五話 彼女である所以
「――二人がいない、だって?」
メジハの町の近くの湖畔、黄金竜の山の麓にあるダンジョン。
その中層の奥。
洞窟で寝起きする全員の居住空間になっている場所に戻った俺は、そこでマナたちの姿が見つからないという報告を受けた。
「どういうことだ? マナはずっと眠ってたって聞いたぞ」
『さきほど、起きられたんです。お二人でご飯を食べてたとこまでは確認してるんですが、そのあと、ちょいと目を離してるあいだに、どこかいなくなっちゃってたみたいっす』
手にした小石から声が答える。
聞こえてくるその声はスケルのもので、ここにはいない。
俺が持っている小石は月の結晶石と呼ばれる希少な代物で、それを使えば、遠方にいる相手との連絡が可能だった。
「このあたりの居住域は探したのか?」
『ういっす。どうも、別のエリアに行かれちまってるようでして』
「外に出たとかじゃあないよな。どの抜け道を通っても、絶対に誰かの目にはいるはずだ。……まさか、ダンジョンの方じゃないだろうな」
今、ダンジョン内に侵入者はいないようだが、ダンジョンの内部には罠もあるし、侵入者の分断やその疲労を狙って、わざとわかりにくく入り組ませている道も多い。
そんな場所で二人が迷子になるのは、言うまでもなく甚だ危険だ。
『そう思って、今こっちを必死こいて探してるんすが、見つかったとか、痕跡の類があったって報告はまだ上がってません。防衛ローテ以外の蜥蜴人さんたちや、エリアルさんたちにも手伝ってもらってるんですがー』
「エリアル?」
『――聞いている』
魚人族をまとめるマーメイドの声が、会話に加わった。
『現在、人を使って地下水流全域を捜索中だ。とはいえ、水のなかに誰かが落ちたりすれば、私達の誰かが気づかないはずがない。こちらには来ていないと思うが』
洞窟内部には豊富な地下水流がながれていて、そこはマーメイドたちの移動にも使われる。
ダンジョンのなかでも危険な場所の一つだったから、エリアルの報告を聞いて俺はほっと息を吐いた。
「なら、足を滑らせて水の中に。なんて可能性は少ないと思っておいてかまわないな?」
『ああ。念のため、これからも目を光らせておく』
「よろしく頼む」
そこで一旦、会話をきって考える。
スケルとエリアルの二人は、ダンジョン防衛の現場責任者的な立ち位置だ。
俺の不在時にはスケルが指揮して、エリアルがそれを補佐する。
当然、ダンジョン内部の造りについても詳しい。
迷子になりそうな場所も見当がつくはずだから、その二人が探し出せないというのはおかしかった。
どこか、よほど上手い場所に紛れ込んでいるのか、それとも――ちらりと視線をむけると、同じことを思ったのだろう。俺を見たスラ子もこくりと頷いた。
「“下”に降りていってしまったのかもしれませんね」
「だな。……となると、ちょっと不味いな」
ダンジョンの下層域は半年前の戦闘でひどくダメージを受けていて、現在は封鎖中だ。
最低限の修復は為されているがあくまで応急的なものに限り、今でも崩落の危険性がある。
『下層にっ? マジっすか。でも、あんなあからさまに危ないってわかる場所、入り込んじゃいますかね。立て看だってあったはずですし』
「子供ってのは、そんなもんだろ。それに、俺もつい忘れてたよ。相手は、“ルーヴェ・ラナセ”だ」
苦々しい過去の思い出とともに、その事実を思い出す。
「アカデミーで『騒々しい夜明け』だなんて徒名までつけられた、生まれついてのトラブルメーカーだからな。ちょっとでも大人しくしてくれてるはずがない」
『ははあ……。ご主人、昔っから苦労されてたんすねえ』
ほっとけ。
『それで、どうするんだ? 捜索隊を出すなら、すぐにでも編成を始めるが』
俺は少し考えたが、
「いや。そっちはダンジョン防衛に注力してくれていい。午後にはなったが、まだこれから新しい侵入者がやって来ないって決まったわけじゃないからな。マナたちの件はこっちで引き受ける。――ああ、一応、上・中層でも捜索自体は続けてくれ。そっちで見つかれば、それが一番だ」
『了解っす』
『了解した』
二人との会話がとぎれる。
俺は結晶石を手のひらで転がしながら、息を吐いた。顔をあげる。
「と、いうわけだ。――下に降りる。スラ子、ついてきてくれ」
傍に控える不定形の相手に言うと、
「お断りします」
あっさりと拒否されてしまう。
まさか断られるとは思っていなかったので、俺はぎょっとして、
「え、なんでだよ」
「危険だからです。落盤だってあるかもしれないのに、そんなところへマスターを連れていくわけにはいきません。マナさんたちは、わたしが探してきます」
「いや、そりゃ危険だってのはわかるが、」
俺が反論しようとすると、スラ子はにっこりとした笑顔で、
「足手まといなので、大人しくここにいてください」
……おう。久しぶりに、ストレートでグサリときた。
「わかったよ。……お前ひとりで行くのか?」
「んー、そうですねぇ。それでも大丈夫だとは思うんですが、わたしもまだまだ本調子ってわけではないので……シィ、お手伝いしてもらえる?」
スラ子に声をかけられて、シィはこっくりと頷いた。
表情はいつものままだが、頬がちょっと赤くなっているのは、大好きなスラ子に頼られて嬉しいからだろう。
「二人だけか?」
スラ子とシィ。
戦力的には不安というわけではないが、やっぱり少し心許ない。
最近、わずかな「欠片」を取り戻したとはいえ、今のスラ子は全盛期とは比べ物にならないくらいほどに弱体してしまっているし、妖精族のシィは魔法が得意だが、戦闘能力そのものは高くない。
今回はマナとルヴェの捜索が目的なのだから、戦闘力が必要というわけではないが、
「うーん。それじゃあ、ノーミデスさんにもお願いしてみます?」
ノーミデスというのは、このダンジョンを縄張りにしている土精霊のことだ。
この世界にあふれる『魔素』の象徴である精霊は、基本的には世界中のどこにでも存在するが、その性格は属性や個体差で様々だ。
このダンジョンを管理しているノーミデスの性格は、よく言えばおおらか。
悪くいえばずぼらで適当。
管理者のくせに管理地についてはほぼ放置で、日課といえば、もっぱら俺の飼育しているスライム部屋で昼寝をすることくらいだ。
寝不精のあまり、最近では頭から葉っぱまで生えてきている始末なのだから目もあてられない。
「ああ、いいな。あいつもたまには動かないとな」
そのうちに全身から葉っぱが芽吹いて、木精霊みたいな姿になりかねない。
たまには精霊の本分ってやつを思い出してもらっても、罰は当たらないだろう。
「ふふー。ノーミデスさんなら、お二人を感知してくれるかもしれませんしね。そうでなくとも、いざという時の危機回避時にも頼れるはずです」
スラ子にシィ、そしてノーミデス。
珍しい組み合わせだが、捜索目的ならむしろベストな面子かもしれない。
他に候補にあげられるのは、闇属での魔法支援を得意とするタイリンか、もしもの時の直接戦闘員としてのカーラくらいだが、二人とも俺と一緒に遠出を終えてきたばかりで、今はメジハの町に戻っている。
しばらく休ませてやりたいところだ。
「――よし。じゃあ、その三人にしよう。念のため、いつでも連絡をとれるように、結晶石は持っていけよ」
「あ、それでしたら、」
言って、スラ子は自分の長い青髪を掴むと、ぷちり。その先端を引きちぎった。
うねうねとスラ子の手の中で、形を変えていくそれがやがて、つぶれた球形をとる。
スラ子はそれを、はい、と俺に手渡した。
「これで、わたしが見ている光景がマスターにも見えます」
「……大丈夫なのか?」
手乗りサイズのスライムのような「スラ子の一部」を受け取りながら、俺が心配したのはスラ子の力を分けることのデメリットについてだった。
「このくらいなら、平気です」
スラ子は心配性な俺を苦笑するように、
「前みたいに洞窟全体をカバーするような真似はちょっと厳しいですけど。それに――」
ふふー、と妖艶な表情をつくって、隣のシィを見やる。
「昨日、ちゃーんと、シィからもらってますから。大丈夫ですっ」
意味ありげな視線を受けて、シィは真っ赤になっている。
俺は息を吐いた。
「わかった。それじゃあ、俺は部屋で報告書の山に埋もれておく。……悪いが、よろしく頼む」
「ふふー! お任せあれっ、です!」
「……頑張り、ますっ」
不定形と妖精の仲良しコンビが、ぐっと拳を握り込んだ。