十九話 千年チャレンジ
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「マスターではあるが主人ではない。奇妙な物言いですね」
テーブルのうえで手を組んだエルフが興味深そうに訊ねてくる。
「では、貴方と行動を共にしている、あの不定形の主はいったい誰になりますか?」
「決まってる」
俺は目の前のエルフではなく、その背後にひかえる目深にフードをかぶった人物に注意をむけながら、
「あいつの主は、あいつ自身さ」
ぴくり、とわずかにフードの縁が揺れた――気がした。
「彼女自身?」
「そうとも。四か月前。あの時にスラ子は、『きちんと“自分”になりたい』って言って、いなくなった。そして戻ってきた。今のあいつは、俺がいてほしいって思ったから存在するわけじゃない。自分自身の意志で在る」
だから、あいつの主人は俺じゃない。
あいつ自身だ。
俺が傍にいてほしいから、一緒にいるんじゃない。
あいつが、あいつ自分の意志で俺の傍にいてくれている。
だから、あいつは負けない。
スラ子のなかには確固とした“自分”があるのだから。
もう一人のスラ子がどれだけ強い力を持っていたとしても、『スラ子』にこだわっている限り、勝てはしないだろう。
スラ子はそんなもの最初から気にも留めていないのだから、最初から勝負の土俵が違う。
「……なるほど」
エルフの男は真剣な表情で頷いた。
「魔法生体が存在するためには“核”が必要。特に、不定形という存在の核は、その不定ゆえにどうしても繊細にならざるをえない。そして、それは不定形にとって致命的な弱点になってしまう……」
呟いて、ちらりと視線を横の映像へと向ける。
そこに映った光景が一変していた。
対峙する二人の『スラ子』。
いかにも絶体絶命の様子だったスラ子は、いつの間にか両腕を復元していてなにやらえへんと胸を張り、それに対して、いかにも余裕という風だったはずのもう一人のスラ子はがっくりと力なく肩を落としている。
二人のあいだにどんな攻防があったかはわからないが、それまでの形勢がひっくり返ったらしいことははっきりと見てとれた。
「つまり、貴方の不定形には弱点がないのですね。貴方という存在に依存することなく、一個の生体として確立している。なるほど、それではあの“スラ子”では敵わない」
あっさりと、エルフの男は肩をすくめてみせた。
「意外と簡単に認めるんだな」
「固執したところで仕方がありませんからね。実験は繰り返してこそ、よい結果が得られるというものです」
「実験、ね」
エルフの森から出た、外れ者。
その嗜好がどういった方向にむかっているのかを、俺はその発言から察した。
「研究者か、あんた」
「ええ、そうです。それで森を追われてしまいまして」
人の好さそうな笑顔のままで言う。
……研究を理由に森から追われた。
ということは、なにかの禁忌か、外道に足を踏み入れでもしたのだろう。
エルフは敬虔な精霊主義の徒だ。他者に厳しく、自分たちにはなお厳しい。
節度と良識を失くした同族を相手にして、彼らが優しくあたるはずがなかった。
「なるほど。まあ、あんたがどんなマッドだろうと、別に構いやしないんだが」
おや、と意外そうに男は首をかしげた。
「気にされないのですか?」
「昔、アカデミーにいたんでね」
俺は肩をすくめて、
「あそこもまあ、あんまりまともじゃない連中のたまり場だったしな。あんたみたいに森を追われたエルフなんかもいたよ」
「ああ、噂で聞いたことがありますね。魔物による共同社会。アカデミーという場所には、少し興味があります」
「なら、行ってみるといいんじゃないか。案外、居心地がいいかもしれない。なんなら、俺が招待状を書いたっていい」
ただし、と俺は続けた。
「その前に、質問に答えてくれたらだけどな」
「なんでしょう?」
「あんたは、どうやってあの“スラ子”をつくった? ……そっちのあんた。あんたが持っているスラ子の“力”は、どうやって手に入れた? それとも、あんたも“スラ子”なのか?」
柔和な表情を浮かべたエルフと、その背後のフードの相手に向かって鋭い視線を投げつける。
隣から、唸るようにツェツィーリャが付け加えた。
「シルの行方もだ」
「そう。シルフィリアがどこにいったのかもだな。それと、町から浚った女の子や俺たちの仲間がどこにいるのか」
「随分と要求が多いような気がしますが……」
エルフの男が苦笑するが、もちろんこっちには妥協する気なんてない。
「最低限だろ」
「そうですか?」
「そうだとも」
男は、困ったようなため息をついて、自分の背後をちらと振り返った。
フードの人物の反応を確かめるようにしてから、肩をすくめる。
「――わかりました。では、こちらからも条件を。それを呑んでくれるなら、お望みどおりにしましょう」
「内容は?」
「そこの“十番目”の子どもを渡してください」
びくり、とマナの肩が震えた。
窺うようにこちらを見上げるのを感じながら、もちろん俺の返答は決まっていた。
「断る」
「では、私もご希望に添うわけにはいきませんね。残念ですが」
ああ、と思い出したように男は続けた。
「それでは、こういうことにしてはいかがでしょう。――そちらのお仲間を返してほしければ、その“十番目”を渡してください」
「脅迫か?」
「交渉ですよ」
にっこりとエルフの男は微笑む。
「なら、交渉は決裂だな」
座ったまま、俺は壁の映像を見やる。
「……向こうの決着がついたら、すぐにスラ子がやってくるぜ。他にも“スラ子”がいるなら、急いで呼んでおいたほうがいいんじゃないか?」
「いえいえ、その必要には及びませんよ」
エルフの男は笑った。
「月並みな台詞ですが、こう言えますからね。――お仲間の命が欲しければ、下手なことはしないことです、と」
「確かに月並みだな。エルフってのはもう少し、言葉とか感性とか、その他もろもろ洗練されてるもんだと思ってたよ」
決してそういう限りではないという具体例は、すでに隣のエルフで知ってはいたが。
「ご期待に添えず申し訳ない。……貴方が大人しくしている以上、貴方の不定形も下手な真似にはでられないでしょう。貴方の不定形は、随分と力が弱まっているようですしね」
それも、確かに。
ほとんどなんでもできた以前と違って、今のスラ子にできることには限度がある。
さっき目の前のエルフが言ったとおり、世界中に散ったスラ子が俺のもとに戻ってきた時。
その力は、以前とは比べ物にならないほど弱まってしまっていた。――まるで、スラ子の“意思”だけが、“力”を置いて一足先に戻ってきてしまったように。
その“力”の大部分が、いまだにスラ子に戻らない状況で、いったいどういう状況にあるのか。なぜ、スラ子の元に戻ってこないのか。
その原因を知りたいというのが俺の目的の一つではある。あるのだが、
「……やっぱり、あんたはわかってないな」
「なにがですか?」
俺は頭をかいて、
「――そもそもだ。どうしてマナを渡せなんて言うんだ? “十番目”の力なんて欲しがって、なんになる?」
「その質問はとてもくだらないですね」
エルフの男が唇をゆがめた。
「“十番目”の力こそ、この世界で唯一無二のものです。この世界をつくった九つの精霊の力。それら全てと対する、たった一つのね。その力について知ることは、すなわちこの世界の全てを知ることと等しい」
それに、とさらに表情を歪める。
「貴方の不定形。九精霊を喰らった不定形さえも、あの黄金竜ストロフライだけは倒し得なかった。それは何故だと思いますか?」
「ストロフライのやつがそれだけとんでもないからだろうさ」
竜というのはその種族自体が途方もない連中の集まりだが、ストロフライはそのなかでも別格だ。
「そうですね。では、その力の源とはなんでしょう。貴方の“不定形”に不足していた力とは? それこそが、“十番目”のそれではないか、と考えるのは妥当な推測だと思いませんか」
そう語るエルフの瞳が病的な熱を帯びているのを見て、俺は顔をしかめた。
「……“十番目”の力とやらを解明して、あのストロフライに勝つ。つまるところ、それがあんたの究極的な目的なわけか?」
「あの絶対的な存在を凌駕したい、と考えるのは当然な欲求でしょう?」
「さあ、どうだか。少なくとも俺は別に思わないけどな。……ストロフライに勝ちたいんなら、もっと別にやりかたがあるだろうさ」
呆れたように言うと、相手の目に興味の色が浮かんだ。
「ほう? 例えばどんな」
「次元の狭間で一千年分くらい同衾してみりゃいい。一度や二度、なんかのまぐれで勝てることだってあるもんだ」
エルフの男は露骨にさげすむような眼差しになって、
「馬鹿馬鹿しいうえに、くだらない妄言ですね」
失礼な。
俺は憮然として、
「実体験だよ。――それと、さっき言った『わかってない』ってことについてなら、俺の周りにいるのはどいつもこいつも一筋縄じゃなくてね」
「……どういう意味ですか?」
エルフの男が眉をひそめたのとほとんど同時だった。
爆音と地鳴りが洞窟中を盛大に揺るがして、直後。
どこかから猛烈な勢いで流れ込んできた土煙が、一瞬であたりを覆いつくした。