プロローグ
「舐めなさい」
そう言って彼女は、僕に靴の先を向けて来た。
深夜のお嬢様の部屋で、僕は一人特別に呼び出されている。
彼女の足は、強く力を入れれば折れてしまいそうなくらい細く、白磁のように白く美しい。
その白い肌と対照的な黒曜石のような輝きを持った黒い靴。僕以外の従者達がいつも必死で磨いているソレを向けて来る彼女。
僕は言われた事がよく分からなくて、一瞬ぽかんとしてしまった。
「ほら、さっさとしなさいよ愚図!」
「はい、お嬢様」
すぐに思い出したように返事をした。二度目はない。
僕は躊躇せずに片膝を付き、恭しく彼女の御御足を持ち上げ、その靴に舌を這わせる。
僕の唾液で靴が汚れて行くと言うのに、彼女は実に満足そうにその様子を眺めていた。
「本当にするなんて、あなたって根っからの犬みたいね」
僕が犬のようにペロペロ舐めるのを罵倒しながら、軽蔑の視線で見下ろしてくる彼女。僕は黙って靴を舐める作業に没頭した。
正直、汚れなんてあるはずもない靴だ。僕以外の普通の従者が、いったい靴磨きだけで何人首切りに合った事だろう。そんな訳で、この靴は従者の血と汗と涙の結晶、綺麗でないはずがないのだ。強いて言うなら、僕が舐める事によってどんどん汚れて行くだけの靴だ。
靴が唾液でテカテカと光るようになると、彼女は僕を止めた。
そして徐に靴を脱ぎ、そのまま靴下も脱ぎ捨てる。そのまま上まで脱ぎ出すんじゃないかと言う脱ぎっぷりだった。
彼女の人形のように繊細で華奢な足が露になり、そして、
僕を踏みつけた。
「…………」
僕は意識して声も息も出さぬようにしていた。
彼女がタバコの火を消すようにぐりぐりと頭を踏みつけるものだから、僕は床に顔を付けられていた。ぐりぐりと好きでもない床に頬擦り。床だって僕の事を好きじゃないだろうに。
足の裏に触れる僕の髪がくすぐったいのか、彼女は小さく笑い声を上げていた。いや、僕を踏みつけて悦に入っているのか。
「本当、あなたって馬鹿みたいに従順ね。前世は犬? それとも騎士? ごめんね、馬と鹿だったわね。……それとも、こういうのが趣味なの? とんだ変態ね」
足の指で僕の髪をこねくり回し、言いたい放題に僕を罵倒する彼女はとてもご満悦。
僕は黙って床と頬を合わせて、仲良しこよし。
と、不意に彼女が足を上げた。
それに釣られて、つい僕も視線を上げてしまった。やばい、命令違反だ、怒られる。踏みつけられるかもしれない。
そんな僕の思考は良い意味で裏切られ、彼女はそれについては何も言わなかった。踏みつけもしなかった。
ただ。
人形のように整った足の指を僕の口に押しあて、彼女は妖艶な笑みを浮かべて僕に命令した。
「しゃぶりなさい」
僕は命令に従うしかない。
それが僕と彼女の関係。主従関係。
でもさ。
オカシイな、僕は執事としてこの家に来たのに。
これじゃあまるで、奴隷じゃないか。
だが、別に構わない。
法外な給料、自分の家、高校生活、それらを与えてくれたのだ。
だから。
「………………」
「んっ」
返事は、言葉ではなく口でします。
彼女の足の指を、僕の唾液付けにでもしてやろうか、と言わんばかりに舐め回す。
爪の中にまで抉るように舌を蠢かせ、アイスキャンディーでもくわえるように彼女の親指をしゃぶる。
彼女は照れなのか、くすぐったさなのかよく分からないが、扇情的な笑みを零す。
欲情し頬を火照らせ、欲望を言葉で表す。
あぁ、君はいっつもそうだ。
君はいつでもそうさ。何にも知らないように笑って、感情のままに生きてさ。
笑って、泣いて、怒って……欲情して激怒して。
僕はそれがさ、
凄くムカつくんだよ。