07
お風呂を上がった私は、感動のあまりティシールが読書をしていることも気にせず彼女に飛び付いた。
「て、ティシールさんっ!」
突然身体を揺すられたティシールは怪訝そうに本から顔を上げる。
「なんだ、どうした」
「これっ、このシャンプーとリンスが……」
髪を洗っていたときの使い心地は少し髪に馴染ませやすいくらいで、特に変わったものではなかった。
しかし、リンスを髪にしばらく馴染ませてから流すと、明らかにシャンプー後と前とで明らかに手触りが変わっていた、まるで別人の髪のように。
リンスを流し終えてからはなかなかこのことを信じることができず、湯船に再び入ってからも髪ばかり触って、他のことは考えられなかった。
浴室を出て、髪を乾かすとそれはより分かりやすくなる。
備え付けてあった風魔道具で少し時間をかけて髪を乾かすと、髪が……夢にまで見たサラサラヘアーになっていた。
手櫛を入れてみること数十回、いまだにこれが自分の髪だと思うことができない。それくらい劇的な変化だ。あの値段にも頷ける、というかあれ以上の値段でも驚きはしない。
「このシャンプーとリンス、どうなってるんですか?」
「どうなってるって、シャンプーとリンスだろ」
そんなはずはない、私としては丁寧に毎日ケアしてきてなお、少しごわつきのあった妙に強情な私の髪の毛が、たった一度の洗髪でここまでになるなんて!
「ただ単にミリエットの髪質に合ってただけだろ。それにずっと効果は続かないし」
そうか……これをやめたらまた元の毛に戻るのか。さすがにこんな高級品をなくなるたびに買い足すとか無理だしなぁ。あれ?まさか私、ティシールに嵌められた?
「まあ気に入ったならいい。無くなったら言ってくれ、またあげる」
「本当ですか!?」
こんな高級品を、なくなるたびにくれるの?
でも、タダほど高いものはない。何か裏があるんじゃないか……
「そういうことだ、この手を離してくれ」
あ、忘れてた。慌てて手を離すと、ティシールは再び読書を始める。ほんとにどうでもよさそうにしている。善意というべきか、本当にあげただけのつもりらしい。
さすがにこれ以上追求するのはティシールに失礼だろうか。今さらだけど彼女は私の雇い主だ、一番信用しなくてはならない人だろう。
読書に夢中だし、邪魔するのは悪いな。
とはいえ、することがない。ティシールみたいに本でも読みたいところだが、本棚に並んでいる本をちらりと見る限り、専門書っぽいものしか置いていない。
明日に備えて寝ようかな……ん?寝るってどこで?そういえば説明してくれるらしいことを言ってたのに、あまりなにも教えてもらっていないような……
じっとティシールを見詰めてみる。気づく気配なし。
そうだ、台所を掃除しよう。
さっきある程度は掃除したんだけど、まだ壁とか床とかにシミが残ってるし、あの元魔窟はあれだけの掃除では足りない。今は一般的な台所を汚くしたくらい、元は絶対にいい台所だったはずなのに、何がどうなればああなる。
とりあえずティシールが読書を終えるまで掃除をしよう。
「……まだ掃除してるのか?」
壁についたシミを落とそうと夢中になって濡れた雑巾で擦っていると、不意に後ろから声をかけられた。
だってこの汚れなかなか頑固なんですもん。一部に至っては壁紙ごと張り替えてもいいくらい。
「私はもう寝るつもりだが、ミリエットはどうする?」
どうやら読書が終わったらしい、寝るならそろそろ私も寝たい。カウンター以外の肉体労働が思った以上に多かった。
「あの、私はどこで寝ればいいんですか?」
そこでティシールははっと思い出したように私を見た。
「私はソファーでも構わない。ベッドがひとつあるからミリエットはそっちで……」
「いえ、私がソファーで寝ます!」
私は急いでティシールの言葉を遮る。さすがにそれは図々しいにも程があります。
「別に私はどっちでも寝れるから」
「私が寝れません!お願いですからティシールさんはベッドで寝てください」
「……あっ、ああ。そうさせてもらう」
なぜ断るのか理解できないとでも言いたげな表情で歩き去るティシール、そうです、お願いですから普通にしていてください。
ティシールがいなくなったことを確認して、私はソファーにごろりと横になる。長さはちょうど身長とぴったりなので窮屈ではない。
横になったら落ち着いたのか、私はすぐに眠くなり、眠りに落ちた。
馴染ませるのってリンスじゃなくてコンディショナーか……?