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十五話 愉悦と本分

「――――ッッ!」


 不定形を生やした怪鳥が、無音の奇声をあげながら大きく羽ばたいた。

 宙にばら撒かれた飛沫が形を変え、たちまちに鋭い刃物となって降り注ぐ。地上で身構えた不定形は、すかさず障壁を張ってそれを防ごうとしたが、


「……っ」


 刃が不可視の防壁に触れるや否かという瞬間、彼女は大きく後ろに飛んだ。

 宙を切り裂いた刃物が地面に突き刺さる。


「随分と貧弱な障壁ですね」


 悪意に満ちた表情で、鳥から生えた不定形が笑った。


「ほんの少し力を込めただけで、あっさり貫通できてしまいましたよ? ねえ、オリジナル。あなたはこの世界を創りなおした程の力を持っているんでしょう。だったら、あまりがっかりさせないでください」


 ああ、と意地悪く頬を吊り上げる。


「創りなおしたから、そうなのでしたか?」

「……なかなか嫌味ですねぇ」


 もう一人の不定形が苦笑する。


「確かに、今のわたしは本調子じゃありませんけれど。でも、安心してください。あなたががっかりするほどではありませんから」

「それは――よかった!」


 再びの羽ばたき。

 飛来する無数の刃を、不定形は自身の青髪を鞭のようにして迎撃する。躍るように伸びた触肢が精密無比にその全てを叩き落とした。


 そこに再度の攻撃が降り注ぐ。

 一瞬で殺到する刃物群は、先ほどよりさらに倍以上ほどに密が濃かった。雨粒のような連弾に鋭い鞭先が対抗するが、


「――――っ」


 迎撃の網をすり抜けた刃先が、不定形の頬を浅く切り裂いた。

 少しの間を置いて、さらに一つ。続いて二つ、三つ。ほとんど同じタイミングで、今度は二か所が薄く切り裂かれる。

 上空から降り注ぐ刃数は一向に衰えず、それどころかますます激しさを増すばかりだった。明らかな手数の優劣差に、一つ一つは軽傷ともいえないほどの擦過傷が、徐々にその数を増やしていく。


「――!」


 防戦一方の不定形が鞭のように操る一房が、半ばから断ち切られた。

 かろうじて均衡していた攻防は、それで雪崩を打ったように崩壊した。不定形は大きく飛び退いて、降り注ぐ刃物の殺傷圏から逃れる。


 もう一体の不定形はそれを追いかける素振りも見せなかった。

 スライムに覆われた両翼を羽ばたかせて緩やかに着地する。怪鳥の半ばから生えた姿のまま、羽毛に肘を置いた不定形は、悠然とした表情に冷ややかな笑みを浮かべている。


「あら、もう力負けですか?」


 揶揄に答えず、不定形はちらりと視線を走らせる。

 断ち切られた触肢の在処を確かめる仕草を嘲笑うように、怪鳥から生えた不定形が頬を釣り上げた。


「末端を切られたくらいで、随分と余裕がないんじゃありません? それに、威勢のいいことを言うわりには、さっきから防いだり、避けたりしてばかり。どうして、そんなつまらない戦い方をしているんです? わたしたちは不定形性状なんですよ?」


 顔の前に挙げた右腕を、見せつけるように変化させる。蔓のような触肢がしなやかに振られ、少し離れた地面に落ちた青髪の切れ端を遠くに弾き飛ばした。大穴の底に落ちていく。新しい餌の到来を歓喜する響きが穴底から低く立ち昇った。


「いくら切られたところでなんの痛痒もないでしょうに。一本を切られたら、別の触肢を生やせばいいだけのこと。必要なら、五本でも、十本でもね。それこそが我々にとっての“闘争”でしょう? 無限の触手を伸ばして、相手を取り込み、丸ごと自分のものにする。――こんな風に」


 歌うように囁いた不定形が、自身を生やす魔物に手を伸ばす。


 スライムの粘膜に覆われた怪鳥がびくりと痙攣した。

 蠕動するスライムのなかで、もみくちゃにされる。その全身が少しずつ、だがはっきりとその体積を減らしつつあった。


 消化されていく怪鳥にとって代わるように、それまで寄生するようだった不定形の全身が露わになる。

 宿主にとって代わったその姿が微妙に変化していた。

 背中に一対の翼がある。先ほど取り込んだ怪鳥のそれだった。


 艶やかなスライム質の翼面を優美に撫でながら、不定形は囁く。


「あなたにもできるはずですよ? だって、あなたはわたしのオリジナル。無数の精霊を喰らい、ついにはこの世界まで喰らってみせた最低最悪の『不定形』なのだから。なのに、出来ないんですか? それとも怖いのかしら。わたしを取り込もうとしても、逆に取り込まれてしまうかもしれないから?」


 もう一体の不定形は答えない。その髪の一部は断ち切られたまま、薄青い切断面を残している。

 それを見た翼を生やした不定形が笑った。


「本当に、あなたは以前の力を失ってしまっているんですね。不定形としての本分すら失って、それでも存在することにしがみついているだなんて。今のあなたは、まるで出涸らしのよう」

「――あら、知らないんですか?」


 翼のない不定形が言った。

 にこりと微笑んで、


「出涸らしって、案外、お掃除とかでも色々と使えるんです」

「そうですか」


 にこりと微笑み返す。


「――なら、あなたもボロ雑巾のようにしてあげましょうか」


 背中の翼を大きく打って、這うような低空で突進する。

 障壁を張る暇も与えない。触肢を使った小手先の攻防も度外視して、一気に決着を突きつけようとする強襲に、一方の不定形は後ろに下がりながら牽制の触肢を伸ばす。


「そんなもの!」


 羽撃きによって生じた不可視の衝撃が触肢を蹴散らし、有翼の不定形はさらに距離を縮めた。拳を放つ。身を捻ってそれを躱そうとして、間に合わずに受けた不定形の右肩が弾けた。水面を叩くような澄んだ音が上がる。


「ッ……!」


 肩口ごと右腕を砕かれた不定形が反撃に転じた。残った左手を振りかぶり、やり返すように殴りつけるが、


「――――」


 渾身のはずのその一撃は、あっさりと不定形を庇った翼に受け止められていた。


 ピシリ。

 小さな亀裂音が響いた。殴りつけた不定形の拳に、深い裂け目が入っている。


「……貧弱すぎる」


 翼を持つ不定形が顔を歪めた。心から哀れむような真摯な表情で、吐息を漏らす。


「もうやめましょう。そんな無様な姿を見せられるのは悲しい。本当に、悲しくなりますよ。あなたが、それでもしがみつくしか出来ないのなら――わたしが、壊してあげます」


 拳を振り上げる。

 勢いよく叩きつけられた拳は、それを防ごうとした相手の左手ごと、不定形の中心をぶち抜いていた。


「かはッ……!」


 そのまま、殴られた勢いで盛大に吹き飛んでいく。ボロクズのように地面を転がった不定形の身体が、大穴の縁でようやく止まった。


「今のあなたを取り込んだところで、なんの得にもなりそうにありません。だから、せめてこの穴の下で溶けていってもらいましょうか。同族に包まれて消えていけるのなら、あなたも寂しくはないでしょう?」


 憐憫の言葉を浴びせられた不定形の身体が震えた。

 身じろぎするように細かく振動する。その動きが徐々に大きくなり、くすくすと笑い声が漏れ始めた。


「……なにが可笑しいんです?」

「――だって。あなたの言う通りなんですもん」


 不定形が顔をあげる。

 土に汚れた表情で、おかしくてたまらないというふうに彼女は笑っていた。頬には擦傷が残っている。


「本当、威勢のいいことを言うわりには、随分とお上品ですね」

「反省してるんですか?」

「――あなたのことを言っているんですよ」


 翼を生やした不定形が顔をしかめた。


「わたし?」

「ええ。不定形の本分だなんて。そんなことを言われるなんて思いませんでした。ふふ――ごめんなさい。でも、とっても面白くて」


 ふらりと立ち上がる。

 その胸の中心には、貫かれた穴が生々しく開いたままだった。左右の腕も砕かれたまま、復元する様子はない。

 今にも崩れ落ちそうな姿で、その不定形は表情にだけ笑みを浮かべている。


「……どうやら、錯乱したようですね。それとも、とても敵わないとわかって狂ってしまいましたか?」

「敵うとか、敵わないとか。そういうのが、とっても可笑しいんですよ」


 不定形が笑った。何重にも笑みを重ねるように、


「有利。不利。腕がある。腕がない。そんなことはどうでもいいんでしょう? わたしたちに、そんなことは関係ない。あなたが言ったとおり――わたしたちの戦いは、そんなものじゃない。『わたし』か、『わたしではない』か。それだけです。それが、全部」


 どろり、と不定形の全身が溶けた。

 そのまま地面に浸透するようにその姿が消える。


 それを見た有翼の不定形は、すかさず背中の翼を打って宙に逃れた。逃れながら、自分の足元に立て続けに連弾を打ち込んでいる。


「そんな奇襲が通じるとでも……!」

「――こっちですよ?」


 囁くような声が、翼を持つ不定形のすぐ耳元で響いた。


「……!?」


 あわてて両腕を振り払う。

 なんの手応えも得られずに、不定形は周囲に無差別の攻撃を繰り出した。

 自身の一部を変化させ、縦横無尽に薙ぎ払う。飛散させた一部を刃物に変えて、闇雲に投射する。その攻撃の全てが、あえなく空を切った。


「……どこにいます。――出て来なさい、オリジナル」

「ここですよ」


 余裕に満ちた声。


 翼を持つ不定形が睨みつける。

 その視線の先に悠然と立つ不定形は朽ちかけた外見のまま、


「これからあなたに、不定形の闘争を教えてあげます。お代はあなたという存在の全て。――ふふー。お願いだから、いい声で鳴いてくださいね? 自分とおなじ姿の相手の悲鳴を聞けるだなんて、なかなか得難い経験ですから」


 蠱惑的な声音で、囁くように彼女は告げた。



 ◇◆◇



「……どういうことだろうな」

「あぁ?」


 ――独り言が口から出てしまっていた。


 魔物と不定形が蠢く大穴のあった空洞から、先へと続く小道。

 松明をかざしてその暗がりを奥へ奥へと進む道すがら、視界を圧迫する周囲の暗闇に溺れているうちに、自分の頭のなかに迷い込んだつもりになっていたのかもしれない。

 隣を歩くエルフから目つきの悪い眼差しを受けて、俺は肩をすくめた。


「ああ、悪い。独り言だ。なんでもない」

「うるせ。いいから、なんのことか話せ」


 しらを切ればそのまま殴りつけてきそうな気配だった。

 俺は息を吐いて、


「この洞窟だよ」

「洞窟?」

「ああ。いったいなんで、こんな洞窟をつくったんだろうなって考えてた」


 ツェツィーリャが顔をしかめた。


「手前らを誘い込むためなんじゃねぇのかよ。手前と、あの化け物。それに“十番目”もか? 手前がそう言ったんだろうが」

「それはわかってる。じゃあ、あの大穴は? あのスライムと、そこに落とされたスライムたちはなんだ?」

「……“精霊喰らい”を作ろうとしてたんじゃねえのかよ? 他の魔物を喰わせて、その力を取り込んで。それなら、あの土精霊のことだって説明がつく。――シルが消えたこともな」

「そうだな。そう考えるのが一番わかりやすい。実際、ここには『スラ子』だっていたんだ」


 ただ、


「ただ?」

「……マナは? あいつはなんで、この洞窟に誘い込まれたんだ? この洞窟をつくったやつがなにか目論んでるとして、あいつの役割はいったいなんだ?」


 精霊たちにこの世界が創造された際に現れた、最後の存在。――“十番目”。


 その“十番目”の子どもに、いったいなにを求めた?

 なにをやらせようとしたんだ?


「……オレが知るかよ」

「わかってるよ。だから、独り言だって言ったろ」


 頭を振って、意識を現実に揺り戻す。


 道はまだ続いている。

 俺たちが進む周囲にスライムたちの湧きはない。古い隠し通路だったんだろう。木箱や、壺。そうした細々としたものが適当に埃をかぶって散乱しているだけだ。


「まあいいさ。続きは本人に聞くことにしよう」

「本人?」

「ああ、そうさ」


 足元にあったなにかの残骸を蹴飛ばす。


「ここが『スライムのダンジョン』で、ここに『スラ子』がいるなら――当然、いるんだろうからな」


 苛立たしそうにツェツィーリャが頭を振る。


「さっきから、なにを言ってやがる。この奥に、いったい誰がいるだって?」

「決まってる」


 面白くもない気分で、俺は答えた。


「――“俺”だよ。この洞窟の奥で悦に入ってる引きこもりがどんな貧相な面をしてるのか、今から楽しみだよ」



 それから、俺とツェツィーリャはさらに通路を進んだ。


 やがて、行く先に淡い光が浮かびあがって――注意深く、そちらに向かって足を向けた俺たちの前に、そいつは現れた。


 その見かけはひどく小柄で、まだ子供のようにしか見えない。


 実際、子どもだった。

 少なくとも――その外見上は。


 そこには、まるで魂をなくしたような虚ろな表情で、先に洞窟を出たはずのマナがぽつんと一人で立っていた。



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