八話 エルフの憂鬱
いなくなったマナとルヴェが見つかった。
ダンジョンの下層域へ探索に向かったスラ子からの連絡に、俺は心底ほっとしたが、報告には予想もしていなかったおまけまでついてきた。
「ドワーフだって? 相手がそう名乗ったのか?」
『はい、そうなんです。……どうしましょう、マスター』
困惑した声で訊かれるが、こちらにしたってなんと返せばいいものか。
ドワーフ。
とうの昔に滅んだはずの『遺失種族』。
滅んだ理由や、それ以外にも多くの謎を残す、文字通りの意味での「伝説」だ。
そのドワーフ――自称ドワーフが、どうして封鎖されたダンジョンの下層域に?
侵入者?
いったいどうやって入り込んだ?
そもそもの問題として……本物なのか?
仮に偽者だとしても、いったいなんでドワーフを名乗る意味があるのかがわからない。
いくつも疑問を浮かべながら隣に目をやると、まさか自分が冗談のネタにした存在があらわれるとは思わなかったのだろうツェツィーリャは渋面で、こちらと視線があうとそっぽをむいてしまう。
……まあ、考えたところでしょうがない。
俺は頭をかいて、
「あー。とりあえず、戻ってこい。お客さんも一緒にな。こっちから迎えをだすか?」
『あ、それは大丈夫です。そちらは、歓迎の準備をお願いしますっ。せっかくのお客様ですから!』
返答と一緒に、手のひらの上のミニスラ子が俺にむかって、ぱちくりとウインクしてきた。
なんだ?と思いかけてから、納得する。
なるほど。“歓迎”ね。
「……わかった。それじゃあ、気を付けて帰ってこいな」
『ふふー。了解ですっ』
スラ子の声が途切れるのを待ってから、結晶石を握ったまま、今度は別の相手にむかって語りかけた。
「スケル、エリアル、聞いてるな? マナたちが見つかったみたいだ。騒がせちゃって悪かった」
『ういうい。ご無事ならなによりっす』
『全くだ。……それで、洞窟の配置はどうする?』
と、エリアルが聞いてきたのは、スラ子の台詞の裏に気づいたからだろう。
「そうだな。……とりあえず、警戒態勢は今のままで頼む。正体不明のお客が、物騒な相手じゃないって決まったわけじゃないからな」
『“警戒”で構わないのか?』
念を押すような口調は、恐らく「戦闘準備」に入らなくてよいのかという確認だ。
「それで大丈夫だ。あんまりピリピリしすぎても、かえってよくないだろうしな」
『……了解』
「うん。じゃあ、よろしく」
通話を終えたこちらに向かって、ミニスラ子がじっと見つめてきている。
わかってるよ、と俺はその頭を撫でてみせた。
「いいのかよ? 人魚の野郎、いかにも不満って感じだったぜ」
意地悪そうに、ツェツィーリャ。
「いいんだよ。それより、シルフィ――あれ? シルフィリアはどこいった?」
さっきまですぐそこに浮かんでいたはずの風精霊の姿がなかった。
「シルフィリアは?」
「知るか」
「あいつに頼みたいことがあったのに。おーい、シルフィリア。いるんだろ? ちょっとお願いされてくれないか?」
しばらく待つが、返事はない。
むなしく沈黙が流れるだけの場に、ぽつりとツェツィーリャが呟いた。
「……逃げやがったな」
「逃げる?」
シルフィリアが、どうして逃げる必要があるんだ?
「知らねえよ。本人に訊けばいいだろうが」
吐き捨てるように毒づかれる。
目の前の、この大変に目つきの悪いエルフの口が悪いのはいつものことだが、
「なんでそこでお前が不機嫌になるんだよ」
「うるせーよ。話しかけんな、クソが」
こういう時にはなにを言ったところで無駄だ。
仕方ない、と俺は息を吐いて、
「他に頼むしかないか。……誰か頼める奴いるかなあ」
「なんの用事なんだよ」
おや、と思った。
不機嫌なくせに声はかけてくるところからすると、俺に対して怒っているわけじゃないらしい。
「メジハに行ってきてもらいたいんだよ。カーラとタイリンを呼んでおこうと思ってな」
はあ?とツェツィーリャが顔をしかめて、
「手前は馬鹿か。んなもん、それで上の連中に連絡すれば済む話じゃねえか。なんのための“石”だよ」
結晶石をあごでしゃくってみせる。
たしかに、結晶石を使えば連絡するのは簡単だった。
さすがに、こことメジハを直接つなぐほどの結晶石は持ち合わせちゃいなかったから、スケルに連絡して地上に近い誰かに使いに立ってもらえばいいわけだが、
「なんだか、スラ子が警戒してるみたいだったからな。気を付けておこうと思うんだよ」
「気をつける? なんのこった、そりゃ」
「さあな」
俺にだってよくわからない。
だが、さっきのスラ子の台詞、というよりは、その時のミニスラ子の目配せはいかにも意味ありげだったし、なにかの意味合いが含まれていることは確実だった。
それに、遠い距離を声と声で繋ぐ結晶石―――正確には「月の結晶石」だ――は、たしかに便利な道具だが、不便なことや欠点がないわけじゃない。
その一つが、「範囲内にあるすべての結晶石に声を届けてしまう」ということだ。
結晶石を介したやりとりは、第三者にまで情報が筒抜けになってしまう恐れがある。
そのため、秘密裏の会話には不向きな場合もある、という話は以前、ルクレツィアからも注意を受けていた。
さっき、スラ子が結晶石で伝えなかったのは、つまり、結晶石で伝えたくないということだろう。
その場にいる誰かに慮ったのか、結晶石を介するということを警戒したのか。どちらにしろ、こちらも気を付けておいたほうがいい。
普段なら、こういう時にはシィにお使いを頼むことが多かった。
妖精は空を飛べるし、姿を消す魔法も使えるので、隠密行動に向いているからだ。
だが、シィは今、スラ子と一緒にマナたちを迎えに出てしまっている。
風精霊であるシルフィリアなら、手っ取り早いと思ったのだが――そこでふと思いついて、俺は駄目元で近くの相手に声をかけてみた。
「なあ。ちょっとお使いを頼まれてくれたりしないか?」
「しねーよ。死ねよ」
……まあ、わかってたさ。
愛想の欠片もない返答に頭を振って、俺は部屋からでた。
誰か、メジハまで行ってくれる相手を探さなきゃならない。後ろにはツェツィーリャがついてきた。
護衛という立場だから、基本はどこにでもついてくる。
性格その他は乱暴極まりないが、真面目な性分ではあった。
薄暗い廊下を歩きながら、
「それで、どうしたんだよ。喧嘩でもしてるのか、お前ら?」
振り向かないまま訊ねると、沈黙が返ってきた。
こういう場合の無言はなにより雄弁だ。
肩越しに後ろを見ると、顔いっぱいを渋くしたエルフと目が合う。ぎろりと睨まれた。
俺は気にせずに、
「珍しいよな、お前らが喧嘩なんて」
というか、出会ってから初めてな気がする。
賢人族のツェツィーリャと風の精霊シルフィリア。
二人は、いわゆる契約関係にある間柄だ。
精霊との契約の詳細についてはよく知らない。
前に本人たちに聞いてみたことはあるが、教えてくれなかった。
その契約を交わすことでシルフィリアは精霊の助力を得て、強力な魔法を行使できる、らしい。
契約というくらいだから、他にも細かい決まり事は色々とあるのだろうが。それはともかくとして、
「マナたちを迎えに行くときは、別に普通だったよな? ってことは、こっちに戻ってきてからの喧嘩か?」
帰ってきてからの二人の様子はどんなものだったかと思い出しながら訊ねるが、ツェツィーリャは答えない。
むすっとした顔で黙り込んでいる表情が、どことなく普段より幼かった。
なんというか、不貞腐れてるように見える。
目の前の相手がそんな顔をするのは珍しかったし、相手が人間よりはるかに長寿なエルフだってこともあって、俺はなんだか優しい気持ちで親身になって問いかけた。
「原因はなんだよ? ほら、ちょっとお兄さんに話してみろって。相談のるからさあ」
「ろくに友達もいねー引きこもり野郎に相談するわけねえだろうが」
「最近は引きこもってないだろうが!」
優しい気持ちは一瞬で消え失せた。
「いつまでも人のことを日陰者扱いしやがって。……別に言いたくないならいいけど、なんかあったら言えよな。ほんと」
ぶつぶつと、それでも俺が念を押すように続けたのは、ツェツィーリャついて少し気になることがあったからだった。
端的にいってしまうと、ツェツィーリャには友人がいない。
ツェツィーリャは俺の護衛をしてくれているから、当然、この洞窟で寝起きをすることになるわけだが、俺はツェツィーリャが誰か他の洞窟生活者と親しげに話しているのを見たことがなかった。
まあ、俺だって他人のことは言えないし、別に友達がいないと駄目だなんていいたいわけでもない。
そもそも、ツェツィーリにはシルフィリアという特別な相棒が存在しているのだが、だからこそ、そのシルフィリアとなにかあったときに困ってしまうだろう。
そういう時に二人の仲をとりもってくれるとか、ツェツィーリャの話だけでも聞いてくれる誰かがいればいいのにな、と思うのだ。
俺にそれができればいいのだが、結果は御覧の通り。
長らくダンジョンに引きこもってきた結果、培われたマイナス方向の対人コミュニケーション能力は、我ながらいかんともしがたかった。
……今度、シィかカーラあたりに、話を聞いてみてくれって頼んでみるか。
個性的な連中が多いダンジョンの面子のなかで、例外的に穏健な性格をしている二人のことを考えていると、もっとふさわしい相手の姿が脳裏に浮かんだ。それでまた、思わずため息がでてしまう。
「ほんと、ヴァルトルーテがいてくれたらよかったのにな……」
独り言のつもりが、意外に大きく響いてしまった。
それを聞きつけたツェツィーリャが、はあ?と険悪な声をあげる。
眉を逆立てながらほとんど掴みかかってくる勢いで、
「おい、どういう意味だ。俺じゃ役立たずだって言いてえのか」
今度はこっちが、はあ?という番だった。
「んなこと一言だっていってないだろ」
「嘘つけ、適当いいやがったらぶっ殺すぞ」
「なんでだよ。ヴァルトルーテがいたら相談だってしやすいだろうなって、それだけだろうが」
こちらを睨みつけてくる相手に、
「これでもお前には感謝してるし、申し訳ないとも思ってるんだからな。湿気た洞窟のなかなんて、どう考えてもエルフが好んで住むような環境じゃないしな。だから、相談に乗れることがあったら乗ってやりたいんだよ。悪いか?」
まったくの本心だったから、まっすぐに相手をみすえて言い切ってみせると、ツェツィーリャはなにか悪い物でも食べたような表情で顔中をくしゃくしゃに歪めてから、はあっと息を吐いた。勢いよく顔を背けて、
「……気持ち悪ィ。うぜェ」
吐き捨てる横顔が赤い。
「照れるなってぇ」
「照れてねえ! その言い方やめろ。言っとくけど、本気で気持ち悪ィからな」
「はいはい」
ちっ、と舌打ち。それから、
「……ちょっと前から、あいつの様子がおかしいんだよ」
俺は眉をひそめた。
歩く速度を落としてツェツィーリャにならぶ。
普段は絶対に見せない憂いのようなものを浮かべている横顔にたずねた。
「なにかあったのかって、本人には訊いてみたのか?」
当たり前だろうが、とツェツィーリャは吐き捨てた。
「だいたい、なにかあったら聞かれる前に答えるさ。オレとあいつは、ずっとそうしてきたんだ。なのに、なんでもないとしか言いやがらねえ。……なんでもないだ? オレがわからねえとでも思ってやがるのかよ」
クソが、と叩きつける調子にいつもの勢いがない。
「様子がおかしいのは、いつからなんだ? やっぱり、洞窟に帰ってきて――」
ツェツィーリャが首を振った。
「……あの洞窟んなかで、途中、シルがいなくなったことがあったろ」
俺はややあって思い出した。
マナとルヴェを迎えにいった途中で寄った町で、魔物の襲撃に遭遇した。
そこで浚われた女の子を追って入ったダンジョン――ダンジョン紛いの洞窟で、確かにそういうことがあった。
正直にいってしまえば、あの時は、色々あったあとにシルフィリアは普通に戻ってきていたし、他にも気になることが多すぎてあまり意識していなかったが、
「その時に、なにかあったってことか? なにかされたとか?」
「さあな。シルのやつは、なんか強制的に洞窟の外に吹っ飛ばされたとか言ってたけどな。精霊相手にそんなことが出来るだけで普通じゃねえだろ」
「確かにな」
腕を組んで考える。
あの洞窟に居合わせたなかで、それだけの力をもった存在といえば、まずはマナが思い浮かぶ。
“十番目”という正体不明の力を宿した、不可思議な子ども。子どもの姿をした存在。
だが、マナが自分の力を扱いかねているのは明らかだった。
衝動的にならともかく、意図してなにかをできるとは思えない。
他に考えられるのは、二人の“スラ子”。
そして、……ルヴェ。
――怪しいのはルヴェだ。
いや、ルヴェじゃない、もう一人のルヴェの方。
小さな姿ではなくて、「本来そうであるはずの年齢」の外見をした“ルヴェ”が疑わしいと、ほとんど直感的に俺は決めつけていた。
あの“ルヴェ”は「スラ子の力」を持っていた。
天下無敵の黄金竜とさえ張り合った“万能の不定形”、その力の欠片を。
彼女なら、精霊相手にだって強制的な作用をおよぼすことだってできるかもしれない。
単に洞窟の外に吹き飛ばされただけではないかもしれなかった。
それだけなら、シルフィリアの様子が不審なことに繋がらないからだ。
……もしかして、吹き飛ばした先で二人は接触を持ったのかも。
そこでなにかを吹き込まれた、とか――そこまで考えてから、さすがに深読みのし過ぎかなと苦笑する。
どうも、あの“ルヴェ”については警戒心が先走ってしまう。
色々と謎の多い相手だから無理もないのかもしれないが。
ともあれ、シルフィリアの様子がおかしいことに大人ルヴェがなにかしら関わっているのではないかというのは、そう間違った予想でもないように思えた。
黙ったまま、こちらを見ているツェツィーリャの視線に気づいて、俺は頷いてみせた。
「……今度、シルフィリアと話してみる。他に聞きたいこともあるしな。なにかわかったことがあったら、お前に言う。それでいいか?」
銀髪のエルフはいいとも悪いとも応えなかった。
ただ、そっぽを向いて、ふんっと鼻を鳴らしただけだ。
俺はそれをみて思わず苦笑してしまう。
本当に、コミュニケーション能力の乏しい奴だ。
そういう意味では、俺たちは、このダンジョンで一番の似た者同士かもしれなかった。
それから、俺とツェツィーリャは上層域にあがって、人魚の一人にメジハへの連絡を頼んだ。
今日は非番だというその若い人魚は、もちろん人魚なので町中には入れない。
だが、町の人間に個人的なツテがあるので大丈夫だと請け負ってくれた。
個人的なツテ、というのがどういうものなのかはわからないが、俺にとってはダンジョンの住人と外の人間とのあいだにそうした良い意味での関係性が存在していることがまず驚きだった。
いまだに町の連中とろくに打ち解けられていない己が身を振り返ってちょっぴりヘコみつつ、素直にその縁を使わせてもらうことにする。
ついでに、スケルとエリアルとも顔をあわせておいた。
やはりエリアルは対応に不安があったようで、事情を話すと得心してくれたが、俺としてはもう一方のスケルのほうが心配になった。
全身まっしろのこの元スケルトンは今、このダンジョン防衛の現場統括という立場にあるのだが、さっきのやりとりにも特になにか不審を感じなかったようで、俺たちの説明をきょとんと聞いていた。
……こいつに任せておいて大丈夫なんだろうか。
一抹の不安をおぼえながら、そのあたりも今後の課題だなと心のメモに書き留めておく。
こうして日々、課題や問題が増えていくわけだ。
ちょうどそこに、スラ子たちが戻ってきたという報告をうけて、俺たちは下へと取って返した。
封鎖されている下層域へとつながる中層深部。
その手前にある、スラ子たちが休んでいるという休憩室にたどりついて、
「…………」
扉をあけた先にあるものを見て、俺とツェツィーリャは唖然とした。
簡素な室内の中央にいるのはスラ子とシィで、あいだに挟まれるようにマナとルヴェの姿もあった。
二人の無事な姿にほっとして、しかし俺の注意はすぐに別のものへと吸い寄せられてしまう。
部屋の天井にさえ届きそうな巨躯。
泥と垢で薄汚れた全身に、それを覆う毛むくじゃら。
闇夜のなかで光りそうな眼光だけが異様に鋭い。
そして、室内に充満するこの異臭は――これは、体臭か?
様々な伝説に登場する“ドワーフ”。
そのどれらにもまるで合致しないような異質な存在が、そこにはいた。