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二十話 狂気の目論見

「マスター!」


 土煙のむこうから響いたのは、行方のわからなくなっていたカーラの声だった。


「マナを守れ!」


 叫びながら、俺は隣でぽかんとしているマナの肩を強引に引き寄せる。

 一瞬違いで、もうもうとした土煙を縫うようにした腕が、つい少し前までマナのいた空間に伸びた。


 すらりとした細い腕は男のものでもなければ、半透明でもない。

 あのエルフの男のものではなかった。いくら優男でも、これはまちがいなく女の腕だ。だが、“スラ子”でもない。――なら、あのフードはいったい誰だ?


 疑問を浮かべながら、ともかくその腕が味方の誰のものでもないことは確かだった。

 俺はマナを捕まえようとする細腕を蹴飛ばしながら、マナを抱き込んで椅子ごと後ろに倒れ込む。ツェツィーリャの舌打ちと、テーブルが倒れる音。その後に荒い物音がいくつか立て続いて、なにかの気配が激しく交錯した。


 視界がはっきりとした時、俺の周囲にはいくつもの人影があらわれている。


 カーラやタイリン、ルヴェらが俺とマナを守るように立ち塞がっていた。

 倒れたテーブルの向こうにいるエルフの男とフードの人物に対して油断なく構えたまま、カーラが問いかけてくる。


「――マスター、大丈夫ですか?」

「ああ。女の子は?」

「見つけました。眠ってます」


 俺からは見えないが、カーラは誰かを抱きかかえているようだった。

 そうか、と安堵の息を吐いた俺に、やや沈んだ声が続く。


「それから……研究部屋、みたいな場所も見つけました」


 緊迫した口調だった。――カーラが怒っている。


「……なにがあった?」

「たくさんの、魔物と。それから、人が……、」


 言葉が途切れた。

 憤りのあまりその先が続かない様子に、俺はそこにあったものを察する。


「壊したか?」

「はい。ルヴェちゃんの力を借りて、全部、燃やしてきました」

「そうか」


 頷きながら起き上がる。

 俺の腕のなかで硬直しているマナをルヴェに預けた。俺を見た幼い表情は心底からの怒りに紅潮している。


「……あいつ、最低よ。マギ。あんな酷いこと。アカデミーでだって、あんなのありえない――!」

「ああ、わかってる」


 遠くで微笑をたたえているマッドのエルフを睨みつける。


「どうも、あんたに“スラ子”の力を預けておくわけにはいかないな」

「今更ではありませんか?」


 エルフの男は苦笑してみせた。


「貴方の目的は、世界中に四散した“スラ子”の“力”を取り戻すことのはずでしょう?」

「そうとは限らないさ」


 俺は肩をすくめる。


「確かに、俺はスラ子の“力”の行方を調べてるけどな。それは、どうしてスラ子の元に戻らないのかを知りたいからだ。それが自然に戻らないなら、それでいい。だけど、もしもそれが誰かに悪用されようとしてるなら――そいつをどうにかするのは、俺の責任だ」

「成程。では、我々とのあいだに平和的な解決は見込めそうにありませんね」

「そういうことになる」


 決裂の言葉をかわして、対峙する。


 目の前にいる相手はエルフの男と、それから正体不明のフードの人物の二人。

 だが、他に新手がいないとは限らない。今、向こうでスラ子と戦っている「スラ子」以外にも、他の「スラ子」が存在するかもしれなかった。


 こちらの戦力はカーラとタイリン。

 シルフィリアが行方知れずの今、ツェツィーリャはほとんど力を発揮できないし、マナやルヴェには無理をさせられない。

 俺にいたっては戦力としては雑魚でしかないから、決してこちらが優勢というわけではなかった。


 そのうえ、向こうにはさらに隠し玉の「スラ子」が控えているかもしれない。

 そして、こちらの切り札もやはりスラ子に違いなかった。


 ……スラ子は、いつこちらに来れる?


 正面の二人の動きに注意しながら、俺は壁の映像に横目をむける。

 この状況にいたって、フードの人物は映像をうつしたままだった。随分とサービスがいい。


 映像のなかの二人は、先程からほとんど動きがないままだ。


 もしかすると、もうとっくに決着はついてるのか?

 それなら助かるが――


 俺がそう思いかけた時、映像のなかのスラ子。力なく肩を落としてうつむいていた方のスラ子が、ゆっくりと頭をあげた。


 映像は距離があって、はっきりとした表情まではわからない。

 だが、その緩慢な仕草にどこか不吉な気配を感じて、俺は顔をしかめた。


 そして、


 ◆


「……わたしは“スラ子”にはなれない。成程。確かに、そうかもしれません」


 不定形が言った。

 背中の翼ごとがっくりと肩を落とし、足元を見るように呟く。


「そう。わたしは紛い物でしかない……。紛い物であれと、そう作られただけの存在……」

「あまり気にしない方がいいですよ」


 気の毒そうに、もう一人の不定形が言った。


「紛い物だろうと、あなたは“あなた”なんです。わたしが“わたし”なのとおんなじです。本物かどうかなんて、気にする必要ありませんっ」


 ぐっと拳を握って心の底から応援するように告げる。

 それを聞いて、翼をもつ不定形の肩が震えた。俯いたまま、くつくつと呆れたような笑い声を響かせる。


「……あなたって。本当、本気で言ってそうだから。腹が立ちますね」

「だって、本当にそう思ってますから。自分が何者かだなんて、自分がわかっていればそれでいいと思いません?」


 不定形はにっこりと微笑む。


 そうですね、と力なく呟いた不定形が頭を持ち上げた。

 疲れ切った表情で相手を見やる、その瞳に妖しい輝きが灯っている。


「確かに、自分のことは、自分でわかっていればいいことです。……あなたが言う通りですね」

「わかってくれました?」

「ええ。はっきりと。わたしがなにをすべきか、わかりました」


 有翼の不定形は言った。

 その表情には清々しさすらあって、ただし瞳だけが爛々と奇妙な輝きが残っていた。


「わたしは、あなたを倒したい。本物の“スラ子”だとか、自分が偽物かなんて、もうどうでもいい。わたしは心の底からあなたを殺したい。あなたという存在を全て否定したい。それだけが、わたしが在る理由でかまわない」


 悪意の発露を聞いて、不定形は穏やかに頷く。


「それがあなた自身で願ったことなら、仕方ありませんね」

「ええ。――残念ですよ」

「残念?」


 小首を傾げる不定形に、翼をもった不定形はにやりと壮絶に唇を歪めて、


「ええ。あなたを殺す時、もうわたしは“わたし”でない。それが――残念です」


 そして、そのまま近くの大穴にむかって身を投じた。


 様々な魔物が、液状の“不定形”のなかで蠢く魔の坩堝。そこに向かって落ちていく。

 ぽちゃん、と軽い音が響いた。半透明の不定形の姿が、自身をとりまく周囲の“不定”に交じって消える。そして、



 おおおおおおおおおおおお……



 怨嗟のような地響きが、穴の底から唸り声をあげたその直後。


 大穴に満ちた“不定形”が、爆発的な勢いで噴出した。

 そのまま、意思をもったように縁にいる薄青い不定形に襲い掛かる。


「これは、」


 怒涛の勢いで殺到する“不定形”からあわてて距離をとりながら、薄青色の不定形が目を見開いた。


「これは、あの時の“わたし”の――」


 言葉は続かない。


 “不定形”の勢いはますます増し、その体積は一瞬ごとに膨張し続けている。

 洞窟内の空間で逃げ続けることには容易く限界が訪れて、薄青い不定形はその勢いのなかに呑まれて消えた。


 ◇◆◇


「あれは、」


 映像にうつった代物を見て、俺は愕然とした。


 大穴の底にたゆたっていた“不定形”。

 それは今や、一個の生き物のように穴から溢れ、不気味に蠢いている。そのおぞましい外見に、俺はつい四カ月ほど前に目撃した光景を思い出していた。


「精霊を喰った、“スラ子”……!」

「そう。この世にある精霊を我が身に喰らった、“不定形”スラ子。私はそれを、あの大穴に再現した……!」


 嬉々として、エルフの男が言う。


「素晴らしい! あれこそまさに創造の力の塊。この世界を構築した、原初の存在。すべての母か!」


 狂気じみた叫びを聞きながら、俺は脳裏に、ここへ来るときに見かけた土精霊ノーミデスを思い出していた。

 スライムに全身を侵された精霊。あれはつまり、この試みの被害者だったというわけか。


「馬鹿が……! あんなもの造って、いったいどうしようってんだ。この世界ごと喰われるぞ!」

「それのなにがいけませんか?」


 エルフの男は不思議そうに、


「すでにこの世界は、一度喰らわれているではありませんか。それよりも、あれを実際に目の当たりにできる感動のほうが、私にとっては何倍も重要です!」

「狂ってやがる……」


 吐き捨てるように言うツェツィーリャに、マッドのエルフはにこりと笑む。


「狂う? いいえ、私はいたって正常ですよ。むしろ、貴方がたの方が状況をよく理解していないのでは? 確かに、あのまま“不定形”を放っておけば、この世界の危機かもしれませんが――」


 そこで、粘ついた視線を向ける。


「今この場には、あの“十番目”がいるではありませんか」


 え、と声をあげるマナに、エルフは興奮した眼差しで続けた。


「さあ。貴方が役割を果たす時が来ましたよ、“十番目”。私に感謝してほしいですね。もはや無用になっていた貴方という存在に、この私が活躍できる機会をつくってあげたのですから。さあ、今こそ貴方の“力”で、暴走する創造性を押しとどめてください!」

「そんなこと、言われても……!」


 泣きそうな顔になって、助けを求めるようにマナがこちらを見やる。


 俺は心底から同情したい気分だった。

 つまり、このマッドなエルフは神話にある世界創造の一場面を見たいから、こんな大掛かりな仕掛けを用意したらしい。“十番目”の力が発揮されるその瞬間を、目の前で目撃するために。


 ……馬鹿馬鹿しい。

 そんなことで、世界ごと喰らわれるような危機を引き起こされてはたまったもんじゃなかった。


 狂人になにを言ったところで仕方ない。

 なぜなら、狂っているのだから。


 俺は舌打ちして、周囲の面々に声をかけた。


「とりあえず、外に出るぞ。あそこの大穴から、すぐにあの“不定形”がやってくる」

「おい、逃げんのかよ」

「逃げるか! けど、落盤に巻き込まれても仕方ないだろっ」


 あの“不定形”が、四か月前にスラ子が成ったあの存在と同じだとしたら。

 際限なく増殖しながら、あれは周囲のなにもかもを食い尽くそうとするはずだ。


 こんな洞窟なんて、すぐに崩壊してしまう。


「外にでて、そこであいつを迎え撃つ!」

「了解!」

「カーラ、女の子を――」


 頼む、と言いかけながら、俺は顔をしかめた。


 その場から逃げ出しにかかる俺たちを眺めるようにして、エルフは悠然としている。

 背後のフードの人物も動こうとする気配はない。


 その奇妙な落ち着きにひっかかりを覚えた。


「仕方ありませんね」


 エルフの男が肩をすくめる。


 ううん、とカーラに抱かれた女の子がわずかにみじろぎした。目を覚ましかけているらしい。


「成程。“十番目”はまだ幼い。自分の意志で、自分の力を十全に使えないという可能性ももちろん考えていましたとも。では、私がお手伝いをしてあげましょう――」


 瞬間、嫌な予感が背中を駆け上って、反射的に俺は吠えた。


「……カーラ! その子を放せ!」


 え、とカーラがこちらを見た、次の瞬間。


 ぼんやりとまぶたを持ち上げかけていた、女の子の目や口や、耳。

 その穴という穴から、スライム状のなにかが一気に飛び出した。


「っ……!」


 触手状に放射されたスライムは、そのまま近くにいたカーラの全身を切り刻み、そしてさらに別の目標に向かって襲いかかる。


 そして、


「あ――」


 近くにいたルヴェの胸を、あっさりと貫いた。

 

 息を詰めるような沈黙。


「あ、」


 空気が抜けたような、かすれた声を漏らしながら、ゆっくりとルヴェが倒れ込む。

 宙に、誰かへとむけて手を伸ばしながら。


 その幼い手が伸ばされた先には、目を見開いて立ち尽くすマナ。


 そして。


「あ、あぁぁ……」


 ざわり、と髪が逆立った。

 なにかの予兆に周囲の空気が震える。怖れるように。



「ああああああああああああああああああああああああああああ!」



 絶叫が轟いた。



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