十八話 囚われた三人
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はっとして、彼女は飛び起きた。
赤い髪を振りまわして周囲を見渡す。
彼女のすぐそこに鉄格子があった。長い間、使われていなかったのか、薄暗い視界でも浮いた錆が見てとれる。そこで灯りの存在に思い当り、後ろを振り返ると、
「――起きた?」
短い髪の女性が、落ち着いた声音でにこりと笑んだ。
カーラという、彼女の友人の連れ。その女性の前に、古びた蝋立てに頼りない灯りが細くともっている。座った女性の膝には誰かが横たわっていた。
近づいて顔を見ると、知らない相手だった。
年のころは彼女とおなじくらいで、つまり十歳前後に見える。
「誰?」
「わからない。この部屋にいたの。多分、町から浚われた女の子じゃないかな」
「そっか。よかった、とりあえず無事で」
「うん、そうだね」
本当によかった。
マナもきっと安心するだろう、と思ったところで気づいた。マナがいない。
「マナはっ?」
「わからない。起きた時には、ボクたちしかいなくて」
「そんな……!」
いったい、どこにいったのだろう。
そもそも、自分たちはどうしてこんなところに捕まっているのか。――そう、捕まっている。
鉄格子は明らかに、自分たちを拘束する目的のものだった。ここはきっと昔の牢屋かなにかで、そして、マナがいない。
焦ったところで仕方がない。
彼女は一つ、呼吸をしてから、目の前の相手に訊ねた。
「なにがあったんですか?」
「覚えてない?」
はい、と頷く。
「そう。……洞窟を出ようとしたところで、襲われたの」
「襲われた?」
それを聞いて、気絶する前の記憶がよみがえってくる。
「半透明の。あれって――」
「うん。スラ子さん、だったね」
躊躇いかけた後をひきとって、短髪の女性が言う。
やっぱり、と彼女は頭を振る。
「でも、どうしてあの人が。味方じゃないの?」
「えっとね。多分、スラ子さんだけど、ボクたちの知ってるスラ子さんとは違うと思う」
「……よくわかんない」
顔をしかめた彼女を見て女性が苦笑する。それより、と真面目な表情になって、
「それ以外には、なにか見た?」
「それ以外?」
少し考えてから、彼女は首を振った。
「見てない、と思うけど」
「そう……」
女性は顎に手を当てて、なにかを考え込むように口を閉ざした。
「あの。どうしかしました?」
彼女が声をかけると、ふと我に返ったように頭を振る。
「ううん、なんでもない。――さてと。それじゃ、行こっか」
女性が立ち上がった。
眠ったままの女の子をそっと抱き上げる。
「行くって、どこに?」
「こんなところにいたってしょうがないよ。それに、マナくんのことも探さなきゃ」
「でも、」
彼女は困惑して、目の前の鉄格子を見る。古びてはいるが、つくりはいかにもしっかりしていそうだった。
視線の意味に気づいた短髪の女性が一つ頷いて、格子に近づく。手をかけた。身に着けた手甲が淡く輝いたかと思うと、特に力を込めた様子もないのに、鉄の柵は飴のようにぐにゃりと曲がる。
あっさりと、子どもどころか、大人でさえ悠々と通れるほどの間隔ができた。
「さ、行こ」
「……なんで大人しくしてたの?」
半ば呆れながら口にしてから、悟る。自分のことを待ってくれていたのか。
というより、眠っている子どもを二人も抱えていては、さすがに身動きがとりづらいだろう。そこでまた気づいた。いないのは、マナだけではなかった。
「そういえば、あの子は? えと、ちょんまげの、」
「タイリン? あの子ならちょっと前に先に起きて、外の様子を見にいってもらってるよ」
「……格子を開ける前に?」
「うん。タイリンって、そういうこと得意だから」
彼女は首を捻った。まあいいか、とすぐに切り替える。
彼女の友人の連れだけあってというべきか、一筋縄ではいかなそうな面々が揃っているらしいが、そうしたことには慣れてもいた。なぜなら、彼女は、少なくとも彼女自身の認識としては、自分は魔物が群れ集うアカデミーに所属しているのだから。
「どうします? まずは出口を探すべきだけど……」
途中で口をつぐむ。
探索の前に退路を確認しておくことは基本だ。
それに、この女の子のこともある。普通に考えれば、まずは彼女だけでも町に戻すべきだった。けれど、
「うん。でも、マナくんのことも心配だから」
彼女の内心を読み取ったように、短髪の女性は爽やかに微笑んだ。
「マナくん、探そうよ」
「――ありがとう。ございます」
彼女は深々と頭をさげた。女性は、ううん、と頭を振る。
「ボクも、マスターから頼まれてるから」
ここにいない相手を呼ぶその口調に特別な響きがまじっていることに、彼女は気づいた。
まじまじと相手を見つめる。自分より随分と年上に思えるその女性は、年相応の落ち着きとそれにふさわしい自信とを自然に身に着けている風で、ひどく魅力的にうつった。
「あの。マギと、カーラさんって、」
「――カーラ」
好奇心が首をもたげ、質問しかけたところに、すぐ近くから声がかぶさってぎょっとした。
見ると、たった今まで誰もいなかったはずの空間に、頭のてっぺんで髪をくくった同年代の女の子が立っている。
「どうだった? タイリン」
「出口、見つけた」
「ボクたちが入ってきたところ?」
「違う。別のとこ」
「ねえ、マナは? あの子はいなかった?」
横から彼女が訊ねると、タイリンという名前の女の子はちらと視線を向けて、そっけなく首を振った。
「――いない。けど、奥に続いてる道ならあった。多分、マギたちはそっち。マナも」
それと、と顔をしかめる。
「変な部屋があった」
「変な部屋?」
「うん。……たくさん、浮かんでた」
なにが、と問いかけた短髪の女性がはっとなる。厳しい表情で、
「……なかに入った?」
ちょんまげ頭の女の子は首を振る。
「イヤな気配がしたから戻ってきた」
「そう。わかった」
短髪の女性は難しい顔になってしばらく考え込み、視線を彼女に向けてきた。
「ごめん。マナくんを探さなきゃなんだけど。その前に、その変な部屋っていう場所に行ってみてもいいかな?」
「それは、かまわないけれど……。どうかしたの?」
「うん。ちょっとね。気になることがあって」
女性は言葉を濁すようにして、自分が抱きかかえた女の子を見下ろした。
「この子と一緒に、先に外に出ておいてもらうって手もあるんだけど……」
「ごめんなさい。それは、嫌」
「あたいもヤだ」
彼女とちょんまげ頭の女の子が同時に言う。女性が苦笑した。
「そうだよね。……でも、嫌なものを見るかもしれないけど、平気?」
「嫌なもの?」
女性は答えない。
真剣な表情で、無言で覚悟を問うてくる。
彼女は迷わなかった。
もとより、自分一人でここを出るなどという選択肢は、彼女のなかに存在しない。
「お願い。あたしも連れていって」
「……わかった。それじゃ、みんなで行こう」
ひしゃげた鉄格子をまたいで牢をでて、部屋の外へ。
あたりは闇に沈んでいた。物音はない。さっきまで、あれだけたくさんいたスライムも湧いていない。
「こっちだ」
ちょんまげ頭の女の子が先頭に立ち、その誘導にしたがって、彼女たちは注意深く洞窟を歩き始めた。