二話 世界に轟くダンジョン噂話
ひとしきり以上の集中砲火を受けてから、俺は解放された。
腕と足を拘束していた蔓が、しゅるしゅると何事もなかったように去っていく。
残された俺はその場にがくりと両手をついた。
全身がスライムまみれで、しかもそのスライムが衣服を溶かすタイプのせいで一張羅が台無しだった。
残っているのは、もはや服というよりその残骸だ。
「マスター、どうぞ」
にこにこと、スラ子から毛布を手渡される。
黙って受け取って、俺はマントのように全身をくるんだ。
厚手の感触を頼もしく感じながら、しくしくと涙を流す。
「……酷い目にあった」
「ふふー。楽しいゲームでしたっ」
「ただの虐めだろうが!? ――と、」
遠くから、心配そうにこちらを見つめている誰かの視線。
狂気的な催しに参加せず、そこにいたのは妖精のシィだ。こっちの視線に気づくと、とととっと近づいてくる。
頭の上にマンドラゴラの小人を乗せて、シィはこちらの頭に手を伸ばしてきた。
どうやらスライムを剥がそうとしてくれているらしいと気づいて、また涙がこぼれる。今度の涙は優しさに触れたせいだった。
「ありがとな。でも、放っといてくれていいぞ。ほら。シィの服が汚れるから……」
シィはふるふると頭を振って、スライムを取り除こうとするのをやめない。
頭を撫でてやりたかったが、スライムまみれの手でそれをするのも躊躇われた。
とりあえず、シィにはあとでたくさん頭を撫でてやることにして、息を吐く。
「――で、だ。ちょっとお前ら。話がある」
ぎろりと睨みつけた先には、留守の間、この洞窟を任せていた一同の姿。
元スケルトンのスケル以下、魚人族のエリアルとその一党。さらに蜥蜴人族や妖精族など、この洞窟を住処にしている連中などだが、見覚えのない魔物の姿もちらほらある。
ずらりと並んだ一同は、一応は反省の意を表しているつもりなのか全員が正座をしていたが、その表情はとても反省しているようなそれではなかった。
「いやー、まさか本物のご主人だとは露知らず! メンゴメンゴっす!」
まず先頭にいる全身が真っ白い輩の態度がおかしい。台詞もおかしい。
「……スケル。俺はお前に、留守のあいだのことを任せてたよな」
「イエッサー! 不肖このスケル、昔のオンナからちょいと手紙をもらった途端、とる物もとらずに洞窟を飛び出していったウブウブ慌てん坊ご主人から押し付けられまして、洞窟防衛の責任者をやっておりました!」
「……ああ、うん。そうだな。完全に悪意しかない言い方だが、まあいい。そのことについては俺も悪かったと思ってるし。――それでだ。そのお前に聞きたいことがいくつかあるんだが、」
「あいあい。なんでもお答えしますぜっ」
びしっと親指を立てて、スケル。
やけにいい返事なのが腹が立つ。
「じゃあ――まず、あれはなんだ?」
天井を指さす。
さっき吊られたときに気づいたそこには、たくさんの布っぽいものが吊り下げられていた。
大きさはだいたいシィの身長と同じくらいで、色は白っぽいものが多い。
それらが数えきれないくらい天井から吊り下げられている様子は、どこか奇妙で異様だった。
ああ、と頷いたスケルが、
「あれは戦利品っす」
「戦利品?」
「そうっす。ここに侵入してきた冒険者さん方の、遺品?とはちょいと違いますか。まあ、落とし物っすよ。せっかくなんで、なんかに使えないかなあと思いまして」
「……なんで天井から吊り下げられてるんだ?」
「ほら、このダンジョンもだいぶ名前が売れてきちゃってるじゃないっすか」
「そうだな」
「やっぱりこう、もうちょっとですね。雰囲気?って言いますか、それっぽく飾り立てる必要があると思うんですよ。なんていうか、ダンジョンの格的に?」
「……なるほど」
確かに、スケルの言い分にも一理ある。
ダンジョンには、そこを彩るギミックや特徴があって然るべきだ。
侵入者に襲い掛かる魔物や罠だけではない。
奇々怪々な景観。あるいは神秘的な結晶でもいい。
そうした特別なものでなくとも、朽ちた冒険者の遺体や、半ばで折れて放置された剣なんていう代物は、ダンジョンという存在に必要な不気味さ、おぞましさを加味してくれることだろう。
「まあ、確かにそういうのは必要かもな」
「でしょでしょ」
得意そうなスケルに、俺は半眼で天井を指さしたまま、
「でもあれ、ふんどしだろ?」
「ふんどしっす」
即答だった。
あまりに当然だとでも言いたげな反応に、俺は思わず自分の額に手をあてて考え込んだ。
……なんだ? 俺の方が間違ってるのか?
「ふんどしを吊り下げて、ダンジョンの雰囲気づくり……? 冒険者の死体とかじゃなくて、連中から剥ぎ取ったふんどしを吊るすことで、おぞましさを演出するだと……? いやいや、おかしいだろ。確かにこの上なくおぞましいが、」
「もうとんでもないっすよ? 考えてみてくださいな。この洞窟にやってきて装備をひんむかれて逃げ帰った冒険者がいるとするじゃないっすか」
「……ああ」
「そういう連中が懲りもせず、また徒党を組んでやって来たとしましょう」
「ほほう?」
「いざリベンジ!と意気揚々と心を燃やした冒険者たちが再びこの場にやって来てみたら! そこには以前、自分が奪われたふんどしが天井から吊り下げられているわけです」
俺はちょっと目を閉じて、その場を想像してみる。
感想はただ一言だった。
「最悪だな」
「そりゃもう、最悪も最悪っす。人並みの羞恥心があれば、二度とこの洞窟にやって来れやしませんって。どうです? これこそまさに究極の心の責め方ってやつですよ!」
「そうだな。とりあえず、すぐにあれを吊り下げるのをやめさせろ」
「何故に!?」
「当たり前だろうが!」
心外だとばかりに目を見開くスケルに、
「最低の演出にもほどがある! 風聞が悪すぎるわ!」
「いやいや。ぱっと見じゃあ、ふんどしだなんてわかりゃしませんって。ちょっと汚れた布きれってだけですから。むしろほら、ひらひらーってして綺麗かもしれませんぜ?」
「ふんどしってわかった時点で興醒めだろうが! 万が一にでも印象が良かったとしても、その分だけ印象が急転直下だ!」
「えー。でもエロイムさん、他の衣類は皮でも金属でもなんでも溶かしてくれるんですが、下着とかだけは絶対に食べてくれないんすよー。ふんどしだけたくさん余るんで、それを有効利用しようかと」
「もっと別の使い道があるだろ! ないなら無理に使わないでいいから、どっかの倉庫にでも押し込んどけ! んなもん!」
えー、と不平の声があがる。
その声は特に魚人族の人魚たちのあいだから多かったが、俺はそいつらを睨みつけて、
「うるさい! なにが悲しくておっさんのふんどしが吊られたダンジョンでマスターなんざやらなきゃならんのだ!」
「お、おっさんとは限らないじゃないっすかー。なかには若い女性の冒険者だって、」
スケルは唇をとがらせて反論を試みるが、目がこっちを向いていない。
相手がどうしてそんな態度をとるかを俺は知っていた。
「……なあ、スケル。さっきも言ってたけどな。お前たちのおかげで、このダンジョンもほんと有名になってきてるんだよ」
「え、ええ。そうっすか?」
急に俺の声色が低くなったからか、こちらを窺うような表情でスケルが頷く。
「ほんと、そのことは感謝してるんだよ。頑張ってくれてるもんな。いろんな町の酒場でも噂を聞いたりするし」
「お、そうなんですかい」
「ああ。このあいだも、ちょっと寄った酒場でここの噂が耳に入ったりしてな……」
「おおー。そいつは嬉しいっすね」
「……この洞窟がなんて噂されてるか、知ってるか?」
きょとんとスケルは目をまばたかせた。
「なんて噂? どういうことっすか?」
「ここのダンジョンがどういう名前とか、徒名とか。どういう名称で呼ばれてるのかってことだよ」
「あー。そりゃまあ、……こんだけスライムを前面に出してますからねえ。ストロフライの姉御とは別にってことなら、スライムダンジョンってとこじゃないっすか?」
違うんです?と訊ねてくる相手に、俺は自分でも死んだようなとわかる眼差しで相手を見据えて、
「……セクハラダンジョン」
「へ?」
俺は大きく息を吸い込んで。
もう一度、繰り返す。声がわなわなと震えた。
「セクハラダンジョンだよ……!」
沈黙。
そして、
『あー』
その場にいる全員から、納得したような反応がかえってくる。
俺のなかでなにかが切れた。
「なにが『あー』だ! なんでそんな名前で呼ばれることになってんだ!? 明らかに天井のアレが原因だろうが!」
「いやいや! 待ってください!」
血相を変えたスケルが言ってくる。
「さすがにあれだけでそんな大層な徒名がつくとは思えません! 他にも思い当たることがバッチリありますぜ!」
「なお悪いわああああああああああああああ!」
吠える。
「もちろん他にも噂は聞いてるとも! やれ真っ裸にした冒険者を肴にして毎晩のように宴会を繰り広げてるとか、好みの男がいると命を助ける代わりに一晩の相手をさせてるとか!? しかもそれを命じてるのが他の誰でもないダンジョンの主人で、つまりはこの俺らしいな!? そんなところに女冒険者がやってくるわけあるか!」
「い、いやあ、それは……」
そっぽをむくスケルの目は完全に泳いでいる。
「待ってくれ。マギ、それについては――」
「……大丈夫だ。事情はわかってる」
あわてて口をはさんでくる魚人族のエリアルに俺は頭をふって、
「一族の存続がかかってるからな。魚人族が、やってきた連中のなかから相手を見繕うことは問題ない。それはいいんだが……」
色んなことが重なって、俺のことは世界中に知れ渡ってしまっている。
噂に尾ひれがつくのも仕方がない。
だが、せめて噂の広がり方に、もう少しだけでも程度ってもんがあってもいいのではないだろうか。
今じゃあ、巷で流れる俺の噂は、「人間のくせに黄金竜から惚れられたとんでもない魔導士」で、「山の麓に山のような財宝を隠したダンジョンを縄張って」、「大勢の魔物を配下にして偉そうにふんぞり返り」、「日々、酒池肉林(性別種族問わず)を過ごしている」という話だった。
……いったいどこの誰のことだ?
「あんまり間違ってもないんじゃないっすか?」
「帰宅するなり吊るされたあげく的にされてか!?」
血の涙を流すように言うと、スケルたちはさっと顔をそむける。
そのまま、俺がしくしくと涙を流していると、
「そうですよ!」
と言ってくれたのはスラ子だった。
加勢してくれるように俺の肩に両手をおいて、
「セクハラダンジョンなんてあんまりです!」
「スラ子、わかってくれるか……!」
考えてみれば、このダンジョンを象徴する存在こそがスラ子だ。
不名誉な名称をつけられて嫌がるのも道理だったが、
「どうせなら、もうちょっと可愛い名前がいいと思います! せめてハレンチダンジョンにすべきです!」
「やっぱりこいつもわかってくれちゃいなかった……!」
「なるほど。わかりました……」
神妙な表情でスケルが頷く。
「つまりご主人が言いたいのは――ここに、むさくるしい男だけじゃなく、もっと女冒険者も呼び込めってことっすね?」
「今までの発言で本当にそう思ったんなら、俺から言うことはなにもないな……」
「いやいや、わかりましたとも。お任せください。我に秘策あり、っす」
きらり、とスケルの目が輝く。
またなにかわけのわからないことを思いついたんだろう。
俺はおもいっきり胡乱に相手を見て、
「……なんだよ。一応は聞いてみるけど」
「女冒険者さんを呼び込む手だてについてです。――全ての鍵はスライムにあります」
「いや、だから。そのスライム、ってかエロイムが問題なんだろうが」
天井から吊り下げられたふんどしも、エロイムという存在があっての話だ。
というかその活用方法の問題だ。
「そう、まさにその通りです。エロイムさんの活用っすよ!」
我が意を得たとスケルはおおきく頷いて、
「エロイムさんたちは武器でも衣服でも溶かしてくれますが、しかし、実はそれだけではないんです!」
俺は眉をひそめた。
「なにか他に効用でもあるのか?」
「考えてみてください。衣服は食べるが人体は食べない。……人はみな裸で生まれてきます。つまり裸こそが自然! しかし悲しいことに人間は恥を隠すために衣類をまとい、我が身をよろうために武器を持つわけです。エロイムさんは、本来、人に必要のないものを溶かしてくれているのに過ぎません」
「はあ。それで?」
よくわからないが、とりあえず続きをうながす。
「人間に不要なものは衣類や武器だけでしょうか? いやいや、要らないものは他にもいくらでもあるはずです。たとえばそれは、日々のストレスやお肌の老廃物……」
ぐぐっと拳を握り込む。
「つまり――スライムは美容にいい! どうですか、ご主人!?」
「いや、まったく意味がわからんが」
それ以外に感想が湧きようもなかった。
「そもそも、そんな効用、うちのスライム連中にはないだろうが」
「いやっすねえ。そんなの適当でいいんすよ、適当で」
スケルはぱたぱたと手を振った。詐欺師じみた表情で、
「世の女性がたの美に対する拘りには際限がありません。特に、冒険者なんていう難儀な生業をなさっている女性にとっては、お肌のお手入れは悩みの種に違いありません。そこに、『あそこのスライムに襲われてから、なんか肌の調子がいい』なんて噂が広まったらどうでしょう。事の真偽はともかく、とりあえず試してみるかーってなるに決まってます!」
「いや、決まってるか……?」
「決まってますっ」
力強い断言を受けて、俺はうーんと手を組む。
脳裏に想像してみた。
エロイムたちに襲われて、衣服がはだける女冒険者たちというのは――正直、心がひかれないわけでもない。いや、正直に言えば、ぜひ見てみたい。
少なくとも、男どもの同じ光景よりは何倍も。というか比較する方がおかしい。
だが、
「そんな上手くいくはずないだろ。このダンジョンの悪名、散々に轟いてるわけだし」
ちょっと変わった噂が流れても警戒されるだけに決まっている。
「確かに」
うんうんとスケルは頷いた。
「可能性は高くはないかもしれません。しかしですね、ご主人――可能性は、ゼロじゃあないんですぜ?」
まっすぐに俺を見据えて、
「分の悪い賭けかもしれません。勝ち目の薄い勝負かもしれません。でもね、ご主人。戦わおうとしない限り、勝利することはありません。挑戦しなければ成功はないんです。なら、諦める前にその可能性にかけて努力してみることこそが、大切なんじゃありませんか?」
真摯な眼差しで語りかけてくる。
「スケル、お前……」
「もちろん、」
相手の思いもがけない真剣さに俺が戸惑っていると、ふっと寂しそうに笑って、
「もちろんご主人がそれでも否だとおっしゃるのであれば、我々はそれに従いましょう。天井のアレも、エロイムさんたちを使うことも中止します。ですが――ご主人、本当にそれでいいんですかい? 自分の心に真っ直ぐだと、ご主人は誓って胸を張ることができますか?」
「それは、」
反射的に答えようとした言葉は寸前で宙に消え、俺は口ごもる。
いつの間にか周囲は静まり返って、全員の注目が俺とスケルのやりとりに集まっていた。
スケルはじっと真っ直ぐに俺を見つめてきている。
その背後にはおなじような表情でこちらを見る大勢の魔物たち。
全員が、なにかを求めていた。
それを求められている俺は、なんでこんなことになっているのかよくわからない。
あからさまに論点がずれているような気もしたが、今この場ではそんなことを言ったところで通用しそうになかった。
明らかに、この場の空気が俺に求めている。
答えを。
この場を収めるただ一つの解答を。
「さあ、ご主人。ご決断を――エロイム活用計画の中止か、あるいは継続か!」
どうしてその二択なんだ、と訴えることもできなかった。
周囲からひしひしと押し寄せる無言の圧力に俺は目を閉じて。
唸るような声で、決断した。
「……継続! 継続だ!」
わあ、っと周囲から歓声があがる。
スケル以下、この洞窟に棲むたくさんの魔物たちが集まってきた。
その全員が嬉しそうな顔に囲まれれば、まあこれでよかったなとか思わないでもなかったが。
そこに、
「随分と楽しそうですわね」
背後からの声。
全員がぴたりと動きを止めた。
重い沈黙が辺りを包み込む。
空気さえ固まったような沈黙のなかで、俺はゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、にこにこと微笑むスラ子と、その胸元に抱かれて静かにこちらを見つめるシィ、ドラ子。
苦笑しているカーラと、半眼のタイリン、ツェツィーリャ。
その隣では、あっけにとられた様子のマナと、呆れかえった顔のルヴェが並んでいた。
そして、もう一人。
「それで――いったいなにを継続なさるのかしら?」
冷ややかな眼差しで金髪の美女が口にした言葉は、氷に触ってもまだ温かいと思えるほどに極寒のそれだった。