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改正  作者: 工場長
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第二十五話 取り戻した希望

 どれほどの人を掻き分けただろうか、議事堂に乱入してから三十分が経過していた。議事堂を後にする議員たち、それを取り囲む記者。神取はそれらの人ごみに構わず、一心に直江の姿を探した。右手のポスターが人に挟まれ何度も引きちぎられそうになったが、その都度両手で優しくそれを自分の胸元に寄せた。

 直江の姿を発見したのは神取が何度目かに正面入り口に立った時だった。閉会直後の混雑は一応の落ち着きを見せていた。その中で、直江はコソコソと隠れるように歩いていた。

 神取は直江の後を付けた。彼が議事堂を出たのを見ると、直江の腕を掴み、まるで拉致をするかのように強引に直江を車の中に押し入れ、秘書が入らぬうちにドアを閉めた。

「おっ、おい……」

 秘書の制止も聞かずに運転席の角田刑事は車を走らせた。


 車は警視庁についた。

「代理、降りてください」

 神取は申し訳なさそうに頭を下げた。

「この時期にこんな強引な呼び出しを受けるとは……。なにか事件に進展があったようですね」

 直江は少々不機嫌そうに服の乱れを直した。

「はい、本日衆議院を通過した少年法改正法案の参議院提出をしばらく控えてもらいたいのです。もう一つ、今夜よりこのポスターを全国に貼り出すことをお許し願いたい」

 神取は今まで大切に持っていたポスターを広げ、直江に見せた。

「……彼らが今回の事件の犯人だと言うのかね」

 直江は心配そうに呟く。

「はい……、しかし私の思うところ彼らには黒幕がいます。彼らはそれに利用されているに過ぎないのです。ですから、まずは彼らの身柄を確保し、しかるに黒幕への手がかりになればと思いまして」

「なるほど……、だから彼らを失踪者として全国に公開するわけですか」

 直江には神取の意図が読めたようだ。先ほどの不安げな表情からいつもの――記者たちを相手にしているような――表情に戻った。

「すでに事件から一週間が経過しています。事件の関係者が行方不明者として捜索されてもおかしくはないでしょう。そして彼らが行方不明者として発見さても、であればこそなおさら黒幕たちは捜査が自分たちの手にまで及んでいるとは気が付かないはずです」

 これは一種の賭けである。それに乗ってほしい、と神取は直江に必死に訴えた。

「どうでしょう、代行。私たちは何があっても一滴の血を流さずにこの事件を解決して見せます。そのためにはまず、彼らの確保が必要なのです」

 直江は神取の話を受けてしばらく無言でポスターに載っている人物の顔を指で力強くなぞった。指を一回、二回と動かす事で、何か自分に気合を入れているようだった。そしてしばらく彼は空を仰ぎ見た。相変わらず周りのライトのせいで空は灰色に映り、晴れているのか曇っているのか分からない。

「三日待ちましょう……。それが限界です。それまでに事件の捜査に何らかの進展……、少なくともこのポスターの人物を見つけていただきたい」

「はい、必ず居所を掴みます。それまで直江代理はもちろん、全ての議員の先生方、その家族は私たち警察が全責任を持ってお守りします!」

 直江は目を閉じると心の中で呟いた。

(景正……、すまない)

 ゆっくりと目を開くと不意に神取の持つポスターが目に入った。その中の人物の一人、岡部幸成に自分は少し似ているな、と思った。


 少年法改正法案衆議院通過の様子は、国会中継を通じてリアルタイムに全国に流された。その後も、少年法通過に関するニュースや、新しい少年法の解説など、MHK・民放各局はこの出来事の意味を必死に伝えていた。

 そのニュースにこの国で一番喜んでいる人物は、今高らかに笑いながらベッドに仰向けになっている。

「何をそんなに嬉しがっているのよ。ここ最近で一番の上機嫌じゃない」

 少し呆れ顔で里美が隼人に声をかける。

「これがおかしくなくてどうする里美。やはり人間は希望というものを捨てずに持つべきなんだな。俺は今日それをつくづく思ったよ」

 笑いながら隼人は上体を起こす。

「なあ……、里美」

「なによ、最近のあんたは少し変よ」

「このままだと本当に少年法は改正されるぞ。この国の議員たちや警察どもは俺たちの思った以上に本当に馬鹿ばっかりだったんだ」

 笑顔の隼人に対して、里美の表情は険しくなった。

「あんた……、本気でそう思っているの?」

「ああ、そうさ。人間、希望を持って何が悪いんだ」

 激しくベッドが軋んだ。里美がベッドに飛び乗り、隼人の腕を激しく掴んだのだ。

「やはりそうだったのね……。最初と言っている事が違うじゃない!『自分の事しか考えない政治家や弁護士たちを驚かすだけだ』って、言っていたじゃない。散々驚かしておいて彼女たちは解放するつもりだったでしょ」

 激しく隼人の腕を振る里美、隼人は悪びれもせずに答える。

「それは、俺は何もかも希望が持てなかったからだ。何をやっても上手くいくわけが無い。そう思ったからだ。だからこんな事をしたら絶対に捕まるって思っていた」

「『それでもこれだけの騒ぎを起こせば国民は今の少年法がいかにおかしなものか、被害者と加害者の扱いがいかに不平等か気づく、それだけでいい』って言っていたじゃない」

 腕を振るのに疲れたのか、里美は言い終わると同時に腕を離した。惰性で隼人の腕が彼の頭まで上がり力なく落ちた。

「この計画は俺が自分の将来に希望が持てなかったから考えた事だ。俺はいつも何かに希望を持つと、幸せを感じると直後に裏切られるようにそれを失ってしまう。二年前がそうだった。彩子といて幸せだった俺はいつかこれが崩れるのではないかといつも脅かされていた。たけど四年たっても何も起こらなかった。だから俺は彩子といつまでもやっていけるとその日、初めて思ったんだ」


 その報せは、里美からの電話で知らされた。彩子と別れた後、隼人は友人とカラオケボックスで朝まで歌う予定だった。幸い地下鉄はまだ動いていたので、隼人は急いで警察署へと向かった。

 電車に乗っている間、彼は震える口元を、今にも飛び出しそうな嗚咽を右手で押さえるのに必死だった。その右手さえ、左手の支えがなければならない有様だった。周囲が彼を怪しむ目で見ていたが一向に構わなかった。いや、彼にはその人たちが見えなかった。

 その証拠に、彼は里美が教えた駅に着いたのを知ると、ゆっくり歩く老婆を押しのけて階段へとかけたのだった。

 警察署の薄暗い霊安室の前の椅子に里美が一人座っていた。

「里美……」

 里美は隼人に気が付くと、何も言わずに彼に抱きつき、そのまま泣き続けた。ここで彼の記憶はしばし途切れる。次に彼の目に入ったのは霊安室の飾り気の無い白いベットの上で眠る彩子の姿であった。


 どうしてこいつはこんな穏やかな顔をしているのに死んでいるのだろう? どうして苦しそうな、悲しそうな顔をしていないのだろう?

 

 隼人は彩子をしばらく観察すると、彼女の頬をつねった。

「隼人……さん?」

 里美の呼びかけにも応じず、隼人は彩子の頬をさらに引っ張った。口が開き、歯がだらしなく見えてもさらに引っ張り続けた。

「隼人さん、やめてよ」

 里美が隼人の腕を払う。彩子の口が閉じられたが、ゆるみが残り、少し笑っているようにも見えた。

「もう何をしてもお姉ちゃんは目を覚まさないんだよ……」

 里美の言葉を聞いてか聞かずか、隼人は彩子を再び観察した。十数秒後、彼は彩子の体に触れると、思い切り彼女を揺さぶりついにはベッドから突き落としてしまった。

 

 起きない


「隼人さん!!」

 物音と里美の悲痛な叫び声を聞いた警察や、病院関係者が部屋へと入った。

「何をやっているんだ、あんた!」

「落ち着いてくださいよ」

「お気持ちは痛いほど分かりますが……」

 皆が口々に何かを言っては隼人を部屋から出そうとするが、彼には何も聞こえず、頑としてそこを動かなかった。

 やがて、彩子の白い手術着の胸の辺りがだんだんと赤くなっていった。隼人が落とした時に縫合していた胸の傷口が開いてしまったのだ。

 その赤く広がるものを目にしたとき、彼は初めて彩子の死を知った。周囲の人間にされるがままに室外へと引きずり出された。霊安室の扉が重く閉まる。その音は元に戻った隼人の聴覚が初めて感知した音だった。


「やはり俺の希望と幸せは失われてしまったんだ」

 隼人は投げやりに語るとどっとベッドに転がった。

「それ以来俺は何をやっても決して幸せになれないだろうと思った。だからせめて死ぬ前に俺たちの、彩子の無念を晴らさなければならないと思った。今回の事件はそのために起こしたものだった」

 たとえ自分が捕まろうとも国民は現行の少年法に疑問を持ち、改正は避けられないものとなるだろう。そう考えて、同じ境遇の岡部一家や隆を仲間に加えたのだ。

 彼らも隼人がそう考えていたからこそ、賛成したのだ。

 しかし隼人はそのことに気づいていない。悲しそうに話す隼人に再び笑顔が戻った。

「しかし蓋を開けてみればどうだ、里美よ。このままだと本当に少年法が改正されるのだぞ。俺の願いは希望はまだかなうのかもしれない。俺は希望をまだ持っていいのかもしれない」

 隼人の笑顔に対して、今度の里美の顔は今にも泣きそうなものだった。

「この二年間というもの、俺はこの事件のために生きていたんだ。どうせやってもうまく行くはず無いがやれるだけの努力はしよう、そう思って生きてきた。その結果がこれだよ。俺はまだ希望を持てていいのだ。幸せになっていいのだ」

 不意に里美が枕を激しく床に打ちつけた。隼人は大きく口を開けたまま、ポカンと里美を見つめた。

 里美は無言で廊下へと出た。彼女の行動に首を傾げていた隼人だったが、やがてもう一つの枕に顔を押し付け、笑い出した。

 里美はドアを背にすると、その場で中の隼人に気づかれないように精一杯声を押し殺して泣き崩れた。

「あたしと一緒にいても幸せじゃなかったと言うのね……」

 そのような状態の二人であったから、神取と直江のやり取りはもちろん、ロビーで明美と直子が見ているニュースなど知る由も無かった。

「本日衆議院を通過した少年法改正案ですが……、直江代行の強引さに各党の参議院議員から反発が出ているようです。政府は明日中の参議院通過はとても無理だと判断し、しばらくはどの党も党内の調整に勤めると、先ほど直江代行直々の発表がありました」

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