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八話 大人の頼みごとと子どもの願いごと

 町の人間がやって来たのは、思った以上に遅い時間だった。


 外はたっぷりと日が暮れて、町のあちこちでは夜通しの番をするための焚火が灯されている。

 マナたちが風呂に入っているあいだに訪問があるかと思ったが、実際にそれがあったのは夕飯が終わってからだった。


 炊き出しで用意されたパンとスープを部屋のなかに持ち運んで、食べ終わってもまだ来ない。

 そのうちにマナやタイリンの表情がとろんとしてきたので、先にベッドで休ませようとしているところに、ようやく扉が叩かれた。


 姿を見せたのは渋面をした壮年くらいの男で、この町の長だという。


 長にしては若いが、長=老人と考えるのも偏見だろう。

 けっこうがっしりとした身体つきで、これも偏見以外のなにものでもないが、長というより猟師かなにかのほうが似合っている気がした。


 同時に、男はこの町にあるギルドの責任者でもあるらしい。

 このくらいの集落では、ほとんどの場合、町長がギルドの責任者を兼ねることは多い。


 この国の特徴でもある「ギルド」は近年、巨大化や分業化といった方向でその意味を変化させてきている。

 最近では、とある金髪の令嬢が色々と画策していることもあって、都市間ギルドの連携が図られたりもしているが、これは文字通り“都市”と呼ばれるような大規模集落の話だった。


 農村部などの大半の集落では、いまだに古い在り方のほうが圧倒的に多い。

 ギルドは何でも屋で、重要な自衛戦力だが、そこに所属する冒険者は集落に溶け込まない――溶け込めない、半ば隔離された厄介者でしかない。


「まずは今日、手助けしてもらった件に礼を言いたい。助かった」


 長が言った。

 声には疲労の度合いが強い。


 昼間にあんな襲撃があったのだから仕方ないだろう。

 全滅こそ免れたものの、町の被害は大きい。


 俺は黙って頭を下げた。


 長の視線がベッドに流れた。

 そこに並んで眠りこけている三人を見て、


「……子どもを連れて旅をしているのか」

「ええ、まあ。ベッドを使わせてもらって、感謝してます」

「いや、いい。この程度のもてなししか出来ないで、申し訳ないくらいだ。――座らせてもらっていいか」


 俺は長に近くの椅子をすすめて、その対面に自分の椅子を運んで腰を下ろした。

 カーラはベッドで子どもたちの様子を見てくれていて、ツェツィーリャは窓際の壁に背中を預けている。スラ子は姿を隠していた。


「……それで。ああ、俺が来た用件は気づいているんだろう? 昼間、攫われた子どものことだが、」

「はい」

「――正直、諦めている」

「……はい」

「町がこんな状態だ。またいつ魔物がやってくるかわからないのに、山狩りなど出来ないからな。子を奪われた両親は無念だろうが、堪えてもらうしかない。助けに行こうにも、人手がない」

「ギルドの冒険者は?」

「あんなもの、」


 長の顔に、はっきりと侮蔑の色が浮かんだ。


「物の役に立つものか。冒険者? はッ、昼間、連中がなにをしていたと思う? 逃げる算段だよ。お前たちが駆けつけてくれなかったなら、とっくに逃げ出していただろうさ。所詮、あいつらは余所者だ。町を命がけで守るつもりなどない」


 深い怒りを滲ませて吐き捨てる相手の言葉を聞きながら、まあそうだろうな、と俺は心のなかで呟いていた。


 命懸けで町を守ろうとする冒険者なんてまずいない。


 理由は簡単。自分の命は一つで、町は他にもたくさんあるからだ。

 それなら、どちらを大事にするかは自ずと定まる。


 町によほどの愛着があれば命を懸ける連中だっているかもしれないが、この町とギルドの関係は良くなさそうだ。

 普段から冷遇しておいて、いざという時だけ一方的に犠牲を求めるな――町の冒険者からすれば、そういう話にもなるだろう。


 まあ、そういういくらでもありふれた話はともかくとして、


「それで、俺たちに話というのは?」


 男はゆっくりと頷いて、


「――町の護衛を頼みたい」


 言った。


「護衛?」


 攫われた女の子の救出、捜索ではなくて?


「ああ、護衛だ。つまりは、この町を守ってもらいたい。我々に雇われて欲しいんだ」

「……なるほど」


 攫われた少女の、半ば絶望視される生還を望むより、集落全体の安全を優先する。

 これはこれで、長としては正しい判断なのかもしれない。


 視界の隅で、ベッドの誰かが息を呑むような気配を感じながら、俺は頭をかいて、


「質問があります」

「なんだ」

「どうして俺たちに?」

「お前たちが強いからだ」


 長は即答した。


「冒険者なんていうのは、信用ならん。だが、全員がそうじゃないことも知っている。数があっても意味がない。ならず者を百人雇うより、有能で信頼できる相手を一人、雇った方がいい」


 俺は別に冒険者ってわけじゃないんだけどな、と思いながら、


「俺たちが有能で信頼できると思う根拠は? 昼間の戦闘だけでそう判断したんですか?」


 訊ねると、町長は黙って懐に手をいれた。


 何重にも布で覆われた包みを取り出して、それを丁寧な手つきで剥がしていく。

 分厚く、毎日の仕事でひびわれた長の手のひらが繊細にその包みを開き、そこから現れたものを見た途端、俺は自分の顔が渋面になるのがはっきりとわかった。


 金貨だった。


 不自然なほどに真新しい光沢の、信じられないくらい緻密な意匠の金貨。

 翼を広げた黄金竜の優美な姿が彫られている。


 町長が恐る恐るといった手つきで金貨をひっくり返してみせる。


 そこには、若い男の顔があった。

 なんということもない、冴えない風貌。別に自分をけなす趣味はないが、実際にそうなんだから仕方ない。


 そこに彫られているのは俺だった。


 黄金竜ストロフライが起こした“魔王災”。

 それによって世界中にもたらされた、完全無壊の純金貨。


 この世界の在り様を現在進行形で根底から覆し、常識という常識を破壊し尽くそうとしている、その一枚を見せられて、俺は深々とため息をついた。


 ストロフライのやることに、今さらなにを言ったところで仕方ない。

 竜というのはそういう生き物で、彼女はそのなかでもとびっきりな相手なのだから。


 ――せめて、と切に思う。


 せめて、この金貨に載っている間抜け面を、もう少し見栄えが良くしてくれたならよかったのに。

 そうしたら、これは自分じゃないと誤魔化すことだってできただろうし、そうでなくとも、自画像を見せられるたびにちょっぴり残念な気持ちになる俺の心だけは癒してくれただろう。


「……この町には、この一枚しかない。あの日、突然、耳になにかの言葉が響いてきた時には、町中の人間がパニックになったもんだ。その後、これが空から降ってきた。最初はなんの冗談かと思ったよ」


 俺は頭を抱えた。言葉が続く。


「町に寄った商人の噂で、色々と話を聞いた。どれも突拍子のないものばかりだったがな。町中に響いたあの大声は世界中に響いていて、なんでもこの金貨に載ってる黄金竜のもので、もう片面に写っている男はその想い人だとかな。もちろん、誰も信じやしなかったさ。竜が人間を伴侶にするだなんて、お伽話でだって笑われる」


 ふう、と深い息が吐かれて、


「今でも、あんまり信じられやしないんだが。まあ、目の前に同じ顔をしている男がいるってのは、認めないわけにはいかんだろう」


 黙って顔をあげる。


 町長はしみじみとこちらを見つめ、それから金貨に目線を落とした。

 苦笑を浮かべて、


「この金貨を買い取りたい、近くで拾わなかったかって商人も何人も来たもんだが。魔除け代わりになるんじゃないかと思って、とっておいて正解だったな」

「魔物に襲われたじゃないですか」

「だが、お前たちが現れた」


 長はまっすぐにこちらを見据えて、頭を下げた。


「……頼む。もちろん、ずっとなどとは言わない。町の人間が安心できるまで、この町に留まってもらえないか」

「……考えさせてください」


 相手の後頭部を見るようにしながら、俺は答えた。


 長が顔を上げる。

 表情は苦渋に満ちていた。


「こちらにも事情があります。あなた方が不安な気持ちはわかりますが、即答はできません」

「……わかった。くれぐれも、よく考えてみて欲しい」


 縋るような眼差しで長は言った。


「もちろん礼はする。こんな田舎町だ。できることは限られているかもしれないが、……どうかよろしく頼む」


 もう一度、深々と頭を下げてから長は部屋を出て行った。


 ばたん、と力なく閉じられた扉を眺めていると、


「――あの子、助けないの?」


 ベッドからの声。

 マナが起き上がって、こちらを見つめていた。非難するような眼差し。


「そんなこと言ってないだろ」


 俺は肩をすくめて、


「けど、町長が言ってるのも間違っちゃいない。俺たちが女の子を助けに行って、帰ってきたらこの町が無くなってた、なんてなったら笑い話にもならないからな」


 もちろん、マナがいなければこの町が襲われる可能性は少ないだろう。

 だが、決してゼロじゃない。


 まったく偶然に魔物が襲ってくる可能性だってあるのだから。

 もちろん、そんなことを言ってしまえば、どんなことだって起こり得るだろうが。


 ……ひどく嫌な感じだった。


 どこかの誰かに主導権をとられている気がする。

 誰に?と考えて、すぐに脳裏に浮かんだのは、今日の昼間の襲撃で、空に浮かんでいた魔物らしき相手の姿だ。


 しばらく物思いに沈んでいた俺は、


「――お金なの?」


 マナの声で我に返った。


 きょとんとして、


「……なんだって?」

「お金が欲しいから、悩んでるの? そんなの、」

「マナ」


 俺がなにか言う前に、隣から硬い声がそれを遮って、


「いいから、あんたはもう寝なさい」

「でも……!」

「怒るよ」


 ぐっと言葉を呑み込んで、不貞腐れたように勢いよくベッドに横になるマナ。


 カーラが困ったような表情でこちらを見ていた。

 俺は頭をかいて、


「風呂、行ってくるよ。みんなは先に休んでてくれ」

「わかりました」



 風呂から戻ると、部屋のなかは寝静まっていた。


 カーラもベッドに横になっていて、ツェツィーリャは壁際に腰を下ろして頭を俯かせている。

 机の上にはもうすぐ消えそうな蝋燭が揺れていて、その前でスラ子が番をしてくれていた。


「おかえりなさい」

「ああ」


 頷いて、椅子に座る。


 いいお湯だった。

 スラ子のおかげで、旅で水に困ることはほとんどないが、わざわざお湯にするのは手間がかかるから、ほとんど水浴びで済ませることが多い。


 お風呂というのはやっぱり、それとは気分が違う。

 今日はよく眠れそうだ。


 全身を包む気怠さに身を任せて、ぼんやりしていると、


「――怒った?」


 ベッドから声にそちらを見ると、ルヴェが起き上がっている。


 俺は黙って肩をすくめた。


 ルヴェは静かにベッドから降りて、こちらに歩いてくる。

 髪を下ろしていて、そのせいか少しスラ子に似た雰囲気になっていた。


 そのスラ子はいつの間にか姿を消していて、俺に近くにやってきたルヴェが、


「ごめん。マナ、自分のせいで攫われたかもって聞いたから。焦ってるんだと思う」

「ああ。気持ちはわかるよ、大丈夫」


 町長が言うことが間違ってはいないと理屈でわかっても、だからって納得なんかできないだろう。


 しかも、マナは子どもだ。

 見た目はせいぜい十歳で、中身は……どうなんだろう。


「あれくらいじゃ怒ったりしないさ。これでも、いい歳だからな」

「マギ、二十歳よりも上なんだっけ? もう大人だもんね」


 ルヴェは言って、そっと息を吐いた。

 机の上に手を伸ばす。そこにはルヴェが――今、目の前にいるルヴェではない、大人だったルヴェが俺宛てに送ってきた手紙が置いてあった。


「大人、か」


 ルヴェが呟く。

 その声に、わずかな苦みがまざっていた。


「……自分の字って、なんか変な感じ。自分だけど、自分じゃないみたい」

「そんなもんかな」

「うん。それに、文章も。――正直、ちょっとショックだった」


 ショック?


「うん。この手紙を書いたあたし、多分、すっごく疲れてるよね。切羽詰まってる、ってマギが言ってたけど、ホントにそう。追い詰められてるみたい」


 ……確かに、それは俺も思った。


 この文面で助けを求めるルヴェは、ひどく弱気になっていた。

 彼女のそんなところを俺は今まで見たこともなかったから、それでよほど不味い状況なのだろうと思って慌てて迎えにいくことに決めたのだった。


 たった一か月前のルヴェ。


 その彼女は、もういない。

 彼女は十二歳に戻ってしまった。


「――あたし、間違えたのかなぁ」


 途方にくれたような声でルヴェが言った。


「どこかで、なにか間違えちゃったのかな。それで、やり直したかったのかな。だからこんなことになってるのかな」


 不安と、悔恨と、なにかの恐れがないまぜになったような声。

 俺は目の前の相手をじっと見つめて、


「――やり直してなんかないだろ」


 言った。


 こちらを見る不安そうな眼差しに、


「やり直してなんかない。俺が今ここにいるのは、ルヴェが俺を呼んだからだ。ルヴェはやり直してなんかない。……続けてるんだ」


 たとえ記憶が失くなってしまっていても。

 無くなったりはしていない。


 ルヴェは困ったように笑って、


「でもあたし、なにも覚えてないよ。ううん、知らないんだ。アカデミーのことも、それからのことも。きっと、マギやアラーネ先生とたくさん、色んなことあったはずなのに」

「俺は覚えてる。だから、大丈夫だ」

「なにそれ」


 泣きそうな顔でルヴェは笑った。


 俺は相手の頭に手を置いて、黙って撫でた。

 シィのふわふわした髪や、スラ子の柔らかいそれとも違う感触。


「なによ」


 恥ずかしそうにルヴェが頬を膨らませる。

 上目遣いでこちらを睨むようにして、


「子ども扱いする気?」

「そりゃするさ。大人だからな」


 俺は肩をすくめた。



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