一話 帰った先で待っていたモノ
チカチカと、木漏れ日がまたたいていた。
風がそよぐたびに葉っぱが揺れて、何重にもかさなったうえで十分な光を透過してきている。
空を覆う緑色の天蓋を見上げて俺は目を細めた。
いい天気だった。
季節は春を超えて、辺りには若葉の気配が強い。
どこぞの黄金竜が世界中にのたまった“宣言”に呼応して、満開に花を咲かせ続けていた植物たちもいい加減に疲れ果てたのか、ようやく落ち着きを見せ始めていた。
その落差もあって、今年はいつも以上に緑が栄えているように思えるが、これはただの気のせいかもしれない。
先日までの絢爛すぎる彩りには食傷気味だったから、こっちのほうが落ち着くというのは間違いない。
とにかく、いい天気だ。
「大陸中央の辺境」なんて呼ばれるレスルート地方。
そのなかで、また辺鄙な場所に位置する田舎町メジハへの帰路。正確にはその近くの湖畔にある湿気た洞窟へと帰る道すがら。
俺たちは街道を外れた山間道を歩いている。
街道ではなく山間の獣道を歩いているのは余計な騒動を避けてのことだが、ここでいう獣道というのは、本当に獣しか通らないようなものとはちょっと違う。
街道という存在は、人間や軍隊、あるいは商人やその護衛が通ることを目的としている。
安全な交通と流通。
そのために冒険者が雇われて、定期的に魔物を駆除することで“整備”される。
つまり、街道とは一般的に魔物が寄り付きにくい場所だ。
じゃあ、魔物たちはどこを通るかというと、それ以外の山のなかや原っぱやらを好き勝手に通るわけだが、不思議なことに、そうするとそこにも道みたいなものが出来てくるものだ。
もちろん、石畳が整然として、なんて話にはならないが、それでも道だということはわかる。まあ、ちょっと立派な獣道といえばそれまでだが。
俺たちが通っているのはそんな“魔物道”だった。
昼間とはいえ、そうした場所では他の魔物と遭遇する危険も大きい。
だが、このあたりはもう妖精族の縄張りに入っていた。妖精族とは協力関係にあるから、俺たちのような立場では街道を歩くよりよほど安全になる。
とはいえ、さっき言ったように足元がきちんと整地されているわけではない。
間抜け面で上を仰ぎながら歩いていたりすれば、すぐに足をとられてしまうに違いなかった。
「マスター?」
「お、」
今まさに、張り出した大木の根っこで盛大に足をひっかけようとしたその瞬間。
そっと耳打ちするような声に注意をうながされて、俺は視線を足元に戻した。
目の前の障害物を大きく跨ぎながら、声をかける。
「さんきゅ、スラ子」
「ふふー」
返ってくる微笑まじりの声は、足元の影のなかから。
そこには、四か月前にいなくなり、ほんの少し前に戻ってきたスラ子が潜んでいる。
スラ子はスライム。不定形性状だ。
自分の思うように自分自身の姿を変える。とても便利な性質だが、その代わり、昔からあまり燃費がよろしくない。
以前のスラ子なら、魔素の象徴である“精霊”を自分のなかに取り込むという反則的な行為で、燃費だなんてことは些細な問題になってしまっていたが、今のスラ子はそうはいかない。
スラ子に残っている力はそれほどに、全盛期の頃と比べればあまりに儚かった。
それで、少しでも消耗を抑えるために普段は俺の影で休んでもらっているわけだ。
世界中に散った、“スラ子の力”。
目下のところ、俺にとって一番の懸案がそれだった。他にも頭を悩ませていることは色々とあるが、一番はそれだ。
この世界を創り直したほどの絶大な“力”。
その力が、一体どこにいってしまったのか。
スラ子は何故、戻ってきたときにその力を失ってしまっていたのか。
そのことをスラ子本人に訊ねると、「すぐにマスターに会いたかったので!」という返事が返ってきた。
ようするに、それだけ急いでくれたわけだ。
正直、スラ子と再会できるまで十年単位は覚悟していたから、そのこと自体はありがたい話だ。
……別に、スラ子が以前のように強大な力を持ってなきゃいけない理由もない。
スラ子が帰ってきてくれたという、それだけで十分だ。
世界中の隅々に自分自身を散らして、そこに同化させることで歪だった世界を再び“創生”したスラ子。
そのスラ子が、帰還に際して余分な“力”が自然と散逸しただけだというのなら、それでいい。
だが――もしも、その力が意図的に留められていたり、あるいは誰かに利用されていたりしているのなら。それを見過ごすわけにはいかなかった。
数日前。
俺とスラ子は、その“スラ子の力”の欠片を取り戻すことができた。
だが、それでスラ子の元に戻ったのはほんの僅かだ。
残りの“力”は今も、この世界のどこかに在る。
少し前までなら、それはあくまで可能性の話に過ぎなかった。
だが、今では俺はそのことを確信している。
ため息をつく。
俺がそう確信した理由こそが、「他に頭を悩ませていること」の一つだった。
「――じゃあ、この国には王様がいないの?」
「そんなことないわ」
後ろから、幼い声同士のやりとりが聞こえてくる。
「今もランベリーのお城には王様がいるもの。けど、それを王様とみんなが認めるかどうかは別だってこと」
「どうして? 王様は、王様だから、王様なんじゃないの?」
「王様の仕事ってなんだと思う?」
一瞬の間があって、
「……わかんない」
「みんなを護ることよ。王は国を成し、民を護ることをその義務とする。そのために与えられるものが王権。つまり人の上に立つ資格ってわけ」
「与えられるって、誰から?」
「精霊よ」
「精霊に認められないと、王様にはなれないの?」
「そう。まあ、この辺りはちょっとややこしいんだけどね、」
うーん、と説明の仕方を考えるような一拍。
「……結局は、権威づけってことかしらね。人の上に立つ理由。人の上に立っても許される理由はなにかって考えた時に――腕力とか、頭がいいとか、人望とか色々あるけど。もっと手っ取り早くて、もっと『特別』なものはないかって話」
「それが、精霊?」
「そ。正確には、精霊の使徒。その代理人である賢人エルフね。彼らの権威にすがるのが一番だったわけ。まあ、人間種族が大昔にエルフから色々教わってたってのは間違いないし。そういう意味じゃ、エルフから押し付けられたって言えるかもね」
後半の台詞は特に皮肉っぽかったわけではなかったが、俺たちのいる上の方から、ふん、と鼻を鳴らすような音が響いたのは、聞いた本人にはそう受け取られなかったからだろう。
そこには俺たちから少し距離をとるようにして、風変わりな一人のエルフが同行している。
樹上からの反応を気遣うような沈黙のあとで、
「えっと。エルフにも王様っているの?」
「いないわ」
「いないんだ。どうして?」
「必要がないから」
声は、あっさりと――その声色の幼さを考えるとひどく大人びた口調で、
「エルフは仲間同士で争わない。彼らは自分たちが団結するのに、誰か一人が上に立つ必要がないの。だから、王様なんていう存在もいらない。彼らは、仲間内でならいくらでも平和的に話し合って問題を解決できるのよ。だから、人より賢い種族。賢人族とはよく言ったものね。彼らはきっと、大昔に人間種族の祖先にいろんな物事を教えていた時、嘆いていたかも。どうして彼らは自分たちのように理性的に物事を解決出来ないんだろう。人間とは、なんと未熟で未完成な生き物なんだろう、ってね」
「……人間が未熟だから、王様が必要なの?」
「そういうこと。文化的にも種族的にも未成熟な人間に、だから彼らは“王”という役割を用意した。そして、その後ろ盾に自分たちをあてがわせた。この場合、自分たちというより、精霊の代理人としての話ね。あくまで精霊がそれを認めて、自分たちは代理として行う。これが精霊による王権授与論よ」
「じゃあ、どこの国の王様も精霊から認められてるんだ」
「そ。形式的にはね」
「けーしき的?」
「百年前の魔王災で、エルフは種族として深い傷を負ったわ。彼らは他種族への干渉を控えるようになった。けど、昔から続いてるように、王権が精霊から与えられるって建前はそのまま残ってるの。一種の慣習ってことね」
「そうなんだ」
「もちろん、なかには積極的にそれを活用してる国もあるわ。ゼルトラクト神国なんか、賢人族からその正統性を引き継いでるってことを国是にしてるくらいだしね。だから、あそこの国の女王様は精霊光教の教皇も兼ねてたりするの」
「へー……」
「つまり、王様っていうのは精霊とエルフが、人間種族とのあいだにかわした契約みたいなものなのよ。だから、王様には義務があるの。その内容もいくつかあるけど、その中の一つが自分の国の民を護るべしってやつね。逆に言えば、国民を護らないような王様は、王様じゃないってわけ」
「王様じゃなくなっちゃうの?」
「そ。あんまりあることじゃないけど、実際に王権を剥奪された王様だっているわ。で、この国の話だけど、ここの王様は百年前の魔王災で『それぞれの町は自分たちで自分たちの町を護るように』なんてお触れを出しちゃったから、」
「ハクダツされたの?」
「ううん。でも、微妙なとこね。その頃は、他の国やエルフもしっちゃかめっちゃかだったから、こんな小国に干渉してる余裕がなかったんでしょうけど。実際、この国の王権はほとんど形骸化しちゃってるからね。中央はともかく、地方なんかじゃあ特に。まあ、それで『ギルド』とか『冒険者』とかって副産物も生まれたわけだけど――」
つらつらと後ろで続くやりとりを耳にしながら、ふと口元に笑みが浮かんでしまう。
胸に飛来したのは懐かしさだった。
……昔、俺もこんな風に彼女からいろんなことを教わった。
自分と同い年くらいのはずなのに、何でも知っているような彼女の知識の豊富さに心底から驚きながら、俺は同時に疑問にも思ったものだ。――いったい、この子は何者だろう?
ルーヴェ・ラナセ。
「冒険家」を志して魔物アカデミーの門戸を叩いた、風変わりで、元気と自信にあふれた赤髪の女の子。
今思えば、彼女は多分どこか良いところの生まれだったのだろう。
本人に聞いたことはないが、裕福な商家か、あるいは貴族出身かもしれない。このご時世、知識を学べるのは基本的にそうした、いわゆる上流階級の人間だけだ。
俺が懐かしさを覚えたのは、その彼女の口調や声そのものが、当時と変わっていないからでもある。
比喩ではなかった。
どうか助けて――アカデミー時代の旧友であるルヴェからそんな内容の手紙を受けて、慌てて救援に向かった先で再会した彼女は、俺と一緒にアカデミーへ入った当時の年齢にまで幼くなってしまっていた。
原因はおそらく、半年ほど前に彼女が連れていた赤子――こちらは、今では十歳くらいの外見になっている――“十番目”の子ども。マナ。
詳細は不明だが、ルヴェが幼くなってしまったのは、マナの力が原因だろう。
この世界を創造した際に発揮したとされる“十番目”には謎が多い。というか、謎しかない。
その上、今度は俺と変わらない年頃の姿かたちをした、もう一人の“ルヴェ”までが現れた。
俺の前に現れたその“大人ルヴェ”は、スラ子が失くした“力の欠片”を持っていた。
彼女はその力を使ってなにかを企んでいるようであり――マナと、もう一人の自分のことをしばらく俺に任すと言ってから、姿を消した。
……正直、なにがどうなってるのかわからない。
わからないが、一つだけ確かなのは、ルヴェとマナの安全を確保する必要があるということだ。
騒動に巻き込まれた女の子を町まで送り届け、感謝とそれ以外の感情で複雑そうな町の連中に、そそくさと別れを告げて町を出たのが二日前。
目の前の光景は、もうだいぶ馴染みのあるものになってきている。
ルヴェからの手紙を受け取って洞窟を出たのが十日ほど前だから、まだそんなに日数が経っているわけでもない。
たった一週間の遠出だが、それでも安堵する気分が強いのは、つまりは俺が生粋の引きこもり体質ということなんだろう。
スライムたちが蠢く湿気た空気が懐かしい。ああ、癒されたい。
それはともかく。
ホームというのはそれだけでありがたいものだ。帰る場所があるというのは、大切なことだと思う。
まあ、帰った先で心配がなくなるわけでもないが。
スラ子のこと。マナのことやルヴェのこと。
考えるべきことはたくさんあって、――さらに恐れていることは他にもあった。
憂鬱な気分を吐き出そうと、俺は、はあっとため息をつく。
「……土下座くらいで許してくれるかなぁ」
「ふふー。絶対、無理ですねっ」
足元から嬉しそうに断言された。
実は、ルヴェたちの救援に向かおうという時、かなり強引に洞窟を出てきてしまっていた。
洞窟に残された連中はさぞ心配しているだろう。
そして、それ以上に怒っているはずだ。
きっと。いや確実に。
そんな連中から、帰ったあとでどれだけ詰られるかと思うと、今から――
「興奮しちゃいます?」
「変態か!?」
「違うんです?」
「違うわっ!」
大声でわめいてから、後ろの会話が止まってしまっていることに気づく。
振り返ると、大きく目を見開いたルヴェとマナの二人がびっくりしてこちらを見上げている。
二人の後ろからはタイリンが半眼で、その隣ではカーラが苦笑ぎみにこちらを見ている。「バーカ」と、これは樹上から姿の見えないツェツィーリャの罵声。
「ああ、いや」
足元の影を軽く睨みつけてから、俺は頭をかく。
後ろを見てみれば、少し先の地面にキラキラとした光が輝いていた。
こほんとわざとらしく咳をついて、
「……ほら、湖が見えてきたぞ」
「あ、ほんと!」
「――じゃあ。もうすぐ、ですか?」
ぱっと目を輝かせたルヴェの横で、もう一人のマナは不安そうに眉をひそめている。
物心がつく頃からずっと魔物に追われてきたマナのことだ。
ほんの一時でも安住の地などなかっただろうし、そんな自分がどこかで受け入れてもらえるとは思えないのだろう。
また迷惑をかけることになるかも、と考えているのが幼い表情にありありとしていたから、俺はその頭にぽんと手をおいて、くしゃくしゃにかきまわしてやった。
顔をしかめながら見上げてくる眼差しに、告げる。
「我が家へようこそ」
我が家のダンジョンである地下洞窟への入り口は、複数ある。
正門、というのもなんだかおかしいが、ともかくそうした場所は、以前ここがメジハの町ギルドで鍛錬所として使われていた頃からの、湖畔に面したものがあるが、そこを出入りするわけにはいかない。
うちのダンジョンは今ではちょっとどころではなく有名になってしまい、毎日のように侵入者がやってくる有様だからだ。
だから、自分たちが出入りするのはそこではなく、裏口――秘密の出入り口みたいなところだった。
その入り口は近くの森のなかにある。
妖精族が縄張りとする森なら、見つかる心配も少ないし、仮に不審者がそこに近づいたならまず妖精たちが気づいてくれる。
「よし、ここだ」
記憶を頼りに茂みを搔き分けると、目の前にぽっかりとした横穴があらわれた。
大きさは大人が屈まないでも歩ける程度はある。子どもなら横に並んでも平気だろう。
「なかはけっこう湿ってる。滑るかもしれないから、ゆっくりな。カーラ、気をつけてやってくれ」
「わかりました」
殿をカーラに任せて、先頭に立つ。
手元に灯りを生み出して、俺は暗闇のなかを進んでいった。
あんなことを言っておいて、自分が滑りでもしたら恰好がつかない。
浅い傾斜を慎重に降りていくと、ひやりとした空気に肌を包まれる。
洞窟内を流れる地下水流の影響で、洞窟のなかは案外と冷える。
また少し奥になれば事情は違うが――あれ、と俺は眉をひそめた。
目の前に広がる暗い闇はさっきまでと変わらない。
だが、靴の反響音でそれまでと違って広がりがあることがわかる。
そこにあるのは、ちょっとした広場だった。
普段は物資の集積に使っているが、いざというときは侵入者の迎撃場所にもなる。
戦場になることも考えられているから、空間としてはけっこう大きい。
俺の手元以外に灯りのないその場所には誰の気配もなく、ひっそりと静かに闇に沈んでいた。
「変だな」
「どうしたの?」
後ろから訊いてくるルヴェに、
「……誰もいない。一応、こっちにも見張りがいるはずなんだが」
妖精たちの存在が一種の警戒網になってくれているとはいえ、なかには妖精に気づかせず侵入してくる手強い連中だっているかもしれない。
そういう事態を想定して、いくつかある裏口にもそれぞれ警備をまわしているはずだった。
ここがその場所だ。
それがいないということは、
「スラ子?」
「……戦闘の形跡はありません」
足元から聞こえた声は落ち着いている、
だが、そのなかに微量の緊張が含まれていることに、俺は顔をしかめた。
――なにかあったのか?
すぐに頭に思いつくのは、冒険者の襲撃だ。
だが、スラ子は戦闘が行われたような形跡はないといった。
侵入者がいたのなら、戦闘が起きないなんてことは普通ありえない。
ということは、侵入者ではない。
それとも――戦闘さえ起きないような、一方的な「なにか」があった?
留守を任せた連中には、いざとなればここを放棄して妖精族の森まで退避するように伝えてある。
そのあたりの判断は信頼していたが、
……嫌な予感がする。
じわりと胸に湧きあがる気分をおさえながら、俺は後ろを振り返った。
「様子がおかしい。ちょっと見てくるから、カーラたちはここで待っててくれ」
「了解です」
なにかを察した様子で、カーラがこくりと頷く。
不安そうなルヴェやマナの向こうから、ツェツィーリャがなにかを言いかけたが、やれやれと言いたげに頭を振った。勝手にしろ、とジェスチャーで告げてくる。
タイリンはまだ半眼だった。何故だ。
「スラ子、警戒頼む」
「了解ですっ」
息をひそめて、音を殺しながら先に向かって足を進めた。
手元の灯りに魔力を込め、光量を高める。
それを遠くに飛ばして先の視界を確保しようとした、その端でサッとなにかが動いた。
「……見たか?」
「鼠にしては大きかったですね」
「ただの鼠ならいいんだけどな」
見張りがいないのも、洞窟の連中で酒盛りしたあとで、見張りも含めて全員が眠りこけているとかならいい。
いや、よくはない。決して良くはないが。
「考えてみたら、普通にありそうなのが嫌だな……」
「なにがです?」
「いや。連中、酒盛りのあとで寝てるだけなんじゃないかとか思ってな」
あぁ、とスラ子が影のなかで頷いて、
「今回は違うと思いますよ?」
「ならいいんだけどな」
いや、よくないか?
なにか深刻な事態が起きたのよりは、そっちの方が笑い話で済むだけマシかもしれない。
などと考えていると、くすりと笑みまじりの声でスラ子が言った。
「ええ。だって、まだ真っ最中だと思いますから」
「なるほどな」
え、と思った俺が聞き返す前に、
「フィーーーーーーーーーーーーッシュ!」
いきなり、絶叫するような声が轟いた。
それと同時。足元になにかが絡み、ものすごい勢いで上に引っ張られる。
視界が反転し、俺の全身は一気に地面から離れていった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
天井にぶつかる! と思ったところで別のなにかが腕に絡まって、今度は逆側に引っ張られる。
結果として、俺は天井から吊るされる形となった。
ぼぼぼ、と周囲に炎がともる。
たくさんの灯りが広場からたちまちに闇を追い払い、現れたのは大勢の魔物たち。
広場自体をぐるりと取り囲むように、多種多様な視線がこちらに向けられていて、さらには、
「侵入者はっけーん! ……おやぁ?」
中央には、頭から足先まで全身が真っ白い魔物が、顔色を明らかに酒で赤くしながらこちらをこちらを指さしていた。
「むむ! なにやら知った顔に似ているよーな、そうでもないよーな!」
「いや、普通にマギだと思うが……」
赤ら顔の横から、肩掛けを斜めに巻いた魚人族の美女が突っ込みを入れるが、
「えー、でもなんかいまいち冴えない顔っすねえ。自分の知ってるご主人、もう少し、ギリギリですけどイケてるはずなんで……、間違いない! あれはニセモノっす!」
「……そうか。そうかもな」
「そこで諦めるなよ、エリアル! スケルもいったいなんの冗談だ!」
「なんと! あっしらの名前まで知ってやがりますぜ! 侵入者の分際で、情報しゅーしゅーには抜かりないらしいっすね!」
「いや、だから……。――そうだな。手強そうな侵入者だな」
「ツッコミを放棄するな! そういうのよくないと思うぞ!」
なにやら悟った表情で相槌を打っている相手に怒鳴り声をあげるが、人魚のエリアルは申し訳なさそうにこちらに首を振ってくるだけだった。
隣では、呂律もろくにまわっていないスケルが大声でわめき続けている。
「侵入者の分際でえらそーにゃ! どうやら、キツイおしおきが必要っすねぇ……。各員、投擲よーい!」
調子っぱずれの号令にあわせて、周囲を取り囲む魔物たちがなにやら身構えた。
連中が手に持ったものを見て、ぎょっとする。
「おい、待て。なんだそれは!」
「ふっふっふ。エロイム式対侵入者精神打撃兵器そのよーん、エロボール! このボールが触れた衣服は溶ける! 以上!」
「アホか! なにする気だ!」
「くくく、我がご主人は本当に恐ろしいお方……。この洞窟を訪れた侵入者には、死よりも辛い辱めを受けてもらわなければなりません……!」
「誰も言ってないだろ! そんなこと!」
「自分としても、こんなことをするのは心苦しくはありますが! 主命とあらば仕方なし! 如何な鬼畜所業も本望と、誓う心が部下の華ァ!」
「酔ってんじゃねえよ! ってか、酔ってんじゃねえか! いいから下ーろーせー!」
この先の展開に予想がついた俺は大声で言うが、相手はもはや聞いてもいなかった。
周囲の連中に向かって腕を突き上げて、
「と、いうわけで! ご主人的当てゲーーーーーーーーーーーム!」
「もう、普通にご主人って言っちゃってるじゃないか……」
隣からのツッコミも、当然のように無視される。
「ルールは簡単! あそこに釣られたご主人(偽)の身体のどこかにエロイムを当てて、きわどい場所を溶かした人が優勝っす! ボールをコントロールする投擲技術はもちろん、いかにエロく! いかにキワドく! 狙い場所を考えるセンスも必要っすよ。全裸よりむしろ半脱ぎの方がエロい! そうっすよね、エリアルさん!?」
「……。ああ、そうだな」
「だから諦めるなって! 誰かあいつを止めろー!」
誰か助けてくれる相手はいないかと思って頭を巡らせると、ぽかんと口をあけたマナとルヴェの二人と目があった。どうやら展開についていけないらしい。
それも仕方ないことではあるが、……不味い。
このままでは、二人の目の前でとても年少者には見せられないいかがわしい光景が繰り広げられることになってしまう。
それよりなにより。
彼らに対する俺の威厳と尊厳がヤバい。本当に不味い。
せめて二人の目を隠すように言おうとしたところで、二人の近くにいるカーラやタイリンに焦った様子がないのが目に入った。はたと気づく。
「お前ら、さては気づいてたな!?」
「バーカ」
呆れたように言ってきたのはツェツィーリャだった。
「まわりの気配に気づかねー手前がアホなんだろ、間抜け」
くそ! どおりで、さっき先行することを伝えたときに妙な反応だったわけだ!
……ということはスラ子もか!?
「スラ子、お前……!」
いつもの癖でつい足元を見てしまうが、今そこに影はない。
地上を見れば、影ではなく全身を現しているスラ子の姿がそこにあった。周囲の連中と一緒になって、嬉々としてスライムの玉を構えている。
俺は吠えた。
「お前もかよ!」
「もちろんですっ!」
スラ子はぐぐっと拳を握りしめて、
「安心してくださいっ。わたしが一番になってみせます!」
「いらんわ! 止めろ、こいつらを! やめさせろ、今すぐ!」
「大丈夫です! 股間は狙いませんから!」
「そういうことじゃねええええええええええ!」
絶叫する。
それに被せるように、自分もスライムボールを構えたスケルが高らかに宣言した。
「さあ、それではいってみましょう! 日頃の怒りや鬱憤、その他モロモロ全部まとめて! ――れっつ、しゅーてぃんなう!」
「いやあああああああああああああああああああああああ!」
直後。
四方八方から放たれた無数のスライム玉が、俺に向かって殺到した。