことじゃない。
あの二人が冒険できる環境を整えてやることのはずだ。
そのためには、少しは口うるさいことだっていわなくちゃならない。
……なんていうのが、すでに大人の理屈なのかもしれない。
俺が渋い顔になって考えていると、
「はっはっは。どこの種族でも、躾は大変じゃな」
豪快な笑い声に思考を吹き飛ばされて、客人の存在を思い出した。
「ああ、申し訳ない。見苦しいところをみせちゃったな。……ええと、俺はマギ。このダンジョンの主をやっている人間だ」
「わしはアンテロ。ドワーフじゃ」
案外、といっては失礼かもしれない。
だが、驚くほど流暢な精霊語で、簡潔な自己紹介がかえってきた。
ドワーフという単語が本人の口からでてきたところで、あらためて相手の異形をみやる。
異形、といっていいだろう。
天井まで届きそうな巨体。
単純に身体が大きいだけなら、そこまで驚くことでもない。
トロルやオーガなど他にも大勢知っているが、そうした生物は原則として精霊語を理解しない。
一般的に、精霊に近しい姿かたちの生き物ほど、より高度な文明や、それを可能にする言語――つまりは精霊語を用いることができるといわれている。
逆説的には、精霊に選ばれた存在だけがえこひいきされていると見ることもできる。
そのことを指して「精霊の祝福」だとか言うわけだが、目の前にいるこの存在は、そうした「精霊族」と分類されるなかでは間違いなく最大サイズの持ち主だった。
あえていうなら、ストロフライの父親が精霊形をとった姿に近い。だが、それもあくまでサイズだけの話だ。
目の前の相手と比べたら、ストロフライの父親なんて洗練されてるほうだ。
今まで、あの厳めしい相手のことを「山賊の親分」だなんて思っていたが、とんでもない。
これからは、都会派山賊の大親分と思うようにしようと俺は心にきめた。
全身毛むくじゃらで、余すことなく泥と垢にまみれた相手は、まじまじと凝視されてくすぐったそうに肩をゆすって、
「ドワーフが珍しいかの」
自分が随分と失礼なことをしていることに気づいて、頭をかいた。
「ああ、うん、申し訳ない。まさか、伝説だなんて呼ばれてる種族に会う機会があるなんて思ってもなかった」
それに、と言いかけて口ごもる。
興味深そうに続きをうながす相手に、
「……伝承だと、えらく小さいって聞いてたもんで」
がはは、と目の前の相手は大きく口をあけて笑った。
「わしら、そういう風に言われているんかい。しようがない。おおかた、耳長連中が好き勝手に言いふらしたんじゃろう。非力呼ばわりされたのが余程、気に食わなかったらしい!」
ち、と背後に控えるツェツィーリャが舌打ちするのをみやって、
「おお、悪い悪い。別にエルフのことを非難するわけじゃあない。わしらだって、そっちのことを散々に言っておるからな。お互い様じゃ」
にかっと笑ってみせる。
そうすると、鋭かった視線がやわらいで、ひどく印象がよかった。
へえ、と俺は相手の言葉に興味をもって、
「じゃあ、やっぱりエルフとは仲が悪いのか。そっちは伝承通りなんだな」
「ああ、まあそうじゃのう。色々とあったからのう」
言いにくそうにやや言葉をにごすのをみて、むくむくと好奇心が湧いてきた。
目の前の相手が本当にドワーフなのかはまだわからないが、これまでのやりとりでいえば、本物らしいと思えるくらいの感触はある。
伝説の種族ドワーフや、そのドワーフとエルフの確執だなんて、誰だって興味をもって当たり前だ。
ツェツィーリャやシルフィリアがあまり喋りたがらないということもあって、そのあたりのことはぜひ詳しく話を聞いてみたいところだったが、
「それで。そのドワーフが、いったいどうしてここの地下に? 他所とは繋がってないはずなんだけどな」
正確には、地下湖をとおして外海とは繋がっているはずだが、目の前の相手が素潜りしてきたようにはとても見えなかった。
こちらの質問に、ドワーフを名乗る大男、アンテロはぼりぼりと頭をかいて、
「それなんじゃがな。だいたい、半年くらい前だったかの。いきなり、わしらの耳にでっかい声が響いてきての」
ん?と嫌な予感をおぼえて、俺は顔をしかめた。
「なにやら大仰に、宣言をしているようでのう。初恋だ、とかなんとか。それで、いったいなにごとかと思って、その声がしてきた方向に穴を掘っておったわけじゃ。それで、ここに繋がったわけじゃが」
俺は頭をかかえた。
相手が言っていることにはもちろん心当たりがある。
“黄金竜ストロフライの魔王災”――その契機ともなった、いわゆる“黄金竜の宣言”。
世界中の生きとし生けるもの全てに向けられ、季節外れの花さえ満開にさせたその宣言は、伝説のなかに眠っていたはずのドワーフたちの耳にさえ届いていたらしい。
まったく、とんでもない話だ。
とんでもないうえに、自分がその当事者にふくまれているので誰を恨むこともできない。
頭をかかえたまま、相手にたいしてとても顔を向けられないでいると、ふふー、とスラ子の声が届いた。
「それなら、気になって様子をみにいこうと思われても仕方ありませんね。その大声の持ち主は、ストロフライさんっていう黄金竜の方なんですけど。そのストロフライさんが告白をなさったお相手というのが、なにを隠そう、こちらにいらっしゃるマスターなのですっ」
どうしてお前が得意そうなんだ。
げんなりと顔をあげると、あまり大きくない目を丸めた相手が、まじまじとこちらを見つめていた。
「ぬしが? 竜が、人間相手に懸想したというのか?」
相手の気持ちは痛いほどにわかるが、否定するわけにもいかない。
俺が黙っていると、
「がーはっはっはっは!」
部屋をゆるがすような笑い声が響き渡った。
「そいつはすごい! わしたちがしばらく地下にこもっとるあいだに、地上はずいぶんと面白いことになってるんじゃのう! 仲間へのいい土産話ができたわ!」
腹を抱えて、いまにも笑い転げだしそうなアンテロの様子をみながら、俺は胸のなかでほっと息を吐いていた。
少なくとも、敵意があるようには見えない。
演技というのも考えられるが、
「それじゃ、なにか用事があるってわけじゃないんだな。これからどうするんだ? どこかに予定でもあるのか?」
「ん? ああ、そうじゃのう。大声の理由はわかったし、仲間のところに戻ろうかの。こんな面白い話、はやく教えてやらんとじゃしな」
「そっか。……じゃあ、一晩泊まっていかないか? せっかくの縁だ。色々と話も聞いてみたいし」
こちらが提案すると、アンテロはふむと顎をなぞるようにしてから、ちらりと視線を俺の背後にむけた。
「まともな寝床なんざ、半年振りじゃからな。さっきの地層で気になるところもあったことじゃし、わしにとってはありがたい話じゃが。……そちらはかまわんかの」
視線の先には、渋面顔のツェツィーリャ。
銀髪のエルフは、訊ねられても答えようとしない。
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「おい、ツェツィーリャ」
「いやいや、気にせんでくれ。エルフなら、たとえどんなふうに思っておったところで、わしら相手に答えられることは決まっとるじゃろうからの。こちらが勝手にさせてもらうことにしよう。悪いが、一晩、床を貸してもらえるかのう」
「わかった。それじゃあ――とりあえず、風呂でもどうだ?」
おそらく、この半年ほど風呂にはいっていないのだろう。
できれば小綺麗にしてもらったほうが、こちらとしても歓待しやすい。
「そりゃありがたい」
にかりと笑う相手に、俺はそばに控えたスラ子へとうなずいて、
「案内たのむ」
「ふふー。了解ですっ」
スラ子に先導されて、ドワーフを自称する大男は部屋をでていった。
……これでいい。
アンテロの話ぶりは嘘を言っているようには思えなかったが、完全に信用できるわけでもない。
スラ子に監視してもらっておくのが一番だろう。
さっさと追い出してしまってもよかったが、台詞のなかに、いくつか気になることがあった。
仲間とか、さっきの地層がどうとか。
ということはつまり、ドワーフというのはアンテロ一人ではなく、他にもいるのだろう。
そのあたりの情報はできれば手に入れておきたい。
色々と、伝承の類や伝説の系譜を知ることもできるだろう。
そんなことを考えていると、ふと横合いからの強烈な視線に気づいた。
ツェツィーリャが、苛烈といっていいほどの眼差しでこちらを睨みつけている。
俺は顔をしかめて、
「やっぱり反対なのか?」
どうも、エルフとドワーフが、種族的に仲が悪いというのは伝承に聞く通りのようだったので、そう訊ねると、
「別に」
「あのなあ。別にって言い方じゃないだろ、それ」
「知るか。手前がやりたいなら、勝手にやりゃあいい。ただ、覚悟だけはしとけって話だ」
覚悟?
「なんに対する覚悟だ?」
銀髪のエルフはじっと俺をみすえて、しばらく無言の間をつくってから、
「この世界を、敵にまわす覚悟だよ」
なにかを溜め込んだ口調で、そう吐き捨てた。