第六話 安すぎた夕食
国会初日は何事も無く終わった。誰もこの事件に触れたくはないのか議題は今年度の予算案についてだった。しかし水面下では、改正案についての動きが始まっていた。答弁を聞かずに近くの議員に話しかける、携帯電話で外部と連絡を取る議員が多く見られた。そして閉会のベルが鳴るや、皆逃げるように議場より姿を消したのである。
社労党の党首、安藤陽子はその中でも落ち着いているほうだった。赤絨毯を駆け抜ける他の議員を避けるように端を歩いていた彼女は、一人の社労党議員に呼び止められた。
「このたびはどうも……」
頭を下げる議員に彼女も会釈をした。彼女は党首であるゆえに一人娘をさらわれていた。
「永井先生からの伝言です」
永井先生――永井秀雄は社労党の幹事長である。声をかけた議員は彼の取り巻きだ。
「娘さんをさらわれた君には悪いが、我が党は人権を守る党だ。だから我が党は犯人の要求に屈することは絶対に許されない。という事です」
「先生はそう言っていましたか」
次の言葉からはこの議員のオリジナルな発言である。
「政治家である以上、君も娘さんにも覚悟はあるはずだ」
陽子が何か言おうとしたが彼はそれを制し、自分が永井であるかのように語り始めた。
「おそらく民自党と、民進党は改正に動くだろう。去年から一部の議員が改正の必要性を訴えていたからな、その中で我が党が反対を貫けば……。次の選挙で人権派の票が取れる」
「そちらの関心事はこの時でも選挙のことですか」
陽子は(永井のように思えるが、実はこの議員に)呆れたように言う。
「この国は議員の数が多いほうが理想を掴める。そういうことだ。君も娘さんも、そのためには……」
「犠牲になってもらう」と言おうとしたが、さすがに気まずくなったのか、「わかるだろう」と去っていった。陽子には十分言わんとしていることが理解できた。
「各派閥の幹部たちを官邸に集めてくれ」
景正は集まった記者団にも目もくれずに千坂に命じると、
「聞いたとおりだ」
と記者に一言告げて車に乗った。
官邸での会議が始まったのは午後七時ごろである。夕食時ということもあり、景正は自分のお金で弁当を用意した。並みの幕の内弁当で、値段は千円といったところか。
「なんだ、これか近くの料亭で酒でも飲みながらと思っていたのだがな、君は節約家だね。」
冗談のつもりなのだろうか、前総理大臣の畠山義輝がニヤニヤしながら席に座る。景正はわずかに口元をゆるませただけだった。
(こんなときに料亭もくそもあったものか!)
彼が弁当を用意したのは、そんな人たちに対するせめてもの心づくしであったといえよう。
やがて他の議員も着席し、会議が始まった。
「しかし、困ったことになった」
誰かがありきたりのセリフをはく。
「君、まさか犯人の要求を呑むつもりではないだろうね」
割り箸で指された景正は冷静に答える。
「毛頭、そのつもりはございません」
「しかし、無碍に断ってしまうのはどうでしょう。この際少年法を改正しては」
直江の提案に一同は騒ぎ出した。
「それでは犯人の要求に応じるということではないか! そんなことをしたら諸外国の笑いものだ」
畠山は口の中の飯を気にせずに叫ぶ。
「何も犯人の要求に従うというわけではありません」
「なんだって?」
「犯人が示した四つの要求を全て改正案から省きます。そうすれば我々が望んだとおりの法案となる。改正の動きを見せれば犯人は人質に手を出さないでしょう。一つの法律が成立するには時間がかかる。犯人もそれを理解して長い時間を与えてくれた。もちろん、その間に事件を解決させるのです」
「すでに全国規模で捜査体制を敷き、事件解決に向けて全力を尽くしています」
直江に続いて景正が話す。他の議員が質問をする。
「もし事件が解決できなかったらどうする? 君の言うとおり犯人の要求を改正案に入れないとはいえ犯人に屈したことにならないかね」
「それは大丈夫でしょう、昨年少年法改正の話が出たとき、一部の議員が独自の改正案を作成したと聞いております。事件解決後このことを公表して、我が党が前から改正に賛成したことをアピールするのです」
直江の言葉にその議員は安心したが、
「そんなことでは諸外国になめられる! 断固たる姿勢だ、『改正』の『か』の字も出してはならぬ」
また畠山が飯を飛ばす。
「私は官房長官の意見に賛成です」
幹事長の安田誠が口を開き全員の顔を見回す。
畠山は安田の顔を恨めしそうに見ていたが、やがて黙々と弁当をつつき、発言することは無かった。
安田は若手議員で結成された派閥「維新会」の実力者であり、上杉内閣成立に大きく貢献した人物である。
その安田が賛成を表明したことにより、景正を支える議員たちは皆同意した。畠山支持の議員たちは彼と同じく沈黙した。中には同意しようとした途端、畠山の顔を見るなりあわてて恐縮するものもいた。
(結局は数の多いものが勝ちか……)
景正・畠山それぞれが同時に同じ事を思った。
事件の話はそれで終わり、あとはただの食事会となったが、さあ解散というときに、ある長老議員が
「いっそのこと君は責任を取って退陣したらどうだ。新しい内閣が出来れば犯人も拍子抜けするだろう」
と、名案でも思いついたという自信満々の笑みで景正の肩を叩いた。景正は口元をゆるませることは無く、冷静に
「仮にあなたが総理になったら、あなたの家族がさらわれるでしょうね」
長老の顔が引きつり、彼はあたふたと部屋を出て行った。“あの”犯人たちなら出来ないことではないだろう。
景正は長老の背中を見送りながら、虚しさを感じていた。長老は景正を支持する側の人間である。支持者でも平気でそういうことを言う。
(これが我が党の伝統だ……)
「幹事長、官邸はどうでした?」
安田が自身の事務所へと向かう車の中で、一人の若手議員と話している。
「『犯人の要求には従わないが少年法は改正する』さすがは官房長官だ。犯人と内閣、どちらの顔も立てるつもりでいる」
「それでは我々の思い通り少年法は改正となりますか?」
直江の言った「改正案を作った一部の若手議員」は彼らのことである。しかし安田の指示で極秘裏に進められたため、党内ですら「若手の誰か」という認識で、事実を知るものは少ない。しかし直江はそれが誰であるか分かっていた。安田が「さすがは官房長官」と言った理由の一つである。
「いや、あくまでも犯人が捕まるまでの時間稼ぎだろう。改正すれば犯人の脅しに屈したことになる。日本の警察は馬鹿ではない。三月三十一日までに事件は解決するだろう」
「上杉総理も官房長官も慎重派ですからね……」
議員は窓の外を見た。ビルの合間に官邸が僅かながら見える。
「おそらく総理と官房長官はこの事件の後辞任するだろう」
えっ? と議員が安田を見る。
「この国始まって以来の大事件だ。解決しても責任は取らされる。その後任は誰になると思う?」
「やはり総理を支持する側の人間ですか?」
「畠山前総理や長老たちはこの国より自分たちのことしか考えないやつらだ。あの総理がそんな人間や自分に反対する者に総理を任せるわけがないだろう。だから今のうちに積極的に総理を支持する側にまわれば……」
安田は通り過ぎる国会議事堂を見つめている。
「すると、幹事長は……!」
「総理も官房長官も優秀な人だ。しかし、残念ながら今回で表舞台から姿を消す。二人の政策を維新会が受け継ぎ、やがて我々の理想とする政策を達成させるのだ」
安田は議事堂が車窓の景色から消えるまで、それを視線から離さなかった。
「直江君、ご苦労だった」
官邸の廊下で、景正は直江に頭を下げた。
「何を言うか、俺とお前の仲ではないか」
「しかし、これで私だけではなく、君まで長老たちに目をつけられてしまう……」
初当選から三十五年、二人は年も選挙区も近いことから互いに打ち解けあった仲である。
総理に就任した時、景正が各派閥を歩き回り、直江の官房長官就任をお願いしたのも、
(彼ならば自分についてきてくれる)
という信頼と友情あってものであり、事実かれはその信頼に応えている。
「なあ、直江……」
景正がつぶやきに似た声を出す。
「私はこの事件が終わったら退陣だろうな……」
直江は否定をしない。ほぼ確定事項だと思っている。
「今はその話をするな、長老たちに付け込まれる。事件が解決したらゆっくりと話を聞こうじゃないか」
初めて弱気な姿勢を見せる景正に励ます直江だったが、おそらく自分も責任を取らされるだろうと思った。いや、彼と一緒に取ろうと思った。
「さて、記者たちが会見場でニュースに飢えている。ありきたりな内容だが、我慢してもらおうか」
と、直江は歩きを速めた。
景正は直江を見ながら心の中で詫びた。そして執務室に入ると椅子に座り目を閉じた。僅かな余暇を睡眠に使いたかった。




