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二人で森を抜けるのは思ったよりも簡単だった。
ライアンは私の指示に反論することもなく素直に従ってくれたからだ。彼は最初緊張した面持ちで私のすぐ後ろを黙ってついてきていた。私が止まるよう指示すれば、理由を尋ねることも無くすぐに行動に移してくれる。
時折森の中から響く野生動物の気配に身を固くしながらも、声を立てたり慌てたりするようなことはなかった。
そうやって三日掛けて私たちは森を西へ抜けた。森を歩きなれていないライアンのことを考えて、少し時間を掛けて進んだ結果だった。
私が暮らす森は広大で、南北には比較的狭いが東西に大きく広がっている。その東側には高い山が聳えており、万年雪が積もっている。その高い山を国境として、その向こう、更に東には別の国があるらしい。らしいというのは、私が山を越えたことがなくただおばあちゃんからそうだと聞かされて育ったからで、自分では全てを踏破したわけではないから。
そんな広大な森は私の家を中心とすると北に良く行くデルンの村があり、西に抜けると街道が南北に伸びていて、傷ついたライアンを見つけたのは森の南側だった。見つけたのが南なのだから私が南へ抜けようと出発時に提案すると、彼は念のため西の街道へ一度迂回してから南へ進みたいと申し出てきた。
「なんでわざわざ西へ行く必要が?あなたは南から来たのに?」
私がそう問いかけると、簡単に言えば危険だからだと暗い瞳で彼は言う。
「運が良ければ僕が死んだと思ってくれているかもしれないけれど、万が一ということもある」
「まだあなたを害そうとする者たちが南側にいると思ってる?」
「うん。だから南にまっすぐ進むのは良くないと思うんだ」
「そうかしら」
何やら確信ありげにライアンは頷いた。
「この森の南側では私の家族がきっと今も僕を探しているはずだ。死体が見つかるまでは、つまり確実に私が死んだことが分かるまでは諦めずにずっと探し続けているだろう。だから南へは行けない」
「意味が分からないわ。じゃあ、なおさらそっちへ向かったほうがよくない?」
「いや、だめなんだ。私を襲った者たちは、囲い込み猟のためにダグラス・マクスウェルが用意した猟師たちの中にいた奴らだった。侯爵がしっかりと身元を確認したうえで招集した男たちだったのに、私を概してきた。これは周到な計画だったのだろうと今ならわかる。私を森の奥に誘い込んで、そこに潜んでいた者たちとで協力して僕を亡き者にしようとしたんだ。計画のことなど知らない私は上手い具合に森の中で従者たちと引き離されてしまった」
その時のことを思い出すとよほど悔しいのだろう、彼の怒りに震える拳が目に入った。
「私の家族はブルワース侯爵家の者たちと協力して今もなお森を探しているだろうが、その場に敵が紛れ込んでいないなどとは言えない。身内に再会する前に敵に見つかれば元の木阿弥だ」
「すごく家族を信頼しているんですね。そうまでして探しますか?私があなたを見つけてからもう半月以上経ちますよ。森の中を探すのは相当な手間ですし、普通は諦めるんじゃないかと思いますけど。お金だってかかるし、こう言っては良くないかもしれませんが、普通ならもう死体は森の生き物に食い荒らされてしまっているはずでしょ?」
「そうだね。君の言うことは正しい。でもね、それでもだよ。それでもきっと家族は私のことを探すと思うんだ。いや、絶対に今も探しているはずなんだ」
その彼の確信に満ちた言葉が、全く知らない世界の言葉のように私の耳に響いた。
「私が生きていたという痕跡のために。服だとか装身具だとかなら残るはずだからね。それを求めて探し続けるだろう」
「まぁ、そういうこともあるかもしれません」
私はここで初めて、彼のことを何も知らないのだと思い至った。
「そうまでして必死にあなたを探すのは何故ですか?私は貴族がどういうものをあまり知らないんですけど、ここまでするのはあなたたち貴族にとっては普通のことなんですか?」
私の問いかけに、ライアンは難しそうな顔をしただけだった。
「済まないが、答えられないんだ」
しばらく時間があって、それだけ言った。
そうですか、と私はそれだけ答えて、彼の目的地へ行くために西の森へ出発したのだった。
そして出発から四日目、丸三日かかってやっと森を抜け街道へと辿り着く。まだ太陽は中天にも差し掛かっていない時間に森を抜けることができた。
目の前には太く立派な道が左右に伸びていて、街道の先には緑の草原が広がっている。ところどころ背の低い木が生えているが、それはまばらでほとんどは背の高い何らかの草だった。暗く鬱蒼と茂る森の中とはうってかわって、まぶしい太陽の光に照らされて私たちは目が慣れるまで目を細める。その視線の先では一面に広い空間が、空の青さと大地の緑とが接しながらどこまでも広がっているように見えた。
以前にも来たことはあるが、やはりこの解放感は森の中では味わえない。
空に浮かぶ白い雲がゆったりと流れていく。ここちよい乾いた風が頬を撫でた。
横を向けば、同じようにライアンがすがすがしい顔をして辺りを眺め渡している。
街道にはぽつぽつと人の影が遠くに見られた。
「さて、ご要望の街道まできましたよ。これからどうしますか」
「とりあえず南へ行こう。大きな街道だからしばらく進めば村や町へ辿り着くはずだ。そこで一旦休みたい」
「この辺りの地理には詳しいですか?私は森の外のことは全く知識がなくて」
「ごめん。私もなんだ。ただ、目的の街の名前は分かる。ブルワース侯爵の膝元、カダルフォードだ。そこへ私たちは向かうよ」
「カダルフォード」
「そう。ブルワース候ダグラス・マクスウェルの屋敷があるんだ。そこまで行けばなんとかなる」
「わかりました」
「もしかしたら街道にも僕を探している敵がいるかもしれないからここからは顔を隠して行くよ」
「はい」
「もし身元を尋ねられたら、夫婦ということにしておいてくれないか。それが一番安全だ」
「わかりました」
「ありがとう。兄妹にしては私たちはあまりにも似ていないからね」
「でも少し若くありませんか?あなたはまだしも、私はまだ十六ですし」
「そこはまぁなんとかなるだろう。人より童顔だということで切り抜けてくれ」
「わかりました」
「君には本当に迷惑をかける。でもそれが一番手っ取り早いからね」
「構いません」
そう言って私たちは大きな街道を南へ進んだ。馬車の類が何台も行き来しているのだろう。固く踏みしめられた道には深い轍が残されている。
その跡を辿りながらぼんやり並んで歩き続けていると、日が沈み始めたころ特に問題が起きることもなく私たちは町へついた。レートンと言う名前の町らしい。
デルンの村以外の集落を見たことのない私には、その町はひどく人が多い場所に映った。仕事を終えて家路を辿る人々と、楽し気に酒を飲みかわす男たちの喧騒と、家々から響く子供の笑い声なんかが聞こえて来ていた。
活気のある町の様子に私は目を奪われる。
きちんと整備された町の中央にある、店が立ち並ぶ目抜き通りを抜けた先には立派な教会があった。
「立派な教会だわ」
「立派?そうかな。すごく小さくて粗末な作りだよ」
「そうなの?」
「もっと大きくて人の多い街では、もっと立派な、天を衝く様な鐘楼を持つものがある。僕らが今目指しているカダルフォードにはあれとは比べ物にならないほどの大きさの教会があるよ」
「倍ぐらい?」
「もっとだよ」
「そんなに……。村にある教会は本当に小さくて、それと比べたらこの町の教会はあんなに立派なのに、それよりもすごい建物があるんだ」
「有力な貴族の住む屋敷や城なんて、この町くらいの広さがある。そんなのを見たら君は腰を抜かしてしまいそうだね」
「貴族ってそんなにすごいの……」
「私たちが無事に侯爵邸に辿り着いたら、お礼に私の家にも連れて行くよ」
「すごいんですか?」
「まぁ、それなりの規模ではあるかな」
「そうなんだ」
私はその広大な屋敷だとか城だとかいうものに思いを馳せてみた。
「それよりもまずはご飯だよ。私はお腹が空いた」
そんな町の様子と今聞かされたことに圧倒されて立ち竦む田舎者丸出しの私の腕を捕まえて、ライアンが私を先導する。人混みをずんずんと進んで、一軒の宿へと辿り着いた。
空き部屋を確認するとほとんど泊り客はいないらしい。一人一部屋はどうかと女将さんが言ってきたけれど、宿代がもったいないので同じ部屋に二人で泊まることにした。夫婦だという設定もあって私はそうしたのだけれど、この提案にライアンが少し渋った。それでも最終的には支払いが私持ちということもあって、彼は私の意見に従った。
案内された部屋は、二台のベッドですでにぎゅうぎゅうの小さい部屋だった。ベッドの上に旅の荷物を下ろしてから、その宿の一階にある食堂で夕食を取る。町の人たちが既に何組も集まって席についていて、にぎやかに語り合っている。時折聞こえる笑い声や罵声や乾杯の音頭が私には新鮮だった。
「あまり周囲をきょろきょろしていると変な人に絡まれるよ」
ライアンがそう言うので私はじっと前に座るライアンを見ることに専念した。しばらくして宿のおかみさんが二人分の料理を持って現れた。
野菜の浮いたスープとパンと干し肉とエール。とても美味しい料理だった。パンも普段食べているのよりも何倍も美味しかった。
だから素直に美味しいと言うと、ライアンが微妙な顔をした。
食事の最中ライアンが時折、ふいに食べる手を止めて何かに耳を澄ます仕草を見せたが、私がそんな彼をじっと見ても何も言わなかった。ただ、頭を小さく振るって食事を再開しただけだった。
私は空腹からいつも以上に早く食べ終わると、ライアンが食べ終わるのを待ってから二人で取った部屋に戻って眠った。
彼はベッドに入ると同室であることをしきりに申し訳ないと謝ってきたけれど、私には何故そんなに謝っているのかよく分からなかった。逆にむしろ、こうして二人で森の外を旅することに、なんだかわくわくしていた。
旅の疲れから、私たちはそれぞれベッドに横になるとすぐに眠りに落ちた。
ライアンは熊に襲われて、逃げる際に護衛や従者たちとはぐれました




