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二十三話 フードの奥にあったもの

 ふっと、マナの全身から力が抜けた。


「おっと」


 膝から崩れ落ちそうになるのを、すんでのところで受け止める。

 それと同時に、周囲に満ちていた異様な気配も消えていた。


 気を失ってしまったらしいマナの顔を覗き込んでから自分の腕を見ると、さっきまでの鳥肌が落ち着いている。

 マナの頭においた右手、そして今も支える腕は――もちろん、きちんとそこにあった。


 そういえばスラ子のほうはどうなった、と思って顔を向けてみれば、大人二人分くらいの大きさの“不定形”が、なんというか、名状しがたい感じにうねうねうねと蠢いていた。


 近づくのにはちょっと勇気がいる光景だ。

 スラ子のことだから、大丈夫だと思うが――とりあえず、マナを抱きかかえて、そちらに向かおうと足をむけかけて、


「素晴らしい!」


 感極まったような叫び声。


 渋面になって俺は後ろを振り返る。

 ……そういえば、こいつらがまだ残っていた。


「本当に素晴らしい! まさか、極めて限定的な状態とはいえ、いったん発動した“十番目”の力を止められるとは! マギさん、貴方は今なにをどうやったのですか!?」


 マッドなエルフが両腕を振り上げながら近づいてくる。

 そのままこっちに抱きついてきそうな勢いに顔をしかめながら、俺は気になる言葉を聞き逃さなかった。


「限定的? おい、そりゃどういう意味だ」


 きょとんとしたエルフが、


「当たり前でしょう? もしも“十番目”の力が本来の規模で発揮されれば、貴方も私も、生き残っているわけがありません。いえ、この世界ごと、どうにかなっていないとおかしい」


 それは――確かに。


 俺は周りを見回してみる。

 決して広くない洞窟は、いくらか“不定形”が暴れ、“十番目”の力で抉れているとはいえ、その程度だった。


 “不定形”と“十番目”がぶつかり合う、なんて破滅的な事態が起こったにしては、奇跡的にまで被害は少ない。

 もちろんそれは、被害が大きくなる前に俺たちが事態を収拾できた、ということではあるのだが、


「じゃあ、――さっきのは。まだ全然たいしたことないって? そういうことか?」

「もちろん!」


 マッドエルフはきっぱりと頷いてみせる。


「ああ、でも、ここまで被害が抑えられるとは思っていませんでした。最小規模とはいえ、神話の一場面を再現するわけですから。このあたり一帯が吹き飛ぶくらいのことは、予想していたんですがね」


 立て板に水を流すように喋りまくる。その口調はほとんど残念そうですらあった。


 俺は愕然とした。

 つまり、これは充分に「調整された実験」だったということか。少なくとも、このエルフはそう思っている。


 研究第一の頭がおかしい連中が、後先考えずにこの世界を滅ぼしかけるなんてことは、昔からありふれた話ではあるが――実際にそれを目の当たりにすると、呆れかえって怒る気にもなれなかった。


「あんた、本気か……?」

「なにがです?」


 エルフの研究者は不思議そうに首をかしげて、


「それよりも! マギさん、また次の実験でもご一緒しませんかっ。さすが黄金竜ストロフライと、“不定形”スラ子の戦いを生き抜いただけあって、やはり貴方は素晴らしい強運の持ち主だ! 是非、私と一緒にこの世界の在り方を解き明かしましょう! いえ、それどころか――」

「……あのなあ。いい加減に」

「――はい、そこまで」


 うんざりした俺が相手の演説を遮ろうとしたところに、明るい声が被さった。


 すこん、という音。


 エルフが白目をむく。

 そのまま、ゆっくりと前のめりに倒れ込んでいった。


 相手にとっては青天の霹靂だっただろうが、驚いたのは俺も同じだ。


 エルフの研究者を気絶させたのは、その背後に控えていたフードの人物だった。

 その人物が、やおら後ろからエルフの頭をどついて卒倒させたのだ。


 だが、真に驚くべきなのはそんなことではなかった。


 今、聞こえた声。

 その声に、俺は聞き覚えがあった。

 いや、少し違う。正確には、それとよく似た声に、聞き覚えがあった。


「あんた――」


 目を見開いて凝視する俺に、ふふっと悪戯っぽく笑ってみせる。

 口元が見えた。――確かに、面影がある。だが、ありえない。ありえないはずだ。

 俺は混乱して言葉もなかった。


 フードの人物が、ゆっくりとフードをとる。


「久しぶりね、マギ」


 ――そこにいたのは、ルヴェだった。


 ルーヴェ・ラナセ。

 魔物たちが集う“アカデミー”で共に学んだ、古くからの友人。


 だが、ありえない。

 何故なら、そこにいるルヴェの姿は、俺が見たことがないものだったからだ。


 彼女と俺は同じ年にアカデミーに入った。年も一つしか違わない。

 彼女が俺より一つ年上で、そして俺が十九の時、俺と彼女はアカデミーを出た。


 落ちこぼれの俺は辺境の洞窟管理者に。

 そして彼女は、昔から言っていた通り、『冒険家』になって世界へと旅立った――


 その五年後。

 俺たちが再開した時、ルヴェの姿は、大学を出たその時のままだった。


 その要因は、彼女がその時に連れていた赤ん坊。つまりマナだ。

 マナは、お乳を吸わず、ご飯も食べないかわり、ルヴェの「年齢」を食べていたのだ。そうとしか思えない。


 さらにそれから時がたって、俺の元にはルヴェからの手紙が届いた。助けてほしい、という文面に俺は仲間を連れて洞窟を出て。


 そこで三度、再開した時。

 ルヴェは十二歳の頃の姿にまで戻ってしまっていた。


 つまり、この半年ほどのあいだに、俺は十二歳の頃のルヴェと、二十歳の頃のルヴェ。

 その二つの彼女の姿を見たことになる。


 だが、今、目の前にいる「ルヴェ」は、そのどちらの姿とも違う。


 見た目でいえば、十二歳の姿になってしまっている今のルヴェより、スラ子のほうに近い。

 それはスラ子が、俺が二十歳の頃のルヴェの姿を元にしてスラ子の外見をイメージしたからだが――目の前のルヴェはそれよりもっと年上だった。


 ぱっと見たところ、俺とそう変わらないように思える。

 年ではいえば、二十半ば。たとえば、二十五、六歳あたり。


 ……そう。

 その姿は、まるで「大学を出たあと、普通に年をとった」ルーヴェ・ラナセ、彼女にしか見えなかった。


 ――どういうことだ?

 マナの“力”で、今度は年をとったのか?


 だが、十二歳のルヴェならカーラたちと共に退避しているはずだ。

 つまり、今この場には二人のルヴェが存在してしまうことになる。


 偽物か?

 すぐに俺の頭に浮かんだのはそれだったが、――違う、とすぐに思い直した。


 真っ赤な髪。頭の後ろで簡単に結って、さらに腰まで長く伸びた毛先。

 炎を宿したような勝気な眼差し。

 表情は自信と生気に満ちて、不敵に微笑んでいる。

 

 その全てが、まさに「ルーヴェ・ラナセ」でしかありえない。

 彼女を知る誰もがそう答えるに違いないと確信してしまえるほど、目の前の彼女は“彼女”だった。


 俺が絶句していると、ルヴェ――“ルヴェ”は不服そうに眉を寄せて、


「なによ。久しぶりに会ったのに、挨拶もなし?」


 その「久しぶり」は、いったい、いつのことを指しているんだ――


 衝動的に湧き上がった疑問を無理やり、腹の底におさえつけてから、俺は口をひらいた。


「……ルヴェ、なのか?」


 彼女はにっこりと、


「もちろん。あたしは“ルヴェ”よ」

「だけど、」


 あまりにもはっきりとした回答に、言葉に詰まる。

 ほとんど無意識のうちに、視線がカーラたちが向かった通路を追うように彷徨って、それに気づいた“ルヴェ”が笑った。


「まあ、困惑しても仕方ないわ。でも、あたしは“ルヴェ”よ。あたしが“ルヴェ”であることは、あたし自身がよくわかってる。マギ。キミになら、わかってくれると思うけど」


 俺は渋面で黙り込む。

 彼女の言いたいことがわかったからだ。


 今の発言は、いかにもスラ子が言いそうなことだった。

 他に“スラ子”がいようと関係ない。確固とした自我をもった不定形が、そう言って胸を張るような。


「じゃあ――」


 目の前の事態についていけない。

 せめて少しでも事情を整理しようと、俺は混乱した頭を必死にはたらかせた。


「町を。襲わせたのは、」

「あたし」

「……女の子を浚って。俺たちを誘い込んで。大穴に、あんな“不定形”を用意して、“スラ子”までつくったのも?」

「それも、あたし」


 肯定する。

 淡々とした態度に、それまで驚きのあまりどこかにいっていた怒りが一気に燃え上がった。


「なにを考えてる。――なんなんだ、いったい!」

「必要なことだったの」


 さらりと“ルヴェ”は言った。


「必要? なんのために、」


 俺ははっと思い至った。


「……マナか?」


 “ルヴェ”は答えない。だが、その無言がそれを肯定していた。


 意味がわからない。


 俺は頭を振って、


「どういうことだよ。マナのことをどうにかするために、“不定形”や“スラ子”まで用意して実験までやったってのか?」


 実験、と自分で口にした言葉にはっとなる。

 限定的に調整された、“十番目”の力の発現と、疑似的な“不定形”。


 それら全てを計画したのが、目の前のこの彼女だとしたら、


「……いったい、なにを企んでる。なにが目的なんだ。マナをどうしたい」


 “ルヴェ”はくすりと笑った。


「親が子どもに求めるものなんて、一つだけよ。そう思わない?」


 ――マナの幸せ。


「マナの“力”をどうにかしたいってことか? だったら、俺に思い当たることがある。別に、こんなことをしなくたって、」

「それはダメ」


 最後まで言いきる前に、彼女は首を振った。


「黄金竜ストロフライ。彼女に頼んでみればいいって言うんでしょ? ……確かに、万能の彼女になら、マナのことだってなんとかできるかもね」

「だったら!」

「ダメなのよ。なんでも出来るからって、――なんでも出来る相手にだから、出来ないこともあるわ。それを彼女に証明してみせたのはあなたじゃない。マギ」


 諭すように言われて、俺はぐっと唇をかんで。

 歯を軋ませて、言った。


「……だから、スラ子の“力”を使ってどうにかしようって。そういうことか」

「そういうこと」


 試験の満点を生徒に告げる教師のような表情で笑う。


 だからか、と俺は呻いた。


 俺の知っているルヴェは、決して魔法が得意な人物ではない。

 火属性についてだけは天才的な才能を発揮したが、それ以外の応用についてはむしろ苦手なはずだった。


 とても“スラ子”や、“不定形”をつくるだなんてことが出来るとは思えない。

 その力の源にあるのが“スラ子の欠片”だとしたら、ひどく納得できる。


「マギがスラ子ちゃんの“力”の行方を捜してることは知ってるから、そこは申し訳ないけど。ほら、スラ子ちゃんの容姿ってあたしを参考にしてるわけじゃない? だから、これはそのお返しってことで」


 あっけらかんと言って、ちらと俺の背後に視線をおくる。


「さてと。久しぶりに会ったんだし、できればもっと話したいところなんだけど。今、他の人に会うと色々と面倒なことになりそうだから、そろそろ行くわ」


 言って、彼女はこちらにむかって腕を伸ばした。


「――マナを渡してくれる?」


 俺は黙って、目の前の“ルヴェ”を見やる。


 本来、在るべき年齢の、在るべき姿で俺の前に姿をみせた「ルーヴェ・ラナセ」。

 実際に話してみても、彼女が本物であるという以外の感想は俺には湧かなかった。


 なら、彼女がマナの母親であることを考えれば、返せといわれて返すほうが正しい選択ではあるのだろう。


 だが、


「……断る」


 その返答を予期していたかのように、“ルヴェ”が笑う。


「どうして?」

「あんたが“ルヴェ”なのはわかった。俺には本物にしか思えないし、多分、そうなんだろう。けど、あんたが本物だろうと、偽物だろうと、この場で渡すなんてことはできない」

「だから、どうして?」

「――洞窟の外にもルヴェがいる。俺は、あの子も“ルヴェ”だと思ってる。だから、もう一方にだけ渡すなんて、出来ない」

「ようするに、マギはあたしの方を偽物だと思ってるって、そういうこと?」

「そうじゃないさ。単純に、二人の“ルヴェ”がいるのに、どっちかに勝手に、マナを渡すなんてできないって言ってるんだ。それに、」


 俺は息を吐いて、続ける。


「……さっき、マナに言ったばかりなんだ。お前のことでなんかあったら、俺が責任をとってやるって。いきなり嘘をつくわけにはいかないだろうよ、大人として」


 “ルヴェ”は、じっと俺を見つめて。


「――この世界は変質しているのよ、マギ」


 ささやくように、そう言った。


 俺は眉をひそめる。


「変質?」

「ええ。ここに来るまでに、スライムを見たでしょ?」


 ああ、と俺は頷いた。

 地面を食うように蠢いていた、無数のスライムたち。


「それが?」

「本来、スライムというのは決して凶暴な生き物ではないわ。彼らは仲介者、あるいは分解者に過ぎない。だけど、今のスライムたちは明らかにそれだけでは終わらない。もっと積極的に、生きて、食べようとしている。――なにかの影響を受けて、ね」


 黙って先を促す。


「そして、それはスライムたちに限らない。全ては、四か月前に起こった出来事が影響しているわ。つまり、」


 誘うような沈黙。

 俺は押し殺した声で、唸った。


「……スラ子が、この世界を変容させたからか」

「ええ、そうよ」


 “ルヴェ”が頷く。


「この世界は変質してしまった。魔素という力に付随した、瘴気。それが無くなったことの影響はとてつもなく大きいのよ。一つ一つの生き物、一つ一つの細胞に、その変化は訪れている。それが集団や、世界という全体規模になった時、どれほどの変化の大波になるか。想像できる?」


 俺は答えない。

 彼女は続けた。


「その変化の大波が、あの子に押し寄せるかもしれない。……それでも、君はマナを護ってくれる?」


 いつの間にか、“ルヴェ”の表情はどこまでも真摯なそれになっていて。

 その答えについては今さら迷うつもりもなかったので、俺は頷いた。


「護るさ」

「……今、世界中を混乱させている“黄金竜の魔王災”なんて、比べ物にならないくらいのことが起きるかもしれないのよ? それでも?」

「もちろん、護る」


 俺はあごを引いて、


「魔王だろうが、なんだろうが。――なんなら、大魔王にだってなってやるとも」


 それを聞いて一瞬、“ルヴェ”は目をぱちくりとさせた。


「わかった」


 くすりと笑う。


「それじゃあ、マナは君に預けるわ」


 力づくで奪いにくるかとも思っていたので、少し意外だった。


「いいのか?」

「ええ。ずっと、って言ってるわけじゃないし。そのあいだに、あたしにもしたいことがあるしね――」


 俺は目を見開く。

 目の前で、“ルヴェ”の姿がゆっくりと透過していく。


 幻? いや、違う。俺の知らない、魔法的ななにかだった。


「……それじゃ、また。マナと、もう一人のあたしによろしくね」


 あ、と思い出したように向こうを指さして、


「――あの女の子、町に返してあげてもらってもいい?」


 えっ、と思ってそちらを見ると、スライムに内部から食い殺されたはずの女の子は、まるでそんなことがあったのは夢だったかのように、大人しく寝息をたてている。


「あたしが連れてってあげてもいいんだけどさ。やっぱり、そっちからってのが一番じゃない?」

「おい、ちょっと待っ――」


 だが、俺が声をかける前に、霞が消えるようにその姿がふっと消える。


 残された俺は、しばらく“ルヴェ”がいた空間を見つめていて、


「マスター」


 後ろからの声に振り返る。


 元の姿にもどったスラ子が立っていた。

 その掌に、ほんの一滴くらいの、粒のようななにかが光っている。


「……それだけか?」

「これだけです」


 四か月前、世界中に四散した“スラ子の力の欠片”。

 これだけ苦労して、ようやく手に戻ったそのほんのわずかな大きさに、俺は思わず苦笑してしまい、スラ子も苦笑した。


 ぱくり、と口にする。

 ほう、と息を吐いたスラ子が、


「どうかしたんですか?」


 小首をかしげて聞いてきた。


「ああ、実は――」


 言いかけた俺の耳に、遠くから俺たちを呼ぶ声が届く。


 カーラたちだ。

 外に退避しろと言ったのに、結局こっちへ戻ってきてしまったらしい。


 ……果たしてどう説明したものか。

 誰かに説明する以前に、自分自身がまだうまく今の出来事を整理できていなかった。


 俺は頭をかいて、


「まあ、あれだ。またなんだか厄介なことになりそうだが。……ともかく、帰るとするか。色々と、話はそれからでいいだろ」


 それまで俺の腕で眠っていたマナが、ふと身じろぎした。

 うっすらとまぶたをあけて、ぼんやりと寝ぼけたような声をだす。


「帰る……?」


 帰るって、どこに――。

 不安そうに、ぎゅっとしがみついてくる相手に、俺はひょいと肩をすくめてみせる。


「そうとも。スライムなダンジョンに、な」



                                                 1章 おわり

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