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三話 町を支配する令嬢

 ◆


 マナ達を連れて洞窟に戻った、翌日。

 太陽がてっぺんに差し掛かろうというくらいの頃合いを見計らって、俺はメジハの町の長宅を訪ねた。


 目深にフードを被った怪しい格好でコソコソと町中をすすみ、丘の上の屋敷へ。

 扉を叩く。

 現れた中年の家政婦は、俺を一目見るなり、盛大に顔をしかめてみせた。

 嫌そうな態度を隠しもせず、無言で奥の部屋まで案内する。


「……お嬢様。お客様がお見えですが」

「お通しなさい」


 問いかけた部屋のなかから静かな返答があると、渋々と扉を開けて、こちらに一礼して去っていく。

 去り際にまた、棘のような視線が刺さった。


「どうかなさいまして?」

「いや、」


 俺は肩をすくめて、不服の気配を漂わせている家政婦の背中から視線を部屋のなかに向ける。


 そこには豪奢な金髪をした令嬢が、重厚なつくりの机にむかってなにか書き物をしていた。

 田舎町にはまるで似つかわしくない調度品の数々。

 その令嬢の周囲だけが明らかに異なる雰囲気に落ち着いている。ふわりと華やかな香が廊下に流れ込んできた。


「なんか今、めちゃくちゃ睨まれたんだが」


 この屋敷の人間から好かれていないことは自覚している。

 それにしたって、さっきの態度はいつも以上だった。


 令嬢は、こちらに向かって顔もあげないまま、


「大方、またご主人様の新しい噂でも耳に入ったのでしょう」

「またかよ……」


 げんなりと息を吐いて、俺は部屋のなかに足を踏み入れる。


 半年前、世界中に響き渡った、ストロフライの“宣言”。

 あれから様々な噂の的にされてきているが、最近では噂がまた別の噂を呼び込んで尾ひれがついた挙句、悠々と空まで泳ぎ始めている状況だった。


 俺の評判なんてとっくに地に堕ちているはずだが、実際には今なお毎日のように最悪を更新し続けているらしい。

 いっそ、どこまで潜り続けるのかという興味もあった。――これが他人事なら。


 そういう状況を鑑みれば、さっきの態度にも合点がいく。

 合点はいくが、


「そのうち、この家の誰かに刺されるんじゃないか。俺」


 呻くように言うと、令嬢――ルクレティアは、くすりと口元だけで笑った。

 視線は相変わらず机上に固定されており、手にした羽筆を流麗に動かし続けながら、


「そんな度胸のある者がこの屋敷にいるとは思えませんが。私が彼の“黄金竜”や、その想人であるご主人様と関わりがあるとわかっていながら、いまだにその詳細さえ尋ねることもできない人達ですよ」


 声には、冷めた憐れみと等分の嘲りが含まれていた。

 俺は黙ったまま顔をしかめる。


 目の前にいる令嬢の、生まれの複雑さは承知している。

 この家に住む人々とのあいだにある奇妙な距離間や、腫れ物に触れるような態度で接せられる理由についても知っているからこそ、反応に困ってしまう。


 その気配に気づいたのか、そこではじめてルクレティアが目線を持ち上げた。

 絶世の、といって差し支えないほどの美貌を斜めにかたむけて、挑発的な眼差しを向けてくる。


「なにか?」

「……いいや」


 少なくとも、この美貌の令嬢は他人から安易な同情や共感を喜ぶような性格ではなかったから、俺は肩をすくめただけだった。


「そうですか」


 ルクレティアは短い間、こちらの反応を確かめるようにしてから。

 そっけなく視線を落とすと、淡々と続けた。


「ひどい隈ですこと。昨晩はさぞお疲れだったようですわね」


 昨日は、俺たちの帰還祝いということで洞窟では宴会が開かれた。

 まあ、旅の疲れもあってマナやルヴェはすぐに休ませたが、立場がある俺はすぐ引っ込むわけにはいかなかったし、そのあともなんだかんだであんまり眠れてないのは確かだ。隈だってできていたっておかしくはないが、


「そっちこそ。ちゃんと寝てるのか?」

「ご心配なく。私はご主人様と違ってまだ若いですから」


 ……俺だってまだ二十代なんだが。


 憮然としていると、さらに冷ややかな声がかかる。


「それで。そのお疲れのご主人様が、一体、今日はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」


 用事がないなら、すぐに帰れと言わんばかりの声音だった。


 俺は口をとがらせて、


「昨日、お前がすぐ帰るからだろうが」

「あら。随分とお忙しい様子でしたので、ご挨拶だけで十分かと思ったのですが。いけませんでしたかしら」

「当たり前だ。早いうちに話しておきたいことも色々とあったんだぞ」

「それは、あの場でお話できる内容だったのですか?」


 問いかけられて、俺は少し考える。


「……いや。あの場ではちょっと不味いな」


 言ってから、なんだよ、と息を吐いた。


「話があるってことはわかってたんだな」

「当たり前です」

「わかってたんなら、どうしてなんの用事かなんて訊くんだ?」

「決まっているでしょう」


 ルクレティアが顔を上げた。

 羽毛の筆を脇において、ふうっと息を吹きかける。インクの乾いていない紙を避けてから、改めてこちらを見た。


「嫌がらせですわ」


 ここまで堂々と言い放たれてしまっては、なんと返しようもない。

 いっそ清々しくすらあった。


「……座っていいか」

「どうぞ。今、お茶を用意させます」


 令嬢が呼び鈴を鳴らすと、すぐに家政婦があらわれる。

 心得たもので、すでに茶器の乗ったお盆を持っていて、ちなみにさっきの相手だった。


 どん、と目の前に気持ち手荒く置かれた茶を、やれやれと思いながら口に含む。

 ……相変わらず、いい茶葉だ。


 俺の対面に腰かけたルクレティアも、優雅な動作で紅茶を一口してから、囁くようにぽつりと呟いた。


「――あの子が。件の、“十番目”の子供ですか」

「ああ。だいぶ外見が違ってるから、驚いたんじゃないか?」


 俺たちは以前、メジハからギーツの街へ向かう途中でマナを連れたルヴェに出会っている。

 その時のマナは赤子で、ルヴェに背負われていたが、その旅にはルクレティアも同行していたから、面識(?)はある。


「見た目には、十歳ごろのようでしたわね。あらかじめ、ご主人様からの手紙でそうと伺ってはいましたが、実際に目にするとやはり驚きではあります。……お隣にいたルヴェさんも、同じ年頃に見うけられましたが」

「そうだな。あのルヴェの認識じゃ、俺と一緒にアカデミーに入ってまだそう経ってないって感じだった」


 ルヴェは俺より一つ年上だから、当時の年齢は十一、十二。そのあたりになるはずだ。


 ルクレティアが眉をひそめた。


「容姿だけが幼くなったのではなく、記憶もその頃でいらっしゃるのですか?」

「ああ、そうだ」

「……記憶の内容には、齟齬はございませんでしたの?」

「アカデミー時代の知り合いとか、その頃にあったこととかを確認してみた。間違いない。あのルヴェは、俺が知っている“まだアカデミーに入ったばかりのルーヴェ・ラナセ”だよ」


 なにか言いたそうな令嬢に、もちろん、と続ける。


「俺にとっちゃ、十年以上も昔のことだからな。ルヴェにしてみればつい最近の出来事だから、向こうのほうが正確なくらいだ。俺の方で記憶が曖昧な部分も多かったから、落ち着いたらまた精査してみるつもりではいる。けど、」

「あの方が、ルヴェさんであることは間違いないとおっしゃりたいのですね」

「ああ。それだけは、はっきり断言できる。ただ――一つだけ、俺の知っていることと違ってた部分もあった」

「マナさんと、マナさんに関わる認知について。ですわね」


 さすがに話が早い。俺は頷いた。


「マナとどうやって出会ったとか、見た目の年齢はそう変わらない自分が、どうしてマナの“親”をやってるんだとか、そのあたりだな。そういう事情については本人にも曖昧だった。もちろん、俺たちと前に再会した時のことなんかもまったく記憶にない。まあ、これは年齢的にはそれが自然なんだろうが」

「ルヴェさん自身、そうした不自然さについての自覚をお持ちですか?」

「ああ。あんまり自分の記憶は信用できないかもしれない、って言ってたな。マナの存在を受け入れるために、自分では無意識のうちに前後の記憶の整合性をとっちゃってるかもしれないってな」


 ルクレティアが驚いたように目をみはった。


「どうした?」

「いえ……。とても冷静に、ご自分の状況を把握していらっしゃるのですね。あの年頃で、ということを考えれば、少しばかり異様に思えます」


 ああ、なるほど。


「確かに。十歳くらいって考えたら、普通はそうだな」

「ご主人様はそう思われなかったのですか?」

「ああ、いや。……なんとなく、ルヴェには昔からそういうところがあったからな」

「大人びていらっしゃったのですか」

「そうだな。物事の見え方が違ってる感じはあったよ、昔から」


 ルーヴェ・ラナセという人物を端的に言い表すとすれば、それは『生粋のトラブルメーカー』だ。

 真昼に燃え盛る太陽のような、バイタリティの塊でもある。


 なにせ、彼女はアカデミーという魑魅魍魎たちが巣食う只中で、たった一人でその連中と渡りあっていたのだから。

 いつも彼女のまわりでは騒動が起きていたし、というより、なにか騒動があると、その大半の中心にいたのが彼女だった。


 ……今になって思う。

 もしかすると、彼女はそういう自分自身の在り方をわかっていて、ああいう態度をとっていたのではないだろうか。


 なぜそんなふうに思うのかといえば、それは事実として彼女がアカデミーのなかで生き残ってきたからだ。


 アカデミーという、この世界でも稀有な魔物たちによる共同体。

 そこは、決してお気楽な環境ではない。

 なんの後ろ盾もない人間の子供が二人、ふらりと迷い込んで、そのまま居つけるような場所では断じてないのだ。


 彼女はそれをやってのけた。


 そのために必要な立ち回りがあったのではないか――と、これは当時、彼女の後ろをついていくしかなかったからこそ思うことかもしれないが。

 才能もなにもない俺みたいなやつが、あそこで生き残れた理由がただの幸運とは、とても思えなかった。


「……なるほど」


 頷いたルクレティアの瞳に、ちらりとからかうような光が浮かんだ。


「優秀だったのですね。あまりにも優秀すぎたので、それで傍にいたご主人様はすっかり卑屈になってしまわれたわけですか」


 俺は苦笑するしかない。


「スラ子の容姿の基になってもらったくらいだからな。……ルヴェがいなかったら、俺なんかアカデミーで三日も生き残れなかっただろうさ。――恩人なんだよ。彼女は」

「恩人であり、憧れの存在でもある、と」

「昔の話だ」


 含みのある言い方に俺は手を振って、ついでに頭も振る。


「まさか、その頃のルヴェに、この年になってから再会することになるとは思わなかったけどな。それに、」


 ため息がでた。


「手紙には書いてなかったと思うが……実は、もう一人会った。“ルヴェ”に」


 これには、さすがにルクレティアも美しい眉をひそめて困惑してみせた。


「……どういうことですか?」


 洞窟へ戻ってくる前、俺はメジハのルクレティアに手紙を送っていたが、そこで伝えることができたのは現状についてのおおまかな報告だけだ。

 マナたち二人を保護したこと。これから帰ること。

 一枚の手紙ですべて説明するのはさすがに不可能だったし、そもそも俺自身が混乱していたわけでもある。


 ひとまずは、そのあたりから話すことからだろう。

 俺は今回の詳細について、目の前の令嬢に語り始めた。



 事の経緯を聞き終えたルクレティアは、そっと息を吐いた。

 長い指先をこめかみにあてて、眉をしかめてみせる。


「スラ子さんの“力の欠片”を持ち、大人の容姿をした“ルヴェ”さん。……随分とまた、ややこしい話になってきましたわね」

「まったくだ。もう一人の“ルヴェ”は、ぱっと見た感じ、俺と同じ年くらいに見えたな。二十の半ばってところか。なんていうか、ルーヴェ・ラナセっていう人間が、普通に年をとってたらこうなるんだろうっていうのを、そのまま想像した感じだった」

「ご本人は名乗られたのですか?」

「ああ。あたしはルヴェだって、はっきりとな。とりあえず……今回の事件を起こしたのはその“大人ルヴェ”で間違いない。少なくとも、ルヴェ――“子供ルヴェ”と、マナの二人と再会した俺たちに魔物をけしかけて、近くの町から女の子を浚って洞窟に誘い込んだ。このあたりは“大人ルヴェ”の仕業だ」

「その大人ルヴェさんには、エルフの協力者がいたという話でしたが」

「ああ、いたな。隠遁したエルフっぽいのが」

「その相手からは、なにか事情は聞けなかったのですか?」

「そっちの方は収穫なしだ」

「何故です?」


 俺は肩をすくめて、


「なにも覚えてなかったんだよ、そいつ」


 ……スライムたちが不自然に密集した洞窟。

 その主人だと思われたエルフが意識を取り戻したあと、俺たちは当然そいつを問い詰めたが、なにを聞いても、相手から満足できる回答は得られなかった。


 不完全にとはいえ再現された“不定形”や、もう一人の“スラ子”。

 その作り方どころか、存在さえ初めて聞いたような顔つきで、しまいには最近の自分の記憶がろくに残っていないことに気づくと顔色を青ざめさせてひどく狼狽していた。


 その態度はとても芝居には思えなかった。

 記憶がない。あるいは、はじめから操られていただけなのかもしれない。


 それをやった相手となると、一人しか思いつかない。

 まず間違いなく、あの“大人ルヴェ”の仕業だろう。


 ぞっとする。


 誰かの知識や記憶を奪ったり、誰かを意のままに操ったりする。

 そんな真似は、昔のルヴェには到底できないはずだ。

 俺の知る彼女は、ある一点に限っていえば天才的な力を発揮する魔法使いだが、逆にいえばそれ以外のことはからきしだったのだから。


 だが――あの“大人ルヴェ”は、スラ子の“力の欠片”を持っている。

 俺と話したときに彼女が見せたいくつかの片鱗だけで、彼女がとんでもない力量を持っていることは確実だった。


 今のスラ子と同等――あるいは、それ以上かもしれない。


「……危険な相手のようですわね」

「そうだな。単純な敵ってわけじゃないかもしれないが。なにか目的があるみたいだったからな」

「恐らくは、マナさんに関わることなのでしょうね」

「多分な。そもそもが、どうしてルヴェが二人いるのかってのも、マナの“力”が関わってるって考えるのが妥当だろう」

「子供のルヴェさんには、大人の姿をしたもう一人の自分が存在することについて承知しているか、お訊ねにはなられたのですか?」

「いや、まだ訊いてない。ちょっと躊躇うんだよな」


 自分の年齢が十歳近く幼くなってしまったというだけで相当の衝撃だ。

 そこに、もう一人の自分――大人の自分がいた、なんて話を聞かされたら、混乱して当然だろう。そんじょそこらの精神力じゃないことは知っているが、あっさり話してしまっていいものか考えてしまう。


「心配するお気持ちはわかりますが、早いうちに確認しておくべきです。少なくとも、大人のルヴェさんは、子供のルヴェさんの存在をご存知だったわけでしょう?」

「ああ、そうだ。――そうか。“大人ルヴェ”だけが知っていて、“子供ルヴェ”が知らないってこともありえるのか」

「はい。その場合、“大人ルヴェ”さんの方が、“子供ルヴェ”さんより優位な立場にあると判断できるでしょう」


 その事実だけでも、ある程度は二人の関係性を計る目安にはなる。


「わかった。なるべく早いうちに確認しておく」

「そうなさるべきかと存じます」


 頷いたルクレティアが紅茶を一口する。

 すぐに、そういえば、と口を開いた。


「ご主人様が再開する直前、ルヴェさんとマナさんのお二人がはぐれてしまったという場所には寄られませんでしたの? そこで起こった事態というものが、二人の“ルヴェ”さんが生じた現象の発端になった可能性が高いと思うのですけれど」

「ああ、それは俺も思った」

「行かれたのですね?」

「……行こうとはしたんだけどな」


 俺は頭をかいて、


「なんか、どうやっても行けなかったんだよな」

「場所がおわかりにならなかったのですか? タイリンが同行していたはずでしょう。あの子は職業柄、そうしたことに長けていると思っていましたが」

「ああ。カーラがマナと遭った場所あたりまではな、行けた。でも、それから先はどうしても無理だった。方角とか、距離とか。大体の感覚ではわかってるはずなんだけどな。実際に行こうとすると、無理なんだ。まるで、そんな場所なんて存在しないみたいに」


 ルクレティアの目が細められた。


「それも、“十番目”の力、ですか」

「多分な。よくわからんが、そういうことなんだろう」

「……スラ子さんにも不可能だったのですか? “十番目”の力が、仮にその場所の存在を失くしてしまったとしても――狭間があるはずです。その境目を知覚すれば間接的に特定することはできるのでは」

「それも、駄目だった。どうも“十番目”ってのは、俺たちが思ってるよりもよほど厄介な存在らしいな」

「他人事のようにおっしゃいますこと」


 呆れたようにルクレティアが豪奢な金髪を振った。


「ご主人様。貴方はそうした事態が再発する危険性を理解したうえで、あの“十番目”の子供を連れ帰ってきたのですか」

「ああ、そうだ」

「洞窟ごと、なにもかもがなかったことになるのかもしれませんわよ」

「だからって、見捨てるわけにもいかないだろ。もしも、“十番目”の力が存在ごとなにもかも消し飛ばすような力なら、それでその力が暴走して世界規模で起こったりしたなら、文字通りこの世界がなくなるかもしれないんだからな」

「ご自分が傍にいれば、そんな事態は起こらない。起こさせないと?」

「少なくとも努力はできる」


 俺はきっぱりと言い切った。


「それとも、自分の知らないうちに世界ごとなくなってる方がお前の好みか?」


 訊き返すと、令嬢はじっと黙り込んだ。唇の端を持ち上げて、


「……確かに、あまり好みではありませんわね」

「それに、この洞窟以上に安全な場所ってのも思いつかなかったしな。マナを狙ってる輩がいるってのは間違いないし、そういう連中のこともある」

「そして欲ある者がご主人様を狙う理由が一つ増える、と。そうやって、またご自分の悪名を高めようとされるのですね」

「今更、一つ二つ加わったところで大差はないさ」


 一瞬、痛ましそうにルクレティアが眉をひそめた。

 大きく息を吐いて、髪を振る。


「……かしこまりました。ご主人様がそこまでの覚悟をお持ちだというなら、私もこれ以上はなにも申しません。ただし、一つだけ」

「なんだ?」

「――“十番目”の子供をこの町に入れることは、現時点では承知できません」


 俺は無言で顔をしかめた。


 実は、ルクレティアがそう言ってくるだろうということは予想していたからだった。

 それでも訊いてみる。


「やっぱり駄目か?」

「当たり前です」


 令嬢はにべもなかった。


「現状、“十番目”の正体はあまりに未知数です。あの子供が自発的に害を与えるとまでは思いませんが、なにをきっかけにその力が暴走するかわからない以上、あの子を町中に入れてもらっては困ります」

「……護衛上の問題もあるしな」

「その通りですわ」


 メジハは辺境の田舎町だが、最近その成長が著しい。

 他所からの人口の流入も続いているし、当然それに伴って危険もある。


 ダンジョンとして機能している洞窟内のほうが、マナの身を護るのに容易いというのは事実だった。

 ただ、あの年頃の子供をずっと洞窟のなかに閉じ込めていくというのも成長によくない気がしたので、俺は目の前の相手に訊ねた。


「……あくまで、現時点では。だよな?」

「永遠に、とは申しません。ただし確約もいたしかねます。私が問題ないと判断できないうちは、町にお連れしないようお願い申し上げます。この町を預かる者として、その程度のことは申し上げさせていただいてもよろしいでしょう」

「わかってるさ。これ以上、そっちの負担を増やすつもりはないからな」


 基本的に、ルクレティアは洞窟内のことについては責任を持っていない。


 その代わり、“外”のことについてほとんど一人でその全てを担っているのがこの才媛の令嬢だった。

 メジハのことばかりでなく、付き合いのあるギーツの街や、そこを中核に行われている金融事業やギルド関係の様々など。


 はっきり言って、ルクレティア一人の負担が大きすぎるのが現状だから、そのあたりについても近いうちに話し合う必要があるだろう。


「わかった。とりあえず、マナには落ち着いてもらわなきゃいけないしな。そのあとのことも考えないといけないとして……しばらくの間、この町には入らせない」

「ありがとうございます」

「俺から話しておきたいのは、このくらいだな。そっちからはなにかあるか?」

「大体のところは、報告書にまとめておきましたが、目は通していただけましたか?」

「あー。まだ全部は見れてないな」

「それでしたら、まずはそちらをお読みいただいてからで構いません。いずれ、近いうちにまた洞窟に伺わせていただきます。今後のことについて、他の方々も含めてお話しなければならないでしょう」

「例の、ギルドと冒険者のことか?」

「ええ。この国は今、冒険者経済というべき状況にあります。そのあたりについて改めてご説明しておくべきでしょうから」


 冒険者経済?

 気になるフレーズだが、他の連中にも話をしてくれるというならその時に一緒に聞けばいいかと考える。


「そうだな。こっちも、しばらくは洞窟内のことを色々とやっとく」

「そのようになさっていただけると助かります。私からお話したいことには、ダンジョンの存在も深く関わって参りますので」

「……冒険者とのドンパチとかって話なら、半年前みたいな規模はまだ無理だぞ」


 上層や中層はともかく、最下層のあたりは落盤とかで滅茶苦茶なままだ。


「わかっています。しかし、そちらも早急になんとかしていただかなければなりません。いずれにせよ、侵入者の数はこれから先も増加する一方のはずで、さらにそこへ“十番目”の子供を目的とする輩が加わるのですから」

「って言っても、修復くらいならまだしも、増築とかはさすがに厳しいと思うけどな」


 うちのダンジョンは土精霊の協力の元で蜥蜴人たちが掘削してくれたものだが、それだけではない。

 ダンジョンのかなり無茶な増築やその運用には、以前の“スラ子”の存在とその力が大きかった。


 それが失われた今、下手に手をだせば洞窟全体が落盤するような事態も起きかねない。


「技術的な限界ってのもある。伝説とかで聞くドワーフがいてくれたら、話は別なんだろうが」

「あら。それでしたら、私もぜひドワーフの方々にはご協力していただきたいことがありますわ」


 言ってから、お互いに肩をすくめてみせる。


「こんなことを言っててもしょうがないな」

「そうですわね」


 ちらりとルクレティアが窓の外に目をやった。


「暗くなる前にお戻りになれますわね。ツェツィーリャさんは、外でお待ちですか?」

「いや、もうとっくに戻ってるんじゃないか」


 俺が言うと、怪訝そうに眉をひそめる。


「先にお戻りに? では、誰がご主人様をお迎えになるのです。スラ子さんだけですか?」

「スラ子なら洞窟だぞ」


 令嬢が柳眉を逆立てた。


「……まさか、お一人でお帰りになられるおつもりですか?」

「そんな怖い真似できるか」

「ではどうやってお帰りになるのです」

「帰れないから泊めてくれ」


 俺が言うと、ルクレティアは一瞬、不意をつかれたような表情をみせた。

 長い睫毛を瞬かせる。


「ここへお泊りになるのですか?」

「駄目か?」

「いえ。それは構いませんが……」


 珍しく戸惑った様子を見せる相手に、俺は手で招いてみせる。


「……なんの真似です」

「シィから聞いた。留守の間、気にかけてくれたらしいな」


 ああ、と合点がいったようにルクレティアが息を吐いた。


「そういうことですか」

「そういうことだ。昨日はシィだったからな。今日はお前の番だぞ。――ほら、たくさん頭を撫でてやるからこっち来い」

「なにを馬鹿なことを……」


 頬を赤らめた令嬢が、睨むようにこちらを見た。


 ちらと窓の外をみやって、やれやれと豪奢な金髪を振る。

 改めて俺の方を向いた時、その表情はいつものように超然としたものに戻っていた。


 ゆっくりと歩み寄ってくる。

 綺麗な指先が俺の手を掴み、絡んだ。

 ゆっくりと覆いかぶさるように腰のうえに乗りあがる。

 切れ長の眼差しが冷ややかに俺を見下ろした。


 そして。


 吐き捨てるように、甘い声が囁かれた。


「……頭を撫でる? そんなもので済むものですか」


 ですよね。



 次の日。

 昼過ぎになり、心配になって迎えに来てくれたシィにほとんど引きずられながら、俺は町からの帰路についた。


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