四話 目覚め
「おかえりなさいっ、マスター」
洞窟の、秘密の出入り口では、スラ子が俺たちの帰りを待っていてくれた。
にっこりと微笑んで、その手になにかを持っている。
はい、と手渡されたそれが、ちゃぷんと音を立てた。水筒だ。
「きっとマスターが色々と枯れてるんじゃないかと思いまして、用意しときましたっ」
まったくもってその予想は正解だったので、俺は渡された水筒にだまって口をつけた。
よく冷えた水が喉をとおって、なにより美味い。
「……助かった。ついでに悪いが、肩かしてくれ。シィ、もういいぞ。ありがとな」
一晩中、いろんなものを搾り取られてミイラになった俺をここまで連れて帰ってきてくれたのはシィだ。
移動の際には浮遊の魔法をかけてもらっていたから、重くはなかっただろう。
とはいえ、小柄な体格で人間の大人一人を引きずるのはしんどかったはずだが、シィはふるふると頭を振って交替しようとはしなかった。
「ふふー。シィ、それじゃあ一緒にマスターを運びましょう?」
スラ子に言われると、無口な妖精はこくりと頷く。
俺は大人しく体格差のある二人に支えられて、地下へとくだった。
洞窟内はしんと静まり返っている。
「今日はまだ侵入者はなしか?」
「いえ、朝方に数組ほど。無事に撃退できたみたいです」
「あの二人は?」
「昨日は一日中、お休みでした。ルヴェさんは今朝、起きてから洞窟のなかを色々と見て回っていらっしゃいますけど、マナさんはまだお休みのようですね」
「そっか」
よほどこれまでの疲れがたまっていたんだろう。
「まあ、今は好きなだけ休ませてやろう。起きたら、今後のことも色々と話をしないといけないしな」
ルクレティアが懸念を示したように、マナと、そして“十番目”という存在については未知の部分がおおきい。
それと同じだけの危険も。
マナのことはなんとかしてやりたいと思っているが、だからといって、洞窟の連中を考えなしに巻き込んでいいわけでもなかった。
たとえ不完全にでも最低限、安全の確認は必要だ。
スラ子とシィに支えられながら、自分の右腕をみやる。
そこにあるのは引っ掻き痕のような傷。
……この傷が、一応、洞窟に戻ってくるまでに考えた『安全の確認』だった。
――マナは、対象の時間を食う。
まだ赤ん坊の姿だったマナは、お乳も飲まない代わりに母親であるルヴェの年齢を“食べて”いた。
次に会った時には、マナの姿が十歳頃まで成長して、ルヴェがそれとおなじくらいまで幼くなっていたことを考えても、これは多分間違いないはずだ。
もちろん、それだけでは理解できないこともあった。
具体的には、「本来の年頃の容姿をした」“大人ルヴェ”の存在がそれだ。
マナの力が暴走しかけたあの洞窟での現象や、なぜかたどりつけない場所などの件も含めて、“十番目”は未知数だ。
おそらく、「時間を喰う」というのも、あくまでその力の一部に過ぎないだろう。
だが、一部だろうと全部だろうとそんなことは関係ない。
問題は、その能力がどの程度の周囲に影響を及ぼすのか、だ。
あくまでそれは、自分の“親”であるルヴェに限ったものなのか。
それとも、それ以外の相手も対象になりえるのか。
この場合の「最低限の安全確認」が、そこだ。
それを確かめるために、俺たちは洞窟に帰る道すがら、自分の腕に傷をつけた。
年単位とかであればともかく、数日の時間を“喰われた”程度じゃ、外見の変化には気づけない恐れがある。
だが、この傷が「カサブタにならない」。あるいは、「カサブタにならずに消える」ようなことがあれば、それは時間を喰われている証拠だ。
もしもそれがあったら――つまり、マナの影響が無差別に周囲を対象することが判明すれば、さすがにマナを洞窟にそのまま連れてくることにも躊躇していただろう。
実際には、見てわかるとおり、俺の腕についた傷はそのまま自然に治癒がすすみ、そろそろカサブタもはがれそうな案配だ。
それで、最低限の安全確認はとれたと判断したわけだが、もちろんこれが不完全にすぎないってことは重々わかっている。
仮に、マナの影響が、親であることを条件にルヴェに起こったものなら、それはマナとの心理的な距離が要因になるかもしれない。
心理的距離。
つまり、マナが誰かと仲良くなればなるほど、その相手に対してもなにかしらマナの力が干渉を起こす可能性があった。
もちろん、全部ただの仮説だ。
だけど、絶対に考えられない話じゃない。
そう考えると、マナを連れたルヴェが町から町へ、ほとんど一か所に留まらなかった理由にも納得がいく。
マナの力を狙う魔物から逃げて、という理由はもちろんのこと、「マナと仲の良い誰か」をつくらないために、というわけだ。
もしそうなら、マナを洞窟に連れ帰るなんてとんでもない話だな……。
ルヴェのとっていた行動の意図について本人に確認したいところだが、そのルヴェは十以上も年若くなってしまって、元の記憶がない。
もう一人の“大人ルヴェ”にいたっては、目的どころかその正体すら不明だ。
二人の“ルヴェ”なんて事態が起こった要因もマナの“力”かもしれない。
いや、十中八九そうなのだろう。
なら、俺になにができる?
まだ十歳も年が若くなったりせず、二人にもならなかった「ルヴェ」は、いったい俺になにをして欲しくて、助けを求めてきたんだろう。
――あたし、間違えたのかなぁ。
途方にくれたような声。
それと同時に頭痛をおぼえて、俺は顔をしかめた。
考えすぎかもしれない。
だが、洞窟に棲む大勢の安全がかかっているのだから、どれだけ頭を疲れさせたところで無駄ということはない。
……当座の問題としては、マナの処遇をどうするかだ。
影響の有る無しや、その及ぼす範囲については慎重に経過を観察するしかない。
その間、できればマナにはなるべく不特定多数とは関わらず、大人しく過ごしてもらいたいが、
「だからって、隔離するわけにもいかないしな……」
洞窟のなかには日も差さない。
あんな子供を――子供の外見をした相手を、湿気た地下の奥底にずっと押し込めておくわけにはいかなかった。
「マナさんのことです?」
俺の呟きが聞こえたスラ子が訊ねてきた。
「ああ。どうするのが一番いいのかを考えると、頭が痛い」
「うーん。しばらくは様子を見るしかないですかねぇ」
謎が多い“十番目”については、さすがにスラ子でもお手上げらしい。
「けど、大丈夫だってわかるまで、ずっと全員に腕に傷つくってもらうってのもな」
「最低限の安全」を確認するために、俺以外のマナを迎えにいった面子にも、それぞれの腕に傷をつくってもらっていた。
カーラとタイリン、ツェツィーリャ。そして、ルヴェ。不定形のスラ子は傷跡くらい簡単になくせるので除外した。
「でしたら、毎日、皆さんに爪の長さを計ってもらうようにしてはいかがです? 髪の毛でもいいでしょうけど、わかりにくいですし」
「ああ、なるほどな。それいいな。そうするか」
マナに関わる全員、特にルヴェにはどうしたって「安全確認」に協力してもらう必要があるわけだが、仕方ないとはいえ、あんな年頃の相手の腕にいくつも傷をつけてもらわなくちゃいけないというのは気が進まなかったから、その提案はありがたかった。
洞窟内に棲む魔物には爪を持たない相手も多々いるが、妖精や蜥蜴人、魚人族など主要な連中は全員、爪があるから大丈夫だろう。洞窟全体に及ぼす影響の是非はそれで判断できるはずだ。
「他になにか、マナのことでアイデアないか?」
「うーん、そうですねぇ」
スラ子がなにか口を開きかけたところで、ずん、という低音が足元に響いた。
……侵入者か?
それはいいとして、
「爆発系のトラップなんて用意してたか?」
「聞いてないですねー」
半年前の戦闘で、ダンジョン全体にあちこちボロがでてるから、地盤に影響が大きいトラップは置いてないはずだが……
今も、頭上からぱらぱらと土砂が落ちてきて、俺たちは三人とも天井をみあげた。
「……やっぱり、すぐにでも大掛かりな修繕が必要だな」
今のところ、侵入してくる冒険者は上層部分での撃退ができているが、いつまた王立騎士団なんていうような手強い連中がやってくる事態になるかわからない。
検討中の修繕計画について、早いところ進めておく必要があった。
実のところ、計画そのものについては半年前から始まっているのだが、現時点では応急的な補強にとどまっている。それにも色々と問題があった。
なんとなくおかしな気分になって、俺は口元をほころばせた。
結局のところ、マナ以外のことでも問題は山積している。
問題、問題、また問題。
なら、マナのことだってそのなかの一つってだけだ。
昨日、俺がルクレティアにむけて口にした台詞は決して諦観でも、自暴自棄でもなかった。
「どうしました?」
「いや、」
不思議そうにこちらをのぞきこんでくるスラ子と、反対側から見上げてくるシィを見て、また笑う。
「早いところ、仕事にとりかかろう。まずは山みたいな報告書を片付けないとな」
「ふふー。お手伝いしますっ」
「……わたしも。字、たくさん読めるように、なりましたっ」
「うん。よろしく頼むな」
俺は頷いてみせる。
両側から支えられた格好で、威厳もなにもあったもんじゃないが、そんなものは必要ない。
こんなふうに傍にいてくれる誰かがいるだけで、それ以上の幸せなんてあるわけがなかった。
◆
仄暗い、記憶にないどこか深い場所。
その地の底で、目の前になにかが蠢いていた。
それはゆっくりと目の前で形をとる。
ふふ、と笑った。
見たことがあるようで、見たことがない笑顔。
ぞっとするように妖しい。怖くて、でも目を離せない。
顔かたちがはっきりとする。
それは知っている人物で、でもまるで知らない相手だった。
「――――」
口を開いて、なにかを言っている。
その声はあまりに小さくて、ほとんど言葉としては届かない。
けれど、それがなんと言っているかは決して聞くべきではないと、本能で悟っていた。
だから顔を背けたいのに、身体が動かない。
耳を塞ぐこともできなかった。
「ァ――」
ゆっくりと、それはこちらに近づいてくる。
それに伴って、その相手が口にする言葉の端々も聞き取れるようになっていた。
「さ、ァ――」
背筋がぞくりと震えあがる。
その妖艶な囁き声が、なにを言っているか理解したからだった。
呼んでいる。
呼ばれている。
それが手を伸ばした。
動けない。
息もできない。
長い髪が揺れる。誘うように。
怖い。でも抗えない。
その手がこちらまで伸びて、そして。
「――っ」
マナは飛び起きた。
びっしょりと寝汗をかいている。
肌にひりつくような気色の悪さに顔をしかめて、そこで自分が知らないベッドの上で眠っていることに気づいた。
夢で見た内容が脳裏に蘇り、表情を強張らせる。
周囲はうす暗かった。
光源は枕元にある蝋燭で、その炎をぼんやりと眺めていると、扉ががちゃりと音を立てて誰かが入ってきた。
はっとして身構える。すぐにほっと息を吐いた。
「あ、やっと起きた?」
入ってきたのは、見知った相手だった。――夢のなかにでてきた、あの相手ではなく。
「お母さん……ここは? 僕、どうして」
「なぁに、寝ぼけてるの?」
あははと笑った少女が、
「ここはマギのお家よ。覚えてない? ほら、ここに着いて騒ぎがあったでしょ? そのあと、あんたはすぐに寝ちゃってさ。一日以上ずーっと眠ってたんだから」
「あ……」
それで思い出す。
母親の古い友人であるという若い男。
その相手が住処にしているという洞窟で、着いた早々なんだかよくわからない騒動が起こって――記憶は、そのあたりから曖昧になっていた。
「っ」
目の前にぬっと腕が伸びて、一瞬、身体を強張らせる。
赤髪をした相手はそれに気にした様子もみせずに彼の額に手をあてると、うんうんと頷いて、
「熱はなし、っと。体調は大丈夫みたいね。お腹すいたでしょ? ほら、起きて。ご飯、食べにいきましょ。その後はすぐに出発だからね」
「出発?」
「そ、出発」
しばらく、ここでお世話になるのではなかったか。
それとも――やはり、こんな自分を置いておくわけにはいかないと言われてしまったのかも。
「……わかった。でも、出発って、どこに?」
表情を暗くするマナに、その母親である少女はにかりと笑った。
「どこって、そんなの決まってるじゃない」
太陽のように眩しい笑顔で、きっぱりと告げる。
「探検よ! ここのダンジョン、凄いんだから!」