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2016/02/19


飽きた\(^o^)/


飽きたんだからしょうがない\(^o^)/


なんだろうヴァミノスとの戦いの作業感


面白いより


「疲れるナァ…」


の感想しか出て来ないこの徒労感


やっぱ、やってて


『こんな事してるより、もっと別の事してた方がマシなんちゃうか?』


と思う様なシステムはダメだよな…


クリアする意義


特殊司令官が手に入ります → サービス終了なんで無意味

資源補正の勲章が入ります → サービス終了なんで無意味

歯ごたえのある敵NPCと戦えます → だるい


この、やる意義と見返りの完全なミスマッチが凄い


これがサービスが終了するという事か…


何をする事の全ても無意味という閉塞感


特にブラゲ-は「やり続ける事に意味がある」様に設計されるので

「サービスが終わってしまう」という「やっても意味が無い」の状況が来れば

システム内にある「やる意義の誘導性」が全て【無意味】に引っ繰り返る

この反転性


まぁ、だからこそ、ここに【人生の終わりのシミュレーション】が

垣間見えてしまうわけなのだが


例えば、人を発憤させる言葉に


【継続は力なり】


という言葉があるが、

人生が終わる最後に貯め込んだ継続での【力】は全て失われる


【継続は力なり】


は人生が継続し続ける間には意味のある強い言葉だが

【人生の最後】を迎える時、【高めた力】が何の意味も無くなる時

(まぁそれよりも高めた力が衰えていき、人生の最高性能から

 どんどん老化で【力が衰えていく】というフェイズが先に入るのだが)


その言葉はどれだけの意味があるのだろう?


ここで考えなければならないのは【力の質】になる


力を一生一代のみの固有力として醸成する事に意味を置くのなら

人生の終わりは継続した力の消失であり

その言葉には何の訓示性も無くなってしまう


しかし【自己消失】をしたとしても【醸成した力】が他に【継続】されるのなら


【継続は力なり】


とは伝統として何代も積み重ねていく【力】としての意義が持てる


それは小説を書くという作業の中、

あるいは【創作】をする作業の全ての中にある

【自己消失をしたとしても伝搬するモノ】

を知っていれば、【継続する力は一世一代のモノ】ではない

と容易に分かる事だろう


子供を作る事だって、まぁ考えようによればそれだ


【一世一代を越えて継続するモノ】として考えれば

生命の子作りほど、分かり易い継続性もない


問題なのは自分の子供を遺す事が自己保存になっているのかは

些か疑問が残ると言う事ではあるが…


子供を遺したって、子供は子供で『自我』に目覚めて

『固有自己』になるのだから『自己保存』とは言い難い


遺伝視的情報の半分転写をするだけ程度か


問題なのは【半分転写】という事は、転写が何度も繰り返されると

【原型維持】をしなくなるという事なのだが…


それこそ日記なり小説なりの方がまだ『自己保存』の作業になっている

ただし、膨大な量の自己保存情報が生成されると

情報飽和で個々情報が埋没し、情報の海が生成情報を無意味に変えてしまう


【情報の生存競争】


がIT技術が高度化した現代では、より加速しているという事が起きているが



ともあれ、スタンスだ。


【継続は力なり】


の言葉を


一世一代の【花火】の様なモノにしたいのか?

【自己消失】をした後も継続される【ナニカ】にしたいのか?


その生き方のスタンスの違いで【継続は力なり】の言葉の

有効半径も変わってくるだろう


そこら辺、どうしたいのかは個々の意見の問題で

他人にどうしろ、こうしろという話じゃない


ともあれ、そんな大問題の【疑似シミュレーション】が

こんなブラゲの終わりで見える、あるいは考えれるのだから

それは「ラッキー」と前向きに考えるべきなのだが


ブラゲなど

【一世一代の花火】

の様なモノでありサービスエンドと共に

【継続は力なり】の言葉は完全にその有効性を失う


だからこそやればやるほど

『自分の小説書いてた方が、まだマシじゃね?』

と空しい作業を続ければ続ける程、感じるのだ


まぁ三月末まではまだ時間がある


『このゲーム何でこんなに面白くないんやろ?』


という事を解析していくのは、ボチボチとやっていこう

ともかくヴァミノスは50艦隊を突破した当たりで飽きた\(^o^)/


ちょっと機動戦士ガンダムOOを再視聴したら


「あれれ!?ww

 リアルタイムで見てた時とは、全く違う感想で見れるww」


という事で、思わずマラソンしてしまった


ガンダムOO > ブラゲのイベント


だったわけである

いやいやしかし、作品作りというのは【これ】があるからやはり怖い


『一番最初に見た時』

『改めて見直す時』


では、感想が全く変わってしまうという【アレ】


まー、これはリアルタイムで見てる時の

毎週のその瞬間の「ヲイヲイちょっとww」

と、全体を通して見る時の連続視聴による

「ああ、この時に、ここに伏線を配置してるんか…」

というリアルタイムで見た時には、

「何の意味のあるシーンなのか、よくわかんねぇシーン」

が、連続視聴(あるいは最後までのオチを知っている)すると

「ああ、ここに布石を打ってたんか…」

と構成構造で作られたシーンだと分かるのとの

そのギャップが…


作品の怖さは「リアルタイムで見える状況だけで判断してはならない」

であり、1回見て、時を置いて、もう1回見る


【時を置いての二度見】


にこそ【潜在的な力が眠っている】という恐ろしさか…


ともあれ、『第2期』は『アレ』な所はいっぱいあって

時を置いてさえ「ツッコミ所満載」ではあったが

『第1期』に比べたら、連続視聴の勢いが増した作であり

魅入って引き込む力は『第1期』よりはあったと思う


まぁそれでも『映画版の最後のオチ』を知らなければ

「なんやねんそれはwww」

的な作品であり

「終わっている様で第2期でさえ未完状態」なのであるが


ただまぁ『第2期』の為に『第1期』で伏線を張りまくった

と考えるのなら遠大な計画で物語を作っていた事になるが

『第2期』を最初から想定して書いていた場合


『第1期のこのシーンって、本当に有効シーンになってっか?』


と疑問になる所も多々ある。

なんだろう。


『色んなモノを詰め込みたくて

 全部詰め込んだ性で1セクションで表現したい事が

 全セクションで舌足らずになっている』


という感想か

ぶっちゃけ登場人物が多すぎる

作品の尺が決まって、放映時間が決まっているのに

登場人物を次から次へと出せば

1人あたりの表現時間はどんどん縮まって

個性の表現不足になるというアレか


作品を作る時や、TRPGとかで大キャンペーンを作ろうとする時

いつも作中自己考察のなかでジレンマに陥る


「世界の多人数性の表現不足」


それを払拭したくて頭を抱えるアレだ


「主人公と敵」の僅かな小数の物語で、世界という巨大なモノの趨勢が決まる

と言うリアリズムの無さに頭を抱えて

世界広がりを作りたくなって、物語の規模を小さくするか

それとも世界の多様性表現の為に、多くの人間を出してシーンを作るか


結局

「勇者と大魔王」

で話が出来てしまうイージーさを複雑化したくなるアレだ


しかし、やはり多くの作品が「キャラの大量投入」によって

キャラ管理不能になり、個々表現の稀釈化が起きているのを見ると


「主人公達とラスボスとの箱庭世界」


は、ある程度、受け入れないとダメという事か


悔しくもあるが、小数というか

ワンマンアーミーならぬワンマンクリエイターで

作るしかない状態なら登場人物の人数制限は、やむなしやな…


どんなに世界規模の話を作っても…


……あれ、これ、何の日記だったっけ?



まぁゲームをしているからといって

そのゲームに心の底から集中しているかどうかは別の話で

こんな事を考えながら、ゲームしている奴もいるって事で

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