02
ショックのあまり、扉の方へ顔を向ける気力もない。
代わりに女性が扉の方を見る。
「なんだ、悪魔書屋。開店は昼からだぞ」
不機嫌な声で女性は来客に話しかける。
「……君はいい加減僕のことを名前で呼びたまえ。僕にはエルヴァン・ザールという名前があるんだから。ところでその子は?お客か?」
茶化したような口調で入店早々女性に話しかける。
「いや、従業員希望だ」
「へぇ、従業員希望ね……」
そしてちらりと私の顔を覗き込む男性、目を合わせないのは失礼かなと思い私は顔をあげた。
男性、エルヴァンは真っ黒い黒髪をオールバックにした赤目の青年で、日の下に出ているのか疑いたくなるほど色白い。髪と同じく夏だというのに真っ黒なタキシードを着て、シルクハットをかぶっている。
エルヴァンは私と目が合うと、赤目をきらきらさせて女性に詰め寄った。
「ティシール、君はたしか弟子を取る気はないと言っていたね。ならば彼女を僕のところで引き取ろう」
「本当ですか!?」
その申し出に飛び付いた私はエルヴァンの方を見る。
「もちろんだ。こんな性悪魔術師の弟子になんてなる必要はない。僕が君の面倒を見よう。名前は?」
「ミリエット・ランジールです」
先程までの茶化したしゃべり方ではなくなった。エルヴァンの剣幕に押されて答えると、
「おい、お前その子になにする気だ?」
女性、ティシールはビシッと指を指しながらエルヴァンを睨む。なんで?弟子を取るつもりがないならいいんじゃないの?
「あの、どういうことですか?」
「そいつはどうしようもないロリコンだ。ただの変態」
「失礼な、僕はただ女性が好きなだけです。特に少女が。女性が好きなのはどの男も同じでしょう」
憤慨しながら言い返すエルヴァン、出会ってわずかな間に知りたくもないエルヴァンの性癖を知ってしまった。
思わず一歩エルヴァンから離れる。
「あっ、ミリエットさんに変な誤解をされたらどうしてくれるんですか!以前も言いましたが、僕はちょっと若い女の子が好きなだけです、少女なら見境なくみたいな言い方は止めていただきたい!」
「いや、実際のところはそうだろう。とにかく、彼女をお前に渡したらとんでもないことになりそうだ……ったく、もういい、ウチで引き取る」
「いいんですか!?」
私はティシールに嬉しさのあまり物理的に飛び付いた。エルヴァンが地味にこっちに近付いてきてて怖かったというのもある。
「こら、離れろ。引き取るっても一時的にだ。どっか勤め口が見つかるまで、家事と店番の手伝いをしてくれるなら、寝床と食事については保証してやる」
「寝床と食事については?なんだ、君は彼女をタダ働きさせるだけさせるつもりか。私は店の店番を手伝ってくれる女の子には衣食住だけじゃない、給料だって与えるぞ」
だからどうだ?みたいな目で私を見つめるエルヴァン。嫌だって、それならタダでもティシールのところで働くよ。
とんでもない性癖を知ってて誰がエルヴァンのもとで働きたがるんだ。
「それについてはミリエットが自分で決める。で、どうする?この変態のとこで働きたいなら別に止めはしないけど」
「ティシールさんのところがいいです!」
もちろん即答した。残業そうな顔を隠そうともしないエルヴァンは、なにかを吹っ切るように首を振って言う。
「どうせ向かいの店です、ミリエットさんにはいつでも会えますか。私は修復の依頼に来たんです」
「む、向かいっ!?」
向かいの店?確かにさっきのティシールは悪魔書屋とか言ってたけど、まさか向かいの店なの?
「そんなに驚くな。相手にしなけりゃいいだけのことだろ……で、今回は何だ?」
「おや、営業は昼からでは?」
再び茶化したような口調に戻ったエルヴァンはそう言いながら1冊の怪しげな表紙の本をティシールに差し出す。
悪魔書屋ということは、これは悪魔書?
悪魔書というのはその名の通り、悪魔が封じられた書物で、封じられた悪魔を喚び出して使役する。もっとも悪魔に認められなければ使役はおろか、喚び出すこともできないのだが。
まあ私は悪魔書について詳しくは知らないので、何も言えないのだけど。
でもそこである疑問が浮かび、私はティシールに訊ねた。
「なぜティシールさんが悪魔書の修復を依頼されるんですか?悪魔書の専門はこのへ……エルヴァンさんでは」
「……今変態と言いかけませんでしたか?あなたのせいですよ」
じろりとティシールを睨むエルヴァン。
「事実を言ったまでだ……で、なんで私が悪魔書の修復を依頼されるかだっけ。悪魔書ってのはもとを辿れば魔道具に行き着く。悪魔召喚は昔、魔方陣でやってたのは知ってるだろ?それと同じだ」
「魔をすべて魔道式化し、それをまとめて1冊の本にしたものが悪魔書だ。これによって悪魔をいつでもどこでもすぐに喚び出せるようになった。どうだい?悪魔書はいわば魔道式術を利用した、一種の魔道具とも言えるだろう。違いは使うには魔力が必要という所だけ。だから魔道具屋の彼女にいつも修復を依頼している。僕がするよりも上手く修復してくれるからね。僕はティシールの性根は認めていないが、技術だけは確かだ」
だけは、というところを妙に強調しながら一人うなずくエルヴァンはおもむろに懐中時計を取り出した。
「そろそろ正午ですね。用事は済んだので失礼しましょう。ああ、ミリエットさん、僕の店は向かいですから、いつでも遊びに来てください」
誰が行くか!と思ったけどそれは口に出さないでおく。
エルヴァンが出ていくと同時に正午の鐘が鳴り、ティシールは仕事か、と小さく呟いた。