十六話 スライムが湧くダンジョンとその主
「……マナ?」
無数のスライムがうごめく洞窟。
そのさらに奥で俺たちを出迎えたのは、すでに他の仲間たちとダンジョンを出たはずの相手だった。
周囲にカーラたちの姿はない。
たった一人で、まるで迷子になったように立ち尽くしている。
「おい、……おい! 他の連中は一緒じゃないのか? カーラは、ルヴェとタイリンはどうした!」
マナに駆け寄って小さな肩をがくんがくんと揺さぶるが、反応しない。
頬を何度かはたくと、ようやく瞳に光がもどった。
「――あ。マギ、さん?」
寝起きのような顔つきで俺をみる。
まったく状況をわかっていなかった。
「なにがあった。他のみんなはどうした」
こちらの血相に、あわてて周囲を見回した表情がさあっと青ざめた。
たちまち泣きそうな顔になって、頭を振る。
「わ、わかんない。なんにも、覚えてない……!」
「ッ――」
一瞬、癇癪が起こりかけた。
大人気なく怒鳴りつけそうになる自分を抑えつける。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと呼吸を吐き戻して――ふと、その場に自分たち以外の気配があることに気づいた。
いつの間にか、見知らぬ誰かがそこにいた。
一人はボロボロのフードを目深にかぶっていて、性別もよくわからない。長身というわけではなかったが、子どもの体格には見えなかった。
……間違いない。昨日、町を襲撃していた魔物たちの上空にいた、あの相手だ。
そしてもう一人は、
「ああ、これはこれは」
柔和な表情からこぼれる優しげな声色。
細面の顔は整いすぎるくらいに整っていて、その長い髪の横からは、ぴんと長い耳が覗いている。
相手の素性を知るのにそれ以上はない。
有名な『精霊の耳』。隠そうともしていないその身体的特徴を睨みつける俺の隣で、ちっ、とツェチィーリャが吐き捨てるように舌打ちするのが聞こえた。
「……エルフかよ」
「そういう貴女も、エルフですね」
穏やかな視線をツェツィーリャに向けて、賢人族の男がにこりと微笑む。
「こんなところで同胞と会うとは思いませんでした。貴女はどちらの森のご出身ですか?」
軽い世間話のように問いかけるが、ツェツィーリャは答えようとしない。
男は肩をすくめて、俺の方に視線を向けた。
「はじめまして。お会いできて光栄です」
「俺のこと、知ってるのか?」
「それはもう」
エルフの男はくすりと笑って、
「貴方は有名ですから。黄金竜ストロフライの想い人にして、不定形スラ子の生みの親。この世界で、貴方のことを知らない者などいませんよ」
「そりゃどうも」
まあ、あんな姿絵つきの金貨をばら撒かれたのだから、仕方がない。
昨日の町の連中だって例の金貨を持っていたくらいなんだから、実際に俺の顔についてはほとんど世界中に知られてしまっているんだろう。
それについては諦めたが、今の発言にはそれ以上の事実も含まれていた。
――不定形スラ子の生みの親。
この男は、ストロフライが起こした厄介ごとそのものだけではなく、その前後の事実についても認識しているということになる。
まあそれも、相手がこんなところにいる時点で、わかりきっていることではあった。
つまりは、
「あんたがここの主ってわけか?」
もしかすると、出迎えに寄越されただけの使い走りかもしれないが。
内心で思いながら相手の反応を待っていると、男はあっさりと頷いた。
「はい。しばらく前からここを住処にしております」
「はぐれエルフってやつか」
「そう呼ばれることもありますね。個人的には、あまり好きな呼称ではありませんが」
一般的に、エルフは人間や魔物との関わりを嫌い、森の奥深くで静かに生活しているといわれている。
だが、全員というわけじゃない。人間にいろんな性格の者がいるように、エルフにだって普通と違う思考や嗜好をもつ連中がいて当然だった。
そういう変わり者のエルフたちは森をでて、ある者は積極的に他種族と関わりを持とうとしたり、またある者は誰も知らないような場所でひっそりと隠遁したりしている。
そうした存在はもちろん極少数だったが、俺が所属していたアカデミーにもエルフはいたし、ルクレティアがいた王都の学士院にも招かれたエルフがいたとか言っていた。
どこの種族でも、変人の類には事欠かないということだろう。
……そもそも、俺たちと行動を共にしているツェツィーリャにしてからが、いわゆる「はぐれ」だしな。
などと思いながら隣を見ると、
「んだ、コラ」
「いや別に」
じろりと目つきの悪い顔ですごまれて、俺は視線を逸らして目の前の男に戻す。
「で、その隠遁したエルフが俺たちになんの用があるんだ?」
「なんの用だ、と言われても困ってしまいますが」
まだ名前も聞いていないエルフの男は、形のよい眉を本当に困ったようにひそめてみせた。
「私の住処にいらっしゃったのは、貴方がたでしょう? しかも、それがおそらくこの世界で一番有名な人間であるマギさんなのですから。これはお迎えに出ないと失礼かと思いまして、急いで参上した次第です」
「……よく言うぜ」
胡散臭そうにつぶやくツェツィーリャを無視して、男はこちらへ向かってにこやかに続けた。
「よろしければ、奥へどうぞ。少ししたところに、普段、私が生活しているスペースがあるのです。客間というわけにはいきませんが、お茶くらいはお出しできます」
「そうかい。じゃあ、お呼ばれしようかな」
隣でツェツィーリャがぎょっとしたのがわかった。
「ではこちらへ」
嬉しそうに頷いたエルフの男が、フードの人物を従えて奥へと歩いていく。
「おい、いいのかよ」
「別にいいんじゃないか?」
遠ざかる背中を不審そうに見送って、こちらを見やる銀髪のエルフに、俺は肩をすくめてみせた。
「せっかく案内してくれるって言うんだから。ラッキーじゃないか」
どうせこれから侵入しようとしていたところだ。
「……ラッキーねぇ」
なんともいえない表情のツェツィーリャから視線を移す。
不安そうな上目遣いが見返してきた。
……とはいえ、できればマナを同行させたくはなかったが。
かといって、ここから一人で外に帰すわけにもいかない。
第一、今、後ろでは「スラ子」たちが戦っている真っ最中なのだ。巻き込まれでもしたら洒落にならない。
「マナ、お前も一緒にな。……怖いか?」
青ざめた表情で、マナは首を横に振った。でも、と震える声で言う。
「お母さんたちが、」
「そうだな。そのこともある。だから、あいつらに話をきかないと」
「あの人たちが、お母さんたちがどこにいったか知ってるの?」
「多分な。ここをねぐらにしてるらしいから、ここで起きたことはあの連中に聞くのが一番だろう。シルのこともな」
最後の台詞はもう一人の同行者にむけると、ツェツィーリャはふんと鼻を鳴らしてみせた。
「素直に口にするとは思わねぇがな」
「そりゃ交渉次第じゃないか」
「交渉だぁ? 手前にそんな芸当ができんのかよ」
「さあな。とりあえず、向こうの目的がわからないことにはなんとも言えない」
交渉にせよ脅迫にせよ、まずはテーブルにつかなくちゃならない。
話はそれからだ。
まさか相手も、本当にお茶をだして世間話だけするつもりじゃないだろう。
じっと俺を見据えたツェツィーリャが、ちっと舌打ちした。
「……気に入らねえな」
「なにが」
「手前が余裕ってツラしてやがるのがムカつく」
憮然として、一人でさっさと歩きだしてしまう。足音がやけに荒かった。
「あのお姉さん、どうしてあんなに怒ってるの?」
俺の手を握ったマナが不安そうに聞いてくる。
「どうしてだろうな」
俺はわざと真面目ぶった表情をつくってみせた。顎に手をあてて、うん、と大きく頷く。
「多分、偏食なんだろ。野菜をとらないと怒りっぽくなるって言うからな」
前から石が飛んできた。
テーブルは本当にすぐ先にあった。
刳り貫かれた空間に木製のテーブルが一つ。椅子が三つ、四つ。
そこで寝起きしているというのは確からしく、寝台もあって、壁には野菜なんかが干されたりもしている。
いかにも、隠遁者のねぐらという感じだった。
「どうぞお座りください」
テーブルについたエルフの男に促されるまま、俺たちが席につくと、男は手元のポットからお茶をそそいでいく。ほのかな香りが届いた。薬草茶の類らしい。
「どうぞ」
湯気のたつカップを渡されるが、あまり手をつける気にはなれない。
それを察したわけでもないだろうが、エルフの男が自分用に淹れたカップをとって一口した。その背後には、フードの人物が影のように控えている。
「……こんな生活をしていると、お茶の葉を用意するのがけっこう大変なんです。もちろん、自分で好んでここにいるわけですが。マギさん、あなたのところではそんなことはありませんか?」
「昔はともかく、今じゃそんなことはないな。外から仕入れることもあるし、自作だってしてる。もっとも、やってるのは俺じゃないけどな」
薬草茶のための茶の葉づくりは、主にカーラとシィがやっている。
仕事というよりは趣味の範疇だが。
「仕入れる。それは近くにあるメジハという町との交易ですか? それとも、――バーデンゲンとかいうのでしたか? 付き合いのある商会と?」
……やはり、こちらのことについては随分と調べられているらしい。
「どっちも、かな。最近、変に有名になっちゃったせいで、やってくる冒険者には事欠かないんだよな。それもあって、いろんなところと付き合いというか、関わりができてね」
「変に、ではないでしょう。あの黄金竜の麓にある、世界で唯一のダンジョンなのですから。千客万来でむしろ当然です」
エルフの男は笑って、それからため息をついた。
「しかし、羨ましい。隠遁暮らしをしていると、どうしても生活に必要な物資さえ不足しがちです。私もそうした付き合いができればいいのですが」
「すればいいじゃないか。少ししたところに人間の町がある。魔物をけしかけたり、女の子をさらったりしなけりゃ、物々交換くらい引き受けてくれるんじゃないか」
さっきのお返しのつもりで言ってみたが、相手は動じた様子をみせなかった。平然とカップをかたむけている。
「さて、どうでしょう。人間と魔物はあくまで違う生き物ですから。馴れ合うのがよいことかは、わからないでしょう?」
「馴れ合えなんて言ってないさ。迷惑をかけるな、とは思うけどな」
「さて、なんのことでしょうね」
澄ました顔ですっとぼける相手に、俺がさらに言い募ろうとしたところで、どん!と強い音とともにテーブルが揺れた。
「……いい加減にしろよ、面倒くせぇ」
見れば、ツェツィーリャが青筋を立てて立ち上がり、同族の男を睨みつけている。
テーブルに叩きつけた拳を相手に向けて、
「いいから、手前が人間の町から浚ったガキを返しやがれ。シルをどこにやった? この洞窟にいた『精霊喰らい』、ありゃなんだ? あの魔物とスライムが詰まった気味の悪い鍋で一体なにをしてやがる」
「随分と質問が多いですね」
苦笑するようにエルフの男は言って、頭を振った。
「できれば、それらの質問にお答えする前にもう少しお話をしたいのですが」
「ふざけてんのか、手前」
「ふざけてなどいませんよ。どうですか、マギさん。――ああ、お茶だけでは殺風景だというなら、こんなものを見ながらというのはどうでしょう」
男が目線を送ると、無言で石像のように佇んでいたフードの人物が、さっと手をあげた。
「――っ」
思わず身構えかける俺たちだったが、相手は攻撃しようという意図はなかった。
少し離れた場所の土壁になにかの光景が浮かび上がる。
俺の隣で、ツェツィーリャがはっと息をのんだ。俺は、なんとか平静をよそおったが、成功していたかどうかはあまり自信がない。
そこには二人の人物が映っていた。
薄暗いその場所は、さっき俺たちが通ったばかりのところだ。中央に大きな穴。そして、その淵で対峙している、二人の「スラ子」。
……遠い場所の出来事を、手に取るように目視化する。
それは、以前のスラ子がやってみせたことだ。
俺たちはそのアドバンテージを十全に使って、王都からやってきた騎士団連中と戦った。
気づかれないよう、俺はそれを今やってみせた相手を凝視する。
相手の顔色どころか、顔かたちさえフードの影になってわからないが。
――あれは、わたしの力です。
昨日、町の襲撃の際に、苦々しくスラ子がいった言葉が脳裏に浮かんだ。
思わず、手に力が入りかける。
――見つけた。
俺が探していたものが、今、目の前にある。
それを目の前にして、平常心でいろというのが無理な話だった。もちろん、だからといって拳で殴り掛かるようなやんちゃな気性もしてはいないが。
こちらの内心はともかく、表情はそれなりに雄弁だったのだろう。
満足そうな微笑を浮かべたエルフの男が口を開いた。
「この世界を壊し、そして再生した“不定形”。その不定形同士がお互いに戦ったなら、どういう結末を迎えるのか。なかなか興味深いと思いませんか?」
俺は黙って相手を睨みつける。
趣味が悪いな、と口にしたくもなかったが、俺の代わりにマナが口を開いていた。
「……世界を、壊した?」
「そうですよ」
エルフの男はにこりと微笑んで、
「なにも聞いていないのですか? あれは、貴方のお母さんを模したあの“不定形”は、少し前、この世界そのものを食べてしまったのです」
困惑したようにマナがこちらを見る。
俺がなにかをいう前に、エルフの男が続けた。
「厳密には、この世界を構成する精霊を食べてしまったわけですが。魔素から作られたこの世界にとっては、それは世界そのものを食べることと同じこと。そして、世界はその在り方を一変した。――マナ、貴方にも関係のあることですよ?」
「僕の?」
「はい。なぜなら、彼女がやった行為によって、貴方が存在する意味は失われてしまったのですから」
えっ、とマナが声をうしなった。
「どういう……こと?」
「言葉通りです。貴方は、九の精霊ともう一つ、というお話を知っていますか?」
マナは黙って頭をふる。
ルヴェはマナに、自分の出生についてなにも語っていなかったらしい。
もちろんそれは、マナを思いやってのことだっただろう。
まだ幼い時分に聞くには、事が大きすぎる話だ。
だが、目の前のエルフはそんなことを勘案するつもりはないらしかった。むしろ嬉々として続ける。
「この世界は魔素からつくられました。まず最初に三人の精霊が世界を形作り、そして六人の精霊が世界に色をつけた。しかし、魔素という万能の力は、万能すぎました。魔素は無限の力の源。このままでは、世界からモノが溢れてしまう。だから最後に、もう一つ分の役割が必要でした。十番目の力。世界を安定させる、反創造。貴方のことですよ、マナ」
「僕が……?」
「ええ、そうですよ。マナ、今まで貴方のまわりで不思議なことがありませんでしたか? たくさんの魔物に襲われてきたでしょう? それらは全て、貴方を狙ったものなのです。貴方のその力を」
大きく目を見開いたマナが、こちらを見る。
嘘だと言ってほしい、とその目が言っていた。
俺は渋面で、しかし口を開くことはできなかった。
……エルフの男は、嘘は言っていない。
「僕が? じゃあ、僕は――」
「そう。貴方はこの世界を救うはずだったのです、マナ。貴方にはその役目があった」
ただし、とエルフの男が愉快そうに笑う。
「その必要はなくなりましたけどね」
「――え?」
「“彼女”が、そうしたのですよ」
壁にうつった映像に目をやって、
「“不定形”スラ子。彼女は自身が喰らった精霊の力を使って、この世界を再構築してしまったのです。“十番目”の力がなくとも、世界が安定するようにね。結果として、貴方は要らなくなってしまいました」
哀れむような視線をむける。
「貴方はもはや世界を救わずともよいのです。貴方に与えられるべき役割はなくなり、貴方にはその厄介な力だけが残されたわけだ。……可哀想に」
「――厄介、」
ぽつりと、マナが呟く。
「ええ、そうですとも。だってそうでしょう? マナ、貴方が生きてきて大変な目に遭いませんでしたか? 貴方の大事な人がなにか災難にあったことは? それは全て」
「そこまでにしとけ」
喜悦にまみれた口調で続けようとするのをさえぎって、俺は目の前のエルフを睨みつけた。
エルフの男は不思議そうに、
「何故ですか? 私は事実を教えてあげようとしているだけです」
「趣味が悪いって言ってんだ。本当、エルフってのは性悪ばっかだな」
「こんなヤツと一緒にすんじゃねえ、ボケ」
吐き捨てるように言うツェツィーリャの手にはいつの間にか、弓が握られている。
引き絞られた弓矢の先で、エルフの男はにこりと微笑んで、
「同胞にまでそんなことを言われるとは悲しい」
「言ってろ。今度、ナメたことを口にしてみやがれ。その長ったるい舌を向こうの壁に縫いつけてやるぜ」
エルフの男が眉をひそめた。
「マギさんの言葉ではありませんが、随分と口が悪いですね、貴女」
俺もそれには同意だが。
男は気を取り直すように肩をすくめて、
「ともかく、そんなものは下ろしてください。そんなもので射かけたところで、通用しないことくらいわかっているのでしょう? 矢が無駄になるだけですよ、勿体ない」
「随分と自信なんだな。後ろの相手に護ってもらえるからか?」
男はこちらを見て、にこりと微笑んだ。
「マギさん。私は、あなたが探しているものを知っています」
俺は無言を返す。
エルフの男は再びマナに視線を向けて、
「先程の話の続きをしてあげましょう。世界を再構築した“不定形”のことです。彼女は、自分自身を世界の隅々にいきわたらせることで、その在り方を変容させた。いつかまた、自分の主人の元に戻ってくることを約して。そして、その約束は守られました。ただし――その彼女は、以前の彼女とは違ってしまっていたのです」
先程の話がよほど衝撃だったのだろう。マナは顔面を蒼白にして、なにも反応を返さない。
俺も、そしてツェツィーリャも黙って相手の長広舌に聞き入っていた。無言の聴衆を前に、愉悦の絶頂じみた表情でエルフの男は続ける。
「世界の隅々にまで行きわたり、そして細分化してしまった“不定形”。その彼女が主人の元に戻ったとき、その力は以前とは比べ物にならないほどか弱かったのですよ。では、世界をさえ造りかえてしまった力は、その余りあるほどの力の残りは、いったいどこにいったのでしょうね? なぜ戻らない? 偶然? それとも作為的ななにかの影響で? そこにいるマギさんは、それを調べているのです。そして、その力を取り戻そうとしている。そうですよね?」
俺は答えない。
答える必要がなかった。
その沈黙を肯定と捉えでもしたのか、男は満面の笑みになる。
ツェツィーリャを見た。
「先程の質問ですが、その一つがこれですね。あの“不定形”はなにか。もうおわかりでしょう?」
「……『精霊喰らい』の一部。その戻らなかった力、ってことかよ」
「その通り」
男は大きく頷いた。
「“彼女”の力を使い、改めて“スラ子”としての形を与えた。それがあの、もう一人の『スラ子』です」
ああ、とわざとらしく付け足してくる。
「少しばかり、違う部分もありますが。あの『スラ子』は、マギさん、貴方を主人として認識していません。たとえ貴方が命令しても、それに服従したりはしないのです。貴方が連れた、あの残りカスのような存在とは違ってね」
「……残りカスとは、随分な言い草だな」
「すみません。ですが、その通りでしょう? だから、あんなザマになってしまう」
男があごをしゃくってみせた先では、二人の『スラ子』。
外見はまったく同じはずのその二人は、しかし見るからに様子が違った。
一人は悠然とした余裕の体で、背中に羽まで生やしている。
そして、もう一方は――右腕が砕け、左腕も半ばまでしか残らず、その胸に穴まで穿たれていた。
どちらが俺がよく知る『スラ子』なのかは、言われるまでもなかった。
二人はなにか言葉を交わしているようだった。
だが、声までは映像には拾われていないから、なにを話しているかはわからない。
「マギさん。申し訳ありませんが、貴方の『スラ子』は負けてしまいますよ。私も、もう少しいい勝負になるのではと思っていたのですが……。本当に、残念です」
さも心苦しそうに、エルフの男が言う。
俺は頭をうつむかせた。
目の前の相手に表情を隠したかったからだが、無理だった。
どうしたって肩が震えてしまう。
なんとかこらえようとした息が、変な音になってついてでた。
顔をあげると、エルフの男が怪訝そうにこちらを見つめている。
「なにかおかしなことでも?」
「おかしなこと? ……ああ、まあそうだな」
頷く。その拍子に、また発作に襲われて、苦労してそれをこらえた。
額に手をあてて天井を仰ぐ。息を吐いた。
……馬鹿馬鹿しい。
相手が得意げにべらべらと喋ってくれるから、おとなしく話を聞いていれば。
よくわかった。
目の前にいるこの男が、なにもわかっていないことが。よくわかった。
きっと、目の前にいる相手は、このダンジョンにおける「俺」という役割なのだろう。
だとしたら、すばらしい配役だと思う。
――こいつはただの小物だ。
俺だって小物だから、この場合はいい勝負というべきなんだろうか。
小物対決か。いったい誰が喜ぶんだ、そんなもん。
少し空しい気分になりながら視線を戻すと、こちらの態度が気に入らないのだろう。エルフの男は不満そうにしている。
俺は頭をかいて、
「……そうだな。とりあえず、あんたは色々と勘違いしてるらしい」
「勘違い?」
「ああ、そうだ。まずなにから言えばいいかな――そうだな。スラ子についてだけど」
壁にうつった映像を見て、
「あんたはさっき、主がどうとか服従が云々とか言ってたけどな。確かに、俺はあいつのマスターではある。だけど、あいつの主人は俺じゃない」
「……どういう意味ですか?」
エルフの男が顔をしかめる。
相手の気持ちはわかるが、他になんと言い様もなかった。
「言葉通りだよ。だからあいつは、負けない。負けるわけがない」