十一話 ダンジョンスライム
洞窟、いやダンジョンは、緩やかに傾斜しつつ、視界の通らない奥の奥まで無作為に広がっているように見えた。
ダンジョンと呼ばれるものは、それが成立する経緯もあって、大半が人為的な代物だ。
うちの家のように天然洞窟を利用したケースも多いが、そういう場合だって普通はかなりの手が加えられている。拡張や補強。安全な運用にはそうしたものが必要になる。
だが、このダンジョンはどこか違った。
入って少しもしないうちにその奇妙さに気づいて、俺は顔をしかめた。
「――スライムが、作ってるのか」
この洞窟の内部は、すべてそこにいるスライムたちによってつくられていた。
正確には、スライムたちが近くの壁や地面の土壌を“食べる”ことで、空間が広げられているのだった。
「それって、おかしいんですか?」
「ああ。……普通、そういうことは起こらない」
カーラからの問いかけに頷く。
確かにスライムは超がつくほどの雑食性だ。
魔素が含まれているものならなんでも食べるから、土を食べるという行為自体は変じゃない。土にだって、魔素は含まれているのだから。
だが、普通は食べない。
なぜなら、土に含まれる魔素はごく微量で、それを食べるより先に他のものを食べるからだ。苔なり、動物の死骸なり。
本来、スライムはそういうところにこそ発生する。
スライムに限らず、生き物ってのはそういうものだろう。餌が豊富にある場所に生まれる。
しかし、この場所にはそれがない。
いや、ないわけじゃない。
土壌にだって微細な生物はいるはずだ。
だが、圧倒的にそれが不足しているから、スライムたちは土ごと食べて、それで結果的に空間がどんどん広がっているわけだ。
自然状態としてはひどく歪な在り方。
それが意味するものは、
「つまり、このスライムたちは自然に湧いたわけじゃないんですね」
「ああ、そうだ。誰かが意図的に配置したんだろうな」
「どうしてわかるの?」
不思議そうにマナが言う。
ふふ、と笑ったルヴェがなぜか胸を張って、
「マギはスライム博士だからね!」
「そうなんだ」
マナが目をぱちくりとする。
俺も胸を張った。
「そうだ。――俺の青春はスライムと共にあった。毎日、部屋にひきこもって観察日記をつけてたからな」
「……自慢することかよ」
ツェツィーリャがぼそりとつぶやく。
「お? なんだとこの野郎。エロスライム投げつけんぞ」
「飛びつきますよー」
お前が投げられるのかよ。
「……まあ、あれだ。随分と乱暴なやり方だな」
こういうのは一スライム愛好家として気に入らないが、それ以上に心配なのが、
「っていうか、大丈夫なのかこれ。スライムが食べただけなら、ほとんど補強なんてされてないんじゃないか?」
全員が心配そうに天井を見上げた。
「生き埋め、嫌だね」
ルヴェの呟きに重々しく頷く。
「どうしますか? マスター。わたしが氷を張って補強しちゃいます?」
スラ子の提案に、俺はうーんと腕を組んだ。
今の季節、特に地下ならそこまで暑くはならないだろう。氷の厚さにもよるだろうが、応急的な補強ならそれで十分にも思えたが、
「――いや、それはしなくていい」
ダンジョンがどれだけ深いのかもわからない。
魔法で氷を呼び出して、いったい何回それが必要になることか。
打ち切りタイプの魔法は、維持タイプの魔法より格段に魔力の消費は少ないとはいえ――以前のスラ子ならともかく、今のスラ子にそこまで無理はさせられなかった。
それに、
「お前には、いざって時のために力を残しておいてもらわないとな」
このダンジョンの先に待ち構えているだろう何者かと対峙する時、スラ子が万全でいてくれないと困る。奥にいるのはそういう相手だろうから。
「わかりましたっ」
「でも、どうしましょうか。このまま行けるだけ行ってみてもいいですけど……」
「そうだなぁ」
俺はそのあたりに蠢くスライムに気をつけながら、すぐそこの壁に近づいた。
手を触れてみる。
「……ぬめっとする」
うわあ、と女性陣が嫌そうな声をあげるのを背中に聞きながら、首をひねる。
「なんだろうな。こんな分泌物、普通は出さないもんだが」
周囲の壁を見ると、スライムが這った壁にはどこも同じ痕跡が残っていた。
這った場所とそうでない場所では明らかに異なる。灯りを近づけてみるとその差はより鮮明だった。
けっこう時間が経っていそうな這跡に触ると、あきらかに感触さえ違う。
水分がなくなったその部分は、元の土壌よりしっかりとしたものになっていて、
「硬質化?」
まさか、このスライムたちが這うことが補強作用になってるのか?
内部に芯を通すのではなく、表面を覆うだけだからどれくらいの効果があるのかはわからない。雪山の表面を氷で覆うようなイメージだろうか。
いずれにしても、補強用途に使われるタイプのスライムなんて聞いたことがない。つまりは、
「――新種か!」
俺はぐっと拳を握り込んだ。
隣に来ていたスラ子が呆れたように、
「そんなに嬉しそうに目を輝かせないでください、マスター」
「いや、でもこれは凄いぞ。一匹、連れて帰ろう。俺のスライムコレクションがまた増える!」
「はいはい、わかりました。それで、どうしますか?」
淡泊な反応を不満に思いながら、俺は後ろを振り返って、
「ツェツィーリャ。シルなら、この先にどれくらいの奥行きがあるかわからないか?」
ちらとツェツィーリャが目線を向けると、そこに微風をともなって小さな風精霊が姿を現す。
シルフィリアは、はじめて精霊を見るのか、大きく目を見開いているマナをあえて見ないようにしながら、
「けっこう、深いヨ。基本は一本道だけど、途中でかなり広い空間があるネ。魔物っぽいのがたくさんいる」
「このスライムたちとは別に?」
「うん。もっと大きいヨ」
ふむ、と俺は腕を組んで、
「……空気は? お前が感じ取れるってことは、深くまで行っても呼吸には問題ないってことか?」
「さあネ。アタシは今、大気の揺れを感じてるだけだから、それがどんなものかまではわかんナイ。でも、よくない空気になったりしたら教えてあげるヨ」
「助かる。よろしく頼む」
ふん、と鼻を鳴らしてシルフィリアは姿を消した。
その動作も、やはりどこか逃げるようだった。
「――よし。多分、こうだ」
全員に向かって、俺は自分の考えを披露した。
「このダンジョンは、元々あった地下部分を拡張したものだと思う。このスライムたちが最初から食べて広げたにしては、形状が意図的すぎる。無作為に食べ散らかしただけなら、もっと歪な放射状になるはずだからな」
「なるほど」
「元になったのが砦があった頃につくられてた地下部分なのか、それともこのスライムたちを放ったやつが自分で拵えたのかはわからない。……シルフィリアが言ってた広い空間ってのが気になるな。砦の地下に作られるって言ったら貯蔵庫とかだろうが、そんなに深さとか広さを求めるかって話だしな。後から手を加えられたんだろう。多分、地下の貯蔵庫か、どこかに繋がる緊急用の脱出路みたいなものを、その誰かがダンジョンに仕立てあげたんじゃないか」
「なら、あのスライムは?」
「さあな。這った跡に残る分泌液が固まるみたいだから、補強しようとして放ったのかもしれない。ついでに、周囲もいくらか食い散らかしてくれたら、よりそれっぽくなるってもんだろ? 一本道のダンジョンなんてちょっとアレだしな」
「見栄えの話かよ」
俺は肩をすくめて、
「冗談だよ。……いや、案外、冗談じゃないかもな。ともかく、元々の部分があった上に、いくらか補強もされてるなら、このまま進んでも大丈夫だと思う」
もちろん、と続ける。
「あんまり派手な魔法は使えない。大規模破壊魔法なんてもってのほかだ。――いいな、ルヴェ」
ぎくりとルヴェが肩を揺らした。
「な、なんであたしに言うわけ?」
「爆発魔法なんか撃たれたら困るからだよ。こんな地下でそんなもんぶっ放されたら、補強してようがしてまいが、全員が土のなかだ。絶対に使ってくれるなよ。いいな?」
「……わかってるわよぅ」
多少、不満そうに頷いてくるルヴェに頷き返していると、不満そうにツェツィーリャが聞いてくる。
「それでも落盤が起きたらどうすんだ?」
「――その時は、ツェツィーリャ。お前の全力射で天井をぶち抜いてもらう」
ほとんど全員がぎょっとした。
「地上まで穴を開けるってことですか!?」
「ああ。この砦が集落から離れてくれてて助かったな。落盤があったら、スラ子が全員を防御。そのあいだに、ツェツィーリャとシルフィリアが天井を抜いて、そこから脱出する。どうだ、出来るか?」
ツェツィーリャはつまらなそうに天井を見上げて、
「さあな。距離、ってか深さにもよるだろ。……まあ、天井が崩れてくるってこたあ、そこが脆くなってるってことだろうから、シルがいればイケるとは思うがな」
「シルフィリアの力が及ばなくて全力が出せない。なんてことはありえるか?」
「ありえねえな」
断言した。
「そこに大気がある限り、シルの権能は発揮される。ダメな時は、そりゃ自分たちの周りに空気がないってことだろ。そんときゃ、オレも手前らもとっくにお陀仏だ」
「わかった。じゃあ、用意はしておいてくれ。もちろん、いざって時だけどな」
緊張気味の年少組に笑いかけてから、タイリンを見る。
「タイリン。やっぱり、気配消しはできないか?」
元暗殺者の少女はちらとマナを見てから、頭を振った。
「……無理。そいつだけ、浮く」
やっぱりマナには効かないのか。
恐らくは、それこそが“十番目”としての権能なのだろう。あるいはその一端。
それが意味するところについてもっと知りたかったが、今はそんなことをしている場合じゃない。
「じゃあ、スライムたちの邪魔をしないよう、こっそり奥に進もう」
無駄な戦闘をする必要はない。
きりがない。
それに、スライムたち、可愛いし。
連れて帰りたいし。
だが、そんな俺の希望はスラ子の言葉によってあっさり否定された。
「――いえ、マスター。どうやらその必要はなさそうです」
顔をあげる。
「……なるほど」
俺は顔をしかめた。
スライムは、魔素が含まれているものならなんでも食べる。
このあたりのスライムたちが壁や地面を食べているのは、それ以外に魔素を多く含むものがないからだ。
そこに、魔素が芳醇に含まれている“獲物”が現れたらどうなる?
当然、関心は一気にそちらに向かうだろう。
ひ、とマナが後ずさる。
それを庇うようにルヴェが立ち、その前にカーラとタイリンが進み出た。
頬をゆがめたツェツィーリャが矢を番え、スラ子はじっと静かにそれらを見据えている。
やれやれと肩をすくめて、俺は頭をかいた。
「確かに。こっそりってわけにはいかないらしいな」
まるでこちらに対してはっきりとした“悪意”を持つかのように、無数のスライムたちが俺たちにむかって這ってきていた。