一話 不定形と不退転の決意
「おーおー、よく飛んだなぁ」
風圧の余波を受けながら、手をかざして遠くを見る。
吹き飛ばされた魔物達はそのまま見えなくなってしまい、空の彼方できらりと星が輝いた。ような気がした。
隣では、マナがぽかんと口を開けている。
俺がなにか声をかけようとしたところで、どぉん、という轟音が遠くに響いた。……カーラはあっちか。
両手を高らかに突き上げて勢いよく登場したスラ子が、その姿勢のまま、くるりとこちらを振り向いて、
「マスター。このままカーラさんのお手伝いにいっちゃいますか?」
「……いや、止めとこう」
俺は少し考えてから頭を振った。
音の位置からすると、カーラが戦っている場所までは距離がある。
この周辺にどのくらいの魔物がいるかはわからないが、さっきの連中以外にもまだ相当数が残っている可能性はある。
さっきのスラ子の一発は、どこからでも見えていたはずだ。もちろん、それはカーラも含めてだが、残りの魔物連中がここに殺到してくるのは目に見えてる。
そんな状況で下手にカーラと合流しようとしたら、ますます面倒なことになりかねない。
さっさとこの場を離れておくべきだろう。
「移動しよう。どこかに身を隠して、そこでカーラを待つ。タイリン、この近くで野宿できそうな手頃な場所はなかったか?」
元暗殺者なんていう職業柄、タイリンはそういったことに強い。
先行していた時に場所の目星くらいつけてるんじゃないかと思って相手を見ると、そのタイリンは何故かさっきからマナを睨みつけたままだった。
なんだ、どうした。
俺がいないあいだになにか不幸な事故でもあったのか。
「おい、タイリン?」
「……ある」
視線を動かさないまま、不満そうに答える。
「じゃあ、案内たのむ。――スラ子」
俺は次に、すぐそばまでやってきていたスラ子に顔を向けた。
「はい、マスター」
薄青色の美女がにっこりと微笑む。
「ありがとう。助かった。……休んでくれてていいぞ。というか、休め」
「えー」
不本意そうに唇をとがらせたスラ子は、ふと俺の右手がマナの頭に置かれたままなのを見ると、ちらりとこちらを流し見た。
猫みたいに悪戯っぽく目を細める。
無言のまま、目の前に薄青色の頭が差し出された。
黙って俺がその頭を撫でると、ふよん、という柔らかい感触。
「ふふー。それじゃあ、休んでますっ」
嬉しそうに、スラ子は俺の影のなかに潜っていく。
はっと息を呑む気配にそちらを見ると、マナが目を見開いている。スラ子が消えたあたりを凝視しながら、
「お母さん……?」
ああ、そうか。
そりゃ戸惑うよな。なにせ瓜二つなんだから。
「スラ子だ。ルヴェに似てるのは、外見の参考にしたからだよ」
ひどく混乱した眼差しが俺を見た。
「どういうこと? あなたは、あなた達はいったい、誰なんですか」
「さっき言った通りさ。君のお母さんの知り合いで、君たちを迎えに来た。色々と質問したいのはわかるが、とりあえずついてきてくれないか。こっちにも事情があって、あんまり目立てないんだ。他の魔物がわんさかやってきたらさすがにマズい」
我ながら下手な説得だと思いながら俺が言うと、見た目は十歳くらいに見える少年は、なにか痛みにこらえるような表情で黙り込み。それから手元の手紙に目を落として、
「……わかりました」
ゆっくり頷いた。
よし、と俺も頷いて、思いついた。
「――なあ、タイリン。姿消しとか、気配消しとか、なんかそっち系の魔法で俺たちをごまかせないか?」
タイリンは、本来、人間には扱えないとされている闇属性の魔法を使うことができる。
その習得している魔法は潜伏とか、追跡とか、いわゆる「そういう用途」に特化しまくっているから、俺たちの姿をまぎらわせることくらい簡単なはずだったが、
「無理」
返答はにべもないものだった。
「なんでだよ」
訊ねると、不機嫌そうに俺の隣のマナを指さして、
「……そいつがいるから、効かない」
俺は顔をしかめる。
「どういうことだ?」
「知らない。でも効かないんだ。さっきやった」
タイリンは怒ったようにそう言った。
……魔法が効かない?
それとも――魔法の効果を吸収してるとかってことか?
俺は半年くらい前、とある小さな集落での出来事を思い出した。
水も、食べ物も口にしなかった不思議な赤子。
その赤子を連れた相手は、俺が昔、最後に会った時とまるで変わらない姿をしていた。――五年分の年齢を、喰われていた。
黙ってマナを見る。
タイリンも睨みつけるような眼差しを向けていて、マナはそれを受けて居心地悪そうに顔をそらした。
その表情は、なにかを隠しているようだったが、ただ単にひどく怯えているようにも見えた。なにかを。あるいは、俺たちを?
「……わかった」
俺は頷いて、
「なら、注意して行くしかないな。タイリン、案内してくれ」
元暗殺者の少女に先導を頼んでから、頭上を見上げた。
いっぱいに生い茂った森林にむかって、適当に大きく声をかける。
「移動する。なにか見えたら合図くれ」
応答はない。
相変わらず愛想がない。もう慣れたけど。
視線を脇に落とすと、今の行動をいぶかるようにこちらを見ている目線とぶつかって、俺は肩をすくめてみせた。
「なんでもない。それじゃあ、出発だ。マナ、君にも聞きたいことがある。いくつか質問させてもらっていいか?」
歩き出しながら、横を歩く少年に声をかけると、こくりと頷いてくる。
今さらのように相手が疲れ切っていることに思い至って、俺は腰から水入りの革袋を取り出すと、目の前に差し出した。
「ほら。全部飲んでいいけど、ゆっくりな。むせるぞ」
おずおずと水袋を受け取ると、マナはゆっくりとそれに口をつけて、勢いよくなかの水を飲み始める。
気管にでも入ったのか、げほげほと咳き込む背中を撫でてやりながら、俺は顔をしかめた。
ここまで逃げてくるのに必死だったんだろう。
あれだけ大勢の魔物に追われるだなんて、大人だって悪夢ものだ。
ようやく一心地つけたのだから、質問するのはもう少し落ち着いてからのほうがいいかもしれない。
だが、そういうわけにもいかないだろう。
俺は息を吐いて。
まず始めに確かめるべきことについて、訊ねた。
「なあ、マナ。――ルヴェは。君のお母さんは、どうなった?」
マナの横顔が強張った。
夜になる前に、俺たちはちょうどよい野宿向きの場所を見つけることができた。
森のなかを流れる小川の近く、洞窟というには浅すぎる窪みのような横穴で一晩を過ごすことにして、さっそく準備をはじめる。
近くの泉から水をくみ、乾いた枝木を拾い集めて焚火を組む。
食事は簡単な携帯用の乾物しか持ち合わせがなかったから、なにか捕まえるしかない。と思っていたら、近くの樹の上から野兎が二羽、目の前に投げてよこされた。どちらも矢の一射で仕留められている。
「さんきゅ。兎肉のスープでいいか?」
返事なし。
不愛想にも程があるが、助かった。
血抜きはまだだったのでそちらの処理をしていたら、背後に誰かの気配。
振り返ると、藪のなかからカーラが姿を見せていた。
今の今まで激戦を繰り広げていたのだろう。髪の毛や服装があちこち汚れてしまっているが、そうした苦労をまるで感じさせない笑顔でにっこりと微笑んでくる。
「遅くなりました」
「いや、全然。カーラが魔物の注意を引きつけといてくれて助かったよ。ありがとう」
礼を言いつつ、頭の横を指でさしてみせる。
カーラが自分の頭に手をやった。そこについていた葉っぱをとって、恥ずかしそうに笑う。
「ありがとうございます。でも、マスターもですよ?」
あれ、と思って自分の頭に手をやろうとしたが、その前にひょいと横から伸びたスラ子の腕が、俺の頭についていた葉っぱをとってしまっていた。ひらひらとからかうように葉っぱを揺らしてから、影のなかに引っ込む手。
「ん、さんきゅ。カーラも、疲れたろ。休んでてくれ。今、夕食の準備をしてるから。悪い、もう少しかかるけど」
「いえ、このくらい、ぜんぜん平気です」
ぐっと拳を握ってみせる態度が可愛い。
手甲に魔物の血がべったりついているのが、ちょっとミスマッチだったけど。
カーラはふとなにかを気にするように視線をめぐらせて、
「マスター、あの子は大丈夫でしたか?」
ああ、と俺は頷いた。
目の前の作業に戻りながら、
「今は向こうの泉にいる。俺が、ちょっと焦って質問しすぎちゃったな。怒らせたみたいだ」
「そうですか……」
「タイリンと、それにツェツィーリャが見てくれてるから、大丈夫だとは思う」
「わかりました。じゃあ、ボク、ちょっと様子を見てきますね」
「ああ、よろしく頼む」
カーラの足音が遠ざかっていく。
俺は作業に集中して――そういう振りをよそおっていると、そこにひょいと横からこちらをのぞき込んでくる顔。スラ子だった。
「マスター?」
「……ん?」
「どうして焦ってるんですか?」
俺は渋面になった。
一瞬、聞こえなかった振りをするかして誤魔化そうかと思ったが、多分そんなことでは許してくれないだろう。
スラ子はじぃっとこちらを見つめている。
反応するまでずっとそうしているつもりだろう。俺は諦めて、息を吐いた。
「……やっぱり連れてくるべきじゃなかったよな」
「カーラさんや、タイリンちゃんのことです?」
「ああ」
「でも、マスターだけなんて、そんなのルクレティアさんが絶対に許さなかったと思いますよ?」
「それはわかってる」
ため息をつく。
ルヴェから救援をもとめる手紙を受け取って、俺が二人を迎えにいこうとした時、それに一番反対したのはルクレティアだった。
メジハの次の町長にして、今ではそれどころではない社会的立場を獲得しつつある金髪の令嬢は、俺がダンジョンから出ることに強硬に反対した。
最終的には、カーラやタイリンを護衛に、それに頼まなくても勝手についてくる相手もいるなんてことを材料に説得したのだが、それでも納得はしていない様子だった。
というか、今もまだ怒ってると思う。怖い。
「……さっきの話、お前も聞いてただろ。ルヴェと一緒にいた時になにがあったのか」
「はい。やっぱり、でしたね」
「ああ。思ってた通りだな」
マナがルヴェと別れることになった経緯について、本人もあまり事情を理解している様子ではなかった。
混乱していたこともあるだろうし、恐らくマナ自身もわかっていないのだ。自分の、力について。
「マナは。……あの子はルヴェの年齢を喰ってた。どういう条件でそんなことが起こるのかがわからないうちは、ちょっと怖いな」
カーラやタイリンまで、ルヴェのように“喰われる”わけにはいかなかった。俺だけならともかく。
「ふーふふー。若いマスター、ちょっと見てみたいですねっ」
「おう。驚くぞ、紅顔の美少年だからな」
「なんていう冗談はともかく」
「いや、冗談のつもりはないんだが……」
スラ子はくすくすと肩を揺らして、
「でも、マスターはあの子を見捨てたりなんかしないんですよね?」
からかうような目で覗き込んでくる相手に、俺は渋面で頭をかいた。
「そりゃ、まあな。あの子がこんな状況になってる責任は俺にもあるわけだし」
「それを言ったら、わたしこそ、ですね」
困ったようにスラ子が眉を寄せる。
俺は肩をすくめて、
「まあ、カーラとタイリンのことは気をつけておこう。いざって時は無理やりふん縛ってでも送り返すしかないかな」
「タイリンちゃんはともかく、カーラさんを無理矢理にだなんて、マスターできます?」
「無理だな!」
即答した。
絶対に勝てない。
勝てるはずがない。勝てないなら、仕方ない。
「だから、その時は……逃げる!」
「あとですっごく怒られちゃいますよ? 多分、ルクレティアさんにも」
スラ子は脅かすように声を低めて言うが、わざわざそんな声音を使われなくてもそうなった時の地獄絵図なんてありありと脳裏に描くことができたから、俺は冷や汗をたらしながら、うむ、と頷いて、
「その時は、」
「その時は?」
「すっごく謝る!」
「さすがマスター、情けなさが極まってます!」
樹の上から、はあ、というため息が聞こえた。
ふふー、と笑ったスラ子が、不意にその表情を心配そうに変えた。
こちらに顔を近づけてくる。
そのまま、スラ子はぎゅう、と抱きついてきた。
耳元で囁かれる。
「……あんまり、無茶はしないでくださいね。わたしは、マスターとこんな風にできるだけで満足なんですから」
スラ子の感触は、柔らかくて、温かくて。――そして、儚かった。
「無茶なんかするもんか」
薄青い背中に腕をまわす。
腕のなかの感触を決して離さないように力を込めながら、
「俺はただ、やらなきゃいけないことをやるだけだ。マナも、ルヴェのことも。――それに、お前のことだって。なんとかする。なんとかしてみせるさ、……絶対に」
自分と、自分以外のすべてに向かって宣言した。