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十話 スライムという存在

 目の前に広がる巨大な暗がりと、そのなかで蠢く無数の不定形。


 ――スライム。


 スライムは、とても一般的な魔物だ。

 マナがあるところには大抵その姿を見かけることができる。そして、この世界で「マナがあるところ」というのは、すなわち世界中のことだ。


 湿気た洞窟なんかを特に好む、というのは事実だが、それはスライムが、というよりそうした生活環境こそが原始生物にとって好ましいというほうが正しい。

 もちろん、捕食者なんかの問題もそこには関わってくるわけだが。


 マナという神秘に満ちたこの世界における、原初の生命体。

 それがスライムだ。


 その愛くるしさについては今さら言うまでもないが、多種多様な生物にあふれているこの世界でもっとも一般的な魔物であることも間違いない。

 だが、ひどく誤解されがちなことがある。


 スライムは弱い魔物じゃない。

 その危険度が、決して高くないというだけだ。


 そもそも、強い弱いというのがひどく相対的な問題でもあるわけだが――竜なんていう明らかにぶっ飛んだ連中は置いておくとして――その強弱と危険度、あるいは脅威度は必ずしも相関しない。相関しないとはいわないが、絶対ではない。

 それについて考えようとした場合、「人間を魔物として見た場合、どうか」というのがわかりやすいだろう。


 人間というのは個体で見ればものすごく弱い。間違いなく最弱の部類だ。

 鋭い牙や角もなければ翼もなく、岩のような頑丈さや山のような巨体を持つわけでもなく、非力で鈍足。かといって魔法が達者なわけでもない。


 だが、人間を弱いと考えることはあんまりない。

 何故なら、この世界で今現在、もっとも繁栄している精霊類は間違いなく人間種族だからだ。


 つまり、個体として強いことと、種族としての強さは意味が違う。

 それじゃあ人間は種族としてどこが強いのか。


 よくその数や環境適応性、手先の器用さを理由にあげられることが多いが、人間より多産の魔物は大勢いるし、器用な種族もある。

 前者はたとえばゴブリンで、後者の代表はドワーフなんかだが、しかし、人間のほうが彼らより優勢な状態にある。局地的にはともかく、大陸全体としてはそうだ。


 ゴブリンやドワーフにはない、人間だけの特異性。

 それがいったいなんなのか、ずばり断定できるような頭を俺は持ち合わせてはいないが、なにも思い浮かばないものがないわけじゃない。


 それは、“貨幣”だ。


 人間が好んで用い、精霊やエルフが毛嫌い、いくらかの偶然や必然によってここ最近、他の魔物たちにまで流通が急速に拡大しつつある、その存在。

 あるいは、それこそが人間という種族を象徴するものかもしれなかった。


 まあ、それはともかく。

 人間は個体としてはめっぽう弱く、種族としてはけっこう強い生き物だ。


 一方で、スライムは個体として見ればかなり強い。

 打撃は効かないし、一度とりこまれたらそこから抜け出すのは厄介だ。だが、弱点ははっきりしているし、それになにより――敵意がない。


 それこそが、スライムの脅威度が低いとされている一番の理由だった。


 一般的に、スライムには知性がないものだと考えられている。

 精霊を頂点においた生物カテゴリーである「精霊類」に含まれないのも、そのためだ。


 スライムは積極的に攻撃しようという意図をもたない。相手を罠にかけることもない。足も遅いから、大抵の場合は逃げられる。

 そういう魔物は「脅威度が高い」とはならない。


 人間の集落を見つけ、そこにある戦力を見極めたうえで自分たちより弱小だと嬉々として攻め込んでくるゴブリンが、単体としてはそう人間と変わらない強さでしかないのに、“強い脅威度がある敵対種族”として警戒される理由がこれだ。


 仮に「知性をもつスライム」なんてものがこの世界に存在したら、どうなるか――その回答こそが、今も俺の隣でふよふよと薄青い髪をなびかせる相手だった。


 俺がつくった、スライム核の魔法生体。

 スラ子は、シィのアシストつきとはいえ、この世界を創造した種族の一体である水精霊を捕食し、その力を取り込んだ。


 その後も、他の精霊を取り込み、途中からは精霊を取り込む必要すらなくなって、ついにはこの世界の規格外である“竜”とさえ張り合ってみせた。

 世界の全てを食べつくすほどの圧倒的な脅威となって――その自分自身を使って、この世界にやがて訪れる終末を破綻させた“不定形”。


 スラ子を一般的なスライムとして見るのはちょっと無理がある。


 だが、スラ子はスライムだ。

 少なくとも、スライムだった。


 もしも、この世界中にあるスライムに全て、スラ子のような知性が備わったなら。

 それは恐らく、この世界の破滅を意味するだろう。


 脅威度だって天元突破だ。

 スラ子みたいなのが「ふふー」なんて笑いながらたくさん攻めてきて、それに立ち向かえる種族がいるとは思えない。


 竜? あんなものは最初から論外だ。

 自分たちが生まれた世界が狭すぎる、脆すぎる。だからって、さっさと自分たちで別の「世界」をつくってそっちに移住するような連中、この世界の範疇に含められても困る。



「スライムだなー」


 目の前に広がる光景に、俺はあらためてその感想を漏らした。


「スライムですねー」


 スラ子が応える。


 見たままのことしか言っていない俺たちを不安そうにマナが見ていて、その隣では、大きな瞳をさらに目一杯にしたルヴェが、


「なに、この洞窟。なんで昔の砦の跡にこんなものが出来てるの!?」

「洞窟。っていうか、ダンジョンだな」


 俺は苦々しく呻いた。


「なにが違うんだ?」


 タイリンがきょとんとして聞いてくる。


「そうだなあ。ルクレティア曰く、ダンジョンとは奥に向かうべき理由が定められているもの、とかだったか?」


 カーラが頷いた。


「そう言ってました。それが、“ダンジョン”と“魔物の巣穴”の違いだって」


 そこが魔物の巣穴であれば、外から埋めてしまえばいい。

 どこかから水をひくとか、大量の油でも流し込んで火を放り投げてもいいだろうし、そうでなくとも入り口を封鎖してしまえば当座の危機は回避できる。


 だが、ダンジョンはその奥に足を運ばなければならない。

 何故なら、そこで、宝や新発見、つまりは『報酬』を手に入れることこそが目的なのだから。それこそが、つまりはダンジョンという存在の意義だ。


 この場合、その報酬は「攫われた女の子」。

 ジョルカというらしいその相手がこの奥にいるだろう、という認識で見てしまえば、この暗がりはただの「洞窟」でも「魔物の巣穴」でもなく、たちまちに「ダンジョン」となってしまう。

 外から爆破して一件落着、みたいな手は使えない。


「そもそも、この洞窟が昨日の連中と関わりあるって証拠はあんのかよ」


 ツェツィーリャが疑わしそうに言った。


 まったくその通りだ。

 この洞窟の見た目だけでは、その証拠はない。


 集落の近くにこんなものがある時点で怪しさ大爆発ではあるが、だからってそれだけで断定する根拠にはならない。

 むしろ、昨日、町を襲った魔物のなかに少なくない数の大型鳥類がいたことを考えれば、そいつらがこんな穴ぐらに巣をつくるだろうか、と疑問になる。この中に、よほど広大な空間があるとかならまだしも。


 だが。


 ツェツィーリャの疑問に答えず、俺はスラ子に視線をおくる。

 スラ子がこっくりと頷いてきた。


「昨日、町にいたやつの気配がある。そうだな、スラ子」

「……はい」

「昨日?」

「ツェツィーリャ、お前の矢が効かなかった魔物のことだよ」


 銀髪エルフの目がすっと細められる。


 俺は息を吐いて、


「そして、どうやらあいつは俺たちが探していた相手でもあるみたいだ」

「それって――」


 はっとしたカーラが、あわててその視線を子どもたちに向けて口をつぐむ。

 マナとルヴェ、そしてタイリンもきょとんとしている。


 三人にはこちらの事情なんてほとんど話していないから仕方ない。

 今の時点で、俺やスラ子のことについて全てを話すべきかどうか。一瞬だけ考えて、すぐに決断した。――やめておこう。


「多分、ここにいるのが昨日の連中ってことは間違いない。問題は、じゃあどうするか。だが」


 カーラがこくりと頷いて、


「罠ですよね。絶対に」

「だな。本当なら、一旦はギルドに持ち帰って、他の協力者も募って、様子を見ながらちょっとずつ攻略していきたいところだが――」


 ぎゅ、と唇を噛み締めるマナの頭に手をおいて、俺は息を吐く。


「攫われた女の子のことがあるからな。そう悠長なことも言ってられない。せいぜい、慎重に進むしかないな」

「おっけー。それでいこ!」


 ぱしん、っと勢いよく手を打ち合わせるルヴェに、手をあげる。


「ああ、待ってくれ。入る前に、確認しておくことがある」

「確認?」

「ああ。優先順位の話だ」


 俺は頷いて、


「俺たちがこのダンジョンに入る目的は、攫われた女の子の確認と、救出だ。けど、それ以上に自分たちの安全が大前提だ。俺たちの誰かに危機が及びそうなら、その時点で即刻、退避する」


 集団としての行動規則。最低限の決まり事。

 カーラやタイリン、それにツェツィーリャなんかは一緒にいる時間も長いから、こんなことは言うまでもない。


 俺が今さらそれを口にしているのは、そうではない二人がいるからだった。


「――たとえ、あの子を見捨てることになっても、だ」


 マナの目が大きく見開かれる。


「そんな!」

「悪いが、俺はなんでもなんかできない。この場にいる全員がそうだ。だから、無理なら撤退する。無茶やって誰かを死なせるとか、全滅だなんてそんな間抜けは御免だ。マナ、そういうものだってことをわかっておけ。俺が逃げろと言ったら、逃げろ。それが約束できないなら――」

「……なら?」


 探るような上目遣いに、俺はあっさりと答える。


「その時は、このまま中に入らないで、俺たちの家に帰るだけだな。お前が泣こうが喚こうが、無理やりにでも連れて帰る」


 マナが、ぎゅっと拳を握り込んだ。

 ルヴェを見て、さらにきつく唇を噛み込んでから、目線を落とす。


「……わかった。約束する」

「マナ、こっちを見て」


 ルヴェがマナの顔を両側から挟み込んで、無理やりのほうに自分に向けさせた。


「あたしの目を見て、約束して。――逃げるのよ? いい?」


 マナの表情がはっとした。

 その顔が苦しそうに歪められて、そして、


「――わかってる」


 震え声で答える。

 表情は、ほとんど泣きそうになっていた。


「……ここにゃ、手前らの“目的”もいやがるんだろ。それについてはどうすんだ。優先順位ってやつはよ」


 ツェツィーリに訊ねられて、肩をすくめる。


「そっちについては一番、最後でいい。大前提が俺たち全員の身の安全。次に、女の子。“目的”のことはその後だ。余裕があったらでいい。……それでいいな?」


 念の為に確認すると、目線を向けられたスラ子はにこりと微笑んだ。


「――はい。問題ありません、マスター」


 よし、と俺は息を吐いて、


「なら、入り口前にちょっとした拠点をつくっといて、荷物をまとめて、それから中に入ろう。どれだけ深いのかわかったもんじゃないが……半日で終わるくらいで済めばいいんだけどな」



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