第九話 他者との溝
野党第一党の民進党では、朝から政策会議が開かれていた。参加者の大半が、改正(犯人の要求は除いての)には依存の無いということだった。
「改正に賛成というなら民進党は民進党で、独自に法案を作成・提出するべきだ」
政策会長の鵜野圭介が勢いよく切り出す。
「今こそ民自党と対決する好機。この改正法案で、我ら民進党がいかに国民への政策を考えているかを見せ付けるのだ」
賛成派はこの意見に同意したが、改正反対派は
「反対を表明することで、国民にアピールすべき」
と言葉を荒げる。その争いを、党首の大西敦志は冷ややかに見ていた。
野党第一党として、政権与党に法案で対決しようとするのは分かる。与党に反対することで意見を国民に示すのも分かる。どちらも政権を狙う党としては当然の行いであろう。それは敦志にも理解できる。
(しかし、違う)
人質や犯人に対することは一言も出ていない。
「我が民進党としては、犯人に人質解放を呼びかけてみてはどうでしょう。メディアを通じて犯人を説得するのです」
会議が始まって、初めて敦志が出した意見である。
「やはり君は子供のことが心配かね」
話し合いの最中に水を差すな、と言わんばかりに鵜野が不機嫌になった。
(所詮当事者でなければ気が楽ということか)
敦志は大きくため息をついた。鵜野はそれを黙殺し、自説を話し続けた。
「できれば与野党の隔たりなく互いに協力して、人質を無事に解放させ、この事件を解決したい。少年法の扱いについても協力してもらいたい」
今朝早く景正が電話で敦志に話した内容である。
敦志も同感であった。
(一番重要なのは人質の命ではないのか、人質を取って政府を脅す犯人たちへの対応ではないのか)
しかし、敦志の目の前にいる人たちはそのことに気づいているのか、いないのか、与野党の対決ばかりを強調している。
そこへ、犯人から二回目の電話が入ったということと、その内容が伝えられた。
「これで少年法を改正させるわけにはいかなくなったな」
反対派の議員たちは、笑顔で鵜野に話しかける。
鵜野は全く悔しそうな顔をしない。開き直って、
「法律を改正させるかどうかの問題ではない。要は民自党とどう考え方が違いを国民にアピールするかだ」
そうだ、そうだ、と賛成派が囃し立てる。
これが今までと同じ国会ならば、政権交代を狙う党としては当然の行いであろう。
(しかし、なにもかも違う……)
と敦志は再びため息をついた。
犯人――隼人――の要求を受けて民自党の上杉景正総裁は、同じ与党の公民党の、朝倉治夫を官邸に呼んだ。
「体の具合はどうですか」
握手をしながら景正が、朝倉党首に話しかける。ともに孫娘をさらわれている。
「布団に入るたびに孫の顔が頭に浮かんで……、どうも寝不足です」
そう答える治夫の笑顔に疲れが見える。
「犯人は改正案を公表してほしいとのことですが……」
私の体のことはいいです、と治夫から本題に入った。
「犯人は公表までの期限をしていないのでしょうか?」
「どうもそのようですな」
しばらく二人に無言の時間が訪れる。
木枯らしに叩きつけられた窓が、二人をせかすように激しく音を立てる。
「私は最悪の場合、犯人の要求どおりの改正もやむなしと思っています」
治夫が声を押し殺すようにして口を開いた。
「私もそう思います」
景正の声も低い。
「なにが起こっても人質の命を最優先にすべきだと思います。間違っていますか?」
治夫が激しく問いかけた。窓がさらに激しく音を立てる。
「間違っていません」
景正が穏やかに答える。
「法律を改正しないうちに犯人が捕まるよう努力しましょう」
二人が両手を握り締め互いに協力を約束したときには風は収まっていた。
治夫が去った後、景正は窓の外を眺めていた。民自党の党本部が見える。
(公民党は党内の結束が強いと聞いているが……)
民自党は内部の争いが激しい。政権与党となってから五十年、何人もの総理大臣が、他党より内部の敵によって倒されてきた。景正自身も内部の敵の一人となり、畠山を倒して総理となった。
今回の事件を聞いて、民自党内の議員の大半が事件を解決することよりも、この事件を利用して自身の栄達を考える――つまり景正の後の総理を狙って動いているものが多い。
同じ連立のパートナーとして公民党の結束の強さを羨ましく思う彼であったが、同時にこれを機にその結束が崩れやしないかと不安に思った。不幸なことに景正その不安は当ってしまう。風はまた激しく吹き始めていた。
「最悪の場合改正もやむなしとはどういうことですか!」
治夫が党本部に戻って間もなく、景正の会談の内容を聞いた真柄健太を代表とする若手議員のグループが彼の部屋に飛び込んできた。
「事件はまだ起きたばかりだというのに早くも改正を口にするとは!」
「我が党は、人権を護る党ではないですか」
「最近の公民党は民自党の言いなりになっています!」
治夫は席に勢いなく座ったまま、彼らの言葉に反応を示さなかった。
「いくらお孫さんを人質に取られたとはいえ……、民自党と対等に遣り合おうとした連立結成時の党首はどこにいったのですか!」
真柄が治夫の机を激しく叩く、やっと治夫が首を上げた。
「確かに我が党は人権を護る党だ」
声は抑えているが、はっきりと力強く話す。
「今、私の孫を含めて六人の子供の人権が侵されようとしている」
「日本の人口から見てたった六人だ、しかしその六人を救えないでなにがわが公民党だろうか、なにが政治家だろうか」
言葉を出すうちに、治夫の体に勢いが感じられてくる。
「たとえ私の人質が私の孫ではなくても同じことを言ったと思うよ」
真柄たちは彼の勢いに押されて、部屋を去った。しかし彼らは去り際になんとも割り切れない表情を見せた。
ドアが閉まる音と同時に、治夫の勢いは再び消えた。そして自分に問いかけた。
(本当に人質が他人であっても同じことが言えたか?)
彼はその問いかけに悩み続けることになる。
もう一つの『人権を護る』をウリにする党――社労党では、公民党以上に対立が激しくなっていた。
「永井先生!!」
陽子が幹事長室の扉を激しく開けた。中には幹事長の永井他、数人の取り巻き議員がいた。
「党の会議に出席してください」
これより三十分前、党の政策を決める会議が始まっていたが、永井ら彼を支持する議員たちがボイコットをしたため、参加者は全体の半数を切っていた。
「どうせ話す内容は少年法の改正案作成だろ」
永井が面倒くさそうに陽子を睨む。
「そうです、我が党の独自の改正案を作成するのです」
「断る」
永井が視線をはずした。取り巻き議員はそれを見てニヤニヤしている。
「我が党は人権を護る党だ、少年の人権を侵す法改正など賛成できん。犯人の要求を丸呑みするなど言語道断」
「その通りです」
取り巻きが次々に相槌を入れる。
「人質の生命は護らないのですか?」
陽子が切り札と言うべき言葉を出した。しかし、
「君のその言葉は政治家としての発言かね」
鋭く永井に切り返された。陽子は答えに詰まる。
「今、君は母親として発言したのだろう」
図星であった。陽子の様子を見た取り巻きたちがさらにいやらしくにやけ出す。
「人間の欲望と本能は無くすことは出来ない。だが、人間全てが欲望と本能のままに生きたら争いとなる。その欲望と本能を抑えているから人間は人間なのだ。他の動物と違った存在になれたのだ」
それまでそっぽを向いていた永井だったが、陽子を真正面に座っている。
「その欲望と本能を抑えるのを助けるために、自らの欲望と本能を抑えながらも人間が楽しく安心に暮らせるための社会を作るのが政治家ではないかね」
「それが永井先生の政治家理念であることは存じております。私も素晴らしいものだと思っています」
陽子がおどおどと応える。
「だからこそ政治家はなおさら欲望と本能を抑えなければならないのだ、家族も同様だ!政治家になった以上ある程度の行動の制約と意見に対する非難を自身も家族も受ける。それでも政治家としての判断をしなければならない、それが政治家だ。その覚悟が出来ずに政治家などやるんじゃない!!」
永井の激しい怒りに、陽子はもちろん周りの取り巻きも圧倒された。陽子は力なく退室した。その背中に
「さすがは先生」
「やはり女性には先生の崇高な理念など理解できないのですな」
と言った永井への追従と彼女への非難が浴びせられた。
どの党もさらわれた者の家族と他者との溝は深い。




