十二話 魔の坩堝
「カーラ、タイリン。前を頼む」
「わかりました」
「わかった!」
際立って高い近接戦闘能力をもつ二人が進み出る。
カーラの両腕にはミスリル銀製の手甲。
タイリンの手には少しサイズが合っていない、大振りの短剣。短剣は魔法道具の類ではないが、その刀身には濃い魔素の気配が纏わりついていた。
「ツェツィーリャは天井に注意しておいてくれ。スラ子、お前も後ろだ」
「おうよ」
「ふふー。了解ですっ」
弓矢をいつでも番えるように身構えた銀髪のエルフと、薄青色の美女が一歩、後ろに下がる。
俺はちらりと隣に目線を落として、
「ルヴェ、魔法は使えるよな?」
「もっちろん!」
赤髪の少女が不敵に微笑む。
「スライムは火に弱いんだから、あたしの出番だよねっ」
魔物たちが集まるアカデミーで、火精霊の生まれ変わりとまで噂された火属魔法の申し子は、その炎を勝ち気な目に宿したような表情でそう言った。
「まあ、そうなんだけど。くれぐれも爆発だけは勘弁してくれよ」
俺は苦笑しながら、それと、と続ける。
「魔法はなるべく温存して行こう」
それを聞いたルヴェがきょとんと瞬きする。
「どうして?」
「このダンジョンの内図がわからない。シルフィリアのおかげでだいたいの広さは把握できるとはいえ、どんな罠があるか、他にどんな魔物がいるかも謎だしな」
本当なら、少しずつマッピングして地形を明らかにしていきたいところだ。
ダンジョンなんて代物は、そうやって攻略するべきものだと思う。
だが、今回は攫われた女の子の安否が心配だ。
そんなことをしている暇はない。
そもそも、ダンジョンなんて代物に距離や深度があるのは、侵入者の疲労や消耗を図るからだ。
ダンジョンを持っている身分の俺が言うんだから、これは間違いない。
防衛側からすれば、長期戦の構えでひたすら人海戦術されるのが一番キツいが、今回はそういうわけにはいかない。
それなら、せいぜい力を温存していくしかない。
「じゃ、松明かなにかで追い払いながら進む感じ?」
「そうだな。まず、このスライムが火を怖がってくれるのかってところが問題だけど、効くならそれでいいと思う。……ああ、でも、そうやって散らしておくだけだと、逃げ道を塞がれてたりすると不味いか。やっぱり、ある程度は数も減らしておくべきかな」
「ここが、スライムが自然湧きするような場所ではないのなら、そのほうがよいかもしれませんね」
「ああ、そうだな」
俺の隣で、むう、と腕を組んだルヴェが、
「塩でも持って来ればよかったねー」
「この数のスライム相手に、どれだけ用意しておけば足りるかわかったもんじゃなくないか?」
「でも、別に塩じゃなくてもさ。たっくさんの乾いた砂とかでもいいわけじゃない?」
スライムに塩が効くというのは有名だが、実際には砂でも似たような効果はある。
要は、細かくてパサパサしたものを大量に振りまいて、水分を奪ってしまえばいいのだから。
だが、
「どうだろうな。このスライム、這ったところを硬質化してるみたいだし。普通のスライムとは違うから、表面も含めて、色々と勝手が違うかもしれない」
このスライムたちがどういう性質を持っているのか、その性質がどういう理由で得られたものなのか。環境的な要因か、それとも別か。
スライム愛好家としてはとても興味深いところだが、今はそちらにかまけているわけにもいかない。
あとで一匹こっそり持って帰って、じっくりと研究することにしよう。そうしよう。
「マスター、わたしが食べてみましょうか?」
その提案に、俺は黙って相手を振り返った。
スラ子は、相手を“捕食”することでその力を自分のものにすることができる。
この世界を創造したとされる精霊さえ取り込んでみせたその能力こそは、ついにはスラ子をあの竜たちとさえ対等に張り合えるまでの存在に成長させた要因だった。
スラ子がこのスライムを食べてみれば、それだけでその特性や対処方法まで一発でわかるかもしれないが、
「……いや、それはダメだ」
俺はきっぱりと頭を振った。
「罠かもしれない」
「実は、わたしもちょっぴりそう思います」
苦笑したスラ子が頷く。
このダンジョンをつくった相手――まず間違いなく、昨日の昼、上空にいたあいつだろう――は、スラ子の存在について知っている。
それは間違いない。
なら、スラ子が相手を自分のなかに取り込むことができるということも承知しているはずだった。
それなのに、放ったスライムたちになんの対処もしていないというのは考えにくい。
単に考え過ぎかもしれない。変に警戒しすぎているだけかも。
だが、相手のミスや不備に最初から期待して物事を進めるのは望ましくない。どこぞの金髪の令嬢なら、きっとそう言うだろう。
……スラ子の“捕食”は諸刃の剣だ。
そこに万が一、なにかの毒なんて含まれたら、それだけでこちらが全滅する羽目になりかねない。そうでなくとも、スラ子という存在はこちらにとって無二の切り札なのだから。
「ってことで、ここは手早くこいつらの対応策だけ手に入れて、さっさと奥に進むことにしよう。――カーラ、ちょっとこっちで松明を用意するあいだ、頼んでいいか?」
「了解です、マスター」
ゆっくりと前に進み出る。その両腕に嵌めた手甲に、淡い光が見る見るうちに輝きを増していく。
人狼の血を引くカーラ。
出会った当初から、彼女は“凶暴化”することでとんでもない戦闘能力を発揮したが、最近は暴走せずともその力を扱えるようになってきている。
その証が、彼女の拳に灯る輝きだ。
それは魔法ではなくて、魔物が生態として扱う代物に近い。
凝縮して極限まで魔素が込められた一撃は、正面から殴りつけた生屍竜を尻餅させたことだってあった。直接的な打撃、仮に殴打力というようなカテゴリーがこの世界に存在したなら、この世界に生きる全ての生き物のなかでも間違いなく上位に君臨するだろう。
スライムに打撃は効かない、というのは常識だが、魔力の込められた拳ならその限りではない。
足元に這ってきたスライムにカーラが拳を叩きつけると――ぱしゃん、と水面に跳ねるような音をたてて、スライムは弾けて散った。
うーん。
仕方ないとはいえ、スライムがやられるのを見るのは辛い。
カーラに粉砕された仲間の哀れな最期に恐れ慄くでもなく、むしろその拳に秘められた魔素におびき寄せられるように群がっていくスライムたちを哀れに思いながら足元を見ると、そこでは、ルヴェたちがすでに松明の準備を始めようとしている。スラ子が外から手頃な枝を拾ってきて、それにルヴェとマナが乾いた布を巻きつけていた。
二人の仕事はひどく手際がいい。慣れているんだろう。
そういえば、昔からそういうサバイバルじみたことが得意だったっけか、なんてことを思い出しながら、俺も作業を手伝うことにする。
タイリンも手を伸ばしたが、こちらは不器用なので、すぐにしかめ面になって放り出してしまった。元暗殺者が不器用でいいんだろうか。……関係ないか。いや、ないか?
ふと、作業の合間に顔を上げたルヴェが目を丸める。
「わ。カーラって凄いんだ」
「今のうちにどんどん用意しよう。予備は多めに作っておいた方がいいだろうしな」
「うん。だけど、そんなに急がなくても平気じゃない? なんか、ぜんぜん余裕そうに見えるんだけど」
文字通り、群がるスライムを蹴散らしにかかっているカーラを眺めながら、不思議そうに訊ねてくる。
それに対してまったくの真顔で、俺は答えた。
「早くしないと、スライムたちが全滅しかねない」
◇
結局、十分な数の松明を用意できる頃には、俺たちの前に集まっていたスライムたちはほとんどがいなくなってしまっていた。
この洞窟が、自然にスライムが湧くような環境ではない以上、これで退路を塞がれる心配はほとんどないはずだ。
というか、カーラが強すぎた。
もしかして、カーラ一人でこの洞窟くらい制圧できたかもしれない。もちろん、この洞窟の奥になにが潜んでいるかはまだわからないが。
「マスター、何匹か残しておきますか?」
加えて、俺がスライムを持ち帰っておきたいことまで気を遣ってくれるこの余裕っぷりである。
「そうしておいてくれると助かる。悪い。結局、全部まかせちゃったな」
「このくらい、平気です」
カーラはにっこりと、爽やかに笑う。
おかげで準備は整った。
スライムたちの脅威も、今のところは特に変わった性質や厄介な攻撃方法があるわけじゃないらしい。
用意した松明を分担して抱えて、俺たちはダンジョンの奥へと進んだ。
ところどころ、火をつけた松明を地面に立てて埋めていく。
こうすれば、もしも俺たちが通ったあとにスライムたちがやってきても、近づこうとはしないだろう。道標にもなる。
実際、光源というだけなら“灯り”の魔法で事足りるのだ。
しかし、光属魔法ではスライムを遠ざけられない。天の三属性の一つ、光属は物事を明らかにするが、攻撃には適さない。それが権能だった。
洞窟内であまり松明を燃やしまくるのも決してよろしくはないが、シルフィリアを連れたツェツィーリャがいてくれるから呼吸ができなくなるようなことにもならないだろう。
「……あぁ? なんだそりゃ」
そのツェツィーリャがぼそりと口を開いたのは、あちこちをスライムたちに食い散らかされてはいるが、基本的には一本道のダンジョン内をしばらく歩いた頃のことだった。
全員が立ち止まって、振り返る。
最後尾をスラ子と並んで歩いていた目つきの悪いエルフは、周囲の注目を集めたことに気づくと、
「シルが気になることがあるんだと。――で、なんだって? ……あぁ? あー、もうめんどくせーから出てきて自分で喋れよ」
もう、とどこかから呆れたような声が響く。
すぐそこで風が軽く巻いて、小柄な精霊が姿を見せた。
シルフィリアは恨むようにツェツィーリャを睨んでから、嫌そうにこちらを見て、
「――気をつけたほうがイーヨ」
言った。
「なにかいるのか?」
「もう少ししたら、さっき言ったかなり広い空間にでるケド。そこ、おっきな穴みたいになってて、その下にたっくさんの魔物がイル」
「穴?」
どういうことだ? スライムたちが溜まってるとかか?
「さア? アタシにわかるのは、おかしな気配が蠢いてるってことダケだし。ケド、なんだか普通じゃないと思うヨ。……気味が悪い」
気味が悪い?
風精霊の表現の仕方が気になって、ツェツィーリャを見ると、銀髪のエルフは黙って肩をすくめてみせた。
「……そういえば、スライム以外の魔物にはまだ一匹も遭ってないな」
入り口からここまでけっこう歩いてきたが、いまだに遭遇した魔物はスライムだけだ。
「ここにいる連中が、昨日、あの町を襲った魔物なら。けっこういろんな相手がいたはずだよね? ゴブリンとか、トロルとかさ」
「ああ、そうだな。空を飛んでるのもけっこういたはずだけど」
「そもそも、鳥がこんな穴倉に入り込もうとするのかよ?」
ツェツィーリャの指摘はもっともだ。
この世界には翼をもつ魔物も数多いが、そういう魔物は木の上とか、山の上とか、そういうところを住処にするのが一般的だ。わざわざ地下の洞窟に、って話はちょっと聞かない。蝙蝠とかならともかく。
「シルフィリア。この先にある、その広い空間ってところに、飛んでる魔物がいるかどうかはわからないか?」
訊ねると、風精霊は不快そうに顔をしかめたまま、
「……いるみたいだネ。けど、これは、」
続けてなにか言いかけた風精霊の姿が、ふいに搔き消えた。声が途切れる。
「シル?」
「どうした?」
「わかるかよ。――シル? おい、返事しろよ」
ツェツィーリャが焦った様子で問いかけるのを聞きながら、俺はまずマナを見て、次にルヴェを見た。
ほんの子供の姿をしたマナは緊張した様子で表情を強張らせていて、その手を握っているルヴェも不安そうにしている。
それ以外、二人に変わった気配はない。
スラ子を見ると、薄青い不定形は首を横に振った。
――マナがやったわけじゃないのか? なら、なんだ?
俺が口を開く前に、何かに気づいたようにすっと目を細めたスラ子が、こちらの光の届かない奥の暗がりに顔を向ける。
少し遅れて、気配に気づいたカーラとタイリンが武器を構えた。
ゆっくりと、なにかが近づいてくる。
最初、それは人のように見えた。だが、すぐに違うとわかる。
それは人型ではなく、人の形の基となったものだった。――精霊形。
そこにいたのは精霊だった。
長く伸びた黒髪は地面につく程で、その肢体はどこかあいまいだが、はっきりとしたボリュームを感じさせる。
背後の闇、そして周囲の岩土にも馴染むその存在は、
「ノーミデス……?」
目の前に姿を現したのは、地の六精霊の一つ。
土精霊のノーミデスだった。
ノーミデスがこの場所にいること自体は、別におかしなことじゃない。
精霊は世界中に遍在する存在だ。
特に、自分と関わりの深いところでは、彼らはそこを“管理”している。湖に水精霊、火山に火精霊というように、洞窟に土精霊がいても不思議じゃない。
実際、俺たちのダンジョンにも一体、土精霊が住んでいる。
もちろん、今、目の前に現れた土精霊はそのノーミデスとは別の個体だ。俺の知っているノーミデスとは似た雰囲気だが、容姿も含めて微妙に違っている。
というか――このノーミデス、なんだかおかしくないか?
なにが違うか、はっきりとは断定できない。
雰囲気が違う、というだけじゃない。
俺の知っている土精霊は三度の飯より寝るのが大好きで、スライム部屋で日がな一日スライムたちに囲まれて昼寝をしているような奴だが、俺が今、目の前の存在に覚えている感覚は、そういう性格とか、個体差とかそういうところじゃない。
ただ、なにかが決定的に“違う”。
その違和感の正体を探ろうと、俺がさらに注意深く意識を向けようとしたところで、
「――あ、」
土精霊が口を開いた。
それは初めてこちらの存在に気がついたような、ちょっと間の抜けた声だった。
ぽかんとこちらを見る。
その眼差しがふらふらと彷徨って、俺を見て、俺の後ろを見て。
そして、俺の隣を見たところで固まった。
「あ、あ、……ああっ」
土精霊の姿が震えだす。
それと同時、声もひきつるように震えていって――そして、すぐにそれは叫び声のようなものに変わった。
「ああああああああああああああ!」
走り出す。
一直線に、こちらへ向かって。
「カーラ、タイリン!」
俺が吠えるより先に、二人は動き始めていた。
地を這うように駆けたタイリンが、逆手に握った短剣で斬りつける。
駆け抜けざまの一撃は、土精霊の胴を鋭く切り裂いて、切り裂いただけで終わった。
土精霊の動きに変化はない。
自分が攻撃を受けたことさえ気づいていない様子で、まっすぐに駆けてくる。タイリンには目もくれない。
その前に、ミスリル銀の手甲を輝かせたカーラが立ちはだかった。
吶喊してくる相手の勢いに合わせるように腕を引いたカーラが、その顔面に拳を叩きつけようとしたその瞬間。
なにかひどく嫌な予感を覚えて、俺は叫んでいた。
「避けろ!」
ほとんど反射的に、カーラが横っ跳びに転がる。
直後。
土精霊が膨張した。
全身から、無数の錐のような触手が生えたかと思うと、一斉に殺到する。
土精霊から生えた触手の数はかぞえきれないほどで、狭い洞窟いっぱいに広がるようにこちらへと向かって来ている。
逃れる術はないように思われたその攻撃は、しかし、
「ふふー」
背後から響いた不定形の声に阻まれた。
まるで不可視の障壁があるかのように、全ての触手が空中でぴたりと制止する。
「――わたしのマスターに触らないでもらえます?」
水に濡れたような、穏やかな口調。
だが、その奥底に絶対的な気配を潜ませた言葉を聞いて、触手の先にいる土精霊がびくりと身体を震わせた。
「ああ、あああああ。……あああああああああああああああああああ!」
絶叫する。
なんだ、これは。錯乱してるのか。
精霊が?
――いや。そもそも、このノーミデスは本当に“精霊”なんだろうか。
「スラ子。あいつを大人しくさせられるか?」
「いいえ、マスター。……あの人は、もう駄目です」
なんだって?
俺は顔をしかめて、背後を振り返ろうとする。その視界に擦るように、土精霊がなにかを吐き出したのが見えた。
吐き出されたものが地面にぶつかり、飛び跳ねる。
固体とも液体ともつかないそれは、
「――スライム!?」
目から口から、そして耳から。
身体中のいたるところから、そのノーミデスらしき相手はスライム状のなにかを吐き出していた。
力尽きたように倒れ込む。その姿がまるで萎れるように溶けていく様を見て、全員が絶句した。
「……おい、なんだってんだ」
茫然と呟くツェツィーリャ。
それに答えられる相手はいない。
ただ一人、スラ子だけがゆっくりと足を進めて、ノーミデスらしき相手が溶けてしまったあたりに近づいていった。
目線を落とす。その視線の先にあるのは、ノーミデスから出て来たモノ。
吐き落とされたスライムがゆっくりと集合するようにしていって、元のサイズらしき大きさを取り戻す。
「……スラ子、下がれ」
マナとルヴェを自分の背後にかばいながら、俺は声をかけた。
目の前でなにが起きたかはわからないが、それが異常なことぐらい誰にでもわかる。
「はい、マスター。……大丈夫です。これは、戻ろうとするはずですから」
スラ子の言葉通り、大きさを取り戻したスライムは、ゆっくりと俺たちの反対側へ向かって這い始めていた。
「……逃げる、ってわけじゃないよな」
「はい」
ゆっくりと頷いたスラ子が、こちらに戻ってくる。
背後を見る。消えたスライムを追いかける眼差しは、ほとんど憎々しげだった。
「この先に、あれがいます」
「シルフィリアの言ってた、例の広い空間か」
「はい」
やたら一本道で味気ないダンジョンだと思ったが、どうやらメインはそこか。
頷いて、俺は他のメンバーの様子を窺う。
なにかとんでもないことが起きつつあることはわかっているのだろう。
全員が、緊張した表情だった。
特にマナはほとんど顔面蒼白で、それをルヴェが心配そうに見ている。不安そうな眼差しが俺を見た。
「シルフィリアの応答は?」
「ねえよ」
苛立った口調でツェツィーリャが応える。
「マスター、どうしますか?」
訊ねてきたカーラが、ちらとマナのほうに視線を向けた。
カーラの言いたいことはわかる。
ここから先は、マナとルヴェの二人を同行させるべきじゃないかもしれない。
危険だし、なにがあるかわからない。
だが、二人を近くの町に戻して、あるいは俺たちのダンジョンまで送り届けてから、またここまで戻ってくるような余裕があるだろうか。
……答えは多分、否だ。
それは攫われた少女のこともあるが、それ以上に――この洞窟で行われていることは、ひどく危険なことのように思えた。
きっと、間に合わなくなってしまう。
理屈ではなく、そういうふうに感じる。
その直感は、恐らく正しいはずだ。こちらをじっと見るスラ子の眼差しが、俺にそれを確信させた。
「スラ子。その場所までは近そうか?」
「もう、すぐそこだと思います」
よし、と俺は息を吐いて、
「とりあえず、そこまで行ってみよう。こっそり様子を窺って、逃げ出すかどうかはそこで決める」
正直、逃げ出す考えは欠片もなかったが、最悪の場合はカーラたちにマナのことを頼んで、ダンジョンに向かわせる可能性はある。
周囲から向けられる様々な視線に黙って頷く。
俺たちは、ゆっくりと洞窟のさらに奥へと足を向ける。
そして、目撃した。
そこは、小さな竜であれば横たわれるのではないかと思えるほどの大きな空洞だった。
その暗がりの奥深くで、なにか無数の気配が蠢いている。
俺は黙って“灯り”の魔法を生み出して、それを目の前の大穴にむかって放った。
白々とした光が周囲を照らし、重さを感じさせない速度で穴を落ちていく。
やがて、そこに浮かび上がったものに俺たちは声を失った。
大勢の魔物がいた。
翼があるもの、角があるもの。大きいものや小さいもの。精霊形に近しいものも、獣じみたものも。
様々な魔物たちが、まるで適当に投げ込まれた鍋の具材のように蠢いている。
――魔物の坩堝。
それらたくさんの魔物が鍋の具材なら、彼らを取り巻くものは、鍋の汁か。
そして、それこそがその場において一番の異様さを醸し出していた。
まるで、そこにいる全ての魔物たちを喰らいつくそうとしているかのように――あるいは、生み出そうとしているかのように。
その大きな空洞には、不定形の海がたゆたっていた。