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十三話 襲い掛かる不定形

眼下に蠢く光景に意識を奪われかけた俺たちの不意をつくように、頭上に猛々しい奇声が轟いた。


「ッ――――!」


 濃い暗闇の向こう。

 その闇をかき回すような羽ばたき音と共に、なにか巨大なものが急降下してくる。


「下がれ!」


 慌てて通路を駆け戻りながら、俺は半身をひねって新しい“灯り”を打ち放つ。

 そこに浮かびあがった影は、人間の大人よりはるかに巨大な怪鳥だった。


「ガルーダか……!」


 両翼を目一杯に広げて突っ込んでくる。


 少なくとも、怪鳥の翼開長は通路の幅よりもはるかに巨大だった。

 それを無理矢理に折りたたみ、全身を捻じ込むようにして迫ってくる。


「――――ッッ!」


 案の定、あっさり通路に挟まってしまい、それ以上進むことも戻ることもできない状況で怒ったように咆哮する。

 頭を振り回し、嘴からなにかを撒き散らす眼差しには、まるで熱病にかかったような異常な光が灯っていた。


 そして。

 その嘴から吐き出されているものは、やはり普通の吐瀉物ではない、ドロドロとした液状のモノ。

 よだれのように盛大にそれを撒き散らしながら、ガルーダは懸命に狭い通路のなかで悶えていた。


 狂い喘ぐその様子は、まるで空気のなかで溺れているようで。

 事実としてそうだった。


 顎が裂けるくらいに限界まで嘴を開ききって、怪鳥が痙攣する。

 その大きく裂かれた嘴の奥から、不定形の塊が勢いよく吐き出された。

 びしゃりびしゃりと粘ついた音を立てて零れ落ちた半固定のそれらは、地面でゆるゆると元の姿を取り戻す。


 ――スライム。


 その不定形は、さきほどノーミデス(らしき)相手の体内から現れたものと同じく、外見的には一般的なスライムとの差異は見られなかった。


 せいぜい、体積が少し大きめかというくらいのその存在は、不定形性状の全身を呼吸のような上下左右に揺らしていて、そのなんでもない動作が逆に不気味だった。


「おい、ボンクラ。手前ご自慢のコレクションとやらに入れるために、あいつも連れて帰るかよ?」


 隣からツェツィーリャの声がかかる。

 いつもの皮肉めいた軽口も、さすがに毒気を失っていた。


 俺は目の前のスライムから視線を離さないまま、


「いや。さすがにこれは、うちの子たちとは仲良くできないかもな。――頼む」


 頷いたツェツィーリャが弓を構える。

 流れるような射の動作の寸前、その動きが不自然に固まったのが視界の端にひっかかった。


「――シル?」

「? どうした」


 答えず、シルフィリアは黙って弓矢を引き放つ。

 熟練の弓手から放たれた矢は一直線にスライムへと向かって、――ぷすり、と突き刺さる。


 それだけだった。


 いつものように、鏃に込められた風の力が対象を巻き込んで破裂を撒き散らさない。

 不定形の真ん中に突き立った矢は、その動きに合わせて空しく尾羽を揺らしている。


 ツェツィーリャは目を見開いて絶句している。

 その横顔を見れば、それがなにかの冗談ではないことは一目瞭然だった。


「……クソ」

「おい。今のって、」

「シルの力が降りてこねえ。……どうやってやがる」


 呻くように、銀髪のエルフは吐き出した。


 風精霊と契約することで得られる精霊の加護。それがない。

 それはつまり、シルフィリアが今現在、契約を履行できない状況ということだ。


 そうした契約の反故が起こる理由というのは色々と考えられるはずだ。

 たとえばそれは、なにかしら契約に違反する内容があったとか。あるいは一方的な過失とか。それとも――契約者の存在そのものが失われてしまったか。


 “ない”


 “失う”


 “消えた”


 そうしたいくつかの単語からなにかを類推するのは、とても容易くて。

 そして、それは当然として一つの可能性に行き着いてしまう。


「――手前か?」


 怒りに満ちた眼差しが向いた。

 その視線の先にいた相手――少なくとも、見かけは十歳程度の少年にしか見えないマナは、自分を射抜く視線に宿る感情の激しさに、びくりと全身を震わせた。


「……手前の仕業か。“十番目”、手前がシルを消しやがったのかッ」


 開きかけたマナの口からは、否定も弁解もない。

 本人は必死になにか言おうとしているのだろうが、言葉になっていなかった。激しい悪意の感情にあてられて、ただただ懸命に頭を振る。


 その泣きそうな表情の前に、すっと立ちはだかった相手がいた。


 ルヴェだった。

 十二歳に戻ってしまった、俺の昔の友人が毅然と顔をあげて相対する。自分よりはるかに背が高い相手にむかって、きっぱりと告げた。


「勝手にマナのせいだって決めつけないで」

「だったら、他になにがあるってんだ。言ってみろ、クソッタレ」

「……ツェツィーリャ」

「あぁ? なんだ、ボンクラ。元はと言えば、手前が――!」


 怒りの矛先をこちらに向けかけたエルフが振り向きかける。

 その喉先に、スラ子の指先がひたりと迫っていた。


「……っ」


 その指先は半ばから鋭利な刃物状に変化して、ツェツィーリャが少しでも身じろぎすればその綺麗な肌に埋もれてしまう程の至近にある。


「――マスターが、なんですか?」


 からかうように訊ねる表情はいつもどおり、穏やかな微笑を浮かべたままだ。


 俺は頭を振って、


「やめろって。――とにかく落ち着け。ツェツィーリャ、お前がシルフィリアを心配する気持ちはわかるから」

「手前になにがわかる……!」

「このままにしちゃおけないってことが、だよ。そうじゃないのか?」


 まっすぐに相手の目を見て訊ねると、ツェツィーリャはなにかを噛み殺すように、きつく唇を噛み潰す。わなわなと震えた拳を固めて、全ての憤りをぶつけるようにそれを近くの壁に叩きつけた。


 俺は近くの地面を見て、さっきの不定形がまだそこに留まっているのを確認してから、息を吐いた。


「カーラ」

「――はい」


 俺がこれからなにを言うかなんて、とっくにわかっているんだろう。

 カーラは苦笑した表情で応える。


「悪い。マナたちを連れて、先にうちに戻っておいてくれないか」


 やっぱり、マナたちをここから先に連れて行くのは危険だ。


「……わかりました」


 力なく笑ったカーラが、諦めたようにそっとため息をつく。


 カーラはいい子だ。

 だから、いつもこういう損な役回りばかりになることを申し訳なく思いながら、俺は頷いた。


「悪い。帰ったら、ルクレティアにここで見たことを伝えて欲しい。あいつなら、それでどういう状況かは把握できるはずだ。あとは、ルクレティアの指示に従ってくれればいい。タイリン、お前もな。ルヴェ、ちょっとここからは別行動になるが、そういうことでよろしく頼む」


 元暗殺者の少女は不満そうに頷いて、もう一人はすまなそうに口を開いた。


「……ごめん」

「なんで謝るんだよ」


 深刻そうな表情を笑い飛ばして、最後の一人を見る。

 マナはまださっきの言葉を受けたショックから立ち直れていない様子で、顔色を蒼白にして立ち尽くしていた。


 黙ってその頭に手をおく。

 乱暴に撫でつけると、くしゃりと表情が歪んだ。それでもなんとか、泣くのだけは我慢しようと踏ん張っている。


「あの子のことは任せろ」


 おお、とスラ子が拳をにぎった。


「宣言でましたねっ」

「――スラ子やツェツィーリャがなんとかしてくれる」

「他人任せですねっ」


 漫才じみたやりとりを聞いても、マナの表情は強張ったまま。

 それどころかますます歪んでいって、その堤防が決壊する前に俺はその肩を押して後ろを振り向かせた。


「行け。……カーラ、頼む」


 こくりと頷いたカーラが、マナとルヴェの手を取って走り出す。その前をタイリンが先導するように走っていて、出口に向かって駆けだす四人の後ろ姿を見送ってから、さてと、と振り返る。


 苦み走った表情で沈黙している銀髪のエルフに半眼を向けて、


「いい歳して子どもを泣かせるなよ」

「うるせえ。あいつがやったんじゃねえって証拠でもありやがるのかよ」

「そんなもんはないけどな」

「……ふざけてやがんのか? 手前」


 ツェツィーリャの眉が危険な角度に持ち上がりかける。


 俺は肩をすくめて、


「わけがわからないことが起きたんだ。考えられる可能性を潰していくしかないだろ。目の前でこんな異常事態が起こってるんだから、身内を疑うのはそっちを探ってからでいい」


 ツェツィーリャは噛みつくような視線でこちらを睨みつけたまま、しばらく沈黙。

 やがて低い声で唸った。


「――シルとここの奴が無関係だってわかったら、オレはあのガキに容赦しねえからな。身内だ? 知ったことか。手前の甘ったれた考えを押し付けんじゃねえ」

「好きにしろよ。その時は俺だって協力するさ」


 もちろん、と続ける。


「どういう協力の仕方かは、別だけどな」


 ふん、と鼻を鳴らしたツェツィーリャがそっぽを向く。


 俺は残ったもう一人に向き直って、


「スラ子。お前にもわからないのか? さっき、シルフィリアになにがあったのか」


 訊ねると、薄青色の不定形はゆっくりと頭を振った。


「……あの子の“力”は、今のわたしには感知できません。少なくとも、あの子がなにかをしたとは感じられませんでした。さっきのノーミデスさんといい、この洞窟で精霊を巻き込んだ異常な事態が起こっているのは間違いありませんから、まずはそちらの詳細を確かめるほうがいいと思います」


 俺はうん、と頷いて。

 ちらりと視線を向ける。


「――と、いうわけだ。そろそろ隠れた振りはいいだろ。出て来いよ。まさか、不意をつけるとか思ってるわけじゃないだろ?」


 それまで、こちらのことなど我関せずとばかりに自儘に揺れていたスライム。

 その運動が、ぴたりと止まった。


 一度、大きく震える。


 やがて、そこから泡のようなものが弾けたかと思うと、沸き立ったかのような勢いで、ぶくぶくと体積が増していく。

 そのまま、不定形は徐々に形をかえて、やがて一体の姿をとった。


 あとに残ったのは、口元に妖艶な笑みを浮かべた半透明の美女だった。


 ――ひどく見覚えのある姿の。



 ◇◆◇



 左右の手をそれぞれ引っ張られながら、少年は走った。


 洞窟の先には、点々と置かれた松明が進むべき道筋を示してくれている。

 けれど、それはほとんど滲んでしまっていて、よくわからないまま足を前に投げ出し続けていた。


 溢れた涙が染みて、ひどく目が痛む。

 それを拭うために手を振り払うこともできず、少年はきつくまぶたを閉じて痛みを洗い流そうとした。


 走りながらそんなことをしようとしたものだから、案の定バランスを崩して、思いっきり転んでしまう。


「わ、ごめん! マナ、平気っ?」

「大丈夫?」


 あわてて駆け寄ってきた短髪の女性と、赤髪の少女が顔を覗き込んでくる。

 その向こう側で、冷ややかな目つきで自分を見るもう一人の視線に、少年は歯を噛み締めて痛みに耐えた。頭を振る。


「平気。……ごめんなさい」


 立ち上がる時に、擦りむいた膝がずきりと痛んだが、それも無視した。

 ほっと息を吐いた短髪の女性が、


「あと少しで外だから、もうちょっとだけ頑張れる?」


 労わるようにかけられる声はどこまでも優しくて、そんなことで、また涙が盛り上がってくる自分が情けなかった。少年は乱暴に手の甲で目元を拭い、頷いた。


 やっぱり手を繋いだまま走るのは危ない。

 今度はきちんと一人で走ろうと思い、顔を上げた。

 心配そうに見守ってくれる二人の視線を受けながら、一歩を踏み出そうとして、


「――みんな、動くな」


 少し前にいた女の子に鋭い声でそれを制止された。


「タイリン?」


 眉をひそめかけた女性が、あわてて身構える。

 すでに、女の子も油断なく短剣を抜いて姿勢を低くして構えていた。


 闇の奥に誰かが立っている。


 その相手がいるのはちょうど松明と松明の中間あたりで、灯りが届かないギリギリの縁にいるせいで、姿はわからない。洞窟内を流動する大気が松明の炎を揺らして、少しだけその輪郭を覗かせたが、少年の位置からは、それでも相手の姿ははっきりと見えなかった。


 だが、少年の前にいる女性や女の子にはそうではなかったらしく、


「あなたは」


 驚愕の声をあげる。


「どうして。あなたがここに、」


 投げかけられた言葉は、それ以上は続かなかった。


「…………ッ!」


 視界の隅で、短剣を構えた女の子が駆けだすのが見えた。

 疾走したその姿が闇に溶けるように消えて、そして次の瞬間、激しく近くの壁に叩きつけられている。

 反対側から短髪の女性が殴り掛かった。強い魔素の輝きを秘めたその一撃は、しかし軽々と受け止められてしまう。


「……逃げて!」


 女性が叫んだ。


 しかし少年は動かなかった。

 赤い髪の少女がこちらを振り返る。険しい表情で、


「マナ、なにしてるの! 行くよっ」


 泣きそうになりながら、少年は頭を振るしかない。


 動かない。動けなかった。


 ――いつのまにか、なにかが足首を強く掴んでいる。


 目をそらしたくなる恐怖と戦いながら、少年は恐る恐る視線を下げる。

 そこに、地面から生えた両腕があった。半透明の、細い腕。


「この――!」


 それに気づいた赤髪の少女の手に赤い輝きが灯る。

 得意とする炎の魔法を放とうとしたその姿も、見えない力を受けて吹き飛んでしまう。遠くの壁にぶつかってそのまま崩れ落ちた。


「お母さん!」


 悲鳴を上げた少年の目の前で、なにかが起き上がろうとしていた。

 足を掴んだ両手を支点に、地面からにじみ出るようにゆっくりと現れるそれは、やはり半透明の色合いで。


 やがて、それは一人の姿をとる。

 にこりと微笑んだ。優しげな微笑。それが強くなり、さらに快活な笑顔になって――ついには、頬まで裂けるような禍々しいものに変じた。


 大きく裂けた笑み。

 だというのに目元はあくまで穏やかなままで、なによりそれが恐ろしかった。


 少年の記憶は、そこで途切れている。



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