十七話 新・甘やかし宣言
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「不定形の闘争を教える? ……面白い。両腕を失くして、その修復さえ間に合っていないそんな無様ななりで、出来るものならやってみてくださいよ!」
有翼の不定形が吠えた。
吠えたと同時、一息に距離を詰めると、鉤爪状に変化させた拳を斜めに振り下ろす。
それを受ける側の不定形は、両腕をうしなって身を護る術がない。長く伸びた爪の切っ先は、その身体を容易く切り裂いた。
ざらりと、切り裂かれた全身が影のように溶けて消える。
「……身代わり。大言を吐いたわりには、浅ましいやり口ですね」
周囲を見回して侮蔑の視線を投じる。
「それで、次はどうします? さっきのように、また奇襲でも試みてみますか? 正面からでは太刀打ちできないのですから、小手先で隙を突くしかありませんものね?」
――ふふーり。フフり。フフー
姿を消した不定形の声が響いた。妖しい声音が、たゆたうようにその場に続く。
――そんなこと、しませんよ? あなたを負かすのに、小手先なんてぜんぜん、必要ありません。だって、あなたを負かすのは、あなた自身なんですから
「世迷言を」
鼻で笑って、翼を生やした不定形は背中の鳥翼を力強く羽ばたかせた。
無数の羽が周囲に舞い、一瞬後、無差別に投射される。羽毛の鏃は全周に突き刺さり、あたりの壁や地面を立て続けに破裂させた。
「あなたがそんなふうに隠れるというのなら、周りごと破壊するまでです」
翼をもった不定形がさらに羽ばたく。
一度、二度、と翼が振るわれる度に羽毛が舞い、危険な殺傷武器となって周囲に打ち出された。たちまちに破裂音が連続し、巻き起こった土煙がもうもうと洞窟内に充満する。
「いつまで逃げ隠れるつもりですか? それとも、この洞窟が落盤するまで続けますか。ああ、でもそうすると、あなたの大事なマスターも一緒に生き埋めになってしまいますね?」
揶揄するように、さらにもう一度と羽ばたこうとした不定形の眼前に影。
土煙を縫って現れた存在が放った攻撃を、彼女は余裕をもって受け止めた。顔をしかめる。
「なんの真似です」
現れたのは、もう一人の彼女だった。
「なんの真似です?」
からかうように笑うその背中に薄青い翼が広がっている。
「……わたしの真似のつもりですか?」
「わたしの、真似のつもりです」
オウムのような返答がかえる。
胸に湧く不快感に、彼女は歯を軋らせた。
「くだらない挑発ですね。見た目を同じにすれば、わたしが戸惑うとでも?」
「なにを怒っているんですか? わたしの見た目が嫌なら、あなたが“わたし”になればいいじゃないですか。そうすれば、ほら、あなたはわたしになれますよ?」
くすり、と邪な微笑。
「――あなたの望みどおりに、ね?」
「ふざけるな!」
一喝して、右腕を薙ぐ。偽物の彼女はあっけなく吹き飛ばされていった。
その拍子に相手は右腕も砕けている。やはり脆い。いくら外見をそれらしくつくろったところで、なんの誤魔化しにもなりはしない。
彼女はそのまま、追撃を加えようと右腕を振り上げて、
「――え?」
自分の右腕が半ばから砕けて失われていることに気づいて、ぎょっとした。
攻撃を受けた覚えはない。
相手を攻撃した反動というわけでも、ない。少なくともそうした痛みは微塵に感じなかった。
だが、実際に今、彼女の右腕は失われてしまっている。反射的に、彼女は喪失した腕部を修復しようとして、なぜかそれができないことに愕然とした。
「何故!」
「……当たり前でしょう?」
一撃を受け、遠くに飛ばされていた彼女の偽物がむくりと身を起こしている。
くすくすと可笑しそうに笑いながら、その右腕は失われたまま。
「わたしは、あなたなんですから。わたしの右腕が砕けたなら、あなたの右腕だって砕けちゃいますよ」
「ふざけるな! わたしはあなたではない!」
「あら、そうなんですか? だって、あなたはわたしになりたかったんでしょう?」
「違う!」
左腕にありったけの魔素を込めて、相手に叩きつける。
偽物は、避けようともしなかった。左太腿を打ち抜かれてぐらりと体勢を崩す。どっと地面に倒れたまま、それでも偽物はくすくすくす、と笑うのを止めなかった。
「どこを狙ってるんです? 狙うなら、もっとしっかり狙ったほうが……ああ、でもその脚じゃあ、ちょっと難しいかもしれませんね」
なにを、と問い返す前に視界が大きく揺れた。踏ん張ろうとする、その左足にまったく力が入らない。
まさかと思って足元を見れば、彼女の左足が付け根から忽然と消え失せてしまっていた。
他の部位を変容させて補うことすら意識には思い浮かばず、彼女はそのまま地面に倒れ込んだ。
失われた左足を唖然と見て、遠くに自分と同じような格好で倒れた相手を睨みつける。
「……いったいなにをしましたか! オリジナル!」
「だから、言ったじゃないですか」
彼女の偽物は、にこにこと穏やかに微笑んでいる。
「今のわたしは、あなたなんです。わたしのこと、もっと大切に扱ってもらわないと。困っちゃいます」
「ふざけるな!」
怒りに任せて彼女は吠えた。
自身のなかに芽生えつつある他の感情を紛らわすために、さらに叫ぶ。
「わたしはあなたとは違う。わたしはあなたなどを目指していない! わたしは、“スラ子”を――」
「わたしはスラ子です。そのわたしがあなたになれば、あなたも“スラ子”でしょう? なら、それでいいじゃないですか」
「そんなこと――!」
一瞬、彼女は言葉に詰まった。
すぐさま言い返そうとした彼女の脳裏になにかざらりとしたものが触る。
駄目だ、と頭のどこかが警告を発していた。それ以上、続けてはいけない。不吉な予感。だが、続けるしかなかった。
「そんなことはありえない! わたしは、わたし一人でしかない! あなたもわたしもスラ子であるだなんて、そんなことをわたしは認めない!」
「――そう。あなたはそれを認められない」
彼女の偽物が頷いた。
「だから、あなたは“スラ子”にはなれない」
「違う!」
「あなたはスラ子になりたいんじゃないんです。スラ子になりたい自分で在りたい、というだけ。あなたが紛い物であることを、あなた自身が認めてしまっている。だって、それが“あなた”という存在理由なのだから」
「違う! 違う!」
それ以上、偽物が一言でも喋らせることが許せなかった。
彼女は無事な左腕をふりかざし、そこに渾身の力を込めた。
不愉快に何事かをさえずり続ける敵を目標に定め、それに向かって全力で攻撃を叩きつけようとして、
「――っ」
一瞬、躊躇する。
右腕を失い、左脚を消し飛ばされて地面に這いつくばる相手の姿は、確かに彼女自身だった。
その相手を吹き飛ばした時、果たして自分はどうなってしまうのか――。躊躇いは、しかしすぐに振り払われる。
思考を停止して、ただ目の前の許しがたい不愉快さから逃れるために、彼女は相手に向かって全力で攻撃魔素を放出した。
白光が視界に突き刺さり、地面が鳴動する。
土煙が立ち、ぱらぱらと少なくない破片が天井から降って注いで、それに気をかける余裕もなく彼女は眼前を注視した。
うっすらと視界が晴れる。
彼女の偽物の姿は完全に消し飛ばされ、塵一つ残っていなかった。
恐る恐る、彼女は自分の身体を見下ろす。
消えては、いなかった。右腕も、左脚もいつのまにか元に戻っている。――よかった。彼女は自分自身を抱きしめた。ほっと安堵の息を吐く、その時。
――あなたの“核”、みぃつけたぁ
邪悪さに満ちた無垢な声が、脳裏に響いた。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
翼を生やした不定形の口から絶叫があがった。
目の前の相手を突き飛ばす。
その反動で自身もよろめいて、倒れかけた体勢を立て直しながら、憎々しげな視線で睨みつけた。
「あらあら」
突き飛ばされた不定形も、二、三歩を後ずさる。
その背中には翼はなく、代わって失われたはずの両腕がいつの間にか復元されていた。胸元にあった穴も綺麗に消えている。
「オリジナル、あなたは……!」
「ふふー」
憎悪に満ちた視線を受け流して、不定形は微笑んでみせた。
翼をもつ不定形が唸る。
「幻覚、というわけですか……?」
「幻覚? いいえ、違いますよ」
薄青い不定形が言った。
「言ったでしょう? あなたを負かすのに、小手先なんて必要ありません。これだけあれば、十分です」
薄く濡れた唇を、指でなぞってみせる。
有翼の不定形が、怒りに燃えた瞳で翼を羽ばたかせた。
無数の羽が、同数分の刃となって相手に降り注ぐ。だが、その攻撃は不定形がかざした右手の前で、見えない障壁にあっさりと跳ね返されてしまった。
「止めたほうがいいですよ? あなたの大部分は、もう“もらいました”から。自分のなかからどれくらいの力がなくなってるか、わかるでしょう?」
「ふざけるなァ!」
攻撃を倍加させる。
髪を伸ばし、身体の部位を変化させて、翼を生やした不定形はあらん限りの攻撃手段を繰り出した。
だが、やはりそれらも全て躱すことすらなく、あっけなく防がれてしまう。
有翼の不定形が攻撃をやめた時、彼女は肩で大きく息をしていた。
体内の瞬間的な魔素の欠乏に喘ぎながら、目の前の相手を悔しげに睨みつける。
突き刺さるような視線を受けて平然と、薄青い不定形が微笑んだ。
「形勢逆転ですね?」
「くっ……!」
翼をもった不定形はがくりと肩を落とした。
地面を俯き、その全身がやがてくつくつと震えだす。
「どうしました?」
「……あなたも、同じでしょう?」
顔をあげる。
疲労の色が濃い顔に逆襲の意思を込めて、翼を生やした不定形は口を開いた。
「不定形“スラ子”の残りカス。あなた自身が、本物の“スラ子”である証拠が、どこにあるというんですか?」
問われた不定形は答えない。
沈黙に力を得たように、言葉は続いた。
「……本物の“スラ子”は、今もこの世界のどこかを彷徨っているのではありませんか? それとも、どこかで囚われてしまっているのかも。だって、あなたの“力”はあまりにもか弱いじゃありませんか。“スラ子”は万物を喰らう無限の不定。その力は、かの黄金竜とさえ比肩したはず……! そのスラ子が、そんなにも弱いなんてありえないっ。あなたが本物のスラ子ではないから。だから、あなたの“力”は貧弱なんじゃあありませんか? ねえ、そうなのでしょう?」
自身が受けた仕打ちをそっくりそのまま返そうと、嬉々として有翼の不定形は口撃する。
「あなたが“本物のスラ子”だなんて証は、どこにもない! あなただって、わたしと同じ、ただの紛い物かもしれないでしょう!」
悪意に塗れた毒の言葉を叩きつけられて、
「だったら、なんですか?」
不定形は平然と応えた。
「は?」
「なんにもわかってないですねぇ」
やれやれ、と頭を振る。
「わたしが本物か偽物かなんて、どうでもいいんです。確かに、わたしは“スラ子”じゃないかもしれない。たとえば、本当の“わたし”は今もどこかに眠っていて、まだマスターの元に戻って来ていないだけかもしれない。――だからって、それがなんです?」
きっぱりと言われてしまい、翼を生やした不定形は絶句する。
「わたしは。わたしが、マスターの元に戻ってきました。他の誰より早く、自分の意志で。マスターに会いたかったから! その事実は揺るがない。それこそが、わたしの想い。誰から与えられたものでもない。そう在れと強制されたわけでもない。わたし自身が思う、わたしの想い。この気持ちに、本物か偽物かなんて、まったく全然、まるっと関係ありません!」
薄青い不定形は誇るように胸を張る。
そして、
「『最強の黄金竜』だろうと、『無限の不定形』だろうと、知ったことじゃありません。この世界で、わたしのアイが一番強い! だから、わたしは、わたしの意思で。わたし自身の所以をもって! 大好きなマスターを、心の底から甘やかし倒すんですっ!」
ぐぐっと拳を握り込んで、堂々と宣言した。