第二十八話 幸せの責任
山荘での最後の晩餐、岡部夫婦がすでに身柄を拘束されているため料理は浩子たちが自分で作ることになった。メニューは自然にカレーと決まった。
人質になった少年少女と里美は、里美が優しく接していたため、山荘で過ごすうちに互いに打ち解けあい、その日の夕食も笑顔をかわしながら話していたが、いつも無愛想に食べていた隼人はこの夕食には姿を現さなかった。
里美と浩子、明美、直子の四人は調理場に残り、後片付けをしていた。
「……今まで、ごめんね。こんなひどい目に遭わせて……」
不意に里美が三人に謝った。
「そんな……、謝られても……。こういうの変かもしれないけど最初は怖かったけど、私はそれなりに楽しかったですよ」
と浩子が慌てて里美を慰めた。お世辞の部分もあるが、本当の部分もある。
「そうですよ、確かに悪いことはしたと思うけど、里美さんは私たちにはすごく良くしてくれたじゃないですか。小さい子達だって最初は怯えていたけど、本当に楽しそうに里美さんと遊んでいました……」
皿を拭きながら、直子が続いた。彼女は小さい妹が二人いたため、山荘の中でも小さい子供たちの相手をしていた。子供たちと遊ぶ里美の姿も何度か見ていた。
「ありがとう……」
里美は涙をこらえながら三人を見た。
「あたしがこう言うのもなんだけどさ、これからあなたたちにはいろんな事が起こると思う。ひょっとしたらこれ以上の事もあるかもしれない。でも……、頑張って生きてね。……あたしたちの分まで」
最後のほうは聞こえないようにかなり小声で言ったのだが、三人にははっきりと聞こえていた。
「なぜそんなことを言うのですか?里美さんだって……」
「……あたしはもう終わっているのよ。二年前に、お姉ちゃんがあんなひどい殺され方をして……、お姉ちゃんであんな目に遭うなら私はこの世で生きていてもろくな目に合わない、絶対に幸せになれない、そう思ったのよ」
明美が里美の発言に反論する。
「隼人さんはどうなんですか! 隼人さんは里美さんの彼氏でしょう? 里美さんが隼人さんのことを話すときはすごく幸せそうな顔していたじゃないですか? それでも幸せじゃなかったんですか」
「あの人とはね……」
と里美は三人に背をむけて、皿を棚に片付けながら呟いた。
「たぶん……、二人とも同時にお姉ちゃんを失ったというショックを受けてからじゃないかなと思う。同じ悲しみを共有しているもの同士傷を舐めあったってやつ? 私はそうしているうちに本当にあの人といて幸せだなぁって、思ってきてさ。だから今回あの人がこの事件の計画を建てたときに、彼女としてどこまでも付いて行こうと思ったんだけど……」
里美は棚の扉を力なく閉める。
「でもあの人は違ったみたい。私といても幸せじゃなかったみたい。たぶんおねえちゃんに良く似た人、この計画の仲間。ただ一緒にいると落ち着くからとしか見てなかったみたい。昨日ね、そう気づかされたんだ。そしたら、今まであの人の彼女で幸せだった時間が嘘のように思えて……、結局私もあの人と同じ、二年前に終わっていたんだな、って。」
本当に強く生きてね。と、悲しく言う里美。浩子はこのままではいけないと、思ったことを口に出した。
「でも……、里美さんは隼人さんといて本当に幸せだったんでしょ? 隼人さんがいたから……、里美さんは幸せに生きて来たんでしょ。お姉さんの死の悲しみにつぶされなかったんでしょ」
「そうね……、でも昨日それが全て嘘だったって気づいた」
里美が悲しく笑いながら振り向き、次の皿を拭こうと流し台へと変なリズムをつけながら歩く。
「嘘じゃない、幸せだったから今の里美さんがいるんでしょ。それは事実じゃないですか。隼人さんがいたから里美さんは今まで幸せに生きてこられた。そして今の里美さんがいる。隼人さんもきっとそうだと思います。隼人さんはそれに気づいていないだけ、ならば隼人さんもこうして生きているはずがない!」
そう言える根拠は何もないが、浩子はとにかく断言しなくては、と思った。
「気づいてないだけか……、私が彼をなんとかできるのだろうか……」
「できます、きっとできます!」
と、里美を後押しする浩子。しかし里美はあることに気づくと乾いた笑い声を出した。
「……、馬鹿みたい。今さらそんなこと気づいて、気づかせてどうするんだろう。今を認める?犯罪者の私を? 犯罪者である自分を認めてどうするのよ……。私たちはそんな人間が苦しむような法律を作るために、こんなことをしたと言うのに……」
力なく里美は座り込んだ。笑い声がだんだん涙声へと変わっていく。
「それは違います」
明美が里美の肩をそっと優しく叩いた。
「私のお父さんが言っていました。『刑務所に入ったからってその人の人生が終わったわけではないって、確かに犯した犯罪は許されないけど……、その人の将来は可能な限り許されるようにしたい』って、犯罪者の中には、里美さんのように追い詰められてしょうがなくやってしまった犯罪者がいる。そういう人たちに人生が終わったと思ってほしくない。だから私のお父さんは弁護士をしているのです。……最もお父さんが助けた犯罪者の中に、私でも許せないような人間もいるのも事実です……。それでも、そんな人でも人生を良い方向へ変えることができるのだろうかとお父さんはいつも悩んでいます……」
「とにかく、里美さんはまだ終わってないんですよ。いえ、終わっちゃいけないんです。私たちがなんとか罪が軽くなるように証言しますから……。里美さんも、隼人さんも、これで終わりにしないで下さい!」
明美が頬を涙で濡らす。里美がそれをそっと撫でた。
「……、なんでかなぁ……。私、今まであなたのお父さんたちのこと、ほんと大っ嫌いで恨んでいたのになぁ……。その言葉を聞いただけで……」
里美が何度撫でても明美の頬は涙に濡れる。里美も涙で頬を濡らし、服の襟には涙のしみができている。
「里美さん、ここは私たちがやりますんで、隼人さんのところへ行ってください」
浩子がロビーへの扉を開ける。
「……そうね……。彼も終わらせたくないもの。」
三人に見送られ、鼻をすすりながら自ら気合を入れてロビーへと出た里美だったが、調理場からの直子の声にさっと顔を青ざめた。
「あれー? 包丁が一つ足りない……。いつもは三本あるのに二本しかない。」
「それは本当なの?」
嫌な予感がする。里美はたまらず調理場へと戻った。
「はい、私はおじさんたちの料理の手伝いをいつもしていたので間違いありません」
「……まさか!」
里美の嫌な予感が三人にも伝わった。四人は蛇口が勢いよく水が流れているのも気にせず走り出した。
隼人は正座をし、包丁を手に持ちながら考え事をしている。時にはそれを首の辺りに持って行ったり、腹を叩いてみたり。
「隼人!!」
飛び込んできた里美たちに「ああ」と彼は声をかけるだけだった。
「あんた一体何をしているの?」
「隼人さん!?」
隼人の異様な行動に驚く四人に対し隼人は
「自分の死に方について考えていたんだ。どう死ねばますます俺たちの思いが国民に印象付けられるかなぁ、事件の風化を防げるかなぁ、って」
自分が今読んでいる本について語っているかのように平然と答えた。
「死ぬなんて馬鹿なことやめてよ!」
里美が悲痛な声を上げる。
「いや、最初から事件の最後はそうするつもりだったから。少年法が衆議院を通過したときは変な希望を持って、なんとして改正させると意固地になったが。やっぱり俺はダメだ。もう俺は幸せにはなれん、人質も殺せぬ情けない奴だし、自らばっさりと死ぬわ」
「本当に幸せになれないと言うの? 今までも幸せじゃなかったというの?」
里美の問いに隼人は顔を上げて天井を見つめていたが。
「たぶんな」
と、里美の方を見て言った。
その言葉を聞いた里美は隼人の右拳を踏みつけるように蹴った。包丁が隼人から離れ床を滑る。浩子がその刃の部分を足でしっかりと押さえた。
「おい、返せよ……!」
と立ち上がる隼人だったが里美に突き飛ばされ、ベッドに仰向けに倒れた。
「??」
訳が分からず呆然とする隼人に里美が乗りかかる。
「幸せじゃない!? 馬鹿言ってんじゃないよ。二年間のあたしの思い出はなんだったと言うのさ!」
「あたしがいなかったらいつまでもお姉ちゃんの悲しみにつぶれてこんな計画も思いつかなかっただろうに、偉そうなことを言ってんじゃないわよ! こんな馬鹿なあんたでもね! あたしは幸せになったんだよ。あんたといて幸せだった人間がここにいるんだよ」
大粒の涙を隼人の顔にぶつけながら里美は叫び続ける。
「どう責任取ってくれるのさ! 幸せになったあたしに! 責任とってよ! 責任も取らずに死ぬなんて絶対許さないから」
里美が隼人の襟首をつかむ。隼人の首が大きく揺れる。
「あんたも私といて幸せになりなさいよ! 責任取って幸せになりなさいよ! あんたが私より長く刑務所にいようが構わない、どんなに情けない目に遭っても私はずっと愛してやるから、死ぬなど言わずに幸せになりなさいよ!」
里美の手がはたとやむ、目を回しかけながら隼人は里美に尋ねた。
「お前……、俺のおかげで幸せになれたの言うのか?」
里美は「うん、うん、」と何度も頷く。
「そうか……、幸せか……、俺も幸せになっていいのか……? おまえらはどうなんだ?」
隼人は里美に、続いて浩子ら三人に問いかけた。
三人とも無言で頷く。
「そうか……、まだ俺は幸せになっていいんだなぁ……」
里美の手が隼人の襟を放すと隼人は再びベッドに倒れた。
「そうか……」
不意に隼人は立ち上がり、窓を開け手すりに立った。
「隼人!!」
「大丈夫だよ。下は雪が積もっている。死にやしない。」
そう言うと隼人は大の字になって飛び降りた。
四人が窓の外に身を乗り出すと、隼人が新雪の上にうつ伏せになって倒れている。
「嫌だ!死なないで」
里美の叫びに死んでいるわけがないだろう、と言わんばかりに隼人が頭を上げた。それを見て四人はほっとした
「ちくしょーっ!!!」
と隼人は立ち上がり、大声で叫んだ。
「絶対に生きてやるぞー!!」
掴めるだけの雪を掴んで彼は様々な方向へ投げる。
「絶対に生きてやるぞー!!」
里美もそう言いながら飛び降りた。隼人とともに雪を思い切り投げる。
二人が雪を投げている相手が誰であるか、浩子はなんとなくわかるような気がした。




